オホド大王の足跡を訪ねる越前桜旅 その2
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足羽神社と足羽山公園 福井市足羽
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/8d/a9b2762629ade73d69702baca9adf695.jpg)
足羽神社の鳥居からは 名物の「足羽神社の枝垂桜」が見えます。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b6/93f94e3bc5e7a68263ba3caddf2d8aa1.jpg)
拝殿は大きくて立派です。ちょうど結婚式の記念撮影が行われていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/38/34d589bf91cf85ad855fed9a816ed29f.jpg)
足羽神社の由緒書きです。まあでっち上げ、歴史小説の日本書紀をそのまま鵜呑みにして
かかれていますので 神話風になっています。
記紀の作成を命じた持統女帝や不比等たちが 一番嫌がったことが「自分達の祖先の秦国人で
渡来人の徐福の子孫達が 倒した出雲王家の末裔の若様を 大和の大王に迎えた」と言うことでしょう。
そのため オホド大君は ホムタ大王の6世子孫だとしています。しかしこれは明らかに間違いです。
第一に ホムタ大王とオホド大王に血縁関係はないし、それに作り話の記紀に拠ればホムタ大王から11代目がオホド大王です。
実際はホムタ大王の後はオオサザキ(仁徳)、イザホワケに始まる和の五王
(ミツハワケ、オアサヅマ、アナホ、ワカタケ)、オケ(仁賢)それにワカサザキ(武烈)その次がオホドで9代目です。
そして一番驚くのが オホド君は 振姫の里の高向(たかむく)で生まれたというのです。
後ほど 高向の郷へ行きます。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/5a/90e416d2b62b03da0a62961554f6fed3.jpg)
神社を出て 少し岡を登ると岡の最上部にオホド大王の石造があります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2e/ead3b57f1678b8b59c2d74a0564e60b3.jpg)
満開の桜を眺めるオホド大王。視線の先は福井市内の市街地で 背中には
真っ白に輝く雪の白山が 桜の先に見えました。
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高向神社 福井県坂井市丸岡町
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bb/8f9549af30214e471a75887c6388c0f6.jpg)
高向神社はマイナーなのか近所の人に聞いてもご存知ありませんでした。カーナビが教えてくれました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/76/dd0a7372f14fad9860f84dd9c5ab06c1.jpg)
鳥居と石碑は新しくて立派なのですが、社がかわいそうです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/e8/8b903a647f35d2086f19c2aaa2c11f2a.jpg)
小さな本殿がポツンと立っていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4c/13a63d68cc119b9f6ef8e3736a73d8d9.jpg)
記紀では 大王扱いの「カナヒ(安閑)、オシタテ(宣化)」二人の母を祀る神社としては かわいそう過ぎます。
なんかこのあたりの村の鎮守様と言う感じです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/87/8e674fd51cab70a6549e3c03798f6351.jpg)
そして説明看板を見てまたもびっくり、振姫がオホド君を生んだと書いてあります。
まあ日本書紀に拠ると という注意書きがありますが。
振姫を祀るのが 高向神社だと本で調べて来たのに これでは 振姫がかわいそうです。
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九頭竜川を河口の三国から少し遡ると 松岡と言う場所があります。そこが蘇我総本家の
屋敷があった場所です。その屋敷の川向に 古墳群がありますが その古墳が蘇我本家の
古墳群で その中の六呂瀬山1号墳が振姫の墓だといわれています。非常に大きい墓です。
まあ正式な皇后ではないけど、大王の奥様なのですから 古墳が大きいのはあたりまえです。
当時和国一の財力を誇った蘇我総本家の姫でもありますし。
それにしても この神社はかわいそう過ぎました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3b/bfec7d0ab6a88fb32ddb728144bbb928.jpg)
桜の名所花筐(かきょう)公園は 岡太神社の境内にあります。この神社の鳥居の前に立ったとき
ピンと来ました。岡太とは彦太のことではないかと。つまりこの神社は彦太の君に付いてきたイズモ族や
蘇我総本家の古墳作りを手伝いに来たイズモ族(出雲富家と祖崖では お互いの古墳作りに
技術者を お互いに派遣し合って造りました)が建てた神社と思いました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/08/6e3b7acc8b1652669be6e2ef35646355.jpg)
この神社の神事「蓬莱祀ーおらいし」の説明文です。やはりオホド大王つまり
彦太の君を祀っていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/25/3738a497928134dacf54a55a3f1883e1.jpg)
境内の案内図を見るとイズモの国の縮図なのが分かります。出雲の地名だらけです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/79/b75ae1b859dea98579d7e3e3587e94e2.jpg)
神社の拝殿も立派です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/07/75a152793e8a9fc446320462828198c8.jpg)
岡太神社の本殿です。残念ながら大社造りではありませんでした。
そして立派な造りの本殿です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/06/71d41cb99f1c507d0f25173c787d94e0.jpg)
境内にある出雲社です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9e/d63e0b9b1ae41f9c8cf25f732516fa0f.jpg)
そしてこちらが 金刀比羅神社です。
これはもちろん 徐福らに幽閉殺害された出雲王家の第八代主王八千矛王(記紀では大国主と
書き換えられました)を祀る神社で、讃岐の金刀比羅宮にはその境内に美保津姫を祀る美保津姫神社もあります。
大国主とほぼ同時に幽閉殺害された第八代副王の事代主つまり八重波津身を祀る
ため 富家が建てた美保神社(松江市美保関町にあり全国の恵比寿神社の総本社)で、
父の八重波津身を祀る神社の巫女として過ごした事代主の皇女の美保須須美姫
を祀っています。美保須須美、または 美保津姫と書かれます。
つまり金刀比羅神社はイズモ族の神社なのです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d2/a0c6f1512a0a30e913f3e03312de822b.jpg)
松江市の美保神社の神門から拝殿をみたところです。八重波津身は 記紀で事代主と書かれ
そのうちに 恵比寿さんとも呼ばれるようになります。
そこでこの美保神社は全国の恵比寿神社の総本社となります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/38/34d589bf91cf85ad855fed9a816ed29f.jpg)
またこの岡太神社境内には琴弾山もあります。もちろん本家の琴弾山は出雲にあります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/5f/18117e5eb46b67b10ddce3eea2817e14.jpg)
この写真は島根県奥出雲町の琴弾山(1180m)の山頂に建てられた琴弾神社です。
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と言うことで岡太神社は出雲族の建てた 彦太の君を祀る神社と言うのが良く分かりました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/36/48bdf78b44e1800cd86833ec41f69fbd.jpg)
ちなみに 岡太神社を中心としたこのあたりの山に 桜を植えて花筐公園として整備されました。
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古代出雲王朝トップページはこちらかに戻れます。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html
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足羽神社と足羽山公園 福井市足羽
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/8d/a9b2762629ade73d69702baca9adf695.jpg)
足羽神社の鳥居からは 名物の「足羽神社の枝垂桜」が見えます。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b6/93f94e3bc5e7a68263ba3caddf2d8aa1.jpg)
拝殿は大きくて立派です。ちょうど結婚式の記念撮影が行われていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/38/34d589bf91cf85ad855fed9a816ed29f.jpg)
足羽神社の由緒書きです。まあでっち上げ、歴史小説の日本書紀をそのまま鵜呑みにして
かかれていますので 神話風になっています。
記紀の作成を命じた持統女帝や不比等たちが 一番嫌がったことが「自分達の祖先の秦国人で
渡来人の徐福の子孫達が 倒した出雲王家の末裔の若様を 大和の大王に迎えた」と言うことでしょう。
そのため オホド大君は ホムタ大王の6世子孫だとしています。しかしこれは明らかに間違いです。
第一に ホムタ大王とオホド大王に血縁関係はないし、それに作り話の記紀に拠ればホムタ大王から11代目がオホド大王です。
実際はホムタ大王の後はオオサザキ(仁徳)、イザホワケに始まる和の五王
(ミツハワケ、オアサヅマ、アナホ、ワカタケ)、オケ(仁賢)それにワカサザキ(武烈)その次がオホドで9代目です。
そして一番驚くのが オホド君は 振姫の里の高向(たかむく)で生まれたというのです。
後ほど 高向の郷へ行きます。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/5a/90e416d2b62b03da0a62961554f6fed3.jpg)
神社を出て 少し岡を登ると岡の最上部にオホド大王の石造があります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2e/ead3b57f1678b8b59c2d74a0564e60b3.jpg)
満開の桜を眺めるオホド大王。視線の先は福井市内の市街地で 背中には
真っ白に輝く雪の白山が 桜の先に見えました。
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高向神社 福井県坂井市丸岡町
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bb/8f9549af30214e471a75887c6388c0f6.jpg)
高向神社はマイナーなのか近所の人に聞いてもご存知ありませんでした。カーナビが教えてくれました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/76/dd0a7372f14fad9860f84dd9c5ab06c1.jpg)
鳥居と石碑は新しくて立派なのですが、社がかわいそうです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/e8/8b903a647f35d2086f19c2aaa2c11f2a.jpg)
小さな本殿がポツンと立っていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4c/13a63d68cc119b9f6ef8e3736a73d8d9.jpg)
記紀では 大王扱いの「カナヒ(安閑)、オシタテ(宣化)」二人の母を祀る神社としては かわいそう過ぎます。
なんかこのあたりの村の鎮守様と言う感じです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/87/8e674fd51cab70a6549e3c03798f6351.jpg)
そして説明看板を見てまたもびっくり、振姫がオホド君を生んだと書いてあります。
まあ日本書紀に拠ると という注意書きがありますが。
振姫を祀るのが 高向神社だと本で調べて来たのに これでは 振姫がかわいそうです。
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九頭竜川を河口の三国から少し遡ると 松岡と言う場所があります。そこが蘇我総本家の
屋敷があった場所です。その屋敷の川向に 古墳群がありますが その古墳が蘇我本家の
古墳群で その中の六呂瀬山1号墳が振姫の墓だといわれています。非常に大きい墓です。
まあ正式な皇后ではないけど、大王の奥様なのですから 古墳が大きいのはあたりまえです。
当時和国一の財力を誇った蘇我総本家の姫でもありますし。
それにしても この神社はかわいそう過ぎました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3b/bfec7d0ab6a88fb32ddb728144bbb928.jpg)
桜の名所花筐(かきょう)公園は 岡太神社の境内にあります。この神社の鳥居の前に立ったとき
ピンと来ました。岡太とは彦太のことではないかと。つまりこの神社は彦太の君に付いてきたイズモ族や
蘇我総本家の古墳作りを手伝いに来たイズモ族(出雲富家と祖崖では お互いの古墳作りに
技術者を お互いに派遣し合って造りました)が建てた神社と思いました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/08/6e3b7acc8b1652669be6e2ef35646355.jpg)
この神社の神事「蓬莱祀ーおらいし」の説明文です。やはりオホド大王つまり
彦太の君を祀っていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/25/3738a497928134dacf54a55a3f1883e1.jpg)
境内の案内図を見るとイズモの国の縮図なのが分かります。出雲の地名だらけです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/79/b75ae1b859dea98579d7e3e3587e94e2.jpg)
神社の拝殿も立派です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/07/75a152793e8a9fc446320462828198c8.jpg)
岡太神社の本殿です。残念ながら大社造りではありませんでした。
そして立派な造りの本殿です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/06/71d41cb99f1c507d0f25173c787d94e0.jpg)
境内にある出雲社です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9e/d63e0b9b1ae41f9c8cf25f732516fa0f.jpg)
そしてこちらが 金刀比羅神社です。
これはもちろん 徐福らに幽閉殺害された出雲王家の第八代主王八千矛王(記紀では大国主と
書き換えられました)を祀る神社で、讃岐の金刀比羅宮にはその境内に美保津姫を祀る美保津姫神社もあります。
大国主とほぼ同時に幽閉殺害された第八代副王の事代主つまり八重波津身を祀る
ため 富家が建てた美保神社(松江市美保関町にあり全国の恵比寿神社の総本社)で、
父の八重波津身を祀る神社の巫女として過ごした事代主の皇女の美保須須美姫
を祀っています。美保須須美、または 美保津姫と書かれます。
つまり金刀比羅神社はイズモ族の神社なのです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d2/a0c6f1512a0a30e913f3e03312de822b.jpg)
松江市の美保神社の神門から拝殿をみたところです。八重波津身は 記紀で事代主と書かれ
そのうちに 恵比寿さんとも呼ばれるようになります。
そこでこの美保神社は全国の恵比寿神社の総本社となります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/38/34d589bf91cf85ad855fed9a816ed29f.jpg)
またこの岡太神社境内には琴弾山もあります。もちろん本家の琴弾山は出雲にあります。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/5f/18117e5eb46b67b10ddce3eea2817e14.jpg)
この写真は島根県奥出雲町の琴弾山(1180m)の山頂に建てられた琴弾神社です。
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と言うことで岡太神社は出雲族の建てた 彦太の君を祀る神社と言うのが良く分かりました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/36/48bdf78b44e1800cd86833ec41f69fbd.jpg)
ちなみに 岡太神社を中心としたこのあたりの山に 桜を植えて花筐公園として整備されました。
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古代出雲王朝トップページはこちらかに戻れます。
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