イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

CORUM(チョルム)

2009-02-26 00:12:09 | Weblog

CORUMのシンボル、時計塔。

トルコ人に、よく「Nerelisininiz(どちらの出身ですか)?」と聞かれることがあります。もちろんどこの国から来たのかと聞いているのですが、この問いはトルコ人同士でも故郷を聞く時に使われるので私は時々「Corumluyum(チョルム出身です)」と答えます。このマイナーな町の名前を聞くとたいてい相手は「ははは…」とごまかし笑いをして会話が終わります。「何言っているかわからないんだなこの外人は」とでも思っているのでしょう。「日本だ」と答えるとそれからまた質問が次々と続くわけで煙に巻いたようなこの答え方が私は気に入っています。


当時はブログも書いていなかったので写真が余りありません。CORUMの繁華街(?)。




パザルへ行くのにもオドオドしていました。

CORUMというのは、首都ANKARA(アンカラ)から約250㎞北東にあります。中部黒海地方と言われますが、黒海に面してはいません。古代ヒッタイトの首都であるハットゥシャを初めとしてボアズカレ、ヤズルカヤと言うヒッタイト遺跡の拠点としてくらいしか日本人にはなじみのない場所かもしれません。




LEBLEBIは炒ってあるのでこんな焦げ目模様がつきます。色々コーティングがしてあるものもあります。

トルコ人にCORUMと言えば「LEBLEBI(レブレビ)」、これはひよこ豆を炒ったものです。CORUMの街道沿いにはLEBLEBI屋さんが軒を連ね、町の中でもLEBLEBIを炒る香ばしい香りがただよっています。


トルコ生活の出発点、DENIZ APARTMAN(デニズアパルトマン=海アパート)。懐かしいぃ~!

トルコで私が最初に住んだのがこのCORUMでした。2003年の1月から7月まで、うち日本へ帰った期間があるので正味5ケ月位しか住みませんでしたが、結婚の手続きをしたのも、トルコでの居住許可を取ったのも、冷蔵庫や洗濯機、お皿2枚からまな板包丁など一つ一つままごとのように買い揃えたのもこの町、何一つないがらーんとしたアパートから始まった私のトルコ生活の出発点がCORUMなのです。そんな意味もこめて「Nerelisiniz?」と聞かれた時に「Corumluyum」と答えます。CORUM県の人口は約55万人、私が住んでいたCORUM市では約24万人。本当に小さな地方都市です。






アパートは集中暖房だったので、石炭が地下のボイラーにストックされます。
でも石炭屋さんはこうやって道の真ん中にどさーっと置いていくだけ。あとは管理人さんの仕事でした。

もちろんアジア人など初めて見るような人ばかりで、町を歩いていると目の前で「日本人かしら」と声に出さずにはいられないCORUMの人々、あの頃は新しい生活に慣れるのに精一杯で買い物に一人で出かけることもできなかったし、友達はもちろんアンネ(義母)や義妹が側にいたわけでもなく本当に二人きりの生活でしたから久しぶりに町に出て好奇の目でじろじろ見られるのが耐えがたく思えたものです(今でも慣れたわけではありませんが)。







トルコのKARDAN ADAM(カルダンアダム=雪ダルマ)。

ご覧の通り、冬はかなり寒く、雪も降ります。雪の日は昼間はしーんと静まり返っていますが、夜になると大人も子供も外に出てきて雪の上で滑って遊ぶ嬌声が夜遅くまで聞こえたものです。3月にアーモンドの花を街角で見かけた時には、旧友に巡り会えたような本当に涙が出そうな懐かしさを感じました。再びCORUMを訪れることがあるかどうかわかりませんが、今もしCORUMに住んでいたら、もう少しあの時とは違ったトルコ生活を楽しめたんじゃないかなあと思う今日この頃です。






もうすぐ雛祭りですねえ。我が家のお雛様。
      






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