なんでもアラカルト

エッセイ・イラストを対等に扱ったまったく新規な本の出版に関連する記事(Daily)

3つのトピックス

2009-02-08 07:27:16 | Weblog
昨日は3つのトピックスがあった。

何と言っても最初は孫とのフジテン!
昨日の「なんアラ」ブログ記載後、7時半に家を出発した。
やはり長期的には暖冬が実感できるフジテンまでの風景であった。
富士山が常に前方・左右に見ながらのドライブとなるが、4合目までの雪化粧の富士山とは対照的に、麓の御殿場・山中湖。河口湖周辺は全く積雪は見られない状態なのだ。

フジテンの駐車場も雪は無く、火山岩・灰と霜が解けて泥状態であった。
車の中も泥が入り込み帰宅後いつもの車外水洗いが、車内清掃に変わったくらいである。
スキー場は何とか人工雪で積雪量を100センチに保っている。

さて肝心の孫のスノボ・スキーは基礎訓練のつもりで最初はリフトに乗らず下の緩斜面で数十回滑って雪の感触を掴むことに力を注いだ。
お陰で私の手足はパンパンとなってしまった。
孫の方はスノボ・スキーいずれもそこそこの上達を示した。
仕上げにと一緒に乗ったリフトに孫は大はしゃぎであった。
リフトを下り、ストックを持参しない状態で孫を両方のスキーの間に挟んで、プルークの基本をしっかりと教えた。
これで右回り、左回りは実践を伴って教授したので次回(2/11に再度行く予定)が楽しみである。

次のトピックスは「なんアラ」通巻10号のハガキサイズイラストの銀塩プリントが仕上がったことだ。
まだシールプリントの方は注文していないが、今月中には両方ともイラストセットとして完成させるつもりである。
毎回これを楽しみにしておられる「なんアラ」サポーターの皆様も多く居られるので、楽しみにして頂きたいと思っている。

最後のトピックスは昨年10/10に実施した東京工芸大特別講義の受講生のアンケートが漸く届いたことだ。
全部で100人を越える数なので、まだ半分も目を通していないが、今日これから本年度3回目の東京出張のロマンスカーの車中でゆっくり眺めてみるつもりである。
現在の学生気質が掴め、「文化財的Archival教育」活動にも役立つ内容が多いと期待している。
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花粉症と冬季スポーツ

2009-02-07 06:54:49 | Weblog
「なんアラ」出版本で扱っているジャンルでは多くのスポーツがある。
この時期寒さに負けずに冬季スポーツと言えばスキー・スノボがある。
「なんアラ」創刊号と通巻4号でそれらが記載されているので参照下さい。
その後投稿が途絶えているので、この分野にも積極的にエッセイ投稿を待っています。

さてそのスキー・スノボにこれから出かける予定だ。
もう直ぐ6歳になる孫も今準備に追われている。
行き先はいつものフジテンだが、孫は今シーズン2回目、私は5回目となる。

さてこの時期悩みのひとつが花粉症である。
先週から早くも鼻がもぞもぞしてくしゃみも続いているのでいよいよ花粉症の時期到来である。
唯一スキー場で滑っている時にはその症状が出ないのが不思議である。
温度が低いことが良いのか、それとも環境がいいのか、やはり気分的な問題が最も大きいのかも知れない。

では気をつけて行ってきます。
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「なんアラ」イラスト原画の素晴らしさ

2009-02-06 06:55:20 | Weblog
今回の「なんアラ」通巻10号では合計15名のイラストレーターの方々にイラスト描画をお願いした。
その数は通巻9号で最高だった13名を越えて過去最高となった。しかも新人が4名(通巻9号とダブっておられる方は11名)と毎回新しいイラストレーターが生まれている現状は喜ばしいことである。
創刊号は僅か4名でスタートしたのだから隔世の感がする。

その内、14名の方が所謂パソコンを使わない自筆による描画である。
その画材は一人ひとり個性があってとてもワクワクする気持ちになってくる。
キャンパスもそれぞれ異なっていて、水墨・水彩・油絵・墨など(もっと多くの素材が使われていると思えるのだが素人の私にはそれ以上思い浮かばなかった・・・)によって選択されていることが分かる。

今回パソコンソフトによるデジタル描画からアナログ描画に転換されたかたが居られる。
小田原在住のHKさんである。
HKさんとは丁度1年前(2008.2.7)、小田原でエッセイスト・イラストレーター懇談会を開催した折にお子さん3人連れで参加いただいたことが昨日の様に思い出される。
HKさんには通巻7号以来、5,5,3件のイラスト描画をお願いしたが、いずれもデジタル描画であった。
3人の子育ての合間をぬってのことなので、これが精一杯のことと思っていた。

それが今回一変して「久しぶりに水彩画で描いて見ました!」との連絡が入った。
何せ期限ギリギリ(1/30)であったので、取り合えずスキャナー取り込み頂き電送してもらった。
翌日そのコピー(インクジェット出力)をエッセイストの一人であるEWさんに見せたらとても感激しておられた。
しかし原画はその比ではないと考えていたので、後ほど到着する原画を心待ちにしていた。

そして昨日その原画が届き、その素晴らしさに改めてアナログ描画の原点を見たような気持ちになった。
デッサン・下絵・水彩描画の一つ一つが肌に伝わってくる迫力がある。
これを見たら先日コピーを見て感激していたEWさんは腰を抜かすのでは無いかと想像して笑いがこみ上げてきた。

勿論今回アナログ描画頂いた他の13名の方々も個性豊かな描画で、一つ一つ語っていくとこのブログは多分ひと月分は裕に必要となるだろう!
このことを考えると「エッセイ・イラストコラボ展」が益々楽しみになってきた。
まだ1年半後(2010年秋開催予定)であるが、今からその瞬間が想像できて又ワクワク感がフツフツと湧いてきた。
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松田町役場では1勝1敗

2009-02-05 06:40:00 | Weblog
昨日の「なんアラ」ブログに記載した様に、2つの目的で松田町役場に赴いた。

その結果は1勝1敗の結果に終わった。

1敗に関しては確定申告が出直しとなったことだ。
午前中に内容の確認のつもりで、質問事項3項目に関して回答を貰った。
この時点では1勝1敗1引き分けの結果であった。

その事実を踏まえて、家に持ち帰り、1敗1引き分けの部分に修正を加えた後清書し、午後から意気揚々と出かけたがその結果は惨敗となった。
肝心の1勝の部分から崩れ落ちたのだ。
内容の詳細は個人情報となるので控えるが、また1からやり直すこととなった。

神奈川県西部地区を巡回している確定申告相談会松田町編は終了したので、明日の大井町役場編に再提出することで現在書き直しを行っている。

松田町役場での昨日の1勝は松田町町制施行100周年記念事業に関し松田町役場企画財政課「なんでも鑑定団」に話を持ちこんだ件である。
当初申込用紙だけを貰い、100キロを越える大物の出品の可能性のみを聞くつもりであった。

やはり最初の印象はかなり難しそうな感じを受付担当者からは受けた。
しかし立ち去ろうとした私を追って別の担当者がわさわざ、「その件は面白そうなので是非申込をして欲しい」と言うことを伝えに来てくれた。

こちらは今日にも「なんアラ」創刊号に記載した貨車に赴き写真を数枚撮ってきて申込をしようと思っている。

なんだかんだで一日が過ぎてしまった。
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我が町神奈川県松田町町制施行100周年記念事業

2009-02-04 06:51:31 | Weblog
我が町と言えば、故郷又は現住所のいずれかをさすことになる。
まず私の故郷は「なんアラ」通巻9号の出版記念講演会を昨年11/8i開催した奈良県である。
誕生地は五条市であるが生後3歳頃までしか住んでいなかった。
実際に26歳になるまでの長期間住んでいたのは北葛城郡新庄町である。
大学・大学院にもこの新庄から7年間、往復4時間以上もかけて毎日通った。
その新庄町も平成の大合併で葛城市と改名され、とても寂しい思いをしている。
この辺も「なんアラ」通巻10号の「父母を偲んで」で少しばかりだが言及している。

さてその後FF社に入社して、埼玉県志木市、神奈川県南足柄市、静岡県富士宮市、再度南足柄市を転々とした。
その在住年数はそれぞれ3年前後であるのでなかなか我が町と言えるだけの親しみが持てなかった。

そして現在の神奈川県松田町に土地を買い、家を建てたのは1981年だから、もう直ぐ30年になろうとしている。
ここまで来ると流石に我が町と言っても過言でなくなってくるから不思議である。
その松田町が今年で町制施行100年となり、その100周年記念事業がいろいろ開催される情報が広報で知らされた。

まずはNHK横浜放送局の「三枝一座がやってきた」の公開収録が3/13にあると言う。
早速往復はがきで申込をしておいた。
放送予定は4/17のBS2チャンネルで21時から45分である。

続いてテレビ東京の人気(?)番組「開運なんでも鑑定団」の「出張!なんでも鑑定団in松田町」の公開収録が5/6にあると言う。
こちらは事前に各自秘蔵(?)のお宝の写真を持参して鑑定申し込みをすると不採用でも公開収録観覧券が貰えるらしい。

そこで思いついたのが、「なんアラ」創刊号にも私が記載した「親父が残したもの(国鉄時代の貨車)」である。
まさかその貨車を鑑定してもらうわけでは無く、その貨車の中に親父が4tトラックで1982年に運んできて以来まだ日の目を見ていない置物があるのだ。
私も一度だけ見ただけで、まだ全体を眺めたことが無い。
その理由はあまりに大きくて、貨車に入れ込むのにもレッカー車を使ったくらいなのだ。
推定サイズと重さは、HLD各200,400,50cm、120kgなのだ。
製作期間6ヶ月、親父の当時の自称価格は200万円だったから、その辺を鑑定して欲しい気持ちになったのだ。

さて本日、確定申告相談で松田町役場に行くので、松田町役場企画財政課「なんでも鑑定団」に話を持ちかけて見ようと思っている。
結果が楽しみだが、あまりに大きいため門前払いをくうかもしれない。
相手がテレビ局なら飛びつきそうな気がする。
でも申込受け付けはお堅い役所だからなあ・・・・。
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「なんアラ」通巻10号25件目のイラスト到着と私大入試国語問題

2009-02-03 06:49:44 | Weblog
昨日「なんアラ」通巻10号の最後の資料となる25件目のイラストが漸く到着した。
イラストレーターの常連であるRFさん御当人からは1/30に連絡を戴いたが、そのメールにはイラストが添付されていなかった。
その時は不思議に思ったものの、暫くして再メールが来るだろうと待っていたが、よくよく考えるとどうやら添付忘れと判断して当方からメールしたら、やはり的中で昨日届いたというわけである。
これで全ての資料が整ったので、スキャナーでカスタマイズして印刷・製本所である個人書店のKKさんに送付することになる。

さてもう一つの情報は昨日の塾講師である。
今年度の受験生4名の内、神奈川県の高校受験をする3名は内申・面接を主体とする前期試験が終了して、2/17にある最後の後期ペーパー試験への追い込み対応を行っている。
昨日も英語・理科の過去5年間の過去問フォローを行った。

そして大学入試を目指していて私の担当している唯一の受験生は現在私大入試の真っ最中!
2/1に受験した私大入試国語問題を昨日持参してきて、講師の私にも試して欲しいとの要望であった。
仕方なく(?)コピーをして塾講師からの帰宅途中の車中で2問中1問をやってみた。
先日のセンター試験では85%の出来であったが、今回はどうだろうか?
センター試験の様に翌日解答が発表されるわけでは無いので、正確な結果は出ないだろうが、まずまずの出来ではないかと勝手に思っている。
受験した当人はセンター試験より難しかったと言っているが・・・。

まだまだ真剣勝負が続く受験生のフォローを継続していくこととなる。
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3つの格言と旧友YMさん

2009-02-02 07:04:13 | Weblog
今年も2月に突入した。
12分の1が既に経過したことになる。
何かしていても、何もしなくても時だけは着実に過ぎていく。

1/31にYSPS研究所としての東京出張で、「共に生きる知恵」と言うタイトルのシンポジウムに参加した。
勿論出張目的は他にも有って、一つはシンポジウム前に「なんアラ」通巻10号編集会議を約1時間半行ってきたことであり、もう一つはシンポジウム後東京駅で待ち合わせた高校同窓生のYMさんと友好を暖めたことである。

まず「なんアラ」通巻10号に関しては、まだ届いていない、最後のイラストを待ってまとめて製本所に届けると出版本自体の編集作業は校正へと進むことになる。
1/31にはイラストレーターのお一人であるKKさんいろいろ話して来年秋の「エッセイ・イラストコラボ展」に夢は膨らんでいった。

YMさんとのアルコールが入った懇談会も1次会2次会と盛り上がり、定年後の人生の過ごし方についていろいろ話し合い、更に家族を巻き込んだ「なんアラ」の共通点(今回の通巻10号でエッセイ・イラスト親子で協演)話題で更にアナログトークの素晴らしさをお互いに実感した3時間であった。

以上の様に充実した1/31であったが、この日に私の心に残った3つの格言を紹介したいと思う。

その内2つは上記シンポジウムでの講演者であった大島・長谷川先生から頂いたもので、もう一つは車内で読んでいた単行本「できそこないの男たち」(福岡伸一著で「なんアラ」通巻10号の「発刊にあたり」でも紹介している。)から得たものである。

まず大島泰郎先生の「人間を構成している細胞の数とその人に寄生している常在菌の数とはほぼ同じ60兆個である」と言う話である。
常在細菌とは口内細菌・表在性細菌・腸内細菌など人の生活に必須の細菌でとても重要なもので共生には必要不可欠なものである。
講演後の個別質問でなぜその数がほぼ同数なのかをお聞きしたが、偶然との回答以外は得られなかった。

続いて長谷川眞理子先生の「一般動物界では有り得ない生殖能力終了後のおばあさんの不思議な生命力は若い世代の繁殖をサポートする包括適応度増加であるとする仮説」であり、こちらも講演後の個別質問で、先日NHKで放映された人間や高等哺乳類(チンパンジー・クジラ・イルカ他)以外での上記世代を超えた繁殖サポートが存在することについて語ってもらったが、不思議ですねえとの回答に留まっておられた。

そして最後の単行本からの格言は「人間の男女の決定は受精後7週間目にSRY遺伝子がミュラー管抑制因子として働き、女性は基本仕様であるのに対して男性はカスタマイズ仕様である。」とのショッキングな内容(上記本のP.161)であった。
いままで男女の違いを多くの本や知識で学んで来たが、これほど明確に語られたのは初めてであった。
又人間のスタートもちくわ型のトポロジー感覚で有ったと言うのも更にショッキングな内容であった。
この本は昨年末に出版された本であるが一読に値するとても興味が持てるものである。

以上本日はここまで!
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「なんでもアラカルト」200901後半(1/22-31)まとめ(20090201転記)

2009-02-01 16:35:05 | Weblog
「なんでもアラカルト」200901後半(1/22-31)まとめ
・・・・・・・・・・・・・
20090122>>>「なんアラ」通巻10号用イラスト7件目到着
昨日「なんアラ」通巻10号用イラストの7件目が到着した。
常連KYさんからで、今回はモノクロームんらカラーに変更されたとのメールが来ていたが、実際にそのイラストを見ると彼(大学同級生)の油絵タッチを思い出した。
KYさんは通巻6号より今回の10号まで連続してエッセイ・イラストのペアで投稿願っている。
現在大阪在住だが、関西に出かけたときには度々お会いして友好を暖めている。
そして「なんアラ」通巻10号も終盤に近づきつつある。
イラスト7件目が到着した時点で、昨年の大晦日にエッセイを送付しイラスト描画を依頼してまだ返事を頂いていない5名の方々に一斉に納期確認のメールを出した。
3名の方から応答が有ったが、残り2名の方の確認をする予定である。
出来れば1/31の編集会議までにイラストが揃っていることが望ましいので前日までに手元に届くようにお願いするメール又は直接の電話をするつもりである。
さて本日は全国的に愚図ついた天候で、山間部は雪の予報であるが、今フジテンの天候をネットでチェックしたら、積雪100センチ全面ゲレンデオープンで雪質も良いとの情報を得て、これから今シーズン4回目のフジテン行脚(?)に出かける。
次回予定(2/7)している孫とのスノボ・スキー(2回目)の前哨戦のつもりで足慣らししてくる予定だ。
では気をつけて!!!
・・・
20090123>>>センター試験数学・英語と「なんアラ」イラストレーターHK・MMさん
お袋の49日忌法要が1/18に終了して、そのお知らせとなる奉書と共にお返しを昨日37箇所に送付した。
その内7箇所は自宅周辺の自治会なので、家内と直接お持ちしてお礼の挨拶をしてきた。
寒中見舞い630通はそろそろいつもの年賀状送付先に郵送されている頃である。
これで一段落と言った所だ。
さて1/20の「なんアラ」ブログで、今年のセンター試験の国語と地理について述べたが、昨日数学と英語についても前半の採点をしてみた。
数学は81点であったが、英語は58点と少々悪い成績であった。
今年の問題はちょっと難しかったかな?
答えは見ないで、家内に成否をチェックしてもらい、間違った解答に関して再度見直したところ(例えば5択だと残り4択と言うことになる。)85点となったので、まあこの程度で良いかと勝手に思っている。
塾講師ではこの様に、正解は得られなかった場合、2つに絞った中に正解が含まれていることが大事だと教えている。
なぜなら問題出題者と回答者の中で見解の相違が微妙にありうるからだ。
もっともこの様なことは国語に関してだけかもしれないが・・・。
さて「なんアラ」通巻10号用イラストレーターで音信が取れていないお二人に昨夜、直接電話をした。
まず小田原在住のHKさんはいきなりお子さんが電話に出られて面食らったが、当方も孫が良くこの様な電話をしているなあと思い少し待った。
HKさんの声を聞いてアットホームな雰囲気が伝わってきた。
勿論、イラスト描画の納期約束もしてもらえた。
もう一人の大和高田在住のMMさんは、声が聞こえるなり、「ごめん!イラスト原画だよね!」と先手を打たれた。
いろいろ話すと、MMさんも義父を年末に亡くされ、当方と同じシチュエーションであり、来週49日忌法要を行うことになっているとのことが分かった。
時間をぬって必要物を送付願えることを確約して貰った。
それぞれの人とのかかわりでこの「なんアラ」が成立していることを実感した一時であった。
・・・
20090124>>>「なんアラ」通巻10号編集作業継続中
今年もスタートして早やひと月が経過しようとしている。
「なんアラ」通巻10号の最初の編集会議を1/31に開催するので、それまで残り1週間である。
果たしてそれまでに材料が揃うか不安であるが、関係者には頑張っていただくしかない。
当方としては送られてくる資料の編集作業(原稿見直し、サインのイラスト原画への貼り付け、顔写真の電子似顔絵化など)が次々と舞い込んでくる。
そして肝心の私が記載する「発刊にあたり」や「編集後記」、そしてイラストレーター紹介のレイアウト、投稿記事のジャンル分けとまだまだ多くの仕事が待ち受けている。
そうそう昨日携帯に入っていたイラストレーターMMさんにもこれから連絡をしなければならない。
今日も忙しい一日となりそうだ。
・・・
20090125>>>大相撲初場所も本日は千秋楽!
「なんアラ」ブログではあまり大相撲のことは記載していないが、亡くなった両親もテレビでの大相撲観戦はとても好きであった。
その血を引き継いでいて私も小さい頃から相撲観戦が好きで、取り分け栃錦が好きであった。家内に言わせれば初代若乃花に比べて見劣りすると言うが、それ以来春日野部屋の力士をずっと応援していた記憶がある。
さて今年に入り初場所も今日は千秋楽、優勝は朝青龍が全勝で飾るのか、白鵬が二番続けて勝って逆転優勝するのかに関心が集中していて、久しぶりに盛り上がった場所となるようだ。
私はちょっと違った3人の力士を挙げてみたい。
いずれも昨日漸く勝ち越しを決めた点で共通している。
まずは日馬富士、新大関と注目され、前半で2勝6敗から何と6連勝で昨日勝ち越しを決めた。
両横綱と同じモンゴル出身だが、小兵力士の一角として好感が持てるし、そのガッツに今後も期待したいと思っている。
そして関脇の把瑠都、こちらは恵まれた体格、美男子から人気は急上昇であり、その勝ちっぷりは豪快で見ごたえがあるが、日馬富士とは対照的に連勝後連敗を重ね、ファンをやきもきさせた。
エストニア出身で、ここまでは日本人が登場しないのはちょっと寂しい。
そこで最後は山本山、こちらは純粋な日本人で、さいたま市出身の超大柄力士である。今場所初入幕で期待は高かったが、やはり昨日漸く勝ち越しを決めた。
日本人としてはこの不況を乗り切るべく、どどどっと勝ち進んで貰いたいものである。
以上大相撲初場所情報だったが、「なんアラ」通巻10号編集作業・確定申告資料集め作業の合間をぬって、本日は1月末に3歳の誕生日を迎える孫のために、昨年久しぶりに作ったたこ焼きのリクエストに応えたいと思っている。
その前に自治会の掃除が10時からあるのでやはり又忙しい一日となりそうだ。
・・・
20090126>>>「なんアラ」通巻10号最後まで残っていたエッセイ本文到着そして確定申告
「なんアラ」通巻10号はスケジュール通り進行しているようで、結構トラブっている。
その一つが、No10-23のエッセイで、担当のEWさんからは「お風呂でエステ」のさわりの100字程度が届いただけで本文が来ていなかった。
そして昨夜漸く本文が届いた訳である。
早速イラストレーターのHKさんに送付しておいた。
今週の1/31編集会議まで後数日!
編集者としての私の作業も追い込みに入る。
今回は特集号なので、表紙のロゴも少々変更したいと思っている。
別途、これはYSPSむ研究所としての作業となるが、昨日は確定申告の概略作成をしてみた。
疑問点が何点かあるので、本日小田原の青色申告会に聞いてみるつもりだ。
これが解決すると来月初めの松田町主催の確定申告相談に間に合いそうだ。
・・・
20090128>>>元素戦略/希少金属代替材料開発シンポジウム参加と「なんアラ」サポーターTAさん
昨日の「なんアラ」ブログは丁度記載時にgooブログのメンテナンスがあり、一日パスすることとなった。
不本意ながら御了承ください。
さて昨日は今年最初の東京出張となった。
開催地は東大の安田講堂で、添付写真の如く、右下に僅かに写っている看板に「元素戦略/希少金属代替材料開発シンポジウム」と言う厳めしいタイトルが書かれている。
このシンポジウム参加は当然YSPS研究所としてのものであり、中身の詳細は今週末1/31のYSPS研究所ブログを参照頂きたい。
朝9時前にJR松田駅発のロマンスカーで新宿に出て、新宿の三省堂書店でいろいろ本を漁り、その後ゆっくりと昼食をとって、地下鉄丸の内線本郷三丁目で下りた。
何回か訪れている赤門をくぐり、安田講堂の前まで来てまずは撮った写真が添付画像である。
中に入るとまだ30分前なのに多くの参加者が着席していた。
最終的には500名近くになっただろうか?
主催はタイトルと同じ「元素戦略/希少金属代替材料開発」合同戦略会議であるが、官が文科省・経産省・環境省初め独立法人???、学は各有名国立大・私立大、民はトヨタ・三菱化学を初め多くの企業が参画している大プロジェクトである。
今年は更に外務省も取り込み世界的規模に発展させようとしている狙いが明確であった。
13時に始まった約5時間半に及ぶ熱い講演は久しぶりに頭の科学的活性化に繋がった。
会場とのディスカッションの時間が設けられていなかったのは残念であったが、17のポスターセッションでの説明は現在中国他に頼っている希少金属の代替探索を迫られている日本の現状を切実に感じられるものであった。
終了後、東京駅銀の鈴で待ち合わせた「なんアラ」サポーターTAさんとの1年ぶりの会食で話が弾んだ。
そしてTAさんも漸く通巻11号では執筆いただけそうな雰囲気となったことは大きな収穫であった。
TAさんは過去「なんアラ」松田講演会と目黒講演会の2回参加いただいたいるが、今度の川口講演会にも是非参加してほしい人の一人である。
緩急がついた東京出張であった。
・・・
20090129>>>「なんアラ」通巻10号イラスト未だ10件到着のみと確定申告扶養控除で2転3転
いよいよ明後日(1/31)に「なんアラ」通巻10号に関する最初の編集会議を開催する。
事前に討論資料を個人書店銀座店のKKさんに送付予定であり、現在文書関係の資料は95%作成を終了していて、残りの5%はエッセイ内容ジャンル決定のみである。
一方今月末が締め切りのイラストに関しては、現時点で原画が7点しか届いていないのである。昨夜送付いただいたHSさんの電送分をを含めても25件中、10件に留まっている。
今日明日でKKさんに関係資料を送付して、明後日の編集会議の議論としたいのだが、イラストレーターの方々は至急対応よろしくお願いします。
さて話はがらりと変わり、先日来時々ブログ記載し、主としてはYSPS研究所がらみのテーマであるが、確定申告時の扶養控除に関して2転3転して最終的には胸を撫で下ろす結果となった話をする。
そもそも切っ掛けは、早めの青色申告・確定申告の準備をしていた段階で、確認の意味で昨年末亡くなったお袋の扶養控除申請を青色申告会に電話連絡したことに端を発する。
その時の結論は原則として12/31時点での扶養状態で扶養可否を決定するので、12/2に死去したお袋のケースはそれに該当せず扶養控除は出来ないと言われたのである。
その時何度も「そんな馬鹿な!実際に11/12ヶ月扶養してきて実際に大変な思いをしたのだから・・・」と食い下がったが対応した担当者は意見を覆さなかった。
そしてその後この件に関して造詣のあるお二人に伺ったら逆転「そんな馬鹿な!昨年度分ならどの時点で亡くなっても扶養控除対象になる」との見解を得たのである。
意を強くして昨日、青色申告会に再確認したところ、前回の担当者の認識不足で、意見を180゜転換したわけなのだ。
何とも頼りないところだと苦言を呈しておいた。
いずれにしても扶養控除は申請できて、本年度申告分は問題無で決着した。
しかし只では起きないのが私の性分で、この機会に合法的に経費として落とせる分や控除の項目と額に関して、本を2冊購入して勉強をしっかりとした。
結果はその期のプラスマイナスを見て充分対応できることが分かり随分自信に繋がった。
もし今回の扶養控除が無かった場合でも、緊急対応が出来ることが判明したわけである。
2冊の本代3000円(勿論このお金も経費として落とせる。)は本当に安いものであった。
怪我の功名とはこのことである。
・・・
20090130>>>「なんアラ」通巻10号編集作業終盤
「なんアラ」通巻10号の編集作業も終盤に入って、昨日はほぼ一日かけて、いろいろな作業を行った。
イラストの到着状況は今回非常に悪く、現時点でも原画到着分は10件に留まっている。
昨年奈良講演会に出席願い今回の通巻10号で初めてエッセイ執筆いただいたMMさんから郵便でエッセイ対応イラストが昨夕プロフィールと共に到着した。
いろんなコメントが手書きで書かれていたので、直接携帯に電話を入れて話した。
11/8の奈良講演会及びその後の小中学同窓生会合でのMMさんとの楽しかった会話がふと思い起こされた。
彼女の今回の投稿に懸ける思いを最大限譲歩しようといろいろ策を練り、「なんアラ」としての最低条件も加味して合意するのに10分程度時間を要した。
明日の編集会議でも印刷・製本所のKKさんとこの件で更に話し合うつもりだ。
先日もこのブログで紹介したが、彼女の義父が作年末に亡くなられ、明日が49日忌法要とのことで、忙しい中資料を送付願ったのだ。
そして顔写真は添付されていなかったので、昨年春に薬師寺の桜の下で同級生仲間と撮った写真から似顔絵を電子作成した。
プロフィールのワード化も終了して明日の編集会議用の資料は「発刊マップ」を除いて全てKKさんに送付した。
これから午後の塾講師に出かけるまでに残る「発刊マップ」を作成してKKさんに送ることになる。
その前に25件のエッセイのジャンル分けを行わなければならない。
本日は全国的に雨の予報なので、恒例のインディアカ練習も出来ないだろうから余裕を持って編集作業に当たれる。
・・・
20090131>>>「なんアラ」通巻10号用イラスト一気に到着
昨日の「なんアラ」ブログでもヤキモキさせられたイラストは昨日中に一気に9件到着し、更に今朝電子メールで送付された3件を含めると合計22件となり、残りは3件、内2件は既に送付されているので、いよいよお一人を残すのみとなった。
本日出かける編集会議にも間に合い、何とか胸を撫で下ろした。
いつもはハソコンによるイラスト描画を頂いていたHKさんも今回は手書きに変更されたと聞いて更に「なんアラ」の主旨に繋がったことを御本人にメールしておいた。
本日は忙しいのでこの辺で!!!
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「なんでもアラカルト」200901中半(1/12-21)まとめ(20090201転記)

2009-02-01 16:31:59 | Weblog
「なんでもアラカルト」200901中半(1/12-21)まとめ
・・・・・・・・・・・・・
20090112>>>届かないエッセイ最後の2件
「なんアラ」通巻10号の編集作業は、現在1/末締め切りのイラスト25件(既に3件は届いているので実質22件)を待っている状態である。
しかし年末年始の「なんアラ」ブログで記載続けている、エッセイの未到着分2件が未だ解決していない。
先週メールによるやり取り(KTさん)と、直接電話での交信(HYさん)で1/10までは何とかタイトル・要旨だけでも届けて貰える様に依頼し、御本人も了解願っているはずだが現時点で私の手には届いていないのである。
懸念されるのはそのエッセイ対応イラスト描画をお願いする予定のお二人(HSさん、KKさん)に負担がかかることである。
そのお二人には、事前に遅れてエッセイが到着することを連絡しているが、その限度もとっくに過ぎている。
今回の様な遅れは創刊号から通巻9号の中では経験しなかったパターンなので、少々焦っている。
従来は見切りをつけて、次号に廻すはずの予備のエッセイをそれに当てることを行ってきたが、今回はその予備のエッセイは無い(「なんアラ」通巻10号は当面の目標号であり、次号の通巻11号は1年後の発刊となるので・・)から尚更困惑するのである。
いよいよ後は神頼み(?)、否KTさん、HYさんの心の中にまで入り込んだお願いしか無さそうだ。
そう最後は人を信じることのみ!!!
・・・
20090113>>>寒中見舞い手書きの一言
「なんアラ」ブログでも数回記載している寒中見舞いをお袋の49日忌法要終了後に郵送する予定で、現在その630枚の寒中見舞いに一言の手書きの文を追加する作業を昨日より開始した。
本年度頂戴した年賀状の中身を見て、それにご返事する形で一文を考えて記載していると結構時間がかかることが分かって、こちらも少々焦っている。
1/18に予定しているお袋の49日忌法要まで後5日、それまでに「父母史」の材料集めも終了すべく、並行して現在約20冊あるお袋のアルバムの年月日が記載されている写真情報をノートに抜き出している。
こちらも結構大変な作業で、後数日必要である。
昨日記載した「なんアラ」通巻10号エッセイ・イラスト収集のための編集作業もいよいよ佳境に入りつつあるので、何かと落ち着かない日々が続く。
・・・
20090114>>>「なんアラ」通巻10号4件目のイラスト到着と偶然の妙
一昨日の「なんアラ」ブログで記載した、届かぬエッセイ2件とは対照的に、昨日4件目のイラストがYMさんから送付されてきた。
当初エッセイ執筆いただいたYMさん御本人がイラスト描画されるものと思っていたら、奥様又はお嬢様が描画されたものが封筒に入っていた。
後ほどプロフィールが届くので楽しみだ。
それにしてもYMさんのエッセイタイトルが「受け継いだもの」なのだが、題材となっているのは百人一首「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の・・・」なのである。
どこかで聞いたことがあり、イラストも見たことがあると思い、「なんアラ」バックナンバーを辿ると、通巻5号でTTさんが「ものを見る観察力」で上記百人一首を題材として執筆され、その対応イラストをRFさんが描画されているのだ。
そしてもう一つ凄い偶然に気がついた。
YMさんは現在埼玉在住であり、TTさんは東京在住なのだが埼玉に勤務されている。
是非今度の川口講演会でお二人が顔を会わされることを願っている。
これぞ「なんアラ」の期待していたことなのだから・・・。
・・・
20090115>>>ついに「なんアラ」通巻10号24件目エッセイ到着
昨日漸く「なんアラ」通巻10号24件目のエッセイが到着した。
字数はぴったり1200字で、HYさんらしくて苦笑してしまった。
タイトルは「入試シーズン雑感」で、こちらもHYさんらしいテーマである。
早速エッセイ送付を要求されていたイラストレーターのKKさんに送っておいた。
さてこれでいよいよ泣くも笑うも「なんアラ」創刊号から通巻10号までのトータル250件のエッセイの最後を飾る(?)250番目の到着を待つのみとなった。
担当のKTさんにこのエッセイ投稿の話を持ちかけたのは昨年の9月でそれから既に4ヶ月が経過している。
年末・年始で体調を崩され、KTさんの環境は充分理解できるが、当方も鬼の編集長とならざるを得ない状況なので、是非御理解頂きたい。
このKTさんのエッセイをお待ちいただいているイラストレーターのHSさんには大変ご迷惑をお掛けしていますが今しばらく猶予を頂きたくよろしくお願いします。
・・・
20090116>>>アナログ・デジタル情報どちらが確実?
年末から今年初めにかけて情報の行き違いが何度か発生している。
その発端は、12/31の大晦日に端を発している。
つまり大晦日の夜7時前に電話が掛かってきて、今東京駅の銀の鈴に待ち合わせで来て居るのに私が来ないという内容であった。
私は1/31銀の鈴待ち合わせで電子メールのやり取りをしていたつもりであったのだが、その時は真偽が分からず、とにかく約1時間待っていただいていたYMさんに誤ってお帰り願った。
結果はYMさんの勘違いで、メールを確認した後翌日の元旦にお詫びのメールが届いた。
そしてその場は家族が揃っていた正月の笑い話で終わったつもりであった。
しかしその勘違いは尾ひれが付いていた。
今度はそのYMさんにイラストのサインをお願いしたところ、ワープロ文にイニシャルを書いてこられたのだ。
当方は自筆サインをデジカメ又は携帯で撮影したものを送付いただくつもりであったが、又もや行き違いとなった。
反省はアナログ・デジタル情報の両方の補完が必要だと言う結論に達した。
本日はこれから東海大病院に定期診察に出かける。
その後帰宅してインディアカ、午後から夜は塾講師とトリプルイベントの一日となる。
ガンバレ!!!
・・・
20090117>>>「なんアラ」通巻10号用イラスト5,6件目到着
昨日「なんアラ」通巻10号用イラストの5,6件目が到着した。
送付元のNFさんには通巻2号よりこの「なんアラ」出版活動に参画いただき、途中健康を害された時期も有ったが、何とか途切れずにここまでお付き合い願った。
東京の目黒大会で初めてお会いしたのが、4年前の2005年5月であるが、直ぐ前のことの様に思い出される。
NFさんは通巻2号で1件のイラストを担当いただき、その後4,3,6,3,3,3,3件と続いて今回は2件のイラスト描画を担当願った。
対応するエッセイは今回で2回目のYKさんと、もう一人は今回が初登場のHEさんである。
特にHEさんのエッセイ対応イラストには苦労された様で、こちらからもいくつかの参考資料をお送りした。
NFさんは千葉県在住なので今年5月16日の川口講演会には是非御出席願えるものと期待している。
・・・
20090118>>>「父母史」材料集めから分かった父母の最年少写真
本日これから亡父7回忌と亡母49日忌法要のために冨士霊園に出かける。
昨夜奈良から来てもらった姉夫婦と、今朝集合することになっている私の子供と孫そして家内の合計8名でのひっそりとした法要になる。
そして昨日まで行っていた「父母史」材料集めも、一区切りとしたい。
昨夜姉といろいろ話し合う中で、写真アルバムの中で父母の最も年少の写真はどれか?その年月日は?で盛り上がった。
とにかく父母の若いときの顔は当然私や姉も知らないわけだから・・・。
そして結論が出た。
いずれも当時の尋常小学校卒業時の顔写真が最年少であることになったわけである。歳は父母共に早生まれなので、12歳と言うことになる。
西暦で言うと1929年と1932年である。
さて私の最年少写真はと言うとちょっと偶然であるが、1957年11月、つまり12歳と判明した。
しかし姉の最年少写真は1歳で、両親に抱かれて写っているものだ。
幼少の頃からこの写真が羨ましくてたまらなかった記憶が今でも鮮明に残っている。
このとき私は母のお腹の中に居たのだろうか?
今となっては真偽は不明である。
今日これからの法要で亡き両親に聞いてみようと思っている?
但しその姉の写真も1歳の写真の次はやはり13歳の時となる。
私等の子供や孫と比較すると如何に今の子供たちは恵まれているかが伺える。
本日はここまで!
・・・
20090119>>>「なんアラ」通巻10号最後のエッセイに助け舟
今朝このパソコンを立ち上げて、嬉しいニュースが飛び込んできた。
つまり、難航していた「なんアラ」通巻10号の最後のエッセイが意外な方から送付されてきたのだ。
通巻6号と8号で既に2件投稿いただいているKTさんからで、タイトルは「オペラ、オペレッタのメディア、その光と影」であった。
早速繰り上げ採用のメールを送付すると共に、難航しているもう一件については繰り下げて通巻11号への採用変更を通知した。
そしてずっと待っていただいていたHSさんにそのエッセイを送付して、出来れば最初の編集会議(1/31)に間に合わせていただきたい旨をお願いした。
HSさんには皺寄せが行って申し訳ないが、当方としてはやっと肩の荷が降りた感がしている。
・・・
20090120>>>お袋49日忌法要無事終了!そしてセンター試験国語
昨日の「なんアラ」ブログは通巻10号用最終エッセイが到達したことで、それを優先して記載したので、本来昨日のブログでトピックスとして述べるべき内容を一日ずらして本日記載する。
まず昨年末(12/2)他界したお袋の49日忌法要を親父の7回忌と合わせて、1/18に無事滞り無く終了した。
まだ先週降った残雪があちこちに見られる富士霊園で、納骨式を済ませてお墓の中で出久しぶり(6年ぶり)に父母が再会したことになった。
これでゆっくりと又会話を続けて欲しいと願っている。
「父母史」も先日頂いた「なんアラ」イラストレーターNFさんの励ましの弁を支えにボチボチと時間をかけて作成していきたいと思っている。
もう一つのトピックスはやはり1/17&18で実施された2009年度大学入試センター試験である。
初日は英語・国語・地理・歴史他、翌日が数学・物理・化学・生物・公民他であった。
塾講師で担当している国語の問題を早速フォローしてみた。
現代文・小説の20問を試してみて、3つ間違いの85点が取れてほっとした。
勢いづいて高校時代選択していた地理Bもやってみた。全部で37問の量にはちょっと閉口したが、こちらも78点の合格ライン(?)が得られて少々自信過剰となった。
本日から英語・数学、そして順次物理・化学に挑戦してみるつもりである。
さてどれくらい取れるだろうか?
・・・
20090121>>>インディアカ助っ人誕生するか?
「なんアラ」ブログで、又「なんアラ」出版本でも度々登場しているインディアカであるが、昨年の11/24「なんアラ」ブログに記載した様に、松田町のインディアカ大会に参加するチームが年々減ってきて、昨年の大会が事実上の最終回となった。
五輪の野球・ソフトボールと同様に(ちょっと言ってることのレベルが違いすぎるが・・・)復活をかけて今年から他のチームとも交流戦又は飛び入りで他のチームに合流することを積極的に進めたいと思っている。
そして今年の最初の1/5の練習に臨んだが、その場で80歳代のお二人が相次いで体調不良で休まれていた。
その内のお一人は昨年末から入院されていて、先日漸く退院されたとのこと・・・。
と言う訳で、お二人の復活は当分無さそうなのだ。
そこで一昨日のインディアカ練習会で助っ人(出来れば若い方の・・・)探索の話が持ち上がり、私が以前FF時代より一緒に練習していたMMさんに声をかけることになった。
早速練習会の帰り、通り道のMMさん宅で直接御本人に参加の要望をしておいた。
感触は悪くなかったので、期待は充分出来ると思う。
現在当インディアカチームのリーダー的存在であるSTさんに、MMさんと直接会って参加へのダメを押す様に昨日連絡しておいた。
さて結果は吉と出るか凶と出るかドキドキの一週間となる!!!
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「なんでもアラカルト」200901前半(1/2-11)まとめ(20090201転記)

2009-02-01 15:57:08 | Weblog
「なんでもアラカルト」200901前半(1/2-11)まとめ
・・・・・・・・・・・・・
20090102>>>「なんアラ」今年の抱負と通巻10号現況
年が明けて、2009年のスタートである。
本年も「なんアラ」ブログをよろしくお願いします。
さて昨年末お袋を亡くして喪中と言うことで、おめでたは避けさせていただきます。
昨年は「なんアラ」にとっても本当にいろんなことがありました。
まずは通巻8,9号の発刊と対応する札幌講演会・奈良講演会を無事終了できたことが大きな成果だと思っています。
多くの方々の御支援と御協力で成し得たと心より感謝いたします。
又「なんアラ」を取り巻く経済的環境は世の中の超不況環境と呼応して非常に厳しいものがあります。
その中にあっても製本元である個人書店、そして「なんアラ」発行元YSPS研究所の極近傍に存在するセブンイレブン秦野菖蒲店の店頭販売を継続頂いていることに感謝いたします。
そして何と言ってもこの「なんアラ」ブログの読者の昨年一年間を通しての御支援に対してお礼を申し上げます。
今年は何と言っても2004.10.31に「なんアラ」創刊号を世に出して(その折は私もまだFFに在勤していたので、企画編集のみが私で、発行は武蔵野クリエイトになっており、通巻3号まではこの体制で進めました。)、通巻4号より名実共にYSPS研究所が企画編集・発行を始め、遂に当初目標の通巻10号の発刊に漕ぎ着けることが出来るとても大事な年であることを認識したいと思っています。
その通巻10号の発刊は予定通り2009.4.30で対応する川口講演会を5.16(土)午後にJR川口駅傍の川口総合文化センター(通称リリア)で開催することが決定しております。
そして今年は春にその通巻10号発刊・講演会実施後、秋には行事を行わず、来年以降の新企画の充電期間としたいと思っています。
当面心の中で決まっているのは1年に一度の「なんアラ」本の発刊と講演会に匹敵する「エッセイ・イラストコラボ展」を継続開催することです。
その内容はこの「なんアラ」ブログで逐次取り上げて行きたいと思っています。
さて今年の当面の課題である通巻10号の現在の状況を述べます。
まず昨年末から今年の始まりである昨日までにエッセイは22件到着し、既にイラストレーターの方々にはイラスト描画のためのエッセイを送付し描画依頼を年明け2時間前に行った。
21件目のエッセイは米沢のKKさんからで、今年のNHK大河ドラマに関連して通巻8号で投稿願った「天地人」のその2である。
そして1/1に22件目が今回初登場のKAさんから到着し、「患者様と患者さん」のタイトルでお医者さんらしい内容である。
両方とも乞うご期待である。
只今現在でもまだ3件のエッセイが未着で、正月早々申し訳ないが今日明日にでも催促の連絡を入れたいと思っている。
と言う訳で今年も又当初から大変な年になりそうだが、後10分で箱根駅伝がスタートするのでこの辺で今日の「なんアラ」ブログ記載を終えたいと思う。
・・・
20090103>>>又も迷子の年賀状1枚
「なんアラ」通巻8号P.41に「迷子の年賀状」と言うタイトルのエッセイを投稿した。
そして昨年1年間これは誰からだろうと考え続けたが、結局迷子の正体は不明のまま年が明けてしまった。
そして今年1月1日に届いた年賀状の中に又もや迷子の年賀状が1枚含まれていた。
昨年度の迷子と同一人物かと思い早速調べてみたが、筆跡は明らかに異なることが判明した。
さてさて弱ったことが2年越しで生じたことになる。
共通しているのは、表面の宛名書きはインクジェツトによるデジタル表示でここからは何の情報も得られない。
そして裏面はと言うとどちらも干支が入ったインクジェット描画に、手書きでコメントが添えられている。
2008年度のものは「お仕事頑張って下さい 陰ながら応援しています」で、2009年度のものは「いつまでも元気で頑張って下さい また連絡下さい」とのことである。
でもどうやって連絡すれば良いのであろうか?
どなたが妙案はありませんか?
又悩ましい1年のスタートである。
・・・
20090104>>>書き損じハガキ・切手類の郵便局での交換
「なんアラ」ブログの昨年12/15号で記載した様に、お袋が亡くなっての喪中通知化か寒中見舞かで迷ったが、結局寒中見舞を49日忌終了後に出すことにして現在宛名書きや文面を考えている。
そしてその中で出てくるのがハガキの書き損じである。
インクジェットによる宛名書きは非常に便利で(デジタルの特技であるが、そのクールさに反感を持たれアナログ手書きを続けられている方々には本当に敬服しているが・・・)ある一方、ちょっとしたミスが発生するとお釈迦になるハガキが続出する。
今回も26枚(全体の4%)の書き損じハガキが出来てしまい、昨日郵便局に行って交換をして貰った。
この交換システムに関して私はもう10年以上前から利用しているし、実際に利用されている方も多いと思う。
勿論手数料は必要でハガキなら1枚に付き5円の手数料を支払うことになる。
今回の場合は130円の手数料を支払い26枚のハガキと交換することになる。
例えば「交換するハガキは23枚で良いから手数料をその3枚で支払いたい」と言う様なことは出来ないのである。益してやハガキを現金化することなどもっての外である。
ではハガキ以外には交換してくれないのかと言うと、これが切手にでも交換してくれるのである。
実際今回の交換により、ハガキ16枚と50円切手10枚を130円の手数料で入手できたことになる。
さてついでにもう一つ郵便局で交換してくれるお話を追加したい。
実は切手類の郵便局での交換についてである。
勿論使用済みの切手は交換できないことは自明の理である。
では未使用の切手はと言うと当然そのまま使用出きるわけである。
しかし紙に貼られてなかなか剥がせない未使用の切手!
苦労して(この剥がし方についてのアイデアはいろいろ提起されていて、裏面から水蒸気を当てると良い等・・)火傷をした想い出が有るくらいで諦めて放置してあった。
先日窓口で確かめたのだが、台紙が付いたままでも全く問題は無いらしい。
でもやはり受領した側は感じが良くない。
そこでこの台紙付き切手も交換してもらおう。
これには手数料は取られない。
しかもちゃんと他の別額面の切手にも交換してくれるのだ。
特に270円などの高額切手は他に利用する機会はほとんど無く、死蔵さているのが現状だろう!
実際今回の手数料130円はこの切手から差し引いて貰い、80円切手が8枚入手できた。万歳!!!
皆さんも早速死蔵切手を探して郵便局に行こう!
以上が私の今年の皆さんへのお年玉(郵便局から苦情が来そう!)だが、ここでちょっとした疑問が出てくる。
切手の使用・未使用は見ただけで明確である。
ではハガキはどうだろうか?
もう何十年も前から郵政省(今は無いが・・)の業務簡易化から年賀状に関しては消印を省略しているのだ!
と言うことは毎年送付されてくる年賀状は全て未使用のハガキと言う事になる。
特に残しておいても意味が無いハガキも正月にはどさっと送られてくる。
そしてそれらは事実上未使用なのである。
これらのハガキを書き損じと言って窓口に出すとどうなるのだろうか?
交換時には名前と電話番号を書かなければならないし、そこまでの勇気(?)のある人は居ないだろうと元郵政省は踏んだのだろう!
あなたならどうする???
ちょっと横道に逸れすぎたが、以前からこの消印なしハガキには疑問点が多く、そんなことは誰もしないだろうが、この大量の年賀状を再度ポストに放り込んだら又局員さんが配達の業務を遂行して元に戻ってくることになるのだろうに!しかも合法的に・・・。
自分達で首を絞めている行動だと考えざるを得ない。
と言う基本的な疑問点が以前から気になって仕方が無かった。
その当時はつくづく郵政省にはお人よしな方々が多いのだなあ(失礼!)と思っていた。
読者の御意見を頂ければと思う。
正月も三が日が経過して明日から職場復帰、頭の体操と考えていただければ幸いです。
・・・
20090105>>>寒中見舞い印刷終了と「なんアラ」通巻10号エッセイ3件難航
昨日の「なんアラ」ブログでも触れたが、今年は喪中のため年賀状を失礼した。
そして寒中見舞いを49日忌終了後に投函することにしている。
その寒中見舞い640通が昨夜漸く完成した。
途中でインク切れのハプニングもあったが、以前のプリンターの様に半分擦れたりして大量のお釈迦のハガキを搬出する前で停止してくれるのは有り難い。
又インクの予備購入をしておかなければ・・・。
さて「なんアラ」通巻10号の編集作業としてはエッセイ収集を終わり、イラストレーターの方々にそのエッセイを送付し、描画を開始していただいている段階である。
一昨日イラストレーターのお一人であるNFさんからメールが来て、2件の内1件は既にイラスト描画が終了したが、もう一件のイラストのイメージが浮かばず苦慮しているとの連絡を頂いた。
それぞれのイラストレーターの方がねじり鉢巻(?)で頑張っていただいている姿が目に浮かぶ。
よろしくお願いします。
所で、エッセイ25件中未着が3件有ることをここ数日のブログで記載し続けているが、それがまだ未解決の状態で正月三が日が終わり、本日の仕事始めとなってしまった。
ここは我慢のしどころと今週一杯時間をかけて待ってみたいと思っているが、いずれにしても皺寄せは3人のイラストレーターの方に行っていることは確かなのだ。
EWさん、HYさん、KTさん何とか早めに原稿送付下さいね!
イラストレーターのHSさん、HKさん、KKさんにはご迷惑をお掛けしていますが、今暫くお待ち下さい。
さて今日から塾講師もスタートし、インディアカも打ち初めとなる。
新たな気持ちで今年の好発進としたいものだ。
・・・
20090106>>>「なんアラ」通巻10号エッセイ23件目とフジテンスノボ
「なんアラ」通巻10号エッセイの23件目が昨日タイトル・要旨だけだが到着した。
EWさんからでタイトルは「お風呂でエステ」である。
EWさんは「なんアラ」創刊号よりのファンで熱烈な「なんアラ」サポーターである。今までのバックナンバーは全て購入願い読んでいただいていた。
そして当面の最終号となるこの「なんアラ」通巻10号でのエッセイ執筆者として名乗りを挙げてもらったというわけである。
まだ200字程度なので、全体が投稿されることを楽しみにしている。
取り合えず、イラストレーターのHKさんに送付してイラスト描画の準備をしてもらうことにした。
さてまだ喪中なのであちこち出歩けないが、これから今シーズン最初のスノボに出かける予定だ。
先日の孫と出かけたのは今シーズン最初のスキーである。
HPを見ると天気は昨日から雪で、既に積雪は80センチとのこと。
気をつけて行ってきます。
その前にプラスチックのゴミ出しを頼まれていたのだ!
7:20からのFMエアチェックのボタンを押した後出発となる。
では今朝はこれまで!!!
・・・
20090107>>>フジテンスノボと「なんアラ」サポーターYH・KHさん
フジテンの今シーズンオープンから約ひと月が経過して、ウズウズしていた足が昨日全開となった。
フジテンは今シーズン2度目であるが、スノボは今シーズン初めてなので慎重に準備運動とコースのチェックを足で確かめて1.4キロを滑ってきた。
毎回感じることだが、この最初の滑りで今年の出来が判断できる位、何でも最初は重要なのである。
そして今回は「うん最高!」と言えるくらいのスタートが切れた。
残り3回のリフトの内2回はは余裕で、隣の同乗者と会話ができた。
一人は浅草から来られている40歳代の男性で2時間ばかり掛けてスキーに来られたとのことで、いろいろ話が弾んだ。
もう一人は23歳のボーダーで、若者らしい溌剌さがあった。
いずれにしても積雪量・雪質共に最高のスノボ初日であった。
さて帰り際に思いついたのが、一昨日約束した元FF時代の同僚で富士宮在住のYHさんとの1/10フジテン待ち合わせの件であった。
つまりまだ現役でFFに勤務されていて、土日しか空いていないと言うことで、1/10のランデビュー(男性ですよ!?)約束をしたわけなのだが、折角の機会なので、もう少し踏み込んで一泊してみようと思い立ったのだ。
そこでフジテンの経営しているホテルの下見に行って来た。
なかなか良さそうなので、帰宅途中で直接YHさんと電話で話して、一晩男通しの会話を温泉に入りながらやろうと一気に話は進展した。
今週末がとても待ち遠しい。
YHさんは「なんアラ」のサポーターで既に創刊号から次の通巻10号まで予約いただいている。でも絶対書かないとの頑固さがあるので週末にその話が出れば何とか説得するか・・・・。
さて昨日はもう一つの「なんアラ」サポーターKHさんと直接携帯から電話をした。
彼女は現在福岡県在住で「なんアラ」通巻7号福岡講演会に是非参加して貰いたかったのだが、当時どうしても音信が取れなかった。
今年になって年賀状が届き、住所も姓も替わっていた。
つまり結婚されたのだ。
早速以前の番号の携帯に電話をしたが、繋がらず諦めていたら、KHさんの方から電話が入っていて、再度こちらから電話をした。
もう6年位前になるだろうか?
最初に米子の出版物の将来を考える会で御一緒して、「なんアラ」の構想を話したところとても興味を持ってもらい、その後年賀状のやり取りをしていた。
これから「なんアラ」通巻9号を謹呈して、是非「なんアラ」に関心を持ってもらいたいと望んでいる。
以上本日の提供話題は終了です。
・・・
20090108>>>「父母史」材料集め進行中(痴呆症になるタイミング?)
まずはお詫び!
今朝の「なんアラ」ブログアクセス解析を見て”おや?”と思った。
アクセス回数が通常より少ないのだ!
これは時々やってしまうブログ記事が下書きのままで本登録されていないケースである。
案の定、下書きのままであった。
先程本登録したのでご覧下さい。
さて本日の話しはタイトルの如く「父母史」材料集めの進行状況で、特に父母共になったしまった痴呆症に関して、それを本人がどんなタイミングで自覚できるのか?を探ることである。
昨年の2/22(親父の命日でもある)「なんアラ」ブログで次の記事がある。
・・・・・
<以下2008.2.22「なんアラ」ブログ記事の一部>
最近読んだ本で「痴呆老人は何を見ているか」(大井玄著、新潮社2008.1.20出版)と言うタイトルでまだ最後まで読破していないが、
1.二重人格者と痴呆老人との共通点
2.情報から情動への転換
3.ふたつの私(自我と客我)
4.客我は更にmeとmineに別れその区別が困難な状態が痴呆につながっいる。
5.若返り現象の中身は誕生、成長、老化、死と言うサイクルの中で自然と起こってくる内容である。
等などとても我々人間を全うしていこうとする過程で経験せざるを得ないことに対してとても有意義なことが数多く記載されている。
介護を現実に経験されている方々は勿論、自他共にこれから経験される可能性のある方々は必読の書だと思われる。
値段も700円と低価格である。
・・・・・
以上であるが、「父母史」を作ってみようと思い立ち、お袋が亡くなって以降、その材料集めを継続している。
親父は文章としてほとんど遺して行かなかったが(今回の材料集めで唯一松田町に提供した記事がひとつ見つかったが・・・)、お袋は詳細な日記・手帳・家計簿を残しているので、取り合えず大学ノート(古い表現だが・・)1冊に際立った記事を抜き出す作業を続けているのだ。
昨日で手帳・家計簿の抜き出しを終了して、残りの日記も2/3が終わった。
特に親父の痴呆症がどの辺りから始まったのか?
それをお袋はどの様に感じていたのか?
又お袋自身の痴呆症の自覚はどの辺りから表現されているのか?
今までのデータでは明確なことは分からないが、本人の表現や筆跡から何かを訴えていることは確かである。
あまりのめり込むと自分も痴呆症になってきたのではないかと思えてくる場面があり、ちょっと恐ろしくなってくる。
いずれにしてもお袋の49日忌法要まで後10日!
それまでに「父母史」材料集めを終了して、唯一の姉であるYMといろいろ話し合ってみたいと思っている。
上記手帳・家計簿・日記が終了すると、いよいよ大物の写真アルバムである。
これは私が生れる前のものも多くあるので、姉が来た時にいろいろ情報を貰おうと考えている。
・・・
20090109>>>「なんアラ」サポーター予備軍KTさん
一昨日どこかで聞いたことがある声で電話が掛かってきた。
いつもの投資目的の勧誘電話だと、直ぐに切ろうと思ったが「一年前に電話をしましたKTと申しますが、憶えておられますか?」の一言で電話を切ることをちょっと躊躇した。
記憶を辿ってみて、かすかにその時も「一度こちらに来られるなら直接会いましょう!」と返事したことが蘇った。更に「私は相手の顔を見て判断することしか今までもしていないので・・。」と言っておいた事を思い出した。
今回も同様だと言ったら、是非会いたいとのことで、昨日11時から昼飯も忘れて約2時間半いろいろ話し合った。
2時間半の内、KTさんの目的である投資コンサルタントに関する話は30分程度で、残りの2時間はほとんど当方からの話で、「なんアラ」の話も半分以上した記憶がある。
まず最初にびっくりしたのは新松田駅から歩いてここまで来られたことだ。道程は4キロ弱有るので、30分位要したはずだ。
そして帰られる前に「なんアラ」通巻9号を謹呈して、すぐそこのセブンイレブン秦野菖蒲店で創刊号を買ってくださいと言っておいた。
その対応次第で今後の事を考えてみる、つまり誠意があるかどうか、人としてのキャッチボールが可能かを判断したいと思っている。
勿論その後で、名刺記載のHPアドレスから会社の全貌を掴んでおくことは最低限の事としてやっておいたし、やはりその名刺に書かれていた電子メールアドレスに話し合い時に出たQ&Aをまとめて再度送付しておいた。
その対応からも「なんアラ」サポーターとして、人脈ネットワークとして今後の付き合いが出来るかを決めたいと思っている。何だか半年前のエコキュート導入時のTHさんに類似している。
そしてそのTHさんは既に「なんアラ」通巻10号のエッセイストとして登場されているのだ。
その日帰宅した家内から「なんでも「なんアラ」に結びつけるのね!」と苦笑いされたことが印象的であった。でもそれが「なんでもアラカルト」の本性であり、それが実現すれば「なんアラ」面目躍如と言ったところなのだから・・・。
この様な記事を「なんアラ」ブログに名前はイニシャルで記載することをKTさんに断ってあることは当然の事である。
・・・
20090110>>>「なんアラ」通巻10号発行部数は1000部で!
昨日「なんアラ」印刷・製本所の個人書店より通巻10号の見積が届いた。
現在「なんアラ」の発行部数は1号あたり500部であるが、今回の通巻10号記念号は1000部の発行に変更する予定である。
過去に創刊号と通巻4号は1000部の発行を行っている。
その後700部が2号あるが残りの5号は500部で推移してきた。
しかし今回は当面の目標であった通巻10号の記年号であることと、今年以降は年に1度の発行となるので、年間1000部は妥当なところと判断したわけである。
さて今回の通巻10号は頁数が4頁増え、70頁となることと、この1000部発行とが重なり出費負担が増えるが、その分広報活動を活発化させて、収支バランスを整えて行きたいと思っている。
これから今年3度目のフジテンに出かけ、旧友YHさんと再会し、一泊の楽しい一時をすごす予定である。
昨夜の雪でスキー場のコンディションは最高だろう!
気をつけて行ってらっしゃい!!!
・・・
20090111>>>「なんアラ」サポーターYHさんとの楽しかった丸一日
昨夜泊まったフジテン近傍のホテル「富士緑の休暇村」の設備で客室内のLAN設備は無いが、ロビー近辺での無線LANを使用出きるとの情報があり、今朝の7時からいろいろトライしたが結局ブログを記載できる環境には達しなかった。
午前中に帰宅したが雪道で汚れた車の洗車をしていたので、結局今まで時間がかかってしまった。
さて昨日午前9時に上記ホテルロビーで待ち合わせ、今朝の9時にチェックアウトしたので、丁度丸一日「なんアラ」サポーターのYHさんと御一緒したことになる。
フジテンの雪は最高で、前日に降った雪で路面のあちこちで圧雪・凍結状態が見られ、スタッドレスタイヤでも結構スリップした。
でも無事9時半にフジテンスノーリゾートに到着した。
YHさんも時々フジテンに来てスキーを楽しんでいる様なので、慣れた者同志1m近くの積雪と良好な雪質のゲレンデで充分スノボ・スキーを楽しんだ。
そして私が持参した予備のスノボでエキストライベントとしてYHさんにもスノボを体験してもらった。
約20分ばかりのトライアルではあったが、スキーとは勝手が違うスノボの様子を楽しんでもらえたようだ。
ホテルに午後3時前に戻り、1時間の卓球でスキー・スノボの整理運動を行った。
その後、ホテルと直結している富士山眺望の湯「ゆらり」でゆったりと温泉気分に浸った。
夕食時の楽しい会話は富士山ビールと冷酒のアルコールのサポートも伴い、あっという間に時間が過ぎ去った。
部屋に戻っての会話も更に10時まで続いた。
30年前にペアーを組んで行った仕事の思い出話を始めとして、今後の生き甲斐を何に求めるのかといった切実な問題も充分話し合えた。
今朝は6時からやはり富士山が見えるホテル備付の露天風呂で朝湯を楽しみ、朝食バイキングで舌鼓を打ち、二人とも至福の時間を過ごせたことに感謝しながら富士山を後にした。
彼は「なんアラ」の執筆側に廻ることは無さそうだが、「なんアラ」サポーターとして、今後も私の活動を支えてもらえそうなので頼もしい限りだ。
又近いうちにこの様な機会を家族ぐるみで実施出来れば嬉しいのだが・・・。
コメント
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