オスマン帝国の時代、スルタンの息子SEHZADE(シェフザーデ)達が住んでいたMANISA、イズミルのお隣の県ですが、今まで通り過ぎただけでした。先日雪を見に出かけた時、少しだけ街の中を歩いてみました。日曜日だったせいもあってか静かで落ち着いたたたずまい。町の中心部には立派なCAMI(ジャーミー=イスラム教の寺院)が多く見られました。
このCAMIはMURADIYE CAMII(ムラディイェジャーミー)。スルタンムラト3世の名によりオスマン帝国時代の教育機関として作られました。設計はかの有名な建築家MIMAR SINAN(ミマル シナン)のものだそうでオスマン帝国時代の最も美しい建築様式が取り入られているそうです。現在は学校部分はマニサ博物館として使われています。このように一部にはお店が入っているところもありました。
MURADIYE CAMIIと向かい合うようにして建っているのはSULTAN CAMII(スルタンジャーミー)。敷地内に入って、その女性的な美しい装飾に驚きました。こんなにかわいらしい絵の書いてあるジャーミーを見たのは初めてです。いったいどんなCAMIなのだろうと説明書を読んでみると、壮麗帝もしくは立法帝と呼ばれたスルタン・スレイマンの母HAFSA SULTAN(ハフサスルタン)の名がつけられていました。スレイマンがスルタンになる前に藩主としてマニサで任務についていた時から建設が始められたそうです。
イスラム教徒は日に5回お祈りをするのですが、その時間にはCAMIでお祈りを呼びかけるエザーンが詠まれます。このCAMIの壁にかけられたこの石版の様なものは、そのお祈りの時間を知るための日時計なのだそうです。木などの日陰にならないようにこの場所にかけられているのだとか。↓
このスルタンスレイマン、今トルコでは「MUHTESEM YUZYIL(華麗なる世紀)」と言うタイトルのドラマで一躍ブームになりました。美しい妃HURREM(ヒュッレム)や母后をはじめとするHAREM(ハレム)の世界、スレイマンの片腕大宰相IBLAHIM(イブラヒム)達やイェニチェリ達、そしてハンガリーを初めとするヨーロッパ諸国への遠征などの物語がくりひろげられています。衣装やセットにもかなり力がはいっておりそれを見るのも楽しみになっています。
ハマムで身体に巻く布が干してありました。
と言うわけもあってかこのSULTAN CAMIIも美しく修復がされ、病院、ハマム、救貧院、学校などに使われた建物を見ることができます。ハマムは現在も営業中。学校の建物はCAFEになっており、ドラマ「MUHTESEM YUZYILI(華麗なる世紀)」のポスターが広告になっていました。
またこのCAMIでは毎年3月に、MESIR MACUNU(メシル マージュヌ)が市民に配られることでも有名です。MESIR MACUNUはHAFSA SULTANが病気になり、どんな治療を施しても効果が見られなかった時にある医者が41種類の植物や香辛料を調合して作ったペーストで快癒した為、一般民衆にもこのペーストをとCAMIから配られ始めました。毎年この時期にはスルタン達の装束をまとった人たちがこのMESIR MACUNUを投げ、それを取ろうと市民達が取り合いをする光景は日本の節分の豆まきを思い出させます。
この近辺は街並みもなかなか趣があり、石畳やCESME(チェシュメ=泉水)も見られます。1825年頃に作られたというYENI HAN(イェニハン)も2004年にこのように修復され、現在ではカフェやおみやげ物を売るお店がテナントとして入っていました。日曜日のせいでシャッターを下ろしたお店がほとんどでした。今度はゆっくりと平日にSEHZADEの街を歩いてみたいものです。
今朝の空は雲がきれいでした。
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写真の半分くらいに「Mehu」と文字が入っていますが、メフさんのカメラで撮ったということなのかな。日付を入れる事はあっても、名前を入れられるというのは初めて知りました。
ジャーミーだけでなく、複合施設として設計するのが得意ですね。
メフさん、良い所を撮してますね。このアーチのある梁と天井は絵なのですね。モザイクだったら凄いかもと思ってしまいました。これも修復されているのでしょう。
所々に煉瓦がむき出しですが、これは最初からこのままだったのでしょうか。壁がはがれ落ちたとかあるのでしょうね。
スルタン スレイマンの名前を懐かしく見ていました。なんとドラマになっているのですね。面白いだろうなと思っています。才能もあり、力もあったスルタンだと感じています。
Mehu撮影と言う意味です。カメラで操作するのではなく写真を編集する時に加えています。
チェシュメって泉水って意味なんですね? あのチェシュメには、泉があったからチェシュメっていう地名になったんですか?
ここの日時計は縦に付いているんですね。面白いですね。
メシル・マージュヌ、市民に配っちゃうなんて太っ腹。
チェシュメって湧き水とか水飲み場とかそんな意味です。あのチェシュメにはオスマン帝国時代からのチェシュメがたくさんあるそうですが、それに由来するのかどうかはっきりわかりませんでした。