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茨城会館@水戸市三の丸・水戸城址

2022年08月14日 20時17分02秒 | 水戸の今と昔
茨城会館@水戸市三の丸・水戸城址



1935(昭和10)年6月に開館した「茨城会館」



跡地は1970年(昭和45年)旧県議会議事堂となった。
旧県議会議事堂を改修して2001年(平成13年)3月 に「茨城県立図書館」として開館。

ひと頃、市町村など地方公共団体が競ってコンサートホールなどを建設し、多彩なイベントが開かれるようになった。
ところが、コロナ渦による生活様式の変化も含め、施設過剰で遊休となっている所も多々あるのが現状だ。
しかし、戦前から戦後にかけての時代は公共施設の公会堂は極めて稀だった。
茨城県においても「茨城会館」(現在の県立図書館のところ)が唯一の公会堂だった。



開館記念祝典
1935(昭和10)年6月に竣工した鉄筋コンクリート3階建て・延べ面積2500㎡(約750坪)の施設。舞台はあるが客席は固定椅子でなく、撤去すれば床面は平らになる多目的なホールで、当時としては豪華な施設だった。

街中に映画館が多数存在した時代で、映画演劇などを除くと「茨城美術展」などの美術展に使用された記録は残るが、他の用途について詳しいことは分からない。
1945(昭和21)年8月1日の空襲により、水戸市内の8割以上が焼失した中で、鉄筋コンクリートの開館は屋根や壁は損傷するが本体は残った。

1949(昭和25)年に復興し1966(昭和41)年に茨城県民文化センターが開館するまでの17年間にわたって、美術展覧会・演奏会・演劇・歌謡ショー・ダンスパーティー・ファッションショー・アメリカ中古衣料販売など、幅広く使用された。



ファッションショー(1954年)

貸会場だから幅広い催事に使用されたが、外国人演奏家を含め著名なタレントの公演は新聞社が関わった事業が多い。
とりわけ地元紙の「茨城新聞」は多彩な事業を主催・後援した。
戦前に生まれ、戦後の耐乏生活を余儀なくされた人々にとって、娯楽の少ない時代、茨城会館での公演の数々はそれぞれの思い出があろう。

*『水戸に文化の灯がともる ―舞台公演戦後史―』(竹内昱之助著 発行:県民文化センター友の会 昭56・1981)には詳細が記載されており、参考にした。
●余禄
1960(昭和35)年に「水戸市高校演劇祭」として、水戸一高・三高の合同公演が開催され、演劇部だった私も舞台を踏んだ。
(記憶に残る催事などあればコメントください。)
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1 コメント

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茨城会館 (顎髯仙人)
2022-08-17 08:36:25
昭和30年代の後半4年間、茨大の演劇部公演で
この舞台に舞台装置を設置したり、舞台上でスポット
ライトを浴びたり…半世紀以上前の懐かしい一瞬を
思い出しました。

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