CORUMのシンボル、時計塔。
トルコ人に、よく「Nerelisininiz(どちらの出身ですか)?」と聞かれることがあります。もちろんどこの国から来たのかと聞いているのですが、この問いはトルコ人同士でも故郷を聞く時に使われるので私は時々「Corumluyum(チョルム出身です)」と答えます。このマイナーな町の名前を聞くとたいてい相手は「ははは…」とごまかし笑いをして会話が終わります。「何言っているかわからないんだなこの外人は」とでも思っているのでしょう。「日本だ」と答えるとそれからまた質問が次々と続くわけで煙に巻いたようなこの答え方が私は気に入っています。
当時はブログも書いていなかったので写真が余りありません。CORUMの繁華街(?)。
パザルへ行くのにもオドオドしていました。
CORUMというのは、首都ANKARA(アンカラ)から約250㎞北東にあります。中部黒海地方と言われますが、黒海に面してはいません。古代ヒッタイトの首都であるハットゥシャを初めとしてボアズカレ、ヤズルカヤと言うヒッタイト遺跡の拠点としてくらいしか日本人にはなじみのない場所かもしれません。
LEBLEBIは炒ってあるのでこんな焦げ目模様がつきます。色々コーティングがしてあるものもあります。
トルコ人にCORUMと言えば「LEBLEBI(レブレビ)」、これはひよこ豆を炒ったものです。CORUMの街道沿いにはLEBLEBI屋さんが軒を連ね、町の中でもLEBLEBIを炒る香ばしい香りがただよっています。
トルコ生活の出発点、DENIZ APARTMAN(デニズアパルトマン=海アパート)。懐かしいぃ~!
トルコで私が最初に住んだのがこのCORUMでした。2003年の1月から7月まで、うち日本へ帰った期間があるので正味5ケ月位しか住みませんでしたが、結婚の手続きをしたのも、トルコでの居住許可を取ったのも、冷蔵庫や洗濯機、お皿2枚からまな板包丁など一つ一つままごとのように買い揃えたのもこの町、何一つないがらーんとしたアパートから始まった私のトルコ生活の出発点がCORUMなのです。そんな意味もこめて「Nerelisiniz?」と聞かれた時に「Corumluyum」と答えます。CORUM県の人口は約55万人、私が住んでいたCORUM市では約24万人。本当に小さな地方都市です。
アパートは集中暖房だったので、石炭が地下のボイラーにストックされます。
でも石炭屋さんはこうやって道の真ん中にどさーっと置いていくだけ。あとは管理人さんの仕事でした。
もちろんアジア人など初めて見るような人ばかりで、町を歩いていると目の前で「日本人かしら」と声に出さずにはいられないCORUMの人々、あの頃は新しい生活に慣れるのに精一杯で買い物に一人で出かけることもできなかったし、友達はもちろんアンネ(義母)や義妹が側にいたわけでもなく本当に二人きりの生活でしたから久しぶりに町に出て好奇の目でじろじろ見られるのが耐えがたく思えたものです(今でも慣れたわけではありませんが)。
トルコのKARDAN ADAM(カルダンアダム=雪ダルマ)。
ご覧の通り、冬はかなり寒く、雪も降ります。雪の日は昼間はしーんと静まり返っていますが、夜になると大人も子供も外に出てきて雪の上で滑って遊ぶ嬌声が夜遅くまで聞こえたものです。3月にアーモンドの花を街角で見かけた時には、旧友に巡り会えたような本当に涙が出そうな懐かしさを感じました。再びCORUMを訪れることがあるかどうかわかりませんが、今もしCORUMに住んでいたら、もう少しあの時とは違ったトルコ生活を楽しめたんじゃないかなあと思う今日この頃です。
もうすぐ雛祭りですねえ。我が家のお雛様。
☆現在のイズミル☆
雪だるま、日本の物と全然デザインが違いますね。洋服も着せて、今にも動き出しそうです。
石炭を荷馬車で運んでくるのですね、ビックリです!!
雪だるまも、日本のとは全然違いますね。
夜、外で雪で遊ぶのですか?!またまた驚きです
お雛様の写真を載せてくださって、ありがとうございます。
とっても素敵に飾られてますね
北海道出身の私にはとっても懐かしい言葉でした。
TBなんででしょうね?
ちょっと設定を変えてみたんですけど、これでも駄目かな~~。
yukacanさんとご主人が新婚生活のスタートを切ったというチョルムで、2003年7月、私はNHKBSのドキュメンタリー撮影でハットウシャシュにおりました。
2004年8月には、友人の郷里チョルムのカルグ郡の山奥の村で、原始的生活を味わい、2007年5月には娘と再びハットウシャシュを訪れ、遺跡の前のホテルで一泊、満月が遺跡を煌々と照らし出す光景を見ました。
チョルムに滞在したのはそれだけなので、県庁所在地であるチョルム市内では泊まっていないのですが、県庁には訪問しています。
それに毎日炊いているお米、オスマンジュック米なんですよ。水田がずっと続く光景は日本の東北地方みたいでした。
トルコの雪だるまはこういうのが多いのでしょうか?
お雛様いいですね~私もいつか日本のものを持って来たいのですが、家がまだまだ狭いので我慢です。(笑)
私にはそういう部分が欠落しているみたいで、息子がもっとトルコと親しくなるためにはアンカラにたいして今以上に愛着を持ちたいなと思いました。
私も時々、あのままデニズリに住んでいたらどうなってたんだろうなー、なんて考えることがありますが・・・。今だったらもう少し、デニズリを楽しむこともできただろうか・・・。でも、アンタルヤに来たことで、私の生活の全てが変わったので、やっぱり今の生活に感謝です。(でも、同じエーゲエリアのエーゲゲリンだったのにね・・。イズミルから遠くなっちゃったことだけは残念です。)