ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

若気の至り、教員満足度

2015-03-06 07:54:37 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「評価対象?」3月2日
 特集ワイドで、『魅力的な中小企業を探す』という見出しの記事が掲載されました。大学生の就職活動についての特集で、どのような中小企業を選ぶべきかという視点を示す内容です。その中に、法政大学大学院教授坂本光司氏へのインタビューがありました。そこに、『「~社員が英気を養う食堂がベタベタと汚れたような場所ではとても社員を大切にしている会社とは言えません」。大切にされない社員が、会社のために一生懸命働くわけもない。坂本さんは「ESなくしてCSなし」と言い切る。ESとは社員満足度、CSとは顧客満足度のことだ』という記述がありました。
 この記述を目にして、30年近く前の職員会議を思い出してしまいました。学級減と校舎改築が重なり、空き教室が生じその使途について、参考までに教員の意向を聞くことになったのです。職員団体の熱心な活動家であるM教員が、教室の半分のスペースでよいから休憩室がほしい、という意見を表明しました。制度上、教員には休息と休憩の時間が設けられていました。しかし、その時間を過ごすべき場所がなかったのです。教室や教員室では、心身を休めるという気分にはなりません。だから、古いソファーとテーブルを置いただけでよいから休憩室を設けるべきで、教員がリフレッシュすることはその後の教育活動を充実させることにつながり、結果としてその利益は子供に還元される、という論法でした。
 反職員団体の旗手であった私は、M教員の意見に反対意見を述べ、その意見を葬り去りました。学校は子供のためにあり、まず子供にとって何が必要かを考えるべきという主張をしたのです。私がそのときのことをよく覚えているのには理由があります。O区の「組合拠点校」と言われていた当時の勤務校には、M教員の「子分」がたくさんいました。しかし、その「子分」たちから私への再反論はなく、M教員自身もすぐに意見を取り下げたのです。国旗国歌問題なので彼らが見せる闘争的な態度とはまるで異なっていたのです。そしてM教員自身も、非常に控えめに意見を述べ、私の反対にあうとすぐに撤回するなど、自説にこだわりを見せなかったのです。
 つまり、30年前には、教員の労働条件改善を訴える職員団体の活動家でさえ、休憩室などと口にするのには相当な勇気が必要だったということです。そして皮肉なことですが、今の私は、教員に休憩室を、という発想に魅力を感じています。坂本氏が言うように、教員満足度の向上なしに子供や保護者が満足する教育活動は難しいと考えるからです。
 今、校長等の管理職の評価において、教員満足度という尺度は検討されているのでしょうか。

 

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