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蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

皐月の風に

2020年05月28日 | 季節の便り・花篇

 5月が逝こうとしていた。数日続いたスッキリしない天気のあと、眩しい五月の青空が戻ってきた。早朝散策も半袖で寒くない。どこか遠くの空から、ホトトギスの囀りが落ちてくる。今年の初鳴きだった。

 コロナ自粛のお蔭で、家中の片付けが捗る。漸くアルバムの整理を終えた。それでも、まだ30冊ほどが残ったが、あとは相続人の娘たちに委ねよう。
 黒ずんだ日よけの簾を新調し、日差しを浴びて脆くなった寝室の障子を張り替えた。40年来、松か竹の図柄だったのを、気分転換に「花吹雪」という名前に誘われて選んでみた。父から学んだ一段毎に張るのを習慣にしていたが、初めて一枚張りに挑戦してみた。なるほど、はるかに簡単である。しかし、その分、達成感も乏しかった。舞い散る桜の花びらが予想以上に可愛らし過ぎて、さながら新婚さんの寝室みたいになって苦笑いする。
 故障していた玄関のドアホンも今日取り換えを終わった。庭の10株余りの躑躅が、色とりどりに満開を迎えた。紫陽花も花時を迎えつつある。夕顔の苗を植え、友人が届けてくれた風船カズラもプランターに移植した。こうして、初夏が快調に走り抜けて行く。

 西日本新聞朝刊のコラム「春秋」、この筆者はただ物じゃない!引用する言葉の数々に、多分野の知識への造詣の深さを感じて心地よい。昨日の記事も、心のうちで快哉を叫びながら読んだ。そのまま転載させていただく。

 <入髪(いれがみ)でいけしゃあしゃあと中の町>と江戸の川柳に。かつらを着け憎らしいほど平然と町を歩いている—。いけしゃあしゃあの「いけ」は接頭語。「しゃあしゃあ」は水が滑らかに流れる擬音で、「洒蛙洒蛙」とも書く。蛙の顔に水をかけてもけろりとしている場面が浮かぶ▼令和の川柳なら<小マスクでいけしゃあしゃあと永田町>。政府が全世帯に配る布マスク。「小さい」と不評で異物混入騒ぎも。店頭にマスクが出始めた今も届かない世帯は多い。「困っているときに欲しかった」とぼやく声も▼一方、安倍晋三首相は「品薄状態を解消し、価格も下がった」とアベノマスク効果を強調する。実際は、民間がいろんなルートで輸入したマスクがだぶついているのだそうだ。▼東京高検検事長の定年延長を巡っても。前代未聞の閣議決定と法の解釈変更で正当化した人事だ。ツイッターの抗議が殺到すると、首相は「法務省が提案した」と言いだした。▼当の検事長は賭け麻雀で辞任。「余人をもって代え難い」逸材のはずが。検察庁法改正が頓挫したら、一括提案の国家公務員法改正まで見送りに。首相はしゃあしゃあと「法案を作った時とは状況が違う」▼「蛙鳴蝉嗓(あめいせんそう)」とばかりに批判をけろりと受け流すのは一強政権の得意技。もり・かけ問題で自信を深めたか。ただし、今回はネット世論という蛇ににらまれた蛙かも。ほら、内閣支持率がストンと。

 マスコミは、この辛口が命。張り替えた障子のように、気持ちをスッキリさせてくれる。モリ・カケ・サクラ・アベノマスク・クロカワ……この男の神経は、いったいどうなっているのだろう?コロナは「一時的に」落ち着いて来ているが、傲岸不遜のアベの災禍は益々深刻の度を深めている。
 ドアホンを取り付けてくれた近くの電器店が「店には、今日アベノマスクが届きましたよ」という。我が家には、まだ来ない。来ても、速攻で市役所の寄付箱(回収箱)に収めに行くだけだが。

 皐月の風が、心地よく庭先を吹き抜ける。梅雨前線が虎視眈々と北上の機を伺い、やがて豪雨禍の季節が迫っている。さらに、夏は一段と猛暑という予報も出た。生きるのに厳しい一年だが、耐える気力に衰えはない。
 我が家は23日、結婚55周年を迎えた。似非新婚の寝室で爛漫の桜吹雪に包まれながら、今宵もいい夢を見よう。
                         (2020年5月:写真お:気に入りの躑躅の花)

うっぷん晴らし

2020年05月15日 | 季節の便り・花篇

 絶えず緊張感がある。マスクなしで歩ける自由な環境にあるのに、どこかに閉塞感がある。 日常生活圏内の狭い中に「閉じ込められ感」が、いつも気持ちの底にある。
 雌伏10年という言葉がある。わずか3ヶ月なのに、苦難や挫折をあまり知らない現代人は、もう悲鳴をあげ始めている。日本人は心身ともに脆弱になってしまった。
 そんな中で、39県で緊急事態宣言が解除された。宣言延長から、僅か10日、専門委員会に丸投げして自分の哲学を持たないアベが、また得意気に記者会見を行った。
 コロナウィルスよりも、この醜顔を見る方が精神衛生上良くない。これまで散々嘘と隠蔽と改竄を送り返して責任を取らないヤツだから、アベが何を言っても信じることが出来ない。専門委員会さえ、自分の息のかかった者だけを任命しているのではないか?……そんな色眼鏡で見てしまう。現に、検察庁法を改定して検察官の定年を延長しようとする問題で、慎重意見を述べた委員が委員会から辞めされられているらしいし……。アベが、「疑惑逃れが動機ではない」と弁解すればするほど、益々嘘っぽく聞こえてしまう。
 緊急事態宣言解除の根拠も、あと一つスッキリしない。第2波、第3波を繰り返すのは必至だろうが、国民の命より経済優先……裏返せば、権力へのしがみ付き、次の選挙の票読みを優先するのが政治家であり、常識に疎い人種である。アベノミクスも崩壊、オリンピックも殆んど開催不能、憲法改正も無理、せめて非常識極まりない検察官の定年延長でもしないと、自己満足が得られないのだろう。
 もう、やる気さえ感じられなくなった醜顔を、毎日メディアで見せられるのもウンザリである。
 ……と、今朝もひとしきりうっぷんを晴らした。払底していたマスクが、薬局の店頭に山積みされ始めた。50枚入りで1,980円。昨年よりかなり割高だが、取り敢えず安心が帰ってきた。
 
 昨日、島根県松江市の親しい電気屋さんから、畑で採れたてのニンニクの茎をどさっと送って来た。自家製の西条柿の巻柿まで添えた。現役リタイアして20年にもなるのに、いまだに家族ぐるみのお付き合いをしている電気屋さんである。徳島や北九州にも、同じようなお付き合いをしている電気屋さんがある。ありがたいことだと思う。今ではカミさん同士のお付き合いの方が濃くなった。
 少しお裾分けしようと、Y農園の奥様に届けに行った。こちらは、リタイア後の九州国立博物館ボタンティアで知り合い、家族ぐるみのお付き合いをするようになって8年になる。お返しに、朝採りのスナックエンドウと紫玉葱をいただいた。
 逼塞し、鬱積したこんな時には、やっぱり人と人のナマのお付き合いが何よりもの救いになる。ネットで飲み会なんて、なんと侘しい姿だろう!

 時節柄、剪定も消毒も滞っている侘助に、びっしりと毛虫が付いた。チャドクガ(茶毒蛾)の幼虫である。1枚の葉を数十匹が並んで埋め尽くし、大変な状態になっていた。肌の弱いカミさんが誤って触れると、悲惨なことになって皮膚科に通う羽目になる。
 「毒針毛」という体毛は、直接触れるのは勿論、風に飛ばされた毛に触れても皮膚炎を引き起こす。産んだ卵塊にも毒針毛があるから始末に悪い。
昆虫少年だった頃、無謀にもチャドクガを飼育しようと試みたことがあった。怖いもの知らずだった、あの頃の若さがちょっぴり懐かしい。
 殺虫剤を振り掛け、思い切って数百匹の葉とともに剪定して袋に詰めた。伸び始めた梅の枝も払い、梅雨時の傘を邪魔しないように庭を拡げた。これもまた、うっぷん晴らしである。
 市の指定可燃ごみ袋に2つ、ほかに落ち葉の袋が2つ、アルバムの整理で埋まった8袋とともに、2ヶ月がかりでごみ回収に出すことになる。
やっと片付け終わったアルバムなのに、昨夜棚の奥から更に10冊ほど出てきた!

 今朝の西日本新聞に、こんな川柳を見付けた。
        自粛中 コロナがさせた 大掃除

 庭石の周りに、ユキノシタの花が群舞している。小さな山野草の写真撮影に開眼させられた花である。
 雨が来た。梅雨の足音が近づいてくる。
                             (2020年5月:写真:ユキノシタ乱舞)

波の記憶

2020年05月06日 | 季節の便り・花篇

 松の古木の足元、庭石の前にタツナミソウ(立浪草)が一面に立った。白波の中に、いつの間にか消えてしまった生き残りの紫の波が1本立つ。一昨年、町内の土手で咲いていた野生の紫を鉢に植えた。今年、二つの鉢に群れ咲いた。秋になったらこの紫の種子を白波の間に散らせば、来年はきっと楽しい海が波立つだろう。
 波、浪、涛……、それぞれの文字に、異なる響きがある。そして、それぞれに因む記憶がある。

 75年前の11月だった。引き揚げ船、歴戦の生き残りの駆逐艦「雪風」の上部甲板の主砲の下で、荒れ狂う玄界灘の波濤に苛まれていた……記憶に残る最初の、そして最悪の濤である。青空を流れる雲を見ながら、激しい船酔いに苦しんでいた。この原体験が、いまだに船に対する抵抗を消せないでいる。
 尤も、その後船に酔ったのは、知多半島沖の篠島で舟釣りした時だけだから、本当は船には強いのだろう。カリブ海クルーズでマイアミからバハマに渡った時も、今話題の「ダイアモンド・プリンセス号」での1週間のアラスカ・クルーズで、就航以来最大の嵐に見舞われて船員さえ船酔いした時も、能登・隠岐のクルーズで4日間波浪に揺られた時も、カミさんは酔っても、私は平気だった。

 大学生の時、親友と二人で博多港から平戸まで船に乗った。「太古丸」という小さな船は揺れに揺れ、乗客の殆どが洗面器を抱えて船室で、へたっていた。親友とともに、甲板で浪を見ながら揺られているとき、初めてトビウオが波をかすめて飛ぶ姿を見た。
 平戸に泊まり、九十九島を巡り、佐世保から長崎に出た。以前、私たちがクラシックを聴きに通っていた喫茶店があった。そこに勤めていたが、今は帰郷して長崎に住む女性が迎えてくれた。彼女は、後に親友と結婚することになる。カミさんと、初めて雇われ仲人を務めたが、その二人も既に彼岸に渡ってしまった。

 仕事で沖縄を担当していた頃、石垣島の取引先の招待で西表島に渡った。波浪注意報が出ていた悪天候で、水平線が見えなくなるほどの深いうねりの中を1時間、頭の中が真っ白になるほどの大揺れだった。120人乗りの高速船は殆ど新婚さんだったが、船酔いで帰りの船まで待合室で寝込んでしまったカップルが何組もいた。

 12年前、カリフォルニア沖2時間のサンタ・カタリナ島の島陰に30人乗りのダイビングボートを泊め、18人の多国籍の高校生に交じって、3日間のスキューバダイビングの特訓を受けた。船室の蚕棚のベッドの枕元が丁度喫水線に当たり、水温16度の冬のカリフォルニア海での厳しい訓練に疲れ果てて眠る耳元で、夜通し夢うつつにチャプチャプと鳴る波の子守唄を聴いていた。
 訓練を終えて帰る船は、横波を避けてジグザグに奔る。澪を横切って、たくさんのイルカの群れが、車輪を転がすようにジャンプを繰り返しながら、夕日の中を北上していった。

 その1週間後、私はメキシコ・バハカリフォルニア半島の最南端の海の底にいた。太平洋とコルテス海が交わる岬の先端は、ランズエンド(地の果て)という。
 ネプチューンフィンガー(海神の指)という鋭く天を指す岩の先の、シー・ライオン(カリフォルニア・アシカ)のコロニーの底に潜ると、20メートル上の海面の波の余波で、揺り籠のように身体が揺れる。目の前でアシカが身をくねらせて遊び、時折好奇心に誘われてフェースマスクを覗きにやってくる。
 仰向けになって見上げた海面は、岩に砕ける波が眩いほどの光の渦を幾つも湧き立たせていた。そこに向かって、レギュレーターから呼気の泡が立ち昇っていく。
 振り返って見た目の前に、ギンガメアジの大群が海を埋め尽くしており、思わず声を上げてマウスピースを外しそうになった。想像を絶する魚影に囲まれ包まれ吸い込まれて、ダイビングの至福に酔った。

 海は、少し荒れ始めると三角波が立ち、やがて白く砕ける。これを、漁師言葉で「兎が跳ぶ」という。庭石のそばで、何匹もの兎が跳んでいた。

 花言葉は、「私の命を捧げます」とある。
                             (2020年5月:写真:タツイナミソウ)

「鼻の絆創膏」……いただき!

2020年04月30日 | 季節の便り・花篇

 気温が俄かに20度超えとなって、戻り寒波を跳ね除けた初夏がようやくやってきた。黄砂の飛来で空の青さは少し白けているが、背中の温もりはなんとも心地よい。
 さぁ、「不毛の戦い」始まりの銅鑼が鳴った。先日の庭木の裏の大掃除に続き、足腰の鈍い疲れが取れたところで、庭にチョボチョボと生え始めた雑草の始末に、午前中を費やした。コロ付きのガーデン・チェア-に腰を預けて前後左右に転がしながら、日照りが続いた後の硬くなった地面をスクレーパーで根こそぎ剥ぎ取っていく。これから秋が深まる迄、2か月に一度ほどの雑草との「不毛の戦い」が続くのだ。
 しかし、無心に土と触れるのは格好のストレス解消になる。額に流れる汗を拭いながら、2時間ほど雑草と戦って過ごした。

 早朝散歩の途中、先日不思議な蕾を見付けた玄関先を見ると、「シラー・ベルミアナ」が見事に咲いていた。あの奇怪な蕾から想像もつかない、美しい花だった。
 ご主人の出勤を見送りに出た奥さんに誘われて、お庭を見せていただくことになった。洋風に設えられた花壇は丁寧に手入れされ、肥えた土にいろいろな花が咲き誇っていた。庭のベンチで珈琲まで淹れていただき、小一時間話が弾んだ。
 帰り際に、以前頼まれていた包丁研ぎを思い出し、一本預かることにした。さすがに、包丁を下げたままで散歩はまずいだろう。散歩は改めてということにして、いったん帰宅した。

 一昨日、お江戸に住むエッセイストの友人から電話が架かってきた。
 「マスクが届きました。小さ過ぎてあまり役に立ちそうにないし、顔のデカい主人が着けると、マスクというより、まるで鼻の絆創膏です」 
 「それ、ブログ・ネタにいただきます!」

 こんな寸足らずで、汚れなど不良品が多いマスクを、思い付きのように配り始めた。使われた税金466億!どんな根拠で業者を定めたのか、またまたお友達のルートなのかという疑念が湧く。
 「アベノマスク?」
 「アベノオトモダチマスク?」
 国会中継を見ていると、「アベノマスク」をしているのは、殆どご本人だけである。いかに、宙に浮いた思い付きだったのかが露呈して、滑稽極まりない。声を嗄らして答弁するアベの姿は老残!
 慌てて回収し始めたという。国内メーカーに発注し直すとか?いずれにしろ、我が家に届くのは随分先になりそうだが、そんな「アベノマスク」なんか要らない!
 「しかしなァ、このマスクには1万円札が10枚、付録でついてくるらしいよ。将来、要介護となった時の、尿漏れパッドにでも使わせてもらうことにしようか?洗って何度も使えるそうだし」と、カミさんと笑い合った。もう、笑うしかない。
 コロナに殺されるのはイヤだ!アベの愚策のせいで殺されるのは、もっとイヤだ!!

 室井佑月の「思いつきか」という記事を、ネットで見付けた。
 「……安倍政権は医療費を削減させ病院の数を少なくし、研究などに使われていた費用も大胆に削ってきた。そのことも今回、慌てる要素の一つになっている。
 もう、安倍さんにはお辞めになっていただきたい。彼の思いつきは、かなりの確率で失敗している。人もたくさん亡くなっている今、責任を取るつもりもない彼が頭でいいんだろうか?
 布マスク配布とか(妊婦用では不良品が多かったらしいね。布はウイルスを通すしね)、急に学校を一斉に休校とか(その後感染者が増えたんですけど)、人との接触を8割減らせといってSNSで人気歌手とコラボした、ご自身が家でくつろぐ動画を投稿とか(いや、そういうことじゃなく、どのようにしたらそうできるのか? またその間の生活はどうするのか?を教えて欲しいんですが)。

 彼のいってることに、根拠らしい根拠が見えてこない。まるで、思いつきのよう。その思いつきに税金が使われる。あたしたちも、振りまわされる。
 そして、今は情報が大事なのに、バレるような嘘も平気だ。……」

 昨日の西日本新聞の「ニュース川柳」である。
      新品の 汚れマスクは 洗えます

 嗚呼、また書いてしまった(泣)
                   (2020年4月:写真:シラー・ベルミアナ)

季節と歩く

2020年04月27日 | 季節の便り・花篇

 何だ、これは!奇異な、それでいて不思議な感動を呼び起こす造形美に戸惑った。
 毎朝の散歩は全く同じコースなのに、日々何か新しい発見がある。体感温度にも、日差しにも、吹く風の揺らぎにも、明らかな変化がある。真冬の午前6時半は凍えるほどに寒く、手がかじかむほどに冷たい。薄明にも遠く、まだ真っ暗だった。だから黄色のウインドブレーカを羽織って、車から自衛する。裏山から日が昇るのは9時過ぎだった。

 同じ時間なのに、今ではもう日の出が過ぎて、歩く背中をほんのり温めたり、真正面からの光がまぶしくて、目をそばめさせたりする。移ろう足取りは少しずつなのに、季節は立ち止まることなく歩き続けていた。ウインドブレーカーも、白い袖の着いた黒地に替えた。
 道路の右側を歩いていたのを左側に変えてみるがけでも目線が変わり、町内の屋並みの壁際や庭先に、思いがけない花を見付けたりする。
有酸素運動の速足と、クールダウンのそぞろ歩きを交えながら、僅か30分あまり3千数百歩の日常生活圏巡りを楽しむ毎日だった。

 最後の坂道を一気に登り上がって角を曲がると、我が家までは150メートルほどの仕上がりとなる。右手の玄関先、かつて自治会長をやっていた頃、子供会でお世話になっていたIさん宅……いつも、季節ごとの花々で飾られているお宅である。
 不思議な花の蕾を見付けた。早速、彼女にメールして名前を尋ねた。
 「紫の大きな蕾でしょ~。私も名前がわかりません。宿根草で、毎年この時期にステキな花を咲かせてくれます。何とも言えないステキな紫で、私も好きなんです」

 初めて見た蕾だった。勿論、花が咲いた時の姿も想像がつかない。わからないとなると、気になる。このままでは落ち着かない。山野草の図鑑はいろいろ持っているが、これはどう見ても外来の園芸種である。
 夕飯後、ネット検索を始めた。季節で探し、外来種で探し、園芸種で探し、ながら見のテレビのドラマの筋が見えなくなった。幸か不幸か、今は潰すのに困るほど、時間だけはたっぷりある。
 最後に、「紫色の花」で検索した。とんでもないほどの花の写真が並ぶ中に、遂に見付けた!
 「シラー・ペルミアナ」 Scilla peruviana 青紫の小花が傘状に集まって(散形花序をなして)咲く。シラーの中ではやや大型になる種。
  学名:Scilla
  科名 / 属名:キジカクシ科 / ツルボ属(シラー属)科名は、ヒアシンス科、ユリ科で分類される場合もある。

 シラーは星形や釣り鐘状の小花が、房状や穂状(散形花序または総状花序)に咲く。ユーラシア大陸、南アフリカ、熱帯アフリカに100種以上の原種があり、開花期や休眠などの特性は種によって異なる。数種の原種(ペルビアナ、シベリカなど)と園芸品種がよく知られ、花壇やコンテナ、切り花などに利用される。

 早速、彼女にメールして教えた。弾んだ返事が来た。
「そうです!そうです!とても難しい名前ですね!覚えられるか心配です(笑)」
 毎日の散歩が楽しみになった。少しずつ開いていく花が、いったいどんな造形美を見せてくれるのだろう。咲いたら、もう一度ブログにあげよう。
                          (2020年4月:写真:シラー・ペルミアナ)


7ミリの気付き

2020年04月23日 | 季節の便り・花篇

 未練がましい戻り寒波が、真っ盛りのコデマリの花をしなうように大きく揺する。気温が1ヶ月逆戻りした。いっそのこと4ヶ月戻して、コロナ以前の世界に戻れたらと思う。仕舞い込んでいた冬物の下着を、また引っ張り出す羽目になった。
 
 「夏野菜の苗を植えています。新玉ねぎを掘りにいらっしゃいませんか?」という誘いのメールが届いた。丁度、病院に行く予定があった。定期的にもらっている薬だから、予め電話しておくと、殆ど待つことなしに処方箋が受け取れる。コロナが齎した新しい制度である。
 全国で病院での集団感染が多発し、一番怖い「三密」が病院ということになって、やはり躊躇うものがあった。待合室に人影は疎らで、マスクで武装して受付に診察券と後期高齢者健康保険証を出すと、1分後には会計で呼ばれ、診察ナシで処方を受けることが出来た。入る時と出るときに、アルコールで手指を消毒する。薬局で薬を出してもらう時も同じだった。

 そのまま観世音寺まで車を走らせ、車を置いて裏の日吉神社脇の畑を訪ねた。途中の草叢に、レンゲソウや濃い紫色のスミレを見付け、ガラ携のカメラを向ける。一面に拡がるイモカタバミが、濃いピンクの絨毯を拡げていた。
 Yさんご夫妻と亜・濃厚接触しながら、畑を案内してもらった。黒いマルチを敷いた畝に、茄子、胡瓜などの苗を植え付ける作業中だった。程よく土からせり上がった玉ねぎを抜かせてもらった。「ビールのお伴に最高!」と、新しい簡単レシピをご主人が伝授してくれる。
 まだ青く、ぷっくり膨らんだイチゴ、群れるように集う晩白柚の蕾、可愛い無花果や枇杷の実……日差しに包まれて、少し早めのスナックエンドウを一掴み摘ませていただき、厚かましく豌豆入りのお握りまで2個いただいて、畑を辞した。
 「来週あたり、豆刈りに来てください!」というお誘いを、カミさんへの土産にいただいて帰った。

 戻り寒波は明日迄続くという。そんな中、太宰府で二人目のコロナウイルス感染者が出た。風俗店、病院、リハビリセンター、クルーズ船、役所……集団感染は所を選ばない事態になってきた。医療崩壊も、既に始まっている。救急車が受け入れ先を盥回しにされるケースも増えている。待機中の自宅や、路上で死んだ人も10人を超えた。間接的にコロナに斃れる不安さえ漂い始めた。
 そんな最中に出た「アベノマスクに不良品発生!」のニュースには、もう呆れる気力もない。

 戻り寒波の朝でも、ストレッチを済ませた後の身体はポカポカと温かく、早朝の散策も汗ばむほどである。石穴稲荷の参道脇に、見かけない花を見付けた。7ミリほどの小さな花が、かすかに紫色を帯びて一面に咲き敷いている。意識しないで見過ごしていただけなのだが、こんな可愛い花があったなんて、想定外の発見だった。蓬に似た葉の先端に咲くミリ単位の小さな宇宙が、「コロナ籠り」に倦んだ心を明るくしてくれる。何だろう、この花は?
 蓬と言えば、太宰府天満宮土産の、蓬を練りこんだ香り高い梅ヶ枝餅が、昔は毎日売られていた。しかし、野生の蓬を摘む人手が少なくなり、今では蓬粉を練りこんだ香り薄い梅ヶ枝餅が、道真公の誕生日(6月)と命日(2月)に因む毎月25日に売られるだけである。

 重い夜の闇が、近くの杜から時折フクロウの声を届けてくる。行きつ戻りつしながら、ゆっくりと季節が歩んでいた。
                              (2020年4月:写真:名も知らない花)

雛桔梗

2020年04月16日 | 季節の便り・花篇

 ヒナギキョウ、可愛い花だった。20年来山野草を追っかけてきたが、初めての出会いだった。博物館導入路の道端の草叢の間に数本が風に揺られていた。
 帰って早速「九州の野の花」図鑑「春編」を開いてその名前を知った。(季節別色別で花を探せる、優れものの図鑑である。もう、使い込み過ぎてページがばらけかかっている)帰化植物である。ネットの解説に、「北アメリカ原産。1931年に横浜市で帰化が報告され、その後、関東地方以西で散発的に見いだされている」とある。

 束の間のコロナ離れの癒しの時間を共有しようと、カミさんを誘って「野うさぎの広場」まで歩いた。運動不足で少し脚力が落ちているカミさんをいたわり、いつもよりゆっくりと歩く。
 マイストックの枯れ枝を2本取り、広場への道を歩く。カミさんが、友達から掛かって来た電話に応えながら歩ける速さである。
 無人の空間に、珍しく一人歩く中年のご婦人がいた。道を尋ねられ、距離を置きながら答えるついでに、「行き止まりに小さな広場があります。たまに野うさぎが遊ぶ姿を見たり、駆け上がる猪に出会うこともあります。私の秘密基地で『野うさぎの広場』と名付けました。この山道は『囁きの小径』と言います。」と話したところ、「使わせてもらっていいですか?」と尋ねてくる。短歌を詠みに訪れたという。

 木漏れ日の下には、足の踏み場に困るほどハルリンドウが散り咲いていた。うらうらと注ぐ日差しは温かく、シートを敷いてミルクティーで喉を潤す。キュルキュルと、小鳥を呼ぶ笛を鳴らす。幾本か立ち残っている蕨を摘む……いつも通りの時が流れるうちに、広場の向こうで歌を詠んでいたご婦人は、いつの間にか姿を消していた。いい歌が出来るといいな。

 不幸にして、心地よさは長くは続かない。桜見で散々叩かれたのに、またアキエがバカをやったらしい。「コロナで予定がなくなったから」と、感染拡大中の大分県・宇佐神宮に参ったという。ろくにマスクも着けない50人ほどのツアー客と共に。女房ひとりコントロール出来ない男が統べる日本の不幸!
 マスクが配られ始めたらしい。「小さすぎて、不安」という反響が出ていた。そういえば、最近総理だけがやけに小さなマスクをして登場している。鼻の頭と口元がやっと隠れるようなマスク姿に、周囲との違和感を覚えていた。そうか、これが件(くだん)の「アベノマスク」か!

 所得制限なしに、全国民に10万円を配ることが急遽決まりそうだ。公明党からの強い申し出に、総理が押し切られたらしい。その公明党が、「支持団体からの強い要請がある」という。見え見えの選挙対策ではないか。その額12兆円!所得が減ったところに支給するはずだった30万円をやめるというから、この右顧左眄する朝令暮改・支離滅裂の場当たり政策に開いた口がふさがらない。少なくとも、年金生活の我が家には不要の金である。
 安倍よ、お前さんも10万円もらう気かい!必要性と緊急性を、もっと真剣に見ろよ!

 最後に、15日付の西日本新聞「春秋」を転載する。マスコミは、こんな毅然とした国政批判の姿勢を失ってはならない。

 「あなたはルイ16世か」とこき下ろされた。安倍晋三首相が投降した動画である。星野源さんの歌に合わせ、自宅のソファーで愛犬をなで、お茶や読書を楽しんでいる▼新型コロナの感染防止に、率先垂範で外出自粛を訴えた。「いいね」の一方で、厳しい声も。「家でくつろいでいたら食べていけない」「休業で仕事を失った」「店がつぶれそう」「早く感染確認の検査を受けさせて」…苦境にあえぎ、支援を求める人々から、首相の「無神経ぶり」への反発が次々と▼優雅にも見える動画がフランス革命時の国王夫妻を連想させたか。王妃マリーアントワネットは「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言ったとされる。貧困と食糧難に苦しむ国民を尻目に、ベルサイユ宮殿で優雅に過ごした王妃と、花見自粛のさなかに桜を愛でながら会食を楽しんでいた首相夫人は、どこか重なる▼ルイ16世は無能ではなく、政治には積極的だった。だが、対応が後手に回ったり、中途半端だったりし、財政を悪化させるばかり。革命が勃発した日、「何もなし」と日記に書いて寝てしまった。当事者としての感覚はかなりずれていたようだ。▼在宅動画といい、466億円をかけた全世帯への布製マスク2枚配布といい、こちらもピントは、ずれ気味か▼星野さんの人気に乗っかった演出より、自宅でくつろぐことすらできない国民に寄り添う指導者の姿が見たい。

 そんな姿は、多分永遠に見られないだろう。雛桔梗に癒された後だけに、醜いっ政治の世界に腹立たしさだけが一段と加速した。
 そして今日、緊急事態宣言は全国に発せられる事態になった。遅きに失した。
                               (2020年4月:写真:路傍の雛桔梗)

寄り添う命

2020年04月07日 | 季節の便り・花篇

 昼ごはんを済ませて降り立った庭先で、降りかかる日差しの中をアゲハチョウが舞った。今年初めての訪れだった。

 緊急事態宣言が出された。まさかと思っていたが、福岡県も道連れにされ、明日への不安が一段と濃くなった。遅きに失した感は否めない。首都圏を脱出した学生が、帰省先で集団感染を引き起こしたり、50代以下の感染が広がっている。新型コロナウイルス性肺炎が日本に上陸したとき、真っ先に懸念したのは、カラオケ、スナック、パブ、キャバクラ、飲み屋などだった。そんなことも気付かなかったのかと、またムラムラが起きる。

 今日は忘れよう。不要不急の外出ではない。大自然の中を歩くのに、何の躊躇いもない。蝶に誘われて、午後の日差しの中を歩き始めた。
 いつものコースでしかないのだが、少し足取りが重い。博物館裏の散策路、自称「囁きの小径」で、早くも道教え(ハンミョウ)が迎えてくれた。カエルの声が一段と冴える中を、ムクドリが地を這うように飛び過ぎていく。本当に、人っ子一人居ない静寂である。腰でリンリンと鳴る「ニアミス防止の鈴」に、跳び離れるカップルもいない。時折激しい風が奔り、枯葉の渦が真正面から襲い掛かる。

 西洋石楠花が、少しけたたましいほどの満開である。木陰のマイ・ストックの枯れ枝を拾い、山道を辿った。小さなスミレが枯葉の間から微笑みかける。辿り着いた秘密基地「野うさぎの広場」で、期待していたハルリンドウの群落が迎えてくれた。早速腹這いになってカメラを向けた。
 朽ちた枯れ枝の間に、8輪ものハルリンドウが寄り添って咲いていた。もう、言葉がなかった。今日の散策のブログは、この写真だけで何も要らない!落ち葉に埋もれながら、這いずるように写真を撮り続けた。
 寄り添う姿に、心が弾む。こんな大自然に抱かれていると、改めて命の尊さを実感する。ガラ携でも写真に撮り、博物館環境ボランティアの「五人会」の仲間たちや、カミさんを中心に集まる歌舞伎仲間たちに写メした。コロナ・ブルーに負けないように、「ご自愛下さい」と言葉を添えた。

 木漏れ日の下は、思ったより風が冷たい。ハルリンドウに囲まれて腰を下ろし、シジュウカラやホオジロの声を聴いていた。
 早速、返信が来る。
 「ありがとうございま~す!秋の竜胆と違って、枯葉を踏みながら、ソーッと探さないと見過ごしそうですもの!枯葉を踏む音まで聴こえて来そうでしたよ。竜胆さん、静かに待っていてくれたのですね!
 ワイワイ騒いでいるのは人間だけ。自然の流れに沿って、慌てることなく、与えられた命を生きているのですね♪拘りのない生き方、憧れます。
 今日も、好い一日になりました♪」

 冷えた珈琲で喉を潤し、肌寒くなって木漏れ日の広場を後にした。山道を抜けて車道に出ると、少し西に傾いた春の日差しが懐かしいほどに暖かかった。瞼の裏に温もりを溜めながら歩く帰り道は、足取りまで軽くなったようだった。クスノキの新芽が、ブロッコリーのようにモコモコと湧き始める季節である。

 朝から歩いた歩数は、11,000歩を超えていた。高齢者とは言わせない!コロナ弱者とも言わせたくない!!
 いつまで続くかわからない人類の試練である。命を寄り添わせながら、マスクなしで歩ける日々が戻ることを信じて、青空を見上げていた。
                       (2020年4月:写真:寄り添うハルリンドウ)

花には罪はなけれども……

2020年04月04日 | 季節の便り・花篇

 御笠川沿いの桜並木は、豪華絢爛な花時を迎えていた。惜しむらくは花曇りの空、桜は初夏を招き寄せるほどの真っ青な空にこそ映える。
 しかし、コロナ籠りに倦んで「コロナブルー」に陥りがちな身も心も、一気に解き放つような花のトンネルだった。大きく川面に差し伸べた枝から、もう花びらが風に舞い始めていた。数日後には、この流れに美しい花筏を浮かべることだろう。

 不要不急には違いない。しかし、平日の昼間、川風が花びらを舞わせ、行きかう人も稀なこの川辺を歩くに、誰の許しが要ろう。「高齢者」=「コロナ弱者」故に、日ごろの用心と自粛は怠らないし、在庫乏しいながらマスクも常備し、友人から贈られたお手製のマスクもある。街中の雑踏でなく、「三密」の気配もない自然の中で風に吹かれて花びらを浴びながら歩く時間は、身体ばかりでなく心の妙薬でもある。これだけ用心してなお罹るなら、もう打つ手はない。覚悟を決めて従容と受け入れよう。
 コロナを忘れ、鉄面皮のシンゾウもバカ丸出しのアキエも忘れ、桜色の木漏れ日を浴びながら、老々散策を楽しんだ。

 「モリ・カケ・サクラ」のお蔭で、今年は心なし桜の花びらまでが薄汚く感じられる……ような気がする。花には何の罪もないのに……。
 おまけに、訳が分からないマスクが2枚ずつ届くという。「またか!」と呆れる気力もない。アベの相変わらずのパフォーマンスに、貴重な200億の金が使われる。「アベノマスク」というらしい。
 そして、昨日まで20万円と言っていた現金支給が、突然30万円になった。根拠も対象もわからない。アベの後継問題が潜んでいるのか、突然キシダが表に出てきた。醜くくすんだアベの顔色からすれば、交代時期は意外に早くなるかもしれない。
 しかし、己の権勢欲を満たすためなら、見え透いた大ウソでも平然とつき続ける奴だから、コロナでやられても這いずって政権にしがみつき続けるかもしれない。彼の頭には、「オリンピックと憲法改正を成し遂げた総理」として、歴史に名を残すことしかないのだ。
 後手後手でピント外れな政策を繰り返し、官僚の書いた文書を読み上げるしか能がない男。形容詞と形容動詞ばかりで、内容のない「朗読劇」を演じるピエロ。カタカナ文字を羅列すれば権威あると錯覚している男。「まさに」と「しっかイと」(ラ行のろれつが回らなくなってるから「しっかりと」が「しっかイと」としか聞こえない)を繰り返す男。どうして諸外国の長のように、「自分の言葉」で「国民の目を見て」訴えようとしないのだろう?大嘘つきが「自粛」を呼びかけても、だれが聞く耳を持とうか。(ある記事を見た。「本当の嘘つきは、自分が嘘をついているという意識すら失っている」と。)
 こんなリーダーに率いられていることこそ、コロナ以上に厳しい日本の最大の悲劇かもしれない。アベを選んだ国民は、命を懸けて懲りることになる。
 
 もっと呆れるのは、この非常時で国の総力を結集しないといけないというのに、「コロナ鎮静後、観光復興のために一大キャンぺーンを打つ」という訳の分からないニュースが流れる。観光立国など、国民は望んでいない。あれほど観光公害が出ているのに、まだ4千万人だ6千万人だと政府がぶち上げる。多分、永田町の観光族議員の古狸が仕掛けているのだろう。あらゆる魑魅魍魎が跳梁跋扈する永田町だから、狸もウジャウジャ群れているに違いない。

 嗚呼、今日だけは思い出したくなかったナ~!この美しい爛漫の花の下で、言いたくなかった!

 川面に戯れるシラサギやカモを見やったりしながら、川沿いを朱雀大橋まで歩き、右に折れて都府楼政庁跡の広場に出た。例年になく人が少ないのは、学校や幼稚園の遠足がないからである。それでも、子供連れの母親の束の間の癒しの姿が見えて微笑ましい。
 木陰にシートを拡げて、コンビのお握りをほどいた。自然の中で舌鼓を打つ。何よりの御馳走だった。

 帰り道に立ち寄った観世音寺参道脇のハルリンドウは、今真っ盛りだった。木立を囲むように、一面に敷き詰めた花の数は圧巻だった。早速撮った写真を親しい友人に写メで送ったカミさんは、花の絨毯の傍らに、カメラケースを落としてきた。
 気付かないままに、参道前の喫茶「観音(かのん)」でお茶して帰ったところに、観世音寺の前に住まいする友人から、写メが来た。
 「今ハルリンドウの所に来ています。奥様のカメラケースではありませんか?」

 桜と春竜胆に癒され満たされて、笑いの中に我が家の春が終わった。
                             (2020年4月:写真:真っ盛りの春竜胆)

木漏れ日の微睡み

2020年03月25日 | 季節の便り・花篇

 青空が抜けた。それほどの戻り寒波もなく、いつの間にか冬将軍の背中は遠くなっていた。雲一つなく、最高気温22度という予報に、気持ちの中にもぞもぞと蠢くものがある。

 冬物のコートもトレーナーも、シャツもジーンズも、パジャマも全て片付けて洗濯機を2度も回し、2階のクローゼットに何度も行き来しながら、春から初夏に衣替えを済ませた。この晴天も今日まで、明日からしばらく雨模様が続く。浴槽を洗い、天婦羅蕎麦で昼餉を終え、ビデオで映画を一本観て……。
 ショルダーバッグにカメラを担いで歩き始めた。観世音寺のハルリンドウが盛りを迎えたから、そろそろ「野うさぎの広場」にも咲き始めているかもしれないと、期待が膨らんでいた。怒りのブログにも倦んだ。気分転換に、小さな春と戯れて来よう!

 午前中動き回ったせいか、博物館への89段の階段を上る足が少し重い。休館が続き、今日も人っ子一人居ない博物館を右に回り込んで、自販機で珈琲を買った。桜がそろそろ見ごろである。早速迎えてくれたのはシャガの花だった。
     紫の斑(ふ)の仏めく 著莪の花  高浜虚子
 もう40年以上昔になるだろうか、取引先招待の旅の途中、天の橋立で初めてこの花に出会って名前を知った。その時書いたミニエッセイに、この句を添えたことを思い出す。
 山道に入る手前には、濃いピンクの色鮮やかな西洋石楠花が満開である。

 木立の下に置いたマイストックの枯れ枝を拾い、少し息を切らしながら山道を辿った。静寂の中に、時折カーンと竹が弾ける音が聞こえるのも、いつもの通りである。ほどなく上りあがった「野うさぎの広場」に、残念ながらハルリンドウの姿はなかった。山野草の花時は短い。もう咲き終わったのか、まだこれからなのか、それは花だけが知っている。久住高原・御池のほとりの山野草も、1週間のタイミングで姿を見せてくれない。今年はきっとキスミレもヤマルリソウも、例年より早いだろう。4月になったら走ってみようと思った。
 
 木漏れ日の中に、一人用のシートを拡げる。畳めば手のひらサイズになり、ショルダーの脇ポケットに収まる優れものである。缶コーヒーで喉を潤し、シートに横たわった。
 静寂を感じるのは、決して無音ではない。風の音、転がる枯葉、かすかな鳥の声……そんな中にこそ静寂がある。それは、20メートルの海の底でも同じだった。サンゴをかじるブダイの歯の音なのか、絶えずどこかでカチカチと音がする。岩礁にぶつかる涛の騒ぎ、レギュレーターから泡となって湧き上がる呼気のざわめき……そんな音に包まれてこそ、静寂があった。
 風が葉末を揺するたびに、瞼の裏で影が踊る。耳元を何かの羽音が掠める。手の甲を、山蟻が歩きまわる。束の間、微睡んでいた中で、かすかな野生の叫びを聴いたような気がした。30分ほどの憩いに、コロナ騒ぎも何もかも忘れて、至福の時間が過ぎていった。

 汗が引いたところで立ち上がり、マイベッドを片付けて広場を去ろうとしたが、ハルリンドウに未練が残る。咲き残りか咲き急ぐ慌て者の花が一輪でもないかと、広場をうろつきまわった。キチョウが戯れてくる。小さなスミレにカメラを向けて蹲ったとき、目の前に蕨を見つけた!十数本を摘み取り、今夜の味噌汁で味わうことにした。広場が用意してくれた、ささやかなお土産だった。
       早蕨の にぎりこぶしを振り上げて
           山の横つら はる風ぞ吹く   (四方赤良:太田蜀山人)
 ほほえましくなる、江戸時代の狂歌である。

 息が上がる登りと違って、帰りは足元を見るゆとりが増える。可愛いスミレや、初々しい新芽を見つけてカメラに収めた。博物館への106段の階段を降りようとしたとき、視野の隅をを青い色が掠めた。やっと見付けたハルリンドウだった。
 ジロボウエンゴサク、ムラサキケマン、土筆、枝垂桜などをカメラに収めて、2時間半の散策を終えた。

 マスクも要らず、交通費ゼロ、缶コーヒー140円だけで、コロナも怒りも忘れて、こんな至福の時がある。

 新聞に見た、1月生まれの今日の運勢
       「激しさが消えてマイルドになり、自己主張しない」
 ハハハ、すっかり見透かされていた。
                          (2020年3月;写真:九州国立博物館の桜)