「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

旧東海道品川宿・其の2@東京都品川区

2018年06月25日 05時33分43秒 | 文化遺産
旧東海道品川宿・其の2@東京都品川区





「品川寺(ほんせんじ)」の地蔵菩薩。 
江戸の出入口6箇所に旅の安全を祈願して造立・設置された地蔵菩薩。
宝永5年(1708)に建立され、江戸六地蔵で1番古い。










鮫洲の辺りの古建築。
戦災に遭わなかった地区もあり、大正~昭和初期の建築物が遺されている。



坂本龍馬像
「京急・立会川駅」の品川区立北浜川児童遊園に設置された龍馬像。



この辺りに土佐藩の下屋敷が在り、二十歳頃の龍馬が警護のために土佐と往来していたことに由来する。

鈴ヶ森刑場跡。









江戸時代には、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場であった鈴ヶ森刑場。

由比正雪の乱に加担した、丸橋忠弥や八百屋お七が処刑された。
220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われているが、はっきりした記録は残されていない。



今見れば単なる遺跡であるが、当時は磔・さらし首など、見せしめのため残酷な処刑で、かなり凄惨であったはず。
更には、えん罪なども多かったであろう。
それを思えば。観光気分での見学はかなり複雑。

この日の「東海道・品川宿」散策は「鈴ヶ森刑場跡」で終了。

第一京浜国道を横断して「大森貝塚」に向かう。
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秋の「戸定邸」@松戸市松戸714-1

2017年11月09日 15時08分21秒 | 文化遺産
秋の「戸定邸」@松戸市松戸714-1






今日(11月9日)の「茨城新聞・いばらき春秋」は松戸の戸定邸を訪問した話だった。


奇しくも、松戸在住の同級生Kさんが墓参のために来水し、久しぶりにお会いすることになっている。






Kさんは「戸定邸」のボランティアガイドをされ、時折fbに写真をアップする。



2年前の2015年12月10日、小・中・高からの友人Oさんと戸定邸を訪ねた。
名残の紅葉・黄葉で、それなりの風情があった。

●戸定邸は、水戸藩最後(11代)の藩主徳川昭武が、千葉県東葛飾郡松戸駅(現:松戸市松戸)に造った別邸で国の重要文化財。
1884年(明治17)に完成した建物だが、江戸時代の大名屋敷の雰囲気がある。
庭園は「旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)」として国の名勝に指定。
現在は「戸定が丘歴史公園」として整備されているが、庭園の一部分は現在改修中で立ち入りが出来ないようだ。
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随神門神像@常陸国総社宮【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の5

2017年10月31日 23時33分33秒 | 文化遺産
随神門神像@常陸国総社宮【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の5

古仏修復師・飯泉太子宗さんが平成24年(2012)に修復された随神像を拝観に石岡市の常陸国総社宮に。



随神門と随神像。
随神門の両袖、向かって右側に左大臣、向かって左側に右大臣の随神像。

随神門は寛永4年(1627)に再建されたもので、総社宮で残っている建造物では一番古い。



「隋身像(左大臣・右大臣)」
延宝8年(1680)大仏師寂幻作

この日は雨の上に、夕方となってしまい門の袖に安置されている神像はほとんど見えなかった。
ライトを当てて僅かにみることが出来た。
修復時に古色仕上げという技法が使用されている。




左大臣86.0cm。



右大臣84.5cm。




案内してくださった常陸國総社宮の禰宜の石崎 貴比古さん。



「随神門」の前で記念撮影。

古仏修復師・飯泉太子宗さんの修復工房、修復された菖蒲沢薬師堂の「薬師像」。
常陸國総社宮の「隋身像(左大臣・右大臣)」を巡った今回の【Tabi-ぶらin真壁&石岡】は多くの人たちに支えられて、存続していることがよく分かった。
寺社仏閣・博物館・美術館などの仏像や神像は全て、修復の繰り返しによって現状に至っている。

(写真の一部は「旅ブラ」会員の皆様のfb掲載から引用させて頂きました。)

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菖蒲沢薬師堂@石岡市辻【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の3

2017年10月30日 17時52分43秒 | 文化遺産
菖蒲沢薬師堂@石岡市辻【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の3



延暦元年(782年)に徳一法師が筑波山に中禅寺を創建し、この寺が筑波神社の隣りにある「大御堂」に発展していったとされる。
徳一法師は、筑波山の「中禅寺」の守護のために筑波山の四面に薬師如来を安置した。



菖蒲沢薬師堂はその一つで、標高約100㍍。
製材所の駐車場から「薬師古道」と名付けられた細い道は、集落を過ぎると山道となり、登山をする雰囲気になる。

「薬師堂」と「薬師古道」は地区住民による共同作業によって維持されているのが現状で、地方に存在する多くの神社や仏閣の多くががそうだ。
集落の木村さんの案内で「薬師堂」へ。



仁王門跡。



梵字を刻んだ石碑が。



谷間には湧水を集めた「弁天池」も。



階段を登れば「薬師堂」



何度も火災に遭っているので、お堂も薬師様も創建時のものではない。

飯泉さんが修復された薬師如来坐像。






薬師如来坐像は像高80センチ、漆塗金箔仕上げで平成二十年の修理の際、「貞享四年(1687)東光寺二十九代目別当寛泉」の墨書銘が。




仁王像は像高2・1メートル。



「薬師堂」前での記念撮影。

今にも雨が降り出しそうであったが、この古道の散策は素晴らしく、天候の良い日であれば、更に楽しめるであろう歴史の道だ。

●奈良時代の後期、法相宗を学んだ徳一法師は、京都から東国にやってきた。
常陸国などの主に山岳やその麓に多くの寺を創建した。
その後、会津に行き恵日寺を興し、空海と思想論争をした高僧だが、今では東国に建てた寺はほとんど別の宗派になっている。

(写真の一部は「旅ブラ」会員の皆様のfb掲載から引用させて頂きました。)

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五所駒瀧神社と竹蓋 年男 さん【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の2

2017年10月30日 08時50分11秒 | 文化遺産
五所駒瀧神社と竹蓋 年男 さん【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の2



古仏修復士・飯泉太子宗(としたか)さんの「古仏修復工房」見学を終えて昼食会場の五所駒瀧神社(ごしょこまがたきじんじゃ)に移動。









五所駒瀧神社は、平安時代の長和3年(1014)の創建と伝えられる古刹。
承安年間(1171~74)に鹿島神宮の祭神武甕槌命(たけみかづちのみこと)の分霊を祀り、真壁氏の氏神となった。

お昼に合わせて、切り絵作家の竹蓋 年男 さんが合流。

自作の「五所駒瀧神社」に関連した作品を展示された。





約400年の歴史を持つ真壁の祇園祭はこの神社の夏の祭礼。
毎年7月23日から26日まで町内をあげて盛大に行われる。








伊勢屋旅館(田中 良枝 さん)の、お弁当と豚汁が用意された






境内は深山幽谷のごとく、神秘的な雰囲気が漂う。


(写真の一部は「旅ブラ」会員の皆様のfb掲載から引用させて頂きました。)
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大佛茶廊の桜「大佛次郎を歩く・其の4」

2017年04月18日 22時49分34秒 | 文化遺産
大佛茶廊の桜「大佛次郎を歩く・其の4」



ストレイシープの世田さんの紹介で鎌倉の「大佛茶廊」を訪ねたのが3月5日で、「鞍馬天狗」「天皇の世紀」「赤穂浪士」「大仏炎上」などの作品で知られる作家、大佛次郎(おさらぎじろう)の別邸跡を茶廊として週末の土曜日・日曜日に限って営業している。




若宮大路の路地裏に隠れ家的に佇む、大正8年に建てられた茅葺き屋根の邸宅と程よく手入れされた庭園で抹茶や珈琲・紅茶なども戴ける。
鎌倉ビールもメニューにあるのは嬉しい。

茶廊主の野尻 芳英さんは鎌倉の地をこよなく愛した作家で、鎌倉の景観保護に尽力した大佛次郎(本名:野尻 清彦)のお孫さんにあたる。

営業は土日祝日の正午前より日没まで、というユニークな営業日時。
11時半頃に到着したので、一番乗りで入店出来た。
お蔭で、幾らか話を伺うことが出来て「桜の頃も良いですよ」とのこと。

3月末には開花と思ったが、その後の冷えで開花が遅れ4月8・9日辺りが見頃と聞いて9日に出掛けた。
生憎の小雨ではあったが、週末のみ営業だから致し方ない。



若宮大路は「鎌倉まつり」とやらで大賑わいだが、通りを僅かに入っただけで清閑な別世界だ。



枝垂桜・ソメイヨシノ・山桜など。



シャクナゲ。



ツツジでしょうけれど、名前は?



白磁の徳利に「黒椿」
真紅の濃い色なので「黒椿」と呼んで良いのではと思いますが、珍種と思います。



ガラスケースの中に鎌倉の景観保護に尽力した大佛次郎の資料などが展示されてある。
図書約36,000冊・雑誌約58,000冊特別資料(自筆原稿・自筆資料・書簡等)美術、台本や地図等の関連資料、遺品等 約17,000点は横浜市に寄贈され「港の見える丘公園」の「大佛次郎記念館」に収蔵されている。



総数7万点を超す所蔵品は季節ごと・テーマごとに公開されている。




抹茶には、鎌倉・美鈴の生菓子がつく。
コーヒーや紅茶には、東京、永福・CQLの焼き菓子が。

お値段は、高そうに感じますが、文化財の庭と建物。
ゆったりと流れる時間を考えれば、お安いかも。
日常の街のコーヒー屋さんとは比較になりません。
文化財を守り維持する努力に感謝です。



トイレの中の「手水鉢」さすが、文化財の建物。
手入れも大変でしょう。




玄関から門を眺める。
石畳を含め、味わい深い。




路地を挟んで反対側に旧大佛邸本宅。
この2階に書斎が在ったようです。



往時の書斎の写真。
この状況は「港の見える丘公園」の「大佛次郎記念館」に再現・展示されている。


「大佛茶廊」HP

http://www.1938.jp/osaragi/3.oshinagaki.html

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常照禅寺の枝垂れ桜@水戸市元吉田町

2017年04月04日 21時28分00秒 | 文化遺産
常照禅寺の枝垂れ桜@水戸市元吉田町



待ちに待った桜の季節、ここしばらくは落ち着かない日が続く。
昨日(3日)は河和田町の報佛寺の枝垂れ桜を見に行ったが、一寸ばかり早すぎた。
今日(4日)は元吉田町の台地にある常照禅寺に。



臨済宗大徳寺派に属し、山号は仏日山(ふつにちさん)。
水戸藩2代藩主・徳川光圀により元禄13年(1700)に創建された。



境内の一帯は中世の吉田城跡で、周囲に土塁や空濠が残っている。




山額「仏日山」は光圀の書










山門から中門にかけての石畳の両脇は苔むし、京都のお寺のようだ。



中門の扉の板と金具は歴史を感じさせる。



庫裡前の枝垂れ桜の老木が見頃。



本堂前の門と奥に本堂、天明6年(1786)の再建。
昔の写真では茅葺、何時から銅葺きになったのか。



本堂の前の他に、何本かの後継木が育っている。

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ブラタモリ#61水戸編、其の弐

2017年02月16日 16時25分53秒 | 文化遺産
ブラタモリ#61水戸編、其の弐



水戸藩は江戸と国元の水戸の両方に本拠地を構えたので藩の財政は厳しく、「あるものを活用する」倹約の精神で城下の整備にあたった。

城下町なのに石垣も無ければ天守閣も無い珍しい城下町。
城下を拡張するのも自然の地形を利用した。



南町広場から案内人の小野寺淳さん(茨城大学教授・歴史地理学)が加わる。

小野寺さんは江戸時代の地図を研究している。

水戸城は、北に「那珂川」南に「千波湖」に挟まれた台地の上に形成された。



城下町を拡大するために新たな濠を作ることに。
この図の④と⑤



佐竹時代の西の端がこの辺りで、南北に貫く太田街道が境界。


紀州堀・今は「梅香トンネル」につながっている。(南町から千波湖方面)
この、向って左側が濠の跡、



南側から北側の濠の跡を眺めると、(2・16.高橋が撮影)
埋め立てられたが、今でも数メートルの高低差がある)

旧鉄砲町の通り、現在の「五軒市民センター」前の通りに作られた濠なのだが、(今では痕跡もない。)



その延長に気象台横の崖に連なる。
「あるものは利用する」の精神。

●⑤のルートについて、番組では触れていないが現在の「西の谷」。
金魚坂を経由し、栄町~八幡宮に至る経路。



城の東側の湿地帯を埋め立て拡大することに。



湿地は飲料水の確保が難しく、新たな水源を探すことに。



選ばれたのが「笠原の湧水」を使用した水道。(末尾に笠原水道の解説付けました)




案内人の 安藤寿男さん(茨城大学 地質学・古生物学教授)。



湧水は、透水層と不透水層地層の間から流れ出る。

●この地層の話と笠原水道に関しては水戸マニアの会が主催する「笠原水道・龍の道ウォーキング」が1月22日(日)に開催され、水の専門家の西原昇治さんと、茨大の天野先生の話を聞きながら実地踏破をしたので理解が深まっていたので納得。








湿地帯を崖線沿いに暗渠の岩樋を使用して通水したが、そこには逆転の発想が。
水を漏らさずではなく、隙間を利用して湧水を取り込みながら流量を増やし通水する、これまた今回のテーマに沿った考えの実践例。




●笠原水道

2代藩主徳川光圀は藩主就任直後の寛文2年(1663)町奉行望月恒隆に下市の水不足に対処するための水道設置を命じた。
調査に当たった平賀保秀は笠原を水源地に選び、工事は永田勘衛門が担当した。笠原から逆川に沿い藤柄町まで岩樋を用いた暗渠を作り、備前堀を銅樋で渡して市街に入り、細谷まで全長約10kmの水道が翌年完成する。

以後、街の人達の共同管理により運営され、昭和7年、那珂川を水源とする、水戸市近代水道の完成によって、笠原水道は幕を閉じた。

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ブラタモリ#61水戸編、其の壱

2017年02月15日 15時09分07秒 | 文化遺産
ブラタモリ#61水戸編、其の壱



昨年末、「タモリを南町で見かけた」「常磐線の線路脇の洞穴に居る」などの情報があり、現場に駆けつけたが一足遅く、ロケ終了で間に合わず。
何処をどの様に取材したのかの放送を楽しみにしていた。
ついに、水戸編が1月28日(土)午後7時30分~8時15分に放送された。




水戸駅前の黄門像の前に降り立ったタモリさん。
「水戸黄門は なぜ人気があるのか?」が今回のテーマ。

案内役は関口慶久さん(水戸市教育委員会歴史文化財課)


「実は生きている頃も大変人気だったんです」と関口さん。



亡くなった時に詠まれた狂歌『天か下 ふうたつの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門』を紹介。





徳川御三家の「水戸徳川家」はどんな藩だったのか?





良く分かる場所へご案内と水戸城跡にむかう。





堀には水郡線の線路が走る。




番組では紹介されなかったが、この土塁の延長右端に明治時代初期まで隅櫓が建っていた。



本丸跡は茨城県立水戸第一高等学校。



タモリさんの大学時代のバンド仲間が下館出身で水戸一高の卒業生だった。
●私の母校でもあるから嬉しい。



本城橋を渡って校内に、随分贅沢な場所だな~。
本丸跡の全てが敷地。




佐竹時代唯一の遺構「藥医門」が校庭に。
水戸は佐竹氏の支配だったが、関が原で態度を明確にしなかったので秋田に移封され水戸藩が誕生。
(この門は僕の在学時代は他所に在って、その後、現在地に再建された)


初代水戸藩主・徳川順房(1603-1661)時代から支出が収入の倍以上という赤字財政なのは何故?








水戸と江戸の両方の屋敷の運営費。



江戸の方が多いのは御三家の大名としての体裁を保つためでもあり、国元にかける経費までは回らなかったのが実情だろう。

●水戸家のみ参勤交代のない定府(常時・江戸詰め)制で参勤交代の費用が掛からないいと思っていたが、江戸と水戸に家臣を配置するのは、経費がかさむ仕組みだった。
大日本史作成の費用が膨大で苦しいと信じていたから、意外な事実に驚いた。



財政難の水戸藩は「あるものを最大限に活用する」ことで乗り切った。
質実剛健の気風と云えば聞こえがいいが、倹約第一の質素な暮らし。

●赤字財政もなんのその、大型プロジェクト目白押しの現在の市政運営、先人に大いに学ぶべきことだろう。

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向ヶ岡と忍ケ丘 @史跡見学会

2016年12月06日 16時15分41秒 | 文化遺産
向ヶ岡と忍ケ丘 @史跡見学会




「第24回芸工展参加企画・修復のお仕事展16ワークショップ」10月15日の「加賀藩・富山藩コース史跡見学会」の後半は。
不忍池を挟んで二つの岡が対峙した景観を「向ヶ丘」から辿ってゆく。

《向ヶ岡》水戸藩・駒込邸、加賀藩上屋敷、加賀藩の支藩である富山藩辺り。
《不忍池》(洞庭湖・琵琶湖などに見立てる。)
《忍ケ丘》寛永寺(現在の上野のお山一帯)


旧加賀藩前田邸の懐徳園・育徳園から下り、旧富山藩邸・現在の東大病院に。



ベルツの庭石。
ドイツ人の医師・エルヴィン・ベルツ博士(1849-1913)の住居に在った伝えられる庭石。
戊辰戦争の時は、この辺りに官軍が大砲を据え、上野の彰義隊と対峙した。





更に下って「池之端門」を出ると直ぐに「境神社」
正に「向岡」と「忍岡」の境界。



その直ぐ脇が「横山大観記念館」
何時も上野駅方面から訪ねるので分からなかったが、東大病院の真下。
今では大観記念館から不忍池の湖面に映る月を望むべくはないが、建設時は良く見えたことであろう。




水月ホテル鷗外荘。
敷地内に明治の文豪・森鷗外の旧居が保存されている。



彫刻家・平櫛田中(ひらくしでんちゅう1872〜1979)の旧居兼アトリエ(台東区上野桜木2-20-3)。

「修復のお仕事展‘16」「しまう」の会場。

「しまう」を統一テーマに油絵修復・建造物保存活用・染織品修復・陶磁器修復・東洋書画修復・文化財保存支援など14の団体・個人の展示。

分野ごとに「なるほど」と感じる展示が沢山あった。

今回の「史跡見学会」を主宰して戴いた原祐一さんも「埋蔵文化財公開・活用」 を展示されていたのを拝見。

今回の見学会はここで解散。



原さんのFBによるこの日のルートマップ。

散会後、忍ケ岡からの眺めを確認。




清水観音堂の下から「弁天堂」更には「向ヶ丘」を望む。
大きなクレーンなどは建設中の東大病院。

東京国立博物館は金曜日なので夜間も開館。
本館前の庭では「野外上映会」が開催されていた。



清水観音堂の上に秋の月が。
「向ヶ丘」から不忍池に映る月影を愛でたことだろう。

今回は説明を聞きながら歩いたので理解がより深まったが、建築物がやたら増殖し、想像にたよる部分がかなり必要であった。

原先生、有り難う御座いました。

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楞厳寺(りょうごんじ)@笠間市片庭775

2016年11月26日 22時25分36秒 | 文化遺産
楞厳寺(りょうごんじ)@笠間市片庭775




笠間から益子に向かう国道沿いの仏頂山・楞厳寺はヒメハルゼミの生息地(太平洋側の分布北限)として国指定天然記念物に指定されていることもあり、知名度の高いお寺さんだ。
創建は不詳だが、律宗の寺院として宋(中国)の千岩が開山したと伝えられる。
鎌倉時代、当地の領主・笠間家初代時朝が建長寺(神奈川県鎌倉市)の住職大拙和尚を招いて中興開山し歴代笠間家の菩提寺とした。



楞厳寺山門(国指定重要文化財)
室町時代中期に建てられた四脚門。
畑の中にポツンと違和感を覚えるが、当初はこの周辺に堂宇が建ち並んでいたらしい。現在の本堂辺りは奥の院であった。



山門から800m位、細い道を登ると本堂に至る階段。
苔むしていい雰囲気です。



観音堂 宝永年間(1704-1710建立)
新本堂(1965年)建立までは本堂として使用されていた。
奥に見えるのが新本堂。



太子堂。後に見えるのが収蔵庫。



収蔵庫。



木造千手観音立像。(国指定重要文化財)
桧材の寄木造、像高208cm-建長4年-笠間時朝の発願による造像。

木造不動明王立像・毘沙門天立像も収蔵庫に安置。

木彫の飛天の残欠も素晴らしい。

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岩谷寺 @ 笠間市来栖2696

2016年11月25日 18時50分14秒 | 文化遺産
岩谷寺 @ 笠間市来栖2696



笠間に紅葉狩りに行ったことで、書き残しているのを思い出したが「かさま文化財公開」が10月22日(土曜日)・23日(日曜日)午前10時~午後3時行われた。

水戸近辺での「文化財の曝涼」は2009年に開催された常陸太田市が初めてだったように思う。その後、毎年行われて人気を集めるようになった。

今年度の笠間市の公開は「笠間稲荷神社」「弥勒教会」「岩谷寺」「楞厳寺」の4社寺。
この内、「岩谷寺」「楞厳寺」を訪ねた。

何れも地元の住民がお茶の接待、茨城大学生が開設などのボランテアとして参加されていた。

公開時でなければ、行くことも無いだろうし、行ったにしても収蔵庫を開いて頂けるとは限らない。

岩谷寺は初めて、ボランテアの道案内さんが居たから分かったが、結構分かりづらい場所だ。

細い杉並木を抜けると山門に。



ボランテアのお茶の接待。



観音堂。



仏様は後ろの収蔵庫に。






収蔵庫前の茨大生?の解説。



木造薬師如来立像 国指定重要文化財


像の背面下方には「建長五年癸丑七月日従五位上行長門守藤原朝臣時朝」の刻銘があり,笠間時朝の発願による造像であることがわかる。
台座は後世の製作。

木造十二神将像 12件

木造薬師如来坐像  国指定重要文化財

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「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」 

2016年10月09日 22時18分44秒 | 文化遺産
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」 
@台東区上野2-14-27 上野の森ファーストビル1F






ビルの1階だが、入り口が分かりづらい。


8月下旬に友人3人と連れだって琵琶湖周遊の旅をした。
長浜に2泊して、観音巡りと竹生島を訪ねた。
とても印象的な旅で琵琶湖と長浜に対する思いは一層募った


上野公園の「不忍池」は、寛永寺の開祖・天海が琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえた弁天島(中之島)を築かせたという。



その様な歴史を持つ不忍池の池之端に長浜市によって「観音」をテーマの情報発信拠点 「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」 が2016年3月21日に開館した。

長浜市には、130体を超える観音像があり、その観音像を2か月に1体ずつ、〈びわ湖長浜KANNON HOUSE〉にお招きしているとのこと。

訪問の機会が無かったが、東京国立博物館の特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」を観た帰途に実現した。



今回展示されていた仏様は。
長浜市湖北町山本 常楽寺蔵の「聖観音立像」
平安時代・十二世紀 木造 像高・101・8cm



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下市毛八坂神社のしだれ桜@笠間市下市毛

2016年04月09日 22時18分11秒 | 文化遺産
下市毛八坂神社のしだれ桜@笠間市下市毛








笠間の有名な焼鳥店「鳥文」は予約なしでかうのは難しい。





鳥文の反対側の路地を入った所の八坂神社。
明治初期の廃仏毀のときに廃寺になり、境内社の八坂神社が祀られるようになった。

樹齢約200~250年、目通り幹囲3.2m、樹高約13m。
枝張り東8.5m、西9m、南9m、北8m。
樹幹からの枝のしだれは、長いところで約8mから10m。



天然記念物に指定されている。
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清音禅寺@城里町大字下古内

2016年03月16日 15時35分15秒 | 文化遺産
清音禅寺@城里町大字下古内




鶏足山を下山し徳蔵寺を経由して清音禅寺に。
禅臨済宗南禅寺派の寺院でいかにも禅寺と云う趣がある。



(案内看板)
弘法大師草庵を構え等の伝承が在るにしても、文和元年(1352)に佐竹義篤が復庵禅師(ふくあんぜんじ)を招請し、父・貞義の菩提寺として太古山獅子院清音禅寺を開山した。







宝篋印塔(石造)墳墓三基
 菩提 常陸守佐竹貞義公 開山 復庵大光禅師

佐竹氏秋田へ移封後に衰えたが、徳川光圀も来遊し名吟其の他などを残す。

この辺りは茶畑が多く茶の名産地として知られるが、起源は清音禅寺といわれ、境内には茶畑もあり、「古内茶発祥の地」の碑もある。

明治維新の際に衰え、名宝四散し、昭和十五年に第二次大戦で罹災。
昭和二十六年再興、 同三十二年一応整備成る、と記されている。

往時の隆盛を偲ぶべきものはないが、山門の礎石の上に立ち、周囲の山を見渡せば、往時は大寺であった状況が良く判る。

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