昨年のことを言っても仕方がないが、たとえばタケノコを例にとると、昨年は壊滅に近いほどの不作だった。仲良し同級生からもたった一度のタケノコ便りだった。梅の実も同じように、昨年は数えるしか木に生らなかった。それも2・3日取り入れが遅れたら、その間にどなたかにもぎ取られてしまって、一粒たりとも口に入らなかった。そんなハズレの昨年に比べて今年はどうだ。格別というほどに、タケノコは大豊作。何度もあちらこちらから食べさせてもらった。梅の実生りも例年並みであり、不作ではない。
カミさんの里にある梅林も、たわわに実っているに違いないが、今年はそこまで手を伸ばさないことにした。里の主であったカミさんの兄が昨年暮れに亡くなって以来、里に帰っても実家に入ることもシャワーもトイレも使うことはなくなった。そうなると高齢者夫婦が遠くまで出かけて、流れ落ちる汗を我慢して草刈りをして、それから梅を捥ぎ取る作業は、いささかきつくなった。
そんな状況を察してか、我が家の隣の広大な荒れ地に、毎年毎年ばらまいてきた青梅が根付いて、今や小学生から社会人に至るほどの年齢差で、大小合わせて15本ばかりの木が枝葉を広げ、少しずつ実を付けている。
風に落とされる前に今日は、ちっちゃな木から脚立を使う背高のっぽから梅もぎをした。10㎏近い青梅の収穫があった。
里の梅林から取れていた50~60㎏に比べると随分差がある。しかし、労力や往復の時間、萌えあがる深い草刈りの手間など、比較にならないほど楽である。高齢者にとって、危険を排除し労力を削減できるのは魅力である。梅の保存食はホンの少ししかできないが、今年はこれで我慢ガマン。来年からは隣の梅の木も成長して、実もたわわに生るだろう。そのうち、梅のもぎ手もやがて衰えていく。これも順送りという摂理なのよ。
今年はラッキーを喜ぶとしよう。
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