ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

性別と呼称

2016-01-09 07:33:35 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「性別と呼称」1月5日
 『「心の性で名前」OK』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『北九州市立大は性同一性障害の学生の要望を受け、「心の性」に沿った通称名使用を認める制度を始めた  ということです。
 時代の流れを受けた当然の措置だと思います。ただ、気になる記述がありました。『大学入学後、君付けで呼ばれ抵抗感があった』。身体的な性は男性で現在は女性名で通学している4年生の述懐です。「君付け」と「心の性」が同列に語られていることに違和感があります。また、『小中高に関しても文科省は15年4月に出したGID対応に関する通知で、望む性に応じて「さん、君」などの呼称に配慮するよう求めた』という記述もありました。なんだこれは、という感じです。
 これらの記述からは、学校現場では、男性は「君」、女性は「さん」と呼ぶことが一般的であり、そうした実情に対して教育行政側は、身体的な性に応じて、男性だから一律に「君」ではなく、本人が望むのであれば「さん」と呼ぶように、と指導していると理解する人が多いのではないでしょうか。
 もちろん、それは間違いです。私は教委勤務時、長い期間人権尊重教育を担当してきました。そこではGID(性同一性障害)の問題も取り上げましたし、女性差別の問題も取り上げてきました。学校や教員に対しては、男女で「君、さん」を使い分けること自体が、男女を区別する発想であり、区別が必要ない場面でも区別をすることは差別になる
と指導してきました。
 男女は区別されなければなりません。小学生だからといって、一緒に着替えさせたり、宿泊行事で同じ部屋に寝かせたりすることはありません。これは必要な区別です。しかし、日常的に行っている区別、例えば男子は青い上履きで女子は赤い上履き、男子の習字は青い台紙に貼り女子は赤い台紙に貼る、というのは区別の必要性がありません。では、「君、さん」はどうなのか考えてみましょう、という指導をしてきたわけです。
 つまり、少なくとも私が勤務してきた東京都内の学校においては、「さん、君」問題でGIDの子供が違和感を覚えるという事態はなかったはずなのです。基本的に子供はさん付けなのですから。それなのに、今回、文科省が、心の「性別」に応じて「さん、君」を使い分けろと言うのは、男女平等の視点から見て、逆行のように思えてならないのです。どうなのでしょうか。

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