「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ゆっくりさせてよ」

2008年08月25日 | 家族・孫話
一仕事終えていつものように、放課後児童教室で遊ぶ2年生の孫を迎えに行く。
顔を見るなり、得意そうにそっとビニール袋を手に持たせる。いつもとは様子が違うなと思いつつ袋の中身を確かめた。

手作りのしおりに「じいちゃん、いつもむかえにきてくれてありがとう・……」それに同じく手作りの可愛いストラップがくっついていた。

先生から「敬老の日のプレゼントを作ってもらいました…」との説明。
こぼれるような満面の笑顔でじいちゃんを見上げる孫。渇きそうになる喉にツバを飲み込み「ありがとう、いいのができたね、じょうずにつくってくれたね」頭を撫でる手をすり抜けてクルマに乗り込む。

そう言えば昨年はばあちゃんへのプレゼントだった、今もバッグにぶら下げている。じいちゃんも大事にしなければ。

それにしても、まだ今日は8月25日、敬老の日の20日も前である。随分早い気がするなー。それに敬老のプレゼントをもらうには、いささか抵抗があるなー。ちょっと可哀想なくらい早すぎるなーと思うジジ・ババである。

そうはいっても、学校の先生が子供達に敬老の気持ちを教えることには大賛成であるし教育上欠かせない事柄だと思っている。有り難い話である。

何をひもといても、敬老とは老人を敬うこと、老人とはお年寄りのこと、と言う程度の説明で、何歳になったら敬老や老人の対象になるというはっきりした定義はないようである。
ならば、孫手作りの敬老プレゼントは有り難くちょうだいするが、老人を敬う敬老の仲間入りは“もうちょっとゆっくりさせてよ”そう思いませんか、ご同輩!

我が家では、ジジ・ババなどはまだまだ若手。100才の大御所が敬老の日の主役である。

          ( 写真:敬老プレゼントの「しおりとストラップ )

コメント (8)
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