浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

「共有資産」

2007年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

福岡市の郊外線「西鉄・宮地嶽線」が廃止になる。きょう、地元の人たちに無料で乗ってもらうイベントが行われたとテレビニュースが伝えている。

「公共交通機関」の存続はその地域に住む人にとって、たいへん重要な問題である。宮地嶽線については、反対の声も大きかったと聞くが、とうとう廃止となった。切迫した“必要”という声がなかったのか?

交通機関も水道や電気、ガスなどなどライフラインと呼ばれるものが、いったん使えなくなったとき、その大事さがわかる。その大事さは時代の推移とともに変わる。

けさの某新聞が己の紙面を『読者の「共有財産」を目指します』と大きな見出しを掲げた。そうですよ!これは立派だ!この記事を書いた外岡秀俊氏に大きな刺激を受けた。

新聞を郵便受けに取りに行き、居間に帰って新聞を広げる前に、私はすでに、TVニュースを聞き、パソコンのインターネットでおよその見出しを眺め、やおら、新聞を広げるというのが日常化している。記事を読み返し、内容を吟味し、反芻して、納得することができるかどうか?その期待に応える記事があるか?答えがあれば、新聞は確実に「共有資産」となる。

新聞だって、テレビ・ラジオも雑誌も皆さんに「必要ありません!」と言われたらそれでオシマイ。いかに己の存在をキッチリ、理解してもらい、利用価値ありと、認めてもらうよう努力を忘れたら、その時点でその組織は存在理由を失う。現代はそういう厳しい現実の下にある。

公共放送しかり、郵政事業など政府の組織しかり、さまざまな組織、市民団体も同じだと改めて認識する。

“それ”必要とする人たちのための「共有資産」という認識の仕方がいま、強く求められていると思う。「共有資産」という物差(ものさし)でいまいちど世の中を見ると…


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