ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

独・立

2015-03-07 07:16:51 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「独・立」3月3日
 夕刊編集部の小国綾子記者が『孤独死は不幸ですか』という表題でコラムを書かれていました。その中で小国氏は、『切ないのは、「孤独死」そのものではなく、寄り添い語り合う相手の誰もいない「孤立生」の方ではないか』と述べていらっしゃいます。
 私は、「これだ!」と感じました。私はこのブログで、再三学校や教員の、特に小学校教員に顕著に見られる特性として、子供は一人でいてはいけないという考え方を批判してきました。簡単に説明すると、休み時間に一人で本を読んでいるような子供を目にすると、「○○ちゃんと遊んであげて」と他の子供に働きかけたり、「先生も一緒にやるからみんなでドッヂボールをしよう」と強引に校庭に連れ出そうとしたりする行為の根底に潜む、ひとりで居る子=寂しい子、というような価値観のことです。
 私は自分のこうした考え方をうまく説明できなかったのですが、小国氏の言葉を借りて、孤立している子供には教員として手を差し伸べるべきだが、孤独を楽しんでいる子供には余計な手出しは不要、と言い表せばよいと思いついたのです。つまり、孤「独」か孤「立」かということです。
 今、思春期以降の若者の間で「ぼっち恐怖症」とでもいうべき傾向が見られると言われています。学食で一人で食事をしていると友達がいない人、誰からも認められていない人という低い評価を与えられてしまい、そのことを恐れてトイレに隠れて昼食を摂る大学生がいるという現象が、象徴的です。ラインから外されることを極端に恐れ、四六時中スマホを放せない女子高生なども、同類でしょう。本来、孤独には思索を深め、自省を促し、人を成長させる働きがあるのに。
 こうした傾向の根底にあり、助長しているのが学校における「一人はダメ」という教員文化だと思うのです。教員の善意による「一人はダメ」という取り組みが、いじめ問題においても、事態の深刻化につながっているということも忘れてはなりません。一人で居てはいけないという価値観を刷り込まれているからこそ、仲間外れや無視が辛く感じられるという一面があるのです。
 仲間外れや無視されている子供を放置しても良いと言っているのではありません。教員は、ひとりで居る子供が、その状態をどう感じているのかということを感じ取る能力を磨くべきだということです。

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