イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

SEHZADELER SEHIRI MANISA(シェフザーデ・皇子の街マニサ)

2012-02-21 20:40:52 | Weblog

オスマン帝国の時代、スルタンの息子SEHZADE(シェフザーデ)達が住んでいたMANISA、イズミルのお隣の県ですが、今まで通り過ぎただけでした。先日雪を見に出かけた時、少しだけ街の中を歩いてみました。日曜日だったせいもあってか静かで落ち着いたたたずまい。町の中心部には立派なCAMI(ジャーミー=イスラム教の寺院)が多く見られました。

このCAMIはMURADIYE CAMII(ムラディイェジャーミー)。スルタンムラト3世の名によりオスマン帝国時代の教育機関として作られました。設計はかの有名な建築家MIMAR SINAN(ミマル シナン)のものだそうでオスマン帝国時代の最も美しい建築様式が取り入られているそうです。現在は学校部分はマニサ博物館として使われています。このように一部にはお店が入っているところもありました。

MURADIYE CAMIIと向かい合うようにして建っているのはSULTAN CAMII(スルタンジャーミー)。敷地内に入って、その女性的な美しい装飾に驚きました。こんなにかわいらしい絵の書いてあるジャーミーを見たのは初めてです。いったいどんなCAMIなのだろうと説明書を読んでみると、壮麗帝もしくは立法帝と呼ばれたスルタン・スレイマンの母HAFSA SULTAN(ハフサスルタン)の名がつけられていました。スレイマンがスルタンになる前に藩主としてマニサで任務についていた時から建設が始められたそうです。

イスラム教徒は日に5回お祈りをするのですが、その時間にはCAMIでお祈りを呼びかけるエザーンが詠まれます。このCAMIの壁にかけられたこの石版の様なものは、そのお祈りの時間を知るための日時計なのだそうです。木などの日陰にならないようにこの場所にかけられているのだとか。

このスルタンスレイマン、今トルコでは「MUHTESEM YUZYIL(華麗なる世紀)」と言うタイトルのドラマで一躍ブームになりました。美しい妃HURREM(ヒュッレム)や母后をはじめとするHAREM(ハレム)の世界、スレイマンの片腕大宰相IBLAHIM(イブラヒム)達やイェニチェリ達、そしてハンガリーを初めとするヨーロッパ諸国への遠征などの物語がくりひろげられています。衣装やセットにもかなり力がはいっておりそれを見るのも楽しみになっています。

                ハマムで身体に巻く布が干してありました。

と言うわけもあってかこのSULTAN CAMIIも美しく修復がされ、病院、ハマム、救貧院、学校などに使われた建物を見ることができます。ハマムは現在も営業中。学校の建物はCAFEになっており、ドラマ「MUHTESEM YUZYILI(華麗なる世紀)」のポスターが広告になっていました。

またこのCAMIでは毎年3月に、MESIR MACUNU(メシル マージュヌ)が市民に配られることでも有名です。MESIR MACUNUはHAFSA SULTANが病気になり、どんな治療を施しても効果が見られなかった時にある医者が41種類の植物や香辛料を調合して作ったペーストで快癒した為、一般民衆にもこのペーストをとCAMIから配られ始めました。毎年この時期にはスルタン達の装束をまとった人たちがこのMESIR MACUNUを投げ、それを取ろうと市民達が取り合いをする光景は日本の節分の豆まきを思い出させます。

この近辺は街並みもなかなか趣があり、石畳やCESME(チェシュメ=泉水)も見られます。1825年頃に作られたというYENI HAN(イェニハン)も2004年にこのように修復され、現在ではカフェやおみやげ物を売るお店がテナントとして入っていました。日曜日のせいでシャッターを下ろしたお店がほとんどでした。今度はゆっくりと平日にSEHZADEの街を歩いてみたいものです。

 

 

 

今朝の空は雲がきれいでした。

   

☆現在のイズミル☆

Find more about Weather in Izmir, TU

※記事と直接関係のないコメント、特定の個人を誹謗中傷するコメントは削除させていただきます。


16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (miki)
2012-02-22 04:15:07
ハマム用の布、うちのテーブルクロスに使えそう。この辺のモスクは中を見せてもらえそうにない感じなのですが、場所によるのかな。
返信する
Unknown (とも)
2012-02-22 15:21:44
寺院の塔はとても高いのですね。螺旋階段で登るのでしょうか。登るの大変そう。バランスの取れた美しい建物ですねー。

写真の半分くらいに「Mehu」と文字が入っていますが、メフさんのカメラで撮ったということなのかな。日付を入れる事はあっても、名前を入れられるというのは初めて知りました。
返信する
Unknown (cake)
2012-02-22 22:02:06
2枚目の写真でシナンとわかりました。
ジャーミーだけでなく、複合施設として設計するのが得意ですね。
メフさん、良い所を撮してますね。このアーチのある梁と天井は絵なのですね。モザイクだったら凄いかもと思ってしまいました。これも修復されているのでしょう。
所々に煉瓦がむき出しですが、これは最初からこのままだったのでしょうか。壁がはがれ落ちたとかあるのでしょうね。

スルタン スレイマンの名前を懐かしく見ていました。なんとドラマになっているのですね。面白いだろうなと思っています。才能もあり、力もあったスルタンだと感じています。
返信する
mikiさん (yukacan)
2012-02-23 01:09:40
そう言えばこういうクロスを何枚かかっていませんでしたっけ?モスクに入るのってやっぱり遠慮があるので、よほど観光的なところじゃない限り私も入れないんですよね。そういう場合は夫に写真を写して来てもらいます。
返信する
ともさん (yukacan)
2012-02-23 01:11:54
CAMIの尖塔(ミナレ)、昔はここに上ってエザーンを詠んだわけですからやっぱり階段がついているのでしょうね。東京代々木上原にある東京ジャーミーは螺旋階段がありましたよ。
Mehu撮影と言う意味です。カメラで操作するのではなく写真を編集する時に加えています。
返信する
cakeさん (yukacan)
2012-02-23 01:16:55
2・3・4枚目の写真がシナン設計のCAMIのものです。本当によく雰囲気が出ていますよね。日時計が写っている写真は偶然の産物でした。家に帰ってからこのCAMIのことを調べていたら日時計のことが書いてあり、私が写した写真では欠けていました。結構目立つものなのに、気にも留めなかったものと思われます。メフも別に気がついたわけではないんですけど…。2004年に全面的に修復されたようです。毎週2時間あまりの大河ドラマです。何年間続くのかしら。トルコのドラマは受けるといつまでも続きます。このドラマも最近は大奥物語になって来ましたよ。
返信する
Unknown (Andi)
2012-02-23 09:43:04
りっぱなジャーミー! また新しい見所を発見しましたね。マニサの豆まき(?)ぜひ見たいです。豆よりお薬の方が実用的。

チェシュメって泉水って意味なんですね? あのチェシュメには、泉があったからチェシュメっていう地名になったんですか?
返信する
Unknown (cake)
2012-02-23 14:53:00
日時計で思い出しました。トプカプ宮殿の中庭にも日時計がありました。アップで写したら、何か全然わからなくなりました。
ここの日時計は縦に付いているんですね。面白いですね。
返信する
Unknown (不思議な世界旅行)
2012-02-23 19:14:26
さすがにトルコは国が大きいだけあって、私が知らない街が次から次に出てきます。

メシル・マージュヌ、市民に配っちゃうなんて太っ腹。
返信する
Andiさん (yukacan)
2012-02-23 23:31:49
なかなか趣のあるいいジャーミーでした。M村にも木造っぽい?ジャーミーがありましたよ。今は使われていないようでした。マニサの豆まき、3月21日頃です。その頃に合わせてお越しくださいませ。
チェシュメって湧き水とか水飲み場とかそんな意味です。あのチェシュメにはオスマン帝国時代からのチェシュメがたくさんあるそうですが、それに由来するのかどうかはっきりわかりませんでした。
返信する

コメントを投稿