goo blog サービス終了のお知らせ 

イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

猿の温泉

2006-01-08 20:35:26 | 日本里帰り
日本へ帰る数日前に、たまたまトルコのTVで世界の火山地帯についてのドキュメンタリー番組があり、そこで日本で温泉につかる猿を紹介していました。夫と2人で「かわいいねー」と話してその日は終わり。

今回帰国後一番にこのブログでもブックマークさせて頂いている長野在住パン屋開業したい!のnejeruさんご夫婦を訪ねました。

(お2人には滞在中の3日間、旅行会社もこうは出来ないと思われるような至れり尽くせりのおもてなしをしていただき感激の日々でした。ありがとうnejeruさん一家!ここを借りて再びお礼申し上げます。)



お2人に最初に連れて行っていただいたのが地獄谷温泉。そこにある「地獄谷野猿公苑」が、あのトルコのTVで見た猿の温泉だったのです。長野は一面の雪景色。地獄谷温泉へは30分ほど雪の降る山道を歩きます。まっすぐに伸びた杉林に積もる雪、私も猿だったのかしら、と錯覚するように道で普通にすれ違う猿の親子たち。ようやくたどり着いた猿の温泉では真っ赤な顔とお尻をした猿達が「極楽、極楽」と言いながら(たぶん)のんびりお湯につかっていました。赤ちゃんを背中や懐に抱いた親ざるもいっぱい。遠い道のりも何のそののホッとする情景でした。



このアドレスからは、開苑時間中の猿温泉の様子を見ることが出来ます。
http://www.jigokudani-yaenkoen.co.jp/livecam/monkey/index.htm

箱根駅伝

2006-01-02 15:47:11 | 日本里帰り
新年をいかがお過ごしでしょうか。私も久しぶりのおせち料理、お雑煮を美味しく頂いています。夫はお雑煮が苦手の様子。のどにくっついて飲み込めないような気がするのだそうです。昨日は我慢して食べていましたが、ついに今日ギヴアップしていました。

今まで実家のPCに写真を取り入れることが出来なかった為、ブログに写真をアップできませんでした。今日ようやく成功したので、少しずつですが、イズミル便り~茅ヶ崎版~をお届けできそうです。



今日は1月2日。昨日からわが実家の上空を行きかうヘリコプターがにぎやかでした。もはやお正月の風物詩ともなった「箱根大学駅伝」の準備のようです。
朝食を済ませる頃には、ヘリコプターの近づいて来る音に慌てて家を出、海岸まで急ぎ足。
雨もポツポツと降り始めて寒空のせいか沿道の人出は例年に比べていまいち、新聞社の応援用旗やコースガイドマップなどを大盤振る舞いで配っていました。
うちの辺りは第三区、参加20校の間隔もまだそれ程開いていない為、先頭校が来てから最終校まであっと言う間に走り去っていきました。



夕べはTVで「筋肉番付」を見ました。久しぶりの日本で、様々なスポーツで真摯な顔を見せてくれる若者達を見ながら、トルコへ行く前は日本の若者を嘆いていた私なのにすっかり日本びいきになってしまっていることに気がつきました。


イズミルから日本へ〈続編?〉

2005-12-27 14:11:09 | 日本里帰り
汗だくになってたどり着いた飛行機だったので、11時間の飛行時間もそれ程長く感じられませんでした。ただ1つ気になったことは、旅行者としてトルコ行きの飛行機に乗っていた時は機内食が多くて、とても全部は食べられなかったのですが、今回はペロッと平らげ、クラッカーやチーズなどまでも食べてしまった…にもかかわらず、満腹にならなかったこと・・・。胃が伸び切っていると言うことでしょうか。

トルコ航空のスチュワデスも変わったのか、私の中の「顧客満足」の基準が下がったせいか、なかなか感じが良く、朝食の時に眠っていたら優しく腕に手を触れて「おはようございます、起こして申し訳ありません。朝食を召し上がりますか?」と言われた時にはドキドキしてしまいました。

そして成田到着。ちょうど大韓航空機の到着と一緒だった様で、入国審査窓口は韓国の若者であふれていました。韓流ブームは噂でしか知らない私、おっちゃんオバちゃん以外の若者韓国人の団体を見るのは初めてでした。

その韓国人の長蛇の列に続くトルコ人チラホラ。私はここでもさっさと通ってしまったので順番待ちの夫を延々と待つことに。いざ、夫の番。夫にはトルコで交付された「結婚手帳」日本の「戸籍謄本」そして私が「この人は私の夫で今回はいついつまで実家に滞在する云々」と書いたものを持たせました。でもそれをすぐに見せなかった夫、帰国のチケット提示を求められた様なのですが、理解できず・・・運命のベルが審査官によって押されました。

別室へ連れて行かれる夫・・・その間に私はトイレに行きたいわ、スーツケースも出て来るわで…

別室の夫
係員「日本語わかりますか?(日本語で)」夫「わかんない(日本語!)」…係員「奥さん日本人なのにどうして日本語知らないの?(と日本語で言っていたと夫が想像)」ここでようやく書類を提示した夫、係員「ちょっと待っててね」夫「だいじょうぶ(いつも私が待たせているのでこの会話は得意な夫)」。結局連絡先として書いた実家へ担当者が電話をし、最終的に私が同行していると言うことにようやく気がついたそのおじさんが、私を呼びに来ました。聞かれたことは

・結婚してるんですか。トルコだけで?日本ではしていないのか?
 =戸籍謄本があるでしょっ!

・日本ではどこに滞在するのか?
 =連絡先書いたでしょっ!

・日本で旦那さんは何するのか?
 =別に何もしません!sana ne!(あんたに関係ないでしょ)

ということでした。

トルコ航空の荷物受取場所では、別室行きのトルコ人数名の荷物がむなしく廻っており、それを回収するトルコ人職員。彼は最初に夫が入国審査で引っかかった時にもいたそうで顔なじみ状態でした。解放された夫が彼に「どうしてひかかるのかなあ」と聞いているので「トルコ人だからよ!残念ながら」と言うと彼も「…その通りです…残念ながら」トルコ人でいるのは大変です。





イズミルから日本へ

2005-12-25 01:23:59 | 日本里帰り
20日友達3人が水を撒いて見送ってくれました。トルコでは旅立つ人に水を撒いて送り出す習慣があります。「水の様に早く行って、早く帰って来い」と言う気持ちがこもっているそうで、前日まで冗談で話していたのに、いざ本当にその様に見送ってもらうとなんだか嬉しいやら寂しいやらで目頭が熱くなりました。

順調にイズミル空港到着、ここからが汗かき道中の始まりでした。

先ず空港の入口のセキュリティチェックで。
係員「ああ、ちょっとそのスーツケースの中に筒のような物がありますねえ、見てみたいなあ。」見てみたいと言われても、厳重に仕舞いこんだスーツケースの中のお土産、まがい物の錫の水差しのような物を言っていると解ったので、私「あれ、お土産でプレゼント用に包装してあるんですけど、あけますか?」係員「そう・・・でも見たいんですよう。なんですよねえ、歴史的に価値のあるような物じゃないですよねえ」夫「ぜんぜんそんなもんじゃないんですよ、中国製で(中国製のお土産を持って行く私達)」
厳重パッキング済みのスーツケースを明け、ほじくりだして包装ひっちゃぶって見せてそれだけ。

次。
従来イスタンブル乗換えで日本へ行く場合もイズミルで出国審査をしていました。トルコ人の海外渡航者はそこで50ドルの出国税を買ってパスポートに
印紙を貼ってもらいパスポートコントロールでスタンプを押されます。私達は今までイスタンブルからしか出国をしたことがなかったので、イズミルで出国するなら今ここで印紙を買わなければと思い、夫はお金を支払い、パスポートに印紙を貼ってもらいました。
そして、いざパスポートコントロール窓口へ行こうとしたら、「イスタンブルでします」と。あれ。ここでは、この先何が起こるかも知らずに「早く買っておいてよかったね」とほほ笑む私達。

次。
飛行機に乗る前のセキュリティチェックで、再び係員「奥さん、このカバンのこの辺に四角い物が見えるんですよ、出してもらえますかねえ」私「ああ、ライターが(直前に貰った)あります。これプレゼント用に包装してあるんです。あけますか?」またパンパンのカバンの中からなんとかその包みを取り出すと、係員の人はその箱だけを機械に通して許してくれました。

次。
イスタンブル到着。早目にパスポートコントロールして久し振りに免税店で海外旅行気分を味わおうともくろんでいた私。でもトルコでの居住許可をとってからは初めての出国だったので少しドキドキ。でも何事も無くスイっと出国。ところが私よりもずっと先にブースに並んでいたはずの夫が待っても待っても出て来ません。総ての列を見ても順番待ちの人もいません。20分ほどして出てきた夫の頭からは怒りで湯気が出ていました。
なんと、イズミルで支払った出国税の印紙が【偽造】と言われたのです。道端で売ってるテレフォンカードや宝くじじゃないんです!空港内の職員が売って自ら貼った印紙です!
出国審査官に食って掛かって上官の別室まで行って談判したそうですが「出来ることはできません、この印紙では出国できません」と言われるのみで仕方なく再び印紙購入をし、燃えそうなくらい怒りまくって出てきたと言うわけ。おかげで免税店のお買い物もなく、夫の怒りが収まるまでお茶を飲んでいました。

・・・・つづく。