「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「栗、しぶかわ煮」

2011年10月15日 | 季節の移ろい・出来事

      

     栗飯や 病人ながら 大食らい       子規

お腹がすく。病人といえどもお腹はすく。大食漢であったという正岡子規の心情。
食欲をそそるこの時期を象徴する、簡潔にして明瞭な一句である

手間暇かけて栗の渋皮煮が出来つつある。
大粒の栗が売られているお店へ、朝からわざわざ買い出し。その中からさらに大きい粒よりを選ぶ。先ず鬼皮を剥く。これが大仕事。内側の渋皮を傷つけないよう、丁寧に、後生大事に鬼皮を取り除く。包丁持つ手がしびれる。と、言うのを黙って聞いている。
栗ご飯やお煮しめに使うのなら、鬼皮・渋皮一緒に剥いて、中の実だけを取り出せばいい。
そう簡単に行かないところに、渋皮煮の深い味わいと上品さがある。と、食べる人が言う。

火にかけて、炭酸を入れ煮込む。次々出てくる泡を、付きっきりですくっては捨てる。
これ以上はこの目で確かめてはいないが、まだまだ相当な手間がかかりそう。

出来上がったのを賞味するするのは明日の午後になるのだろう。
それにしても、あのフン詰まりになりそうな渋皮をつけたままの栗を煮込んで、姿・形をを崩さないまま、名状しがたい味に仕上げるなどを誰が考えたのだろうか。

よほど口の肥えた宮中人が、気まぐれに所望した栗の美味しい食べ方に、料理人が必死に応えようとして編み出したものか。
それとも、愛する君に格別美味しいものを食べさせようと、甲斐甲斐しく思いを巡らせるうちに編み出されたものなのだろうか。

単に、ネットからレシピを取り出してプリントしただけのこの身。
ひたすら低姿勢で有り難く頂くことにしよう。

コメント (8)
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