「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋深し・・・」

2020年10月23日 | 季節の移ろい・出来事

           

秋深し……とくれば真っ先に頭に浮かぶのは、隣は何をする人ぞ というあの有名な芭蕉の句である。
ではこの「秋深し隣は何をする人ぞ」の句意はいったいなに?と聞かれたらどう答えようか。
ネットサーフィンで見つけたベストアンサーでは「独身男性が静まりかえった夜、隣の新婚さんの物音に聞き耳立ててる、そんな淋しさ、切なさを詠んだ句です。」と書いてある。

まさか、あの芭蕉さんが、情緒あるこの更けゆく秋の夜長に、そんなことを思うとは考えられない。これはまあジョークと受け止めるとしても、長い静かな秋の夜は、色んな人が色んな角度から一句ひねっておられるのみるのは楽しいものである。

    場外に更け行く秋や寒山寺   
    秋深し豆腐屋の灯の薄明かり
    過ぎし日をたたみて心秋深し
    秋の味サンマも今じゃ高級魚  愚作

同じ「隣は何をする人ぞ」でも、使われ方や使う人の心持ちによって、内容は大きく変わることに気付かされた。
小生の住むすぐ近くに8世帯のアパートが2軒建っている。ここに住む人たちの「隣は何をする人ぞ」は、お互いに全くの干渉なしで、互いに無関心が最高という生き方である。もっとも、若い夫婦同士で同い年くらいの子供でもいればママ友付き合いくらいはあるみたいだが。

1階が101.2階は201と部屋番号が打ってあるだけ。表札などは皆無である。郵便屋さんはエラいねー、名前など一切カンケーなし。部屋番号のみで郵便物を配達するのである。必要があって「お隣は住んでいらっしゃのでしょうか」と訊ねたら「さー、あなたしってる?」と隣の人に振る。「お名前ご存じないですか?」「ご本人に聞いたら?」会話はこれで終り。とりつく島がないとはこのことか。

自治会も無ければ町内会もない。自由気ままに腰掛け的な借家住まい。隣と関わるヒマなどない!と言われればそれはそれで一理あるのかも。
秋深し隣は何をする人ぞ。こんな素敵な日本情緒も「大きなお世話、ほっといて!」が最優先のアパート暮らし。いいのか悪いのか、それこそ「大きなお世話」なのである。ア~~ア。

コメント
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