ちょっと気になる京都の風景

京都人の私から見た身近な京都の風景や街の古い建築物、ちょっと気になる構造物などを少しマニアックな視点で紹介しています

重機の墓場

2012-01-15 10:40:06 | 京都市伏見区
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ここは今まで一度も足を踏み入れたことのなかったエリアでした。


この辺りはかつて広大な農地だったように記憶しますが、過去に区画整理がされており、現在は結構広い幅員の道路も数本走っています。
しかし、区画整理後はほとんど入居は進んでいないようで、物流関連の会社やトラック用の大きな駐車場が点在しているだけで、
訪れた日は北風が吹きすさび、荒涼としたイメージでした。


そんな中で見かけたモノは… 重機の屍でした。





こういうデカイものが放置され、朽ち果てて行くさまは鬼気迫るものがあります…

これぐらいデカいと鉄道車両にも通じるものがありますね^^;

しかし、「京都市」は警告の張り紙をしたままで、一向に強制撤去しないのはなぜなのでしょう?
公示から一定期間と費用が必要なのはわかるのですが、民間人には どう見ても「所有権を放棄した物」にしか見えませんが(笑)
お役所仕事や法律とは"こんなもの"なんでしょうかね…?


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京都南ICの壮大な新設歩道橋

2012-01-09 20:41:48 | 京都市伏見区
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一昨年ぐらいでしたか? 国道1号線の京都南ICに、世間の歩道橋撤去の流れと逆行するように新しい歩道橋が設置されました。

規模も大きく、けっこう複雑な造りになっています。なんだか遊園地のアミューズメントみたいです… ^^


これは1号線の西側から北(市内中心部)方向を望んだところ。問題は1号線東西の歩道が、この歩道橋を挟んで
直進できなくなったこと。歩道を歩いてくると、柵の設置で強制的に歩道橋へ誘導されます。以前は多少の危険はあっても
アクセスウェイを横切って直進できたのですが…西側歩道を北向きに歩いてきた場合は、歩道橋を通って東側へ連れて行かれます。


自転車も、「ご親切に」スロープを通って向こう側へ行って下さいということですね。



スロープは、自転車が降車せずに登れるようにとの判断か、車イスの方が自力で登れるようにという判断か判りませんが
勾配を緩和する為に、2回旋回するように作られています。結構 金掛かってるし、通る時間も掛かるなぁー^^;


折しも 女の子が自転車でスロープに差し掛かり…
一人は立ち漕ぎではありましたが、降車せずに何とか勾配を登り切って行きました。


そこで気になったのが、この古い歩道橋の存在! 新しい歩道橋が出来た今、もうこの歩道橋は存在する理由が無くなってしまいました。


なぜって、仮にここ(東側)から渡った場合、西側に下りても前後100mほどしか歩ける部分がないんです…

しかしちょっとお粗末に思ったのが、先頃改正された自転車に関する道交法。幅2m以下の歩道は原則走行禁止となりましたが、
ここの歩道は東西とも明らかに幅2m以下。ということは、自転車は車道端を走行しなければならず、スロープを通って歩道橋を渡る必要がなくなって
しまったんです。高いカネを注ぎ込んで作ったのに価値が半減してしまったとも言えますな(笑)
ま、「原則通行禁止」というコトなんで、無理やり歩道橋を走らせるといった手段を取るものと思われますが、自分の安全は自分で判断して守るもの。
おカミに強制されて、守ってもらうのはナンセンスですよね。ここの通過時分の増大と、東西への余計な迂回分の損失はどうしてくれるんだ?
と言いたくもなりますな〜(笑)それは冗談としても、何で今頃こんな立派な新・歩道橋を作ったのか、不思議に思いますね。


旧歩道橋は「京都南歩道橋」って命名されてるんですが、そう遠くない内に撤去されるのでは?と予想します。
今現在、閉鎖されていない事も不思議といえば不思議なんですが…


かなり上塗りを重ねていて、読みにくくなってはいますが、旧歩道橋は、当時の「日本道路公団」が設置者のようです。

現地を訪れている20分ほどの間に、通行した人たちはホンの数人。わざわざ こんな立派な歩道橋を設置する必要があったのかいな?と、
「ちょっと気になる京都の風景」でした^^;
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集団移転した2つの街 【淀 水垂町と淀 大下津町】

2011-10-09 19:52:00 | 京都市伏見区
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ここは伏見区 淀の桂川右岸堤防上です。皆さん「淀」というと京都競馬場や京阪淀駅の周辺のみが「淀」と思っておられませんか?
実は桂川の右岸(西側)に当たる地域もれっきとした「淀」という地名を冠する地域なんです。これは私も意外でした…


このバス停は「水垂(みずたれ)町」。珍しい名前ですね。今はここには20系統しかやってきませんが、かつては22甲や22乙、特22系統などが
入り乱れ、私の中では最も路線を把握しにくい地域でした。
今回はそんな事を取り上げたいのじゃなくって、向こうに見える真新しい住宅街が今回のテーマなのです。


バスの走る堤防を外側に下りると、目の前にはもう一つの台地が…
そうです。これこそ「淀 水垂町」という、国策による大規模治水事業で街ごと集団移転させられた集落なのです。
ここより少し南(宮前橋という、橋を挟んで)に、もう一つ移転させられた街があります。
そちらは「淀 大下津町」といいますが、後でご紹介します。


堤防直下、手前の枯れ草の平地が以前の集落だった場所です。
国は桂川の拡幅を含む大規模な治水事業で、この地域に移転を求めました。さして大きな反対運動は起こらなかった(と記憶している)のですが、
住民の方の「ここにずっと住み続けたい」という願いは強く、京都市はその代替地として埋め立て処分場の予定地の一角を集団移転先として提供
する事にしたそうです。それだけではなく、桂川の万一の逸水に備えて、従来の堤防よりレベルを高く 台地状に作られました。
この台地を嵩上げするのに使われた土は、何と!地下鉄工事で出た残土だそうです。



水害に対しては安心を得られましたが、弊害として バスに乗るのに一度 何十段もの階段を下りて、再び堤防を上がらなければならなくなってしまったようです。



以前に古い街並みがあった場所です。ここに住宅があったという痕跡が、今も僅かに残っていました。


水は桂川からのみ襲ってくるとは限りません。海抜の低い土地の為、水が集まり易く 排水対策は重要です。
普通ならポンプ場程度の施設になるのですが、ここは比較的規模の大きめの「排水処理施設」となっているようですね。



こちらは もう一方の「淀 大下津町」の街並み。一連の事情を知らなければ、最近に分譲された「高級な住宅街」と思ってしまうかも知れません。


真新しく且つ落ち着いた佇まいのとても良い環境で、すごく羨ましいです!


かつて住宅が建っていた跡地。造成されたヒナ段が かつての家々の痕跡を物語っていますね。


何本も入り組んだ、堤防から集落へ至ったであろう道の跡。通常、集落がなければ 堤防からこんなに複数の道は伸びていませんよね。 

当然、土地の氏神さまも(写ってませんが、お寺も)新天地に移転・鎮座されていました。


全くの主観をお許し頂ければ、この2つの集落を見て感じたことは かつて各地でダムの底に沈んだ村のような悲しさや切なさは見受けられなかったように思いました。
街そのものが真新しいという事もあるのでしょうが、明るく清潔感がある。そして、かつて自分たちの生まれ育った土地のすぐ目の前に隣近所と一緒に引越し出来た
という安堵感があるのではないでしょうか…

しかし、京都市内にも集団で移転した集落があったという事実は意外でした。

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西京区から向日市にかけて存在する 長大な「地下貯留ダム」

2011-10-03 00:01:22 | 複数行政区にまたがるもの
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京都市西京区〜向日市にかけて、主に国道171号線の地下に建設された「いろは呑龍(どんりゅう)トンネル」。
洛西地域は、その昔 長岡京が10年足らずで平安遷都に至る原因の一つにもなったほど 昔から洪水被害が多い場所です。
豪雨の際、地表の河川を流れる大量の水を一旦このトンネルに取り込んで、河川の水位が下がってから、徐々にポンプで汲みだすという、
いわば細く長いトンネル式の「地下貯留ダム」です。
来たる10月11日から供用開始される為、一旦 水が入れば、後は見学不可能となるらしく、今回が最初で最後のチャンスとか。
そういうものには目がないワタシ。ダメ元で応募したら、何と!当選したのでイソイソと見学会に行って来ました。
今回は説明の為、ちょっと写真がかなり多めです。

 
"いろは(IROHA)"の
「I」はInnovative(知識・技術の革新を目指す)
「R」はRecyclic(リサイクルを目指す)
「O」はOrganic(有機的な結びつきを目指す)、
「H」はHuman(人間味のある)
「A」はAquatic(水の)
プロジェクトという意味だそうで、呑龍とは「大雨を呑み込む龍(トンネル)という意味だそうです。(パンフレットから抜粋)



国道171号線を京都方向に見た図。
この道は今までに数え切れないほど走っているけれど、知らん間にこの下に長大な地下トンネルが出来ていたなんて…


この大きな丸い物体は何ぞや?(大きすぎて写りきらない) 実はコレ、立坑と呼ばれる深さ23メートルの穴のフタなんです。


受付を済ませてから頂いた"入坑証"。地上に上がってきたらこれを回収して、全員が無事戻ったかどうかを確かめるそうです。
戻らない人がいたら、そりゃ一大事ですわな〜(笑)


ここが、異界の入口。(じゃなくて、トンネルの立坑入口です)


では地底探検に出発!みなさん、期待と不安半分半分で 恐る恐る降りて行きます。


この構図が何だか わかりますか? 答えは、立坑を上から見下ろしたところです。
下にいる人の大きさで、どれ位 深いかわかりますよね。意外と手すりが低いのでハッキリ言ってかなり怖かったです。


これが立坑を下から見上げたところ。深さは約23m、8階建ての高さに相当するそうです。天井が、さっき写ってた「フタ」部分です。


立坑の水位ゲージ。「1」の数字をちょっと超えた辺り、黄色から赤色に変化するところが東京湾の平均水面1.22mを表しています。
ちなみに「0」がこの管渠の満管時の水位だそうです。(難し…)


この二本のパイプでこの管渠に溜まった水を、雨が止んでから汲み揚げて、近くの西羽束師(にしはづかし)川に放流するそうです。
ちなみに、満管水位になった時は全部汲み出すのに48時間かかるそうです。


職員さんに先導されて、どんどん奥へと進んで行きます。


これが雨水を貯留するトンネル本体。正確には「管渠(かんきょ)」と呼ぶそうです。管の直径は6.1mあります。
大雨の際にここへ水が流れ込んで溜まってゆく… そうそう、今後はライブカメラで その様子が見られるそうですよ!



今まで、半世紀近く生きてきて初めて見る風景… もう最後の風景だと思うと、しばし感慨にふける。う〜ん…


立坑から2回直角に曲がった「管渠」は、ここから国道171号線の地下を進みます。


この先、171号線の地下23メートルを約1キロ歩きます。この辺りで入坑後、約10分。(全然向こうが見えないや…)


途中にメモリアルの書き込みコーナーが…

おっ!向日市長さんも 今日見学に来たはったんや〜^^


ここの交差点も、会社帰りに時々バスで通ってるなぁ…
このまま地上に戻れなくなったらどうしよう…とチリ鉱山の落盤事故の事がふと頭をよぎる…(笑)


なんだ、この怪しげな電飾は? ここは地下コンサートの会場ではありませんw
何を隠そう、ここが見学できる管渠の終端部なのです。一応終点ということで心づくしの装飾がされている訳です。
それより関係者の方が自信をもっておられたのが、この異口径の接続点。
この工法は大きなシールドマシンの中に小さな同マシンを入れて、最初は親子一体で掘削を進め、小径部分になってからは
子機を押し出して掘削する(多少ニュアンスは違うと思いますが、専門家でないので ご容赦を…)
「ハイブリッド親子シールド工法」と呼ばれるものだそうで、この工法自体は それほど珍しい工法ではないが、
この現場のように、全長4キロにも及ぶ区間に途中立坑を設けずに完工したのは珍しく、土木学会関西支部の技術賞を受賞されたそうです。




ここから先は管渠の直径が半分になり、足元も悪く危険なので 見学はここまで。
管渠は、この先「阪急洛西口駅」辺りまで、約2.8キロほど続いています。なお、途中に立坑は一切ないそうです(恐!)
ここから再び1120mを歩いて引き返します。何だか早く地上に戻りたくなってきた(笑)


管渠の躯体を構成する「壁」をセグメントというそうで、これは打設開始地点から数えて記念すべき?1000番目のセグメント。
見学終端地点まで行くと1065という数字が見えました。



見学を終えた感想は、このような大規模な構築物を地下20メートルの深さに作れる土木技術の進歩に驚くと同時に、
理系出身であろう現場技術者の方たちの自信に満ちたいい顔とその説明に、世の中のインフラを支えているのは主に理系の人達なんだなぁ…と、
文系のワタシはちょっと引け目を感じました(笑)
ただ、同じような東京の施設を何かで見た事があるので、京都のはトンネルが主体で 意外に地味な感じがしました。
それでも崇高な目的を持った 素晴らしい施設には違いありません。他の都市に自信を持って誇れる施設だと思いました。
豪雨は降らないに越した事はありませんが、もしもの時には災害防止の為に どんどん活躍してほしいですね〜 ^^/
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終焉近い歩道橋たち 1

2011-09-18 13:13:36 | 複数行政区にまたがるもの
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ずいぶん長い間、放置してしまいました。
今日は更新されているかな?と期待して毎日覗いて頂いた方には、本当に申し訳ございません。



先日も新聞で取り上げられていましたが、京都市内では主要道路に架かる歩道橋が撤去されて行く方向にあるようです。


歩道橋そのものの老朽化もさる事ながら、高齢化社会になり お年寄りにはあの階段の昇降は非常に厳しい現実があります。 


上の画像を含む3枚は堀川蛸薬師にかかる歩道橋。3枚目の背景にある建物は京都市立堀川高等学校。私の母校でもあります。
昔は今の道幅の向こう3分の1ぐらいの所に「堀川」が流れ(とは云っても、大雨の時しか流れてなかったですけどね…)
その川の西側(こちら側)の歩道に降りる階段が設けられていましたが、堀川通の拡幅と堀川の完全暗渠化の時に存在理由を失い、
撤去されてしまいました。


こちらは五条通(国道9号線)のJR丹波口駅前にある歩道橋。幅の広い五条通を跨ぐので、当然長いです。


正式名称は「新千本横断歩道橋」というようです。このプレートも立派で、蒸気機関車のナンバープレートを思い出させる風格です。


この歩道橋は塗装もやり直されて きれいですが、すぐ下と 近くに2本の横断歩道があり、今はもうほとんど渡る人はいません。




これは上記の丹波口から、少し東にある五条壬生川の歩道橋。


商店の真ん前に橋脚と階段設備が立ちはだかり、圧迫感この上ないでしょうね。商売にも影響あり?
今、同じようなパターンで新たに建設するなら相当難しいのではないでしょうか…



 
これは西大路五条を少し西に行った、五条春日の歩道橋。もはや道路標示板と信号機の架台になっているだけのような気もします…


かつては交通弱者保護の切り札ともてはやされた歩道橋も取り巻く環境が大きく変わろうとしています。
しかし、まだ京都市内には相当数の歩道橋が残っています。
これをカタチがある内に記録しておく事も、一つの時代の記録として全く意味のないことではないと思いますので、
これから断続的に数回に分けてアップして行こうと思っています。
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淀の”城址”

2011-08-07 14:53:50 | 京都市伏見区
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以前から、京阪電車で淀駅を通るたびに車窓から見える石垣が気になっていました。歴史的背景を知らなくても、こういう場所には行ってみたい私。
でも、私の住む場所からは、淀は遠い場所というか なかなか足が向かない場所でした。
なぜって?競馬場があるから… 更になぜって?仕事があるので、基本 土日しか行けない私には レース開催日と当たった時の混雑がとてつもなく嫌だから。
でも、昨日は下調べなしの「ぶっつけ」で行ってみました。本当に嫌ならネットで調べて開催がない日を狙って行けばいいのに、その辺が矛盾してますね(笑)


で、駅北側の商店街のすぐそばに淀城址は佇んでいます。昼下がりなので、蝉の声と、少年一人とネコ一匹以外はだれも居ませんでした。


天守台の石組み。残念ながら天守台の中には入れませんでしたが、しっかりと積まれた石組みに城址の片鱗を垣間見る事ができます。


淀城は三等三角点にもなっています。


お堀の水面からは結構な高さがあり、本格的な城だった事がわかります。


最近、近くを走る京阪電車が高架化され、電車を入れて石垣を撮る事が可能になりました。
実は特急が来るまで待って、しかもダブルデッカー車の部分が来たところでシャッターを押しました。我ながら変なこだわりが強いです…(笑)


これは天守台の内部。かなり強めの制止看板に、さすがに心臓の強い私も侵入は断念しました(笑)
向こうを行く電車は3000系。今度は待っていた訳ではありません。


お堀の向こうを快走する京阪電車。この場所を撮るなら、電車なしではちょっと寂しいでしょ?


現在、お堀は本丸跡の二辺を廻るようにして残っています。少し離れた場所にも遺構はあるようですが、よく知らない私には単なる水路かお堀か 見分けが付きません。

以前の「勝竜寺城」といい「淀城」といい、こんなお城址が京都の南部には残っているのですね。
ここはあまり観光化されていない(質素に公園化はされています)ので、静かに往時を偲ぶのが好きな方にはお勧めです。
但し、レースが開催されている時に行かれた場合は その責任は持てませんので、ご了承を…(笑)
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千本三条のシケイン!?

2011-07-18 09:03:43 | 京都市中京区
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JR二条駅や千本三条周辺が、山陰本線の高架化に合わせて整備されたのはもう何年も前ですが、
三条通の千本を西に行ったところには、整備後も不思議な一角がそのまま残されています。


三条通を千本から西に向かった時、急に車線が狭くなり不自然にカーブしているのにお気づきの方はおられませんか?


ここは元々山陰線が高架化される前も、低い鉄橋が架かり その空頭を稼ぐ為に道路が掘り込まれていた場所です。
その時はどうだったか記憶にありませんが、道路幅がもっと狭かったので、このシケインは目立たずに存在していたのかも知れません。


今はコインパーキングとなっていますが、こんな変則的なカタチのまま放置するなら、道路や歩道として整備したほうがスッキリ安全なのに…と思いますがね。


コインパーキングが出来る前は、下品に大書きした、土地所有を主張するカンバンが立っていましたので、何かヤバイ感じは間違いないですね。
京都市が提訴してでも強制的に収容出来ない理由は何となくわかっていますが、公共の福祉に反する事がいつまでも放置されるのは如何なものかと。

お早い解決を期待してますよ、京都市さん!^^



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ちょっと違った角度の祇園祭

2011-07-17 21:20:00 | 複数行政区にまたがるもの
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7月に入ると京都市の四条烏丸界隈は祇園祭一色に染まります。
特に10日に鉾建てが始まり 13日に山が建つと、道路はそここで通行止めになって仕事になりません。
私も生まれて25年間はこのエリアに住んでいましたので、この時期になるとどうしてもウズウズしてきます。
そんな思いを元に この地域での生活に密着した祇園祭の風物をちょっと違った角度から切り取ってみました。


まずは有名な錦市場。鉾のメインストリート、四条通の1本北側にあります。
これは14日の夕方です。日頃はもうほとんどの店が閉店されている時間帯なのですが、この時期ばかりは人通りも多く
見物客向けに、まだ開いている店もあります。最近はイートインの店も増えてきて、新たな楽しみ方が加わりました。


やはり京都で、祇園祭とくればハモ。梅雨の水を飲んだハモは旨くなると昔から云われています。
祇園祭が別名"ハモ祭"と呼ばれるほど、切っても切れないこの時期の旬のご馳走なのです。


パックの中の湯引きされたハモの身。これは「落とし」と呼ばれます。これに練った梅肉を付けて食します。
何で反り返っているかって?それはハモは小骨が異常に多く、皮一枚を残して細かく骨切りしないと食べられたものではありません。
その細かい切れ目が湯引きで反り返り、こんな花のようなカタチになるのです。味は極めて淡白!


これは"照り焼き"。瀬戸内産のようです。ハモは生命力が格段に強く、昔の輸送手段でも瀬戸内から生かしたまま運べたというのが
京都で定着した所以だそうです。私はこの照り焼きが好きですね〜♪
何か、グルメガイドのようになってしまいました^^;


大勢の見物客で夜遅くまで賑わう表通りから、一本裏へ入ればこのような静かな路地の佇まいがあります。
こういう路地の奥で、風に乗って遠くから聞こえて来る「祇園囃子」の音色は地元人しか味わえない珠玉の逸品です。


7月15・16日の両日は宵山飾りとして、古い町家それぞれが所蔵する家宝や美術品を虫干しを兼ねてオモテの間に展示する習慣があります。
この習慣を別名「屏風祭」とも呼び、宵山見物の楽しみの一つにもなっています。
家々の家宝はさながら小さな美術館のようですが、近年は町家の建て替えや生活習慣の変化で、見られる家は少なくなりました。
坪庭を挟んだ奥の座敷では遠来の客人を招いて、もてなしの宴がたけなわのようです。
(光量が少ないので、ちょっとブレてしまってます^^;)


来年も7月の14・15・16日は土・日・月(海の日)のようですので、是非ちょっと違った祇園祭を楽しんでみられては如何でしょうか。^^
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西大路四条(通称・西院)近辺の裏通り

2011-07-10 22:17:25 | 京都市右京区
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最近、四条大宮界隈よりも元気のある西大路四条交差点辺りから一歩裏通りへ分け入ると、
それまでの繁華街の喧騒とはうって変わった静けさの漂う細道がひっそりと存在しています。

ここは京都のメインストリートの代表ともいうべき四条通とほんの数十メートル北側に並行する路地です。


四条通には高層マンションが聳え建っていますが、ここは百年以上昔から この近辺が農村地帯だった頃の佇まいを今に残しています。


カーテンを引いたままの古い民家の中には、いまだに現代とは無縁の空気が漂っているのかも知れません。


立派な門構えの家も多く、外構や植栽も手入れが行き届いています。


大きくて棟高な豪農造りの建物や、白壁の土蔵もそこここに点在しますが、どこを撮っても必ずといっていいほど
背景にマンションなどが写り込みますね。


「お地蔵さん」と火伏せの神様「愛宕大権現」の祠も鎮座しておられますが、京都でも三重連の祠は珍しいです。
しかし、真ん中だけ鉄扉が付いていても両側からはスカスカ。一体何の意味があるのでしょうね?(笑)


やっぱり繁華街が近いと不届きな輩も多く出没するようで、古くから穏やかに暮らしてきた地元の人たちは困っておられるようですね。
オモテ通りばかりでなく、裏通りへも興味本位で侵入してくる不心得な人間がいるのは困りものです。

しかし、百年以上に渡って環境を変えないまま今日に至るこの集落は、どういったポリシーと団結で不変の秩序を保ってきたのでしょう?
意外に近くにありながら、ヨソ者には知り得ない土俗の信仰や習俗が、根強く地域を覆っているのでしょうか。
京都市内には、今もってこのような古色蒼然とした農村地帯が残っている場所が他にもいくつかあります。
こういった、時の止まったような貴重な風景こそ、これからもずっと永く生き続けて欲しいものです。
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蛇行する堀子川(西高瀬川)

2011-06-05 23:40:22 | 京都市中京区
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地図の中ほど上あたり、京福電鉄のすぐ南にある新道寺あたりからの西高瀬川の流れにご注目下さい。
このあたりから、なぜか流れが不自然に蛇行しています。
また、この蛇行している近辺のみ「堀子川」と呼ばれているのです。
西高瀬川は角倉了以が開削した人工的な運河で、殆どの区間は概ね直線的に流れていますが、
この区間だけはなぜか線形が不自然(いや、むしろ自然?)なのです。
五条通の少し北あたりまで、くねくねと蛇行して流れているのがお判り頂けると思います。



綾小路橋から北を見たところ。この辺りで大きく、90度ちょっとカーブしています。


綾小路橋の親柱には「堀子川」の文字が刻まれています。
しかし注目すべきは欄干の向こう側!なんで建物があるんだ? そこは川じゃないのか?どう考えてもおかしいですよね。
しかも奥側の親柱と欄干は玄関?の為に撤去されています。それはあんまりやりすぎでしょ!
こういう理解不能な、理不尽な事が世の中には五万とあるのが現実ですね。(何でも やったもん勝ちかいな…)


気を取り直して、今度は一つ南にある弁天橋から上流を眺める… 鬱蒼とした樹木が川の上に張り出し、都市河川とは思えない
いい雰囲気に。但し、向こうにさっきの建物がチラッと。(怒)


今度は仏光寺橋から上流を見た図。本当にこの辺りは街中とは思えない程の樹木の茂りようですね。


しかし下流側に目を転じると… いったいどうなってんの、この考え方は?
申請して許可が下りるのなら、みんなやりたい事だろうし、皆が皆 やってないという事は…
こんなんで自分のテリトリーが確保できるのなら ええわな〜と思うのは私だけ?

御前高辻の交差点を上がったところ。ここで堀子川は一瞬だけ御前通ギリギリまで顔を出します。
木の辺りから御前通に向かって近づいて来るところ。


踵を返して、高辻橋をくぐった辺りから再び南東へゆるやかに離れてゆくところ。


一本南の松原橋の上から上流を眺むるの図。樹木の張り出しは殆どなく、無機質な排水路の印象ですが、
相変わらずゆるやかな蛇行は続いています。

 
松原橋から下流をみたところ。まだカーブは続きますが、もう少し先で ほどなく直線的な流れに変わって行きます。 
この辺りで「堀子川」という名前は終わりのようです。なぜ堀子川と「くねくねカーブ」が関係するのかって?
その訳は西高瀬川開削当時にまで遡るようです。開削当時は四条通の北側に「四条川」という小河川が流れており、
千本四条で西高瀬川は一旦、四条川に合流。その後、西新道あたりで分流し、今度は別流であった堀子川に合流。
西高瀬川はその堀子川の川筋を安直に?流用して作られたというのがこの「くねくね」の簡潔な理由のようです。

ひとくちに都市河川と云っても、なかなか奥が深いものです。。。 これもタウンウォッチングの面白さのひとつですね!










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