浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

桜の60年

2007年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

何気なくテレビを見ていたら、「桜の木、ソメイヨシノの寿命はおよそ60年だ」とのこと。そうか、私が9歳のとき、小学校5年生のころに校庭に植えたあの桜はそろそろ、おじいさんになって樹勢が弱っているかもしれないなあーと思う。

日本が戦争に負けたのが昭和20年。私が小学校5年生のころ、昭和23年はまだ、そここにB29爆撃機から落とされた焼夷弾で焼けた空襲の跡があり、食糧不足で麦ご飯や代用食のイモを食べていた。子どもたちも大人たちも、いつも腹を空かせていた。

そんな時代、日本はまだ敗戦国として米軍に占領され、国際社会に認めてもらえなかった。そのころ、早く、国際社会の一員に認めてもらおうと、運動していたグループが福岡に生まれていたという。

『戦争は人の心の中で生まれたものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない…』 という一文に、共感し、心を揺すぶられた人たちがいた。

昭和23年7月、福岡ユネスコ協力会が創立されたという。ユネスコ精神に共鳴した若い学者や研究者など篤志の人たちだった。ユネスコの普及活動、ユネスコへの加入促進運動が全国ではじまっていた。

それがいまから60年前のことだった。

この文章は、国際連合教育文化機関憲章(ユネスコ憲章)の前文の一部、第2次世界大戦がようやく終ったとき、戦勝国の間にも、「戦争を繰り返さないため、世界の各国は互いをよく知る必要がある」 との反省がこめられている。イギリスの政治家、アトリー首相が演説で述べたことばだという。

桜の寿命が60年なら、時代も人も組織も60年の歳月の中で変わっていく。

「たくさんの こと思い出す 桜かな」 芭蕉