「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「時雨を読んで」

2012年11月04日 | 季節の移ろい・出来事

 
        ビフォー                       アフター

「今年は本当に秋が来るんじゃろうか」という友の言葉に思わずうなずいてしまうほど、一気に冬の到来を思わせる寒さがやってきた。
日曜日の夜から月曜の夕方にかけて本格的な雨の予報。
その通り、先程来見るからに冷たそうな時雨が、時々音を立てるほど降っている。

今週の時雨は降る時を知って、日曜日の夕方まで待ってくれたので許すとしよう。
昨日から今日にかけて、恵比寿祭りや文化祭、スポーツイベントなど多くの行事が予定されていた。みんな消化できて喜んでいることだろう。

ここにも、今日の時雨を読んで、やるべきことをやってほくそ笑んでいる男が一人。
先ずは昨日、白玉200本、赤玉100本、計300本のタマネギを植え付けた。
埃が立つほどの畑に植え付けるのだから、直後の雨は貴重である。早くから週間天気予報を睨みながら、雨の予報を待っていた。

そして今日、今度は雨が来る前に渇いた状態を利用して、五葉の松の枯れ葉落とし。
毎年のように「そろそろきれいにしたら」と言わせないうちにやってのけた。
実はこれがなかなか厄介な作業である。「猫のノミを取るように・・・」と表現されるように、一つひとつの葉っぱのかたまりを、完全にもみほぐすようにして茶色くなった葉を落として行く。少しでも手を抜くと、茶色が残ってどうもスッキリしない。

2時間余り、腰を伸ばしたり縮めたりの悪戦苦闘。
ようやく、手のひらで払っても揺すっても茶色い葉っぱが落ちなくなる。
その分足もとには、あの短い鋭い枯松葉がうず高く積っている。

取敢えず面目躍如。1ケ月半後にもう一度わくら葉を落としてやったら、青々した松でお正月を迎えられる。
それもこれも時雨を睨みながら、ようやく重い腰を上げるのだ。
時雨が一つの起爆剤になるという、ものぐさ男のお粗末。お付き合いかたじけなし。

コメント (8)
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