秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

松下鳥石(うせき)のこと。

2009年09月15日 09時46分00秒 | 京都非観光迷所案内
七条堀川の一筋西の通りを南へ下がると左手に見えてくる「芹根水」の石碑。

京都七名水の一つだった井を示す碑ですが、すでにその井はなく、あった場所も
この地ではなくて別の所に建てられていたのを移されたようです。

本来、こういった碑はその場所に何があった、という場所や事例を示すために残され
ているものですから、移転していまえば余り意味がないんでは?と思えますけど、
この「芹根水」の場合、石碑自体に価値があるのです。

これを建てたのは「松下鳥石」という江戸時代の著名な書家なのです。

江戸の幕臣の子として生まれ、その後京にのぼり、晩年を西本願寺の近くで暮した
そうですが、彼は宝暦年間にあちこちにこのような石碑を建てたといわれます。

ただそれだけなら、この迷所案内で紹介することはなかったかも知れませんね、
なにしろ書の世界にはまったくウトイもんですから・・・・。

興味を抱いたのは、鳥石の人物像。かなりの大酒飲みで磊落な生き方をしていたようです。

友人の荘氏謙は「酒に混じりほしいままに飲み、詩を賦ぎ放蕩す」と著しています。

それだけなら、豪放磊落なゲージュツ家だった、で、すむんですけど氏は大掛かり
な詐欺もどき事件までやらかしていたそうです。

知り合いの公家たちと図り、親鸞五百年己にあたり西本願寺に大師号を授かるように
協力しまっせ~、と言って大枚の金子を着服したんですと。

この件で追放や処罰された記録は残されていませんから、結局ウヤムヤに処理され
たんでしょうね。

公家や寺社がからんだ事件には京の奉行所は及び腰になったそうですから、その
あたりも見越した確信犯です。

親鸞はおそらく自分の死後、大伽藍の寺院などは望んでいなかったはずです。
そんな事件だから、あまり悪意を感じることがないのかも知れません、私。

大酒をくらいながら、ときには権威を翻弄したり、奔放に生きた鳥石、なかなか
オモロイおっさんです。

参考資料 「京の石碑物語」 伊藤宗裕 京都新聞社


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