エンギナル(アーティチョーク)一杯のパザルの周りはもちろんエンギナル畑が広がっています。その中に1軒茅葺屋根の建物があったことを以前書きました。この建物、実は紀元前6世紀頃のオリーブオイル工房跡だったのです。
収穫したオリーブを入れて運んだのでしょうか。
この辺りはKLAZOMENAI(クラゾメナイ)と言って、このブログでもご紹介したことのあるミレトスやフォチャ、そしてイズミル観光では欠かすことのできないエフェス等と同じイオニア12都市の一つでした。KLAZOMENAIからは、古代ギリシアの自然哲学者アナクサゴラスが生まれているそうです。
遺構を上空から眺めると・・・。
1992年に始まった発掘で畑の真ん中にアナトリア地方で最も古いとされるオリーブオイル工房跡が現れました。炭化したオリーブの種や水と混じったオリーブの実、オリーブをつぶすために使われたであろう小さな乳鉢のようなものが出てきたそうです。そしてもちろんこのような遺構も現れました。
調査発掘はまだ続いていますが、現在はこのように工房が復元され、管理している若者がものすごい早足・早口(!)で案内をしてくれるので、オリーブオイル製造の工程を想像することができます。
写真や絵でわかって頂けるでしょうか。麻袋のような袋に入れられたオリーブが梃子の仕組みを利用してつぶされ、樋を伝って穴の中に流れていきます。油と水が分離することで軽い油は左の樽へ、重い滓汁は右の樽へと分かれるようになっているのです。
別棟で、貯蔵庫もあり、この時代にすでにかなりのオリーブオイルの商取引がKLAZOMENAIでは行われていたことが想像できます。
オリーブオイルやワインを入れる為のKLAZOMENAIオリジナルのアンフォラ(素焼きの壷)が製造され、その肩や胴体部分には製造者がわかるようなタグがつけられていたそうです。こんな時代にすでにブランド志向があったのでしょうか。またそれだけ良質のオリーブオイルが生産されていたということでもあるのでしょう。
オリーブオイルの瓶のラベルに今でも使えそう。
KLAZOMENAIは他のイオニアの都市とともにナイルデルタの商業センターNaukratis設立にも大きな役割を果たしたといわれています。今はエンギナル畑が広がるのどかなこの地に、このように影響力を持った都市が栄えたことを想像するだけでもわくわくしてきませんか。
復元図、タグと遺構の航空写真はKLOZOMENAI発掘のHPより拝借しました。
http://www.klazomeniaka.com/INDEX.htm
遺跡には美しい蓮の花が咲いていました。トルコ語でNILUFER(ニルュフェル)。
☆現在のイズミル☆
忘れられに。それにトマトも・・・
メタボな今の私にはかなり毒かも知れない。
オリーブも、トルコには原種がまだ残っているのですね。オリーブの種類も沢山あるのでしょう。オリーブの栽培に失敗した私には、とても羨ましく思います。
オリーブオイルは夏になると出番が増えます。夏の料理はオリーブオイルをたっぷり使うことが多いです。石鹸、私も愛用していますよー。ボディーローションも。オリーブの味はつけ方によって塩辛いものやそうでないものができるのでしょうね。それにしてもこんなに大昔からオリーブオイルが使われていたなんて、びっくりしてしまいましたよ。
人間って、賢くなっていないというよりも、こういう知恵の点では確実に退化していると思います。
オリーブってこの辺の木を見ていると放っておいても育つように思えるけれど、やっぱり気候があうことが大切なんだろうなあ。
前回、私の家の方でもアーティチョークを栽培しているとご教授いただいたのでしたね。その後、調査をしてみたところ、栽培農家の直売所で買えることがわかったのでした(もう、忘れていましたが・・・)。
でもって、今週末あたりが時期的にアーティチョークを買うチャンスのようなのですが・・・、残念ながら直売所が空いている時間に出かけるのはなかなか難しそうです。
紀元前6世紀のオリーブ油工房跡がでてくるなんて、そちらにはずいぶん古くから頭の良い人がいたのですね。私には図を見てもさっぱり理解できません^^
こんな大昔からオリーブオイルが作られていたんですね、とってもお勉強になりました。子供達にも見せて説明してあげないとね
トルコにも蓮の花があるんですね。
本当に昔の人の知恵ってすごい! 現在はコンピューターがあるから、それを利用していろいろなことが出来て当然。コンピューター抜きで生まれた知恵は、本物の賢さを語ってくれます。
ブルガリアで見かけるオリーブオイルはギリシャやスペインのものが多いので、もしかしてブルガリアではほとんど生産されていないのかもしれません。
トルコではひまわり油はあまり使いませんか?