10月の声を聞いたのはついこの前だったような気がするのに、早くも中旬。秋も深まるばかりである。
歳を重ねてから、時間の経過を早く感じることは、老いを迎えている証拠だという人がいる。
つまり、自分の中で没頭する何かを持っていれば、時間は決して早く流れない、むしろゆったりした時の流れがあるのだ、と。
本当にそうかな~。色んなノルマや、趣味に時間を使っていると、1日があっという間に過ぎる、つまりあれこれ追っかけていたら、1日の時間が足りないくらいに思うことがある。本当のところはいったいどうなんだろう。
いずれにしても私の場合、良くも悪くも時間が早く流れるという実感に変わりはない。
キツネノマゴ 鮮やかなこちらは金色を見せるツワブキ
今日の目に留まった一句は 〝 花野から盗むキツネノマゴひとつ ” なんとも心優しくなる光景ではある。
道端に自生するキツネノマゴ。穂の先に紫色の小さな花をつけるが、その穂の形がキツネのしっぽを小さくしたみたいに見えるところからその名がつけられたのだそうな。それにしても粋な名前を思いつく風流人がいたものである。
これからの季節、目を見張らせるのは、手塩にかけて育てた菊の大輪が本命ということになろうが、その前に、黄金色に染まる田んぼのあぜ道を彩った真っ赤な彼岸花に代わって、こちらは鮮やかな金色を放つツワブキの可憐さも見逃せない。今まさに見ごろを迎えている。
食欲の秋に逆らって、極力食べる量を抑えにかかっている今、ついでに多少の運動も取り入れようと、お城山登りやウオーキングに向かう努力をしている。そんな汗をいとわないお城山の頂上では見事なツワブキが出迎えてくれる。
秋は物悲しい季節である、と万葉の昔から相場は決まっているようだが、こうして外に目を向けると、秋には秋の、いや秋ならではの花も咲く。見上げるお月様も星空も秋に勝る季節はない。
秋だからこそ、気持ちを広げて自然と向かい合ってみる。決して中身の濃い頭ではないが、それでも時に整理してみたくなる時もある。