ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

○○後では意味がない

2024-06-21 08:12:44 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

 「評価の役割」6月14日
 読者が世相を皮肉る『ふんすい塔』欄に、山口・S氏の『先生からテストの返却 母「何点だったの?」 子「公開は10年後にします」』という投稿が採用されていました。言うまでもなく、自民・公明・維新の3党によって衆院を通過した政治資金規正法改正案の無意味さを皮肉ったものです。うまいですね。
 私はこの投稿を目にして、評価の役割ということについて考えてしまいました。返却されたテストの結果を10年後に知る、ということがなぜおかしいのでしょうか、ということです。
 子供の学習における評定は児童生徒学習指導要録に記録されます。卒業後5年間保存されたとして、小1のときの成績が約10年間保存され、参照可能となっていることになります。つまり、10年後に公開、と同じような制度になっているわけです。この場合、成績は、その子がどのような子供であったかを知る記録としてしか意味はありません。私も担任していた子供について、家庭裁判所からの照会を受け、指導要録を基に回答したことがあります。
 評定と似た言葉に評価があります。評価には、結果を記録する、知るという機能もないわけではありませんが、最も求められている機能は、今目の前にいる子供に対して、どのような指導や働きかけをすればよいのかを考えるために役立てるということです。
 例えば、評価を伝えて褒める、やる気を引き出す、自信をもたせるという場合があります。あるいは、理解や進歩の障害となっている誤解や訓練不足を明らかにし、その改善や修正のための計画を提示し、その計画を実行することで得られる未来を示し、努力を促すという場合もあるでしょう。
 いずれにしても大切なのは、即時性です。分かりやすく言えば、6月17日から21日に取り組んだ学習課題に対する評価について、1学期が終了する7月20日に伝えても、評価としての意味はないということです。
 それはそうでしょう。6月21日に学習を終え、どうもよく分からないところがあるとモヤモヤした気持ちでいるときに、何の助言もなく、1カ月たった学期末に、「君は○○の法則について間違った理解をしているよ」と言われても、そのときに言ってよ、となってしまうのは当然です。
 政治家について言えば、その政治家が今年したことについて10年後に評価結果を伝えられても、有権者が具体的な行動を取る際に何の役にも立たないというのと同じです。それでは、記録としての意味しかありません。選挙の際の参考にならないのでは、有権者にとって無意味な情報でしかありません。
 政治のことはともかく、評価は即時性が命、ということを教員は常に意識していることが大切です。授業中の子供の発言に対し、直ちにその意味、価値を判断し、適切な対応をする、その評価力が授業を左右する、だからこそ授業は難しいし、その難しさを乗り越えることが求められる教職は専門職なのです。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いろいろあり過ぎる | トップ | 郷愁はたちが悪い »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事