秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

堀川いまむかし。

2009年03月07日 07時10分19秒 | 京都非観光迷所案内
東海道の起点は三条大橋。では西国街道は?

答えは堀川二条の土橋。(なんて偉そうに言ってますが、私もそれを知ったのは最近です。)

この堀川、川としての機能を失って以来、京都人からも存在を忘れられたようです。

川底はコンクリートむき出しで風情なんてまったく無し。

この川底でバレーボールの練習をしていた、という女子選手がいましたが、確かに
車や自転車も通らないし、ボールも遠くに転がっていかないから絶好地ですな。

その選手以外?にはまったく無用(では無いと思いますけど)の堀川も平安時代
には川幅は12メートルもあり、両岸も同じく12メートル(一説では6メートル)
あったそうです。

江戸時代でも10メートルあり、材木商が軒を並べ、下流域では藍染などの染め
職人たちが暮らしていました。

また、伊藤仁斎の「古義堂」や山崎闇齋の講堂もあり、今の学生街の感もあった
こも知れませんね。(堀川通り下立売上ル)

そんな堀川もすっかり市民から見捨てられていた。と思ってたら、いつの間にか
こんな綺麗な公園に変身してました。

そんな計画を数年前に耳にした気がするけど、ホントに実施されていたんだ。

でもね・・。ご近所の人以外、市民はダァレも気づいてないと思いますョ。
堀川通りからは、まったく見えませんから・・・・。

写真は一条戻り橋から。この橋は清明を始め、色々な伝承で知られる橋ですが、
資料や文献も多く残されていますから迷所案内では取り上げませんケド・・。

江戸時代、死罪になる罪人はこの橋上で最後の食物を与えられ、善人になって
生まれ変わるよう諭されたそうです。

再就職や再婚などのリベンジにかける人には最適な橋、になるかも?(ならんか)




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