「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「この笑顔、この寝顔に」

2011年10月13日 | 家族・孫話

 この笑顔

          錦帯橋神楽

2歳半を迎える孫の悠くん。
母親が買ってきたビデオを見て、完璧なお神楽ファンになったのは今年の初めごろ。
あれから10カ月になろうか、今や舞う足元も確かなら、お囃子の太鼓もなかなかの腕前。
左手に持つ扇子は、じいちゃん愛用のものでなければならないこだわりもある。

右手に持つ小道具はその時々でいろいろ変わる。新聞紙を丸めた棒であったり、竹の両端にヒラヒラをつけた本格的な舞い棒であったりする。
この頃では、本物の神楽の鬼が手にする「もみじ」を手離さなくなっている。理解はしていないと思うのだが、お神楽の最も古い伝統的な演目の一つに「もみじ狩り」というのがある。

奥州会津の生まれで大自在天魔王の血を受け継ぐ更科姫はこの世を魔国にしようとして都へ出るが、陰陽師に正体を見破られ信州戸隠山へと追いやられてしまう。
信州戸隠山の奥山に住みついた更科姫は庶民に災いを為した事が都へ聞こえ、勅命を受けた平維茂・藤原三成は信州戸隠山の奥山へ向かう。道中道に迷った平維茂らを更科姫は紅葉狩の酒宴をはり誘い込み、酒に酔い伏した平維茂らの命を狙おうとするが、八幡大菩薩が降臨し救われる。神剣を授かった平維茂は見事鬼女を成敗するという物語。

100円ショップに行くたびに、一番に持たさなければならないのがもみじの造花。
嬉しそうに踊ってみせるあの笑顔に、理屈なしに乗せられる。先日の錦帯橋神楽でも、最後まで、ジジのお腹に爪先立つようにして必死に所作を追う。
さんざん遊び疲れたら、自分専用の枕にゴロッ!欲も得もない寝顔にまただまされる。

なんだかんだ言いながら、笑いと元気をいっぱいくれる悠くん。
兄ちゃんたちも出来るだけ長く、成長する姿を見守りたいと思うのだが・・・。
        この寝顔

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「足跡を追って・・・」

2011年10月12日 | 思い出話

          

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」
出だしは、如何にも漫画チックで、太閤秀吉とはこれほどの悪人か・・・?と思わせた。
ところが徐々に歴史のまことしやかな物語に触れるようになった今、昨年の「龍馬伝」同様、興味を抱いて見ている。

好みは様々であろうが、yattaro-としては、やはり坂本龍馬に勝る歴史物語は見当たらない。それほど思い入れは強く、どんなエピソードも耳に入れたくなる。

大活躍の舞台であり、終焉の舞台ともなった京都。あちこちに残された龍馬の足跡を追っかけてみたい衝動に駆られたのは1年前。
まるで千年の古都で千年の恋人に会えるような、足が地に着かない思いで、龍馬の匂いを集めるように、あちこちを散策した。

兎に角京の街を歩けば、全てが記憶にある歴史物語に出会う楽しみがある。親鸞聖人ゆかりの地しかり。幕末を揺るがせた鴨の河原や高瀬川。
三条小橋の池田屋、中でも伏見の寺田屋とくれば、龍馬ファンならずとも時間をかけて立ち止まってみたくなる、表に出てこない奥行きのある魅力を感じさせる。

そんな思いから1年。今夜は十六夜の見事なまん丸お月さまが輝いている。
昨年もこのように月は照っていたのだろうが、格別気にも留めなかったような。
これから本格的な冬支度に入る晩秋の日本。地球の裏側では夏に向かおうとしているお国もある。ただこの素敵な月は、地上の全てを照らし出しているのだろう。

こんなことを考えるのはやはり秋という季節のせいなのか。まあそういうことにしておこう。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「栗名月」

2011年10月11日 | 趣味・・エッセイ

       

48年ぶりに開かれた国体山口県大会は、男子・女子ともに開催県である我が山口県が優勝。当初の目標通り、天皇杯・皇后杯を獲得することが出来た。
閉会宣言に乗って10日間に及ぶ熱戦が静かに幕を閉じた。

大会関係者や、民泊協力会など多くのボランティア活動された皆さんが、ホッと安堵の胸を撫で下ろされていることだろう。
そんな皆さんのご苦労を慰めるように、見上げる夜空にはこの秋二度目の十五夜、まん丸お月さんが中天高く浮かんでいる。

同じ秋の十五夜なのに、何故か今夜のこの満月は、古来よりお月見などと大騒ぎをしないのだそうな。むしろ、一昨夜の青く冴えわたる十三夜の月に、今年採れた豆や栗をお供えして「豆名月・栗名月」と呼ぶお月見が盛んであったのだという。ひと月前の中秋の名月と、その美しさを見比べる風流を味わっていたのだろうか。

庭一面に広がるもみじの美しいことでも知られる、作家宇野千代の生家。
10月9日十三夜。まだ青さの残るもみじの下、琴のしらべに乗せて宇野千代作品の朗読と名月を愉しむ会を覗いてみた。ウ~ン、やはり琴の音だけに琴線に触れる思いが・・・。

それぞれ読み聞かせの会などで鍛えた腕前ならぬ喉前を発揮。自分も愉しみ、聞いてくれる多くの人を愉しませていた。
初秋、仲秋、そして晩秋。それぞれにその時季ならではの風流があり味わいがある。
今にはじまったことではないが、特に気にもとめず、何となく見逃してきたこれまでを、少し惜しいことをした・・・と思わなくもないが、その時はその時やっていたことがベストだったはずである。過ぎにしうたかたを想うより「今を生きる」これに尽きるな~

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目の愛護デー」

2011年10月10日 | ニュース・世相

       

10月10日、体育の日。 
ハッピーマンデーの日付が当たって、体育の日がスタート時の10月10日に戻った。

1人息子の誕生日。所帯が別なので特別なお祝いも何もないが、ウ~ンもうそんな年になったのかという感慨だけはある。
一応お祝いのメールを入れたら、珍しく即座に返信が入った。よほど暇だったのだろうか。

この日を迎えるたびに、せがれの年齢と同じ頃の自分を振り返ってみる。
全く何の足しにもならないことなのに、つい比較してみる。結論はおのずと分っている。
「まだまだ甘いよな~」とため息一つ。そして「俺はこれだけのことをしていたよな~」などと愚にもつかぬことを考える。口になど出せるものではない。が、思ってしまう。
一番やってはいけないことだと分ってもいる。年寄りの寝言と思って許されよ。

もうひとつの10月10日。「目の愛護デー」なのだ。今更言うまでもない。
10月10日を横にすると一と〇、一と〇で、眉と目の形だからこう呼ばれるようになった。
ちょっと硬いことを言えば、眉(まゆ)と目でびもくと読む。みめともいう。

“妻をめとらば才たけて、みめ麗しく情けあり・・・”の「みめ」。
細面の顎がほっそりした今風のイケメンが、眉目秀麗と呼ばれる。
どっちにしても眉秀でて目に輝きがあれば、美男美女の条件の一つにはなる。

このところ、液晶画面とのお付き合いが長くなる一方。
寝る前にせめて目薬の1・2滴も垂らして、目を愛護することにこころがけよう。

なんのこっちゃようわからんが、視力は大切だ。
他人の心はともかく、自分の心を覗く眼力は失いたくないものだ。 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「力を振り絞って」

2011年10月08日 | スポーツ・観戦

    
           レース前 悠然とトレーニング楽しむ選手たち
         
                  力を振り絞ってゴールを目指す !            
   水しぶきをあげ航跡を残し、ポイント通過!
                  
                  学校単位でつくった都道府県応援のぼり 孫の小学校も

  にぎわうレース場周辺。弁当屋さんに長い行列が
               
                  甲羅干しをする競技用カヌー

抜けるような青空、少し汗ばむ陽気のなか、国体カヌー競技を見学に行った。
我が家から20キロばかりの山の中。ダム湖を会場にカヌースプリント競技が行われている。決勝を明日に控えた白熱のレース。応援にも力が入る。

会場に着いた頃は、それぞれの選手が、コースの後方で、悠然と腕慣らしをしていた。実にスムースにしかも軽~く水面を滑る。乗ってみたい衝動に駆られる。

カナディアンペアやカナディアンシングルなど競技が進む。
悠然と遊んでいるかに見えたカヌーが、号砲一発、スタートするや、まさしく牙を剥いて前へ前へ出て行く。水しぶきを上げ、見事な航跡を残し、持てる力を振り絞って200mをあっという間に突きっ切る。どこの県の誰とも分らなくても思わず拍手を送る。

レースを終えて引き上げる選手に、おばちゃんたちの名指しの声援が飛ぶ「〇〇ちゃんがんばったね~」「ようやったよ~」。選手もニッコリ答える。
民泊で仲良くなったり、食事の世話で親しくなったりした他県の選手と地元のおばちゃんたちの交流。国体とは、競技の成績とは別にこんな暖かな優しい一面を見せてくれる。

レース場周辺には、市内の各小中学校の児童や生徒が、一生懸命工夫して書き上げた「応援のぼり」がはためく。「おいでませ山口へ けっぱれ青森県」通津小学校6年など。それぞれの思いを乗せて、歓迎と応援のメッセージが。

広場のお弁当屋さんに長蛇の列、おみやげ物屋さんも繁盛。華やかに盛り上がりを見せる。計り知れない関係者が、計り知れない訓練を重ねた結果だと思うが、何となく素朴な手作り感がうかがえるのが嬉しい。

レースが終わるたびに、自身の乗ったカヌーをヒョイと抱えて、所定の置き場へ。
そこには、底を空に向けた色とりどりのカヌーが無数に甲羅干しをしていた。

この次はとてもお目にかかれないだろう国体の画像をこの手で残しておきたかった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「そばを練る(打つ)」

2011年10月07日 | つれづれ噺

       

先日、そば打ち体験なるものに一日入門した。一日と言っても正確には3時間そこそこ。
粉から練り上げて延ばして切って、ゆで上げどんぶりそばにして試食する一連のコース。

ホンの短い時間に本当においしい、腰のあるそばを作ろうなど思うこと自体おこがましい。
当たり前のことではある。何十年と鍛え上げたそば打ち職人でさえ、そば粉の産地、輸送日数、その日の温度湿度など、味が変化する要因はいくらでもあるという。

初めてそば粉を見て「えらく白い粉ですねー」というと「それはつなぎのメリケン粉、こちらがそば粉」と、冷やかな目で、少し灰色がかった如何にもまずそうな粉を出された。
その程度のドが付く素人に、誰も期待はしていないが、本人たちは大まじめで取り組んだ。

江戸時代も半ばを過ぎたころから通り名として親しまれた「ニハチそば」。値段が16文であったことから2×8のニハチそばというのが一般的なようである。
が、どっこい、そば粉を8につなぎのメリケン粉が2の割合が、最も無難に腰もあって味わいもある。この2:8という比率からニハチそばになったという。
諸説諸々いまだにニハチの確かな語源が定まっていないというのが面白い。

コツその1.8:2の粉をまんべんなく如何に均一に混ぜるか。
コツその2.水を足す量とタイミング。これを失したら先ずいいそばは出来ない。
コツその3.一つひとつの作業を丁寧に、優しく、思い込めてこねる。

聞いた通りにやり上げたつもりでも、はてさて出来栄えや如何に。

  長短大小バラバラだけど やっぱりあんたの そばがいい・・・(オリジナル)

  信州信濃の新そばよりも わたしゃあんたの そばがいい・・・(使い古し)

所詮こんなもんだ。太かったり細かったり、長かったり短かったり・・・
試食の席で「上出来よね~」というオネエ様の声に一同大笑い。そば打ち体験のお粗末。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「深秋の錦帯橋」

2011年10月04日 | 季節の移ろい・出来事

     

「おいでませ山口国体」に合わせて、10月1日~10日まで、岩国のシンボル錦帯橋が黄金の輝きを見せている。しかもこの間毎夜花火が打ち上げられるという。

これを逃してなるものか。
深秋の落ち着きの中で、黄金にライトアップされた錦帯橋を、かつ眺め、かつ渡り、そして仕上げは第三橋の最も高い位置から花火を正面に見る贅沢を味わった。

それなりの実力と感性で、あっちからこっちから撮りまくった。
あっという間に30枚近くシャッターを押した。中には数枚お披露目に叶う出来栄えもある。ということにして今回は、横山側つまりお城山側から、岩国を向いたこの1枚をご覧頂くことにした。ヘタな鉄砲の1枚と思し召されて結構である。

黄金ライトアップも、連日の花火打ち上げも、ひとえに国体関係者へのおもてなしの心意気である。花火打ち上げの8時前には、近くのホテルの浴衣を着た宿泊客が、三々五々集まってきていた。ただその割には、花火は毎夜20発。ライトアップの黄金はやや控えめ、と緊縮財政のあおりを感じさせる一面もあったように思う。

足音高く渡っている途中で何度も「じいちゃん、きんたいきょうは?」と尋ねる悠雅くんの手を引きながら「今、錦帯橋を渡っているんよ」と説明してもついに納得はいかないまま。河原に降りて、小石をポッチャンと投げ始めてやっと「おおきいね~」と錦帯橋を見上げながら、偉大さをわかってくれたようだ。

露店も完全店じまい。コインの一つも使わずじまい。
夜空に映える錦帯橋以外は明るさもない深みゆく秋の夜、吹く風が身にしみた。

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「親父の嘆き」

2011年10月03日 | つれづれ噺

       

決して目新しいことではないが、とある公民館の薄暗い廊下で、頭の上に見つけた「親父の小言」。今一度読み返してみた。
何度も読むうちに、これは親父の小言などではない。こんな当たり前のことを、口を酸っぱくして言わなきゃならんほど、世の中がすさんでしまったのか、子どもたちの心が乱れたのか・・・という「親父の嘆き節」に思えてきた。

朝きげんよくしろ 人には腹を立てるな 恩は遠くからかへせ 人には馬鹿にされていろ・・・に始まって、万事に気を配れ 病気は仰山にしろ 家内は笑うて暮せ と。

親父がもしもこんなことをくどく言い始めたら、スーっとどこかへいなくなってしまうに違いない。「また始まったよ・・・」と言いながら。
ところが、今自分がセガレや家族に向かって言いたいなと思うこの年になってみれば「やっぱり言っておかなければ・・・」と力んでしまう内容ではある。

自分が聞くのはあれほど厭だった親父の小言が、聞く立場から言う立場に変ると、如何にももっともらしく思えるから不思議だ。
そうはいっても、今頃こんな事を言うと、家族中のひんしゅくを買うに違いない。してみると、自分が厭だったものを家族に押し付けるわけには行かぬ。

それでもやっぱり、このくらいの事は身につけて世の中を渡って行けよ・・・と言いたくなるが口には出せない。そんな親父の、小言ならぬ嘆き節と言うのが当たっている。

相馬藩大聖寺暁仙僧上為一家繁栄胎之。と記されているというのに・・・。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おいでませ山口国体」

2011年10月01日 | ニュース・世相

 

2011年10月 1日 第66回国民体育大会山口県大会が開幕。
天皇・皇后両陛下をお迎えし、山口市の維新100年記念公園に、4900人に及ぶ選手役員が揃い、開会式が行われた。
3.11で被災した東北各県を始め、全国47都道府県の代表アスリートが、ここ山口県に集結。各地で熱戦が展開される。 

前回は「友愛・奉仕・躍進」のスローガンのもと、1963年に第18回大会として行われて以来、48年ぶりとなる。その当時は、生活と遊ぶことに忙しかったのか、記憶が定かでない。
今回は「たちあがれ!東北 、がんばろう! 日本、 おいでませ!山口国体」をスローガンとして、復興日本にかける意気込みを感じる大会になる。
数カ所の会場に出向いて、生の競技観戦と声援を贈ることにしよう。

 

華やかな表舞台となる競技会場の裏側で、思いがけない住民パワーが国体を支えていることも紹介しておきたい。
競技によっては会場近くに、十分なホテルなど完備していない地域もある。そこには民泊協力会という組織が立ちあげられ、宿泊や食事を提供するボランティアグループの活躍がある。幸いなことに、食事調理実習の現場に立ち会わせて頂くチャンスに恵まれた。

大会期間中の何日分かの朝食・夕食を提供する、いわばおもてなしの心意気を発揮する。
朝食は朝4時半には集合して準備開始、6時半からの朝食に間に合わせる。
夕食も同様に、準備・調理・配膳・後片づけ・・・と、それはそれは大変な作業である。

それまでは地域の知らない者同士だった主婦が、10人ほどのグループを作って、班長さんの元、与えられた材料で示されたレシピに向かって一致協力。
見事な連係プレーで難なく調理は進んでいく。決して黙々とではない、どうかすると気合いを入れる掛け声も飛ぶ。その後に笑い声も出る。

彼女たちにとっての国体は、自分たちの経験が生かせてやり甲斐のある、母性本能をくすぐる一大行事であり、新たな仲間との輪ができた喜びが重なる場となっているようだ。

この人たちの努力が報われるためにも、成功裏に終わって欲しい山口国体である。    

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい