梅シロップ、お湯で5倍に希釈。
ふう、冷たい雨の中よく歩いた一日だった。
でも久々にスカッとするような演奏が聴けて気分は晴れやか。
心からおめでとうと思ってる。
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一人暮らしの料理に圧倒的に足りない要素は
人に作ってあげる・食べてもらう、そんな“やりとり”からくる喜びだと思います。
だからある日突然モチベーションが下がるんです、「あー今日はもう冷凍食品のエビグラタンでいいや」って。
長崎を旅した際、コルベ神父に関する展示を併設したお土産屋さんのおばちゃんが母と私を捕まえて
ルルドの泉について誰か偉い人に質問した時のことを話してくれました。
そのお水をわざわざルルドまで行って汲んできて飲ませるまでに関わった全ての人々の心が、そのお水には入っているのだと。
誰かのためにと思うと力が湧くこともあり、
みんなが想ってくれてると思うと力が湧くことも、ありますよね。
では、一人暮らしの我々はどうすればいいか。
最近のこのブログのサービスで
一年前の自分の記事をメールで送ってくれるというのがあって
それが楽しいのはなんでかな、と思ったんです。
ふらっと昔の記事を眺めると、意外なことに驚きます。前は「脇役の感情こそ書き留めておくべき」と思っていたけれど、むしろその時に「この気持ちは絶対に忘れないだろうし当たり前のことだから記録しなくていいんだけど…」と思いながら書いた記事を、他人事のように懐かしく読み返す自分がいる。あんなに強烈だった感情さえ、すっかり忘れているのです!
私は私でも時が経つと大きく変化していて
今の私が過去の私から受け取るのは新しいもの。
それで「おっ、ありがとよ私」って、けっこう思っているのでしょ皆さんも。
何ヶ月も前に仕込む梅シロップや一晩寝かせるゼリーなどの料理が楽しいのも一緒の理由かもしれないなと閃いた訳です。
未来の私のために、直ぐには食べられないものをわざわざ作る。
はい、立派な“やりとり”が成立です。
今と過去 わたしとわたしが 出会う時
思い出は 新たな色合いを持って