「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「故郷は遠くになりて」

2020年10月04日 | つれづれ噺

   
   故郷の川に釣り人ひとり          上流の深みでは、体調50cmはある鯉が悠々

限界集落と呼ばれる故郷を離れ、便利この上ない街中のサービス付き高齢者住宅に一人住まいする義兄87歳。
その人生の全てを支えてくれた生まれ故郷を、自分の勝手な思いで離れたわけではない。万やむを得ず、生きていくための選択として仕方なく今の状況に至っている。本人曰く、今の住まいはあくまでも仮のもので、原点は生まれ育った故郷に勝るものはない。と。

そんなわけで、故郷の家にはまだまだ多くの必要なものが残されている。「いつでも帰って来られるように」との願望の表れでもあるような。
そんな義兄がどうしても参列しなければならない葬儀の連絡が入ったらしく、「喪服は持って来なかったので、一緒に取りに帰ってほしい」との依頼を受けた。ガッテン承知、お安い御用!! ♬ うさぎ追いしかの山 小ぶな釣りしかの川……♬ 歌の文句をそのまま現実にしたような故郷へクルマを走らせる。

川の下流では釣り人一人、アユを追って長い竿を振る。上流の橋から見下ろす深みには、50㎝級の大物天然鯉が悠々とエサを探す。このようにふる里の景色は何にも変わらないのに、時の流れは人の生き方を変える。「若いころには67世帯あったのに、今は外にいる自分を入れて11世帯。全くなんの楽しみもなくなった」とぽつり。

あちこちにある自分名義の山は、檜や杉が一抱えも二抱えもあるほどに成長していても、需要がなければただの森林。「おやじが苦労して植え、枝打ちして育て上げたのに」。何を言っても愚痴にしか聞こえないのが淋しい。「ふる里は遠きにありて思うもの ・・・・・・」という詩を読んだことがあるが、現実的には「ふる里は遠くになりて忘れ去るもの」となりそう。歳月とは残酷な一面を持っているのか。

こんなことを考えてしまうのも、秋半ばの感傷なのかね~。

コメント
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