アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

ヒミコのまとめ 第四のヒミコ 豊姫(豊来入姫) その2

2021-06-22 10:50:34 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて

豊姫(豊来入姫) その2

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イクメ大王によりヤマトから追い払われた豊彦の子孫が 下毛野国の開発に成功して国造家となりました。

またイクメ大王に敗れて武内宿祢は彦美知宇斯王と共に稲葉に住んでいました。

しかし イクメ王が武内宿祢に刺客を放ったという彦美知宇斯王の娘でイクメ大王の后であるヒバス姫からの知らせに 

武内宿祢は急遽 出雲王家に逃げ込み、出雲王家が武内宿祢を匿い命を助けたことで 武内宿祢の子孫の日向襲津彦と

イクメ大王の孫の后である息長姫が結ばれました。

二人はともに住み、二人で三韓征服に成功するも、その二人の皇子ホムタワケ(誉田別)皇子は7歳で夭折しました。

豊彦の子孫の下毛野国造家の御曹司の竹葉瀬の君が 秘密裏に息長帯比売の養子となり 誉田別皇子として

成長し ホムタ大王として即位します。

豊玉姫の項で述べましたが イクメ大王、豊来入彦王、武内宿祢(武内臣太田根)は若い時は一緒に働きましたが、

年を取るにつれて別々の道を歩みますが、不思議な運命の糸で繋がっています。

また宇佐家が 宇佐家の血を引く大王誕生(ホムタ大王)に大喜びしたのもよくわかります。 

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豊来入姫は月読の神の布教のため竹野郡船木里に移り奈具社を建てて 豊受神の名前で月神

を祀りました。その後与謝郡伊根の宇良社に移りました。宇良社の社家は本庄村の島子だと言われています。

シマとは海岸近くの集落を意味する古語で 子はそのあたりの首長を意味する尊敬語です。

つまり本庄村の村長なのです。

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宇良社は今の浦島神社です。

この神社の社家は彦美知宇斯大王の子孫ということです。

※写真は浦島神社の公式ホームページよりお借りしました。

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 一方伊勢の国の一宮は椿大神社(つばきおおかみやしろ)で そこはサルタヒコ大神本宮

と称していました。

その椿大神社から誘いを受けた豊来入姫は 宇良社の島子が連れて行き そちらに移ります。

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豊国の宇佐から来た豊姫は「宇佐女の命」と呼ばれましたが、イクメ大王が豊姫の行方を追っている

ということがわかり 宇佐女ではわかりやすいのでウズメの命と呼ばれるようになったということです。

椿大神社の奥に椿岸神社が建てられて そこで豊姫は月読の命を祀り 鈿女(うずめ)本宮と呼ばれました。

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椿大神社の拝殿前には「伊勢一宮」と大きく書かれています。

一宮とはその地方で 一番古く、権威のある神社といういみで、伊勢一宮は伊勢神宮ではなく

この椿大神社です。

ちなみに出雲の国 一宮は出雲大社(杵築大社)ではなく 松江市の熊野大社です。

第二次東征軍に敗れた東出雲王家が 熊野に引きこもり熊野大社を建てたからです。

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椿大神社の立大きくて派な拝殿です。さすが一宮です。

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拝殿の千木は 出雲式の縦削ぎです。

出雲王朝国教の幸ノ神三神の皇子神サルタヒコを祀っているので当然ですが。

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椿大神社の拝殿の向こうには 内拝殿があります。

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境内には 大黒様と恵比寿様が祀ってあります。つまり大国主と事代主のお二人です。

まあサルタヒコを祀るのですから当然と言えば当然ですか。

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境内の看板です。

ウズメの命が「芸能祖神」とあるのは 記紀では天照大神が天の岩戸に隠れたときにウズメの命が

上半身裸で踊り 神々を笑わせたと書かれたのが原因です。太陽の女神に比べて月神は一段と扱いが

低いですね。それと記紀では 鈿女の命が胸をあらわにしてサルタヒコを誘惑したと書かれて

あまりウズメの命はよい扱いを受けていませんね。

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椿大神社の境内にある 鈿女本宮椿岸神社です。

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椿岸神社の拝殿です。

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しかし豊来入姫は イクメ大王の放った刺客に命を奪われて この地で亡くなります。

すると月神の信者たちが集まり、遺体をヤマトへ運びホケノ山古墳に埋葬したと伝えられています。

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ホケノ山古墳を復元したものです。

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棺の埋められていた場所を復元したものです。

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ホケノ山古墳から隣の箸墓古墳(大和姫が埋葬された古墳)をみたところです。

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次は大和姫です。

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