「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉月ついたち」

2020年08月01日 | つれづれ噺

      
         水は天地万物を潤し、全てのものを写し出す

長い梅雨期をなんとかやり過ごし、ようやく明けたと思ったら、いきなりの容赦ないジリジリ太陽。と思ったらもう葉月ついたち真夏である。
子ども達の夏休みがなかったので、7月の終わりをあまり意識しないまま8月を迎えた感がある。

8月1日、某カレンダーによるとこの日は「水の日」と記してある。
8月、真夏、の言葉から連想する最も身近なものと言えばまさしく「水」である。
次に、ピンと思い浮かぶのは「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。・・・・・・ 」説明するまでもなく、鴨長明「方丈記」の冒頭である。

やれ梅雨前線停滞だの、線状降水帯通過だのと、欲しくもない大量の雨をもたらし、揚げ句は「河川氾濫、大洪水、地滑り、土砂災害、等々」の水による大災害。こんな人々の財産を根こそぎ奪い去る水には、ただただ恨めしく思う。そんな水も少雨などで不足してくると、たちまち生活を脅かされる大惨事につながる。
すぐ近くにある瀬戸内海に浮かぶ周防大島で、橋に備えてあった島への送水管が、貨物船衝突によって破損。島への送水が遮断された「水騒動」は今も記憶に新しい。命をつなぐに欠かせない大切な水。
適度に降って万物を潤し、命の成長を見守り、ときに辛苦も悲喜もこもごもに洗い流す、そんな役割に専念してくれると有難いのだが。

前日の遊覧船舟遊びでは、普段はあまりない川面から眺める景色の新鮮さに目を見張った。
夜間照明にアップされた錦帯橋の姿も、観光ホテルの灯りも、遊覧船の提灯の灯りも、すべての灯りを区別することなく水面は写し取って川の流れにゆだねて揺れる。

ひとたび暴れ始めると手の付けられない怖さを秘めてはいるが、普段は静かに流れ、ホタルを育て、ハヤをアユを成長させる。カジカのほろ甘い鳴き声も、山から流れ出る清流にこそ生かされている。まさに大河の一滴。そして万物の命の営みに欠かせない水。
葉月ついたちを期に、ちょっとだけ水に感謝の思いを捧げたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい