「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「頂点を極める」

2008年08月22日 | スポーツ・観戦
日本のソフトボールチーム、念願の金メダル。世界の頂点に立った!!
厚い壁にはね返され、何度も挑戦し、また挫折。さらに練習に練習を重ね、辛抱し、お互いを信頼し合うチームワークを作り上げて行ったのが今の姿なのだろう。

3大会連続世界一の王者アメリカに、最後の最後に勝って手にした金メダル。
感動無しには見られない。それほど価値のある勝利だったと思う。
勝利の瞬間、チームメート全員が、人差し指を天に突き上げ喜び合う瞬間は、まさに勝利者のみに与えられる歓喜である。

見ている私自身、鳥肌の立つ思いを味合わせてもらった。シドニーもアテネも北京もそれぞれに、身の震える感動をもらった。もちろん、長野・ソルトレイクシティー・トリノと続いた冬季オリンピックも、数々の感涙を抑えることの出来ない名場面へいざなってくれた。

その感涙や感動は、日本選手が勝ったことだけに送る拍手ではなかった。勝負の世界の鉄則は、今更言うまでもなく、勝者があって敗者がある。
特にオリンピックの世界では、敗者に送るエールや拍手も少なくない。それは何故か。

オリンピックは、野球を除いては全てがプロではないアマチュア選手であり、純粋に世界の頂点を目指して、4年に一度、持てる力を精一杯ぶつけ合うところに感動が生まれる。そして勝者は精一杯のパフォーマンスで喜びを爆発させることが許される。そこがまた感動を呼ぶ。

このように考えてくると、プロ野球ペナントレースで、ホームランを打ったからと大騒ぎをするのは決して品格のある姿とは言いにくい。広島カープの外国人選手が言っていた。「自分はいつも投手に敬意を払っている、だから決勝ホームランを打ってもはしゃぐ気持ちにはなれない…」と。
相撲の世界でも同じこと。横綱は角界の頂点なのである。相手は言うなれば全員が格下なのだ。格下の相手に勝つのは当たり前のこと。それを敢えて“これみよがし”の仕草には品格も人格も疑いたくなる。(ちょっと厳しすぎるかな…?)

つまり、スポーツの世界は、将来を担う子供達が多く注目している。勝者が全てで、敗者を切り捨てるような行為は、決していい人材作りに貢献しないだろう。

スポーツを通じて勝つための技量やテクニックを指導しなければならないが、負けて強くなる人間としての粘り強さを同時に教えていく必要がある。勝者を讃え、敗者を尊ぶ人間形成こそが、頂点を極めるにふさわしい勝者と言えるのだろう。

       ( 写真:歓喜の肩車で祝福、日本ソフトボールチーム )
コメント (6)
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