ヴェリコ・タルノヴォ@ブルガリア
ブルガリアは紀元前19世紀から4世紀にかけてはトラキア人が住み、紀元前4世紀にはマケドニア王国の支配下となり、紀元前168年にローマ帝国の領土となる。
681年、第一次ブルガリア帝国が興り隆盛を極めるが、1018年ビザンツ帝国攻撃により滅亡。
1185年、タルノヴォを首都に第二次ブルガリア帝国が興り、最盛期を迎えるが1396年オスマン朝に征服され、以後500年間支配下に入る。
1876年オスマン朝に対し武装蜂起し、ロシアの半自治国となる、
その後、バルカン戦争に勝利と敗退で領土拡大と縮小。
1946年ブルガリア人民共和国設立されるも、独裁が始まる。
1989年クーデターにより独裁政権崩壊。
2007年EUに加盟。
長い歴史の概略を示したが、バルカン半島を横断する通商路の要所に位置し、トラキア人に遡る歴史を有しながら、ローマやビザンツ、オスマン朝、共産党独裁と種々な時代を潜り抜けた民族は、自国に対する愛着と誇りを感じている印象を受けた。
ヴェリコ・タルノヴォはバルカン山脈の東に位置し周囲を蛇行するセントラ川の切り立った崖の上の町。
第二次ブルガリアア帝国時1185-1396)の首都として栄え、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を圧倒しバルカン半島のほぼ全域を支配した。
周囲を森に囲まれた美しさは立体的で、中世から現代までが混然と溶け合った古都ゆえ内外の観光客が多い
ツァレヴェツ丘の要塞=ヴェリコ・タルノヴォの一つのシンボル。
ブルガリアの首都の時代、宮殿や総主教の教会や数多くの貴族の家が建てられたが、オスマン朝の猛攻により壊滅した。
現在、修復プロジェクトが進んでいる。
古い商店街には木彫り、陶芸、刃物製造などの工房が並んでいる。
坂道もあり、中世の街並みを感じる場所が多い。
ブルガリアは紀元前19世紀から4世紀にかけてはトラキア人が住み、紀元前4世紀にはマケドニア王国の支配下となり、紀元前168年にローマ帝国の領土となる。
681年、第一次ブルガリア帝国が興り隆盛を極めるが、1018年ビザンツ帝国攻撃により滅亡。
1185年、タルノヴォを首都に第二次ブルガリア帝国が興り、最盛期を迎えるが1396年オスマン朝に征服され、以後500年間支配下に入る。
1876年オスマン朝に対し武装蜂起し、ロシアの半自治国となる、
その後、バルカン戦争に勝利と敗退で領土拡大と縮小。
1946年ブルガリア人民共和国設立されるも、独裁が始まる。
1989年クーデターにより独裁政権崩壊。
2007年EUに加盟。
長い歴史の概略を示したが、バルカン半島を横断する通商路の要所に位置し、トラキア人に遡る歴史を有しながら、ローマやビザンツ、オスマン朝、共産党独裁と種々な時代を潜り抜けた民族は、自国に対する愛着と誇りを感じている印象を受けた。
ヴェリコ・タルノヴォはバルカン山脈の東に位置し周囲を蛇行するセントラ川の切り立った崖の上の町。
第二次ブルガリアア帝国時1185-1396)の首都として栄え、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を圧倒しバルカン半島のほぼ全域を支配した。
周囲を森に囲まれた美しさは立体的で、中世から現代までが混然と溶け合った古都ゆえ内外の観光客が多い
ツァレヴェツ丘の要塞=ヴェリコ・タルノヴォの一つのシンボル。
ブルガリアの首都の時代、宮殿や総主教の教会や数多くの貴族の家が建てられたが、オスマン朝の猛攻により壊滅した。
現在、修復プロジェクトが進んでいる。
古い商店街には木彫り、陶芸、刃物製造などの工房が並んでいる。
坂道もあり、中世の街並みを感じる場所が多い。