「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

木で作る時計とからくりおもちゃの世界

2021年08月13日 19時41分57秒 | 美術展
木で作る時計とからくりおもちゃの世界
7月27日~9月19日
@常陽史料館「アートスポット」(水戸市備前町6番71号)












歯車も木製の機械式振り子時計を制作する川瀬英幸さんは、電子機器構造設計業務に33年従事し、その後【シー・エム工房かわせ】を開設。
木製が主体だが、乾電池を動力とした準機械式振り子時計や、既成のムーブメントを使用した電波時計など、手作りの時計の数々。













オートマタ(からくりおもちゃ)を制作する田村誠司さんは、民間及び国立の研究機関で原子力の研究開発に従事。定年後、孫の誕生に合わせて、積み木や車などの木工おもちゃ作りを始めた。オートマタの面白さを知りその分野のおもちゃ作りに夢中となった。



お二方とも木を使った時計や、からくりおもちゃ作りに魅せられて制作されている。楽しさを子供たちに伝えようと、ひたちなか市を中心に小学校で出前授業を行うなど、子どもたちに理科の面白さを伝えている。

既に申し込みの期限は過ぎたが「日時計」と「からくりおもちゃ」作りのワークショップが開催される。
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『水戸に文化の灯がともる ―舞台公演戦後史―』

2021年08月12日 20時04分41秒 | 本・雑誌
『水戸に文化の灯がともる ―舞台公演戦後史―』
竹内昱之助著 発行:県民文化センター友の会 (昭 56・1981)




茨城新聞の広告部長、営業局次長を経て茨城県民文化センター(現・「ザ・ヒロサワ・シティ会館」)のセンター長などを務めた竹内昱之助さんが戦後の茨城県の水戸を中心とした、舞台公演・音楽公演などについて文化センター友の会の機関誌に50回にわたって連載した記事をまとめ、単行本として刊行された。



吉右衛門(先代)一座を迎えて戦後はじめての歌舞伎
丸太に板敷きの映画館でSKDの水戸初公演
豪華な水戸第一劇場の誕生、市民の眼を奪う
水戸署から流れる和田肇さんのピアノ演奏
多賀工専での音楽会、日立には市民のオーケストラ
すさんだ心を慰めるレコードコンサート花ざかり
歌舞伎座風の本建築、いばらき野外会館の功績
茨城会館の復興は進駐軍の命令
茨城会館にあった名ピアノ
楽章の切れ目で盛大な拍手、オーケストラ本県初公演
実演専門の劇場として水戸国際劇場が登場
東京交響楽団の本県初公演
歌の女王 トロウベル水戸公演
豪華な「文楽」水戸公演
戦後の日本を代表する三大女流バイオリニスト
宮城道雄さんの水戸公演
人気をわかせたファッションショー
市川少女歌舞伎の水戸初演
前進座水戸公演を支えた人々
初代西崎緑とその公演
能の二大巨匠水戸で舞う
巨匠ぞろいのピアノ三重奏
本格的バレエ本県初公演
世界の三大合唱団本県でうたう
大成功した文学座 〝鹿鳴館"
山本安英と"夕鶴"
タンゴの女王藤沢嵐子



歌劇「お蝶夫人』水戸初公演
水戸でうたう二大シャンソン歌手
茨城交響楽団誕生
五十嵐喜芳初の水戸公演
水戸労音の誕生
文化センター建設高まる
いばらき観劇会の活躍
脚光を浴びた小平会館
日立交響楽団(H響)の誕生
県民文化センター完成まで
文化センター落成記念行事
水戸市カラコレス合唱使節団団長として訪米
ロスアンゼルスの邦人達の涙
水戸の姉妹都市アナハイム市に着く
私と『運命交響曲』私と音楽との出会い "音楽こそわが命!
あとがき(野田光春)

戦後間もないころの資料は少なく地元新聞「茨城新聞のマイクロフィルムに収められた音楽会・演劇公演など丹念に調べた。



茨城会館(現在の茨城県立図書館の所に在った)
1935(昭和10)年から1966(昭和41)年に県民文化センターが開館する迄の約30年間、県下最大の公会堂・文化拠点として多大な功績を残した。
空襲により一部を破損し使用できない時期もあったが、戦後の演劇・音楽・絵画展など、多目的な空間として使用された。



県民文化センター落成。
1963(昭和38)年建設地を現在地の千波湖畔に定めた。
当初は茨城会館の生まれ変わり的な発想だったが美術科団体からの強い要望もあって県立美術博物館をも内蔵する文字通りの文化センターが1966(昭和41)年に誕生した。
その後、1988(昭和63)年に茨城県近代美術館が隣接地に開館した。



1979年4月に筆者(竹内昱之助)は「水戸市カラコレス合唱使節団」団長としてアナハイム市を訪問。
サヨナラパーティーで市長とかたい握手。

アナハイム市はMLB大谷翔平選手の所属するエンジェルスの本拠地として有名になったが、水戸市は昭和51年(1976年)に「国際親善姉妹都市」の盟約を結び毎年交流を続けている。

演劇・音楽・美術など文化的な物事は実物にふれることが重要だが、戦後しばらくの時代はそのよう機会が少なかった。
1950年~80年にかけての30年間を文化振興に携わった著者が調べたこと、見聞した逸話などが数多く語られている。
コロナウイルスの世界的な蔓延により従来の公演・展示の活動は変化を余儀なくされる。この機会に過去を振り返ってみれば未来への道も見いだせるかもしれない。
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田中マルクス闘莉王が水戸を応援に@ケーズデンキスタジアム水戸

2021年08月11日 13時20分49秒 | 水戸ホーリーホック
田中マルクス闘莉王が水戸を応援に@ケーズデンキスタジアム水戸







8月9日(月)は台風10号の影響で雨は上がったが時折、突風が荒れた。
J2第24節、水戸ホーリーホックは東京ヴェルディを迎えてのホームゲーム。
今シーズン遅まき乍ら初参戦。





元サッカー日本代表 田中マルクス闘莉王を招いてのトークイベント『リアルホーリーホックライブ』が開催された。

2003シーズンに水戸でプレーした田中マルクス闘莉王。
「あの困難な経験があったからこそ、浦和や名古屋での活躍につながった」。
当時の水戸で苦労したであろうに「心温かいサポーターにあいさつがしたかった」と応援に駆けつけ、数多く詰め掛けたサポーターに「J1で輝けるチームになってほしい」と激励した。
期待に応えJ1を目指したい!有難う闘莉王。





今シーズンから株式会社オートバックス関東販売 茨城カンパニーがスポンサーとなった。
コロナ渦でクラブ運営が難しい状況で支援企業が手を指し述べてくれるのは有難い。
この試合は『オートバックスサンクスマッチ』販売ブースと車両の展示が行われた。



前半は風下、若干不利な状況で16分に先制された。
強固なブロックを崩し切れずに45分を終える。
後半は風上にたち、流れは一転し何度もゴール前に迫るが1点が遠い。
後半40分に森の今季初得点でようやく追い付いて試合終了。
分の悪いヴェルディに粘って引き分け。
ゴールシーンが見られて、満足だった。

悪天候ながら、結果的には2758人が入った。
ヴェルディのサポが来たとすれば5千というところだから、良しとすべきだろう。
今の状況ではアウェイの応援に行くのは難しいが、残りのホームゲームは数多く参戦したい。
次節からの健闘に期待し、先ずは一桁圏内を目指そう。

●8月9日は長崎原爆の日:長崎原爆忌。
1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下、長崎市松山町の500m上空で爆発させた。
この爆弾で約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。
長崎市では「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われた。
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「よみがえるポンペイ」NHK BS

2021年08月08日 22時31分31秒 | 
「よみがえるポンペイ」NHK BS









ポンペイは、イタリア・ナポリの対岸23キロに位置し、紀元前8世紀に建設され、その後ローマの支配下に入り発展した港町であり商業都市。
79年のある(8月とも10月ともいわれる)昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火により町全体が5m以上の火砕流に飲みこまれた。其の後は当時の人々の生活をそのままの状態で10m以上も埋もれたポンペイが人々の前にその姿を再び現したのは、1748年ナポリ王カルロス7世が発掘して以来、現在に至るまで続けられている。









最新の技術を投入した大規模な発掘調査の記録が2020年放送されたが、本日(8月8日)13:59〜15:30にNHK/BSで放送された。

およそ2000年前、突然の悲劇に襲われた人々は最期の瞬間をどのように迎えたのか?最新の技術を投入した1年がかりの調査のドキュメントと再現ドラマを含めた1時間半の番組から謎に包まれた古代都市の姿が次々と明らかになった。



ポンペイ遺跡はピーター・オトゥール主演の『チップス先生さようなら』(1969年制作のアメリカ・イギリス合作映画・原作はジェームズ・ヒルトンが1934年に発表したイギリスの小説)で≪チップスは夏休みを利用してイタリアへの旅に出かける途中、ロンドンで女優のキャサリンと知り合う。その後、ポンペイの遺跡で再会した2人はたちまち恋におちた。》
映画はポンペイ遺跡の随所で撮影された。



映画を観て以来、訪れたいと願っていたが2010年11月にポンペイを含むイタリアツアーに参加でき、夢がかなった。
広い面積で、ほんの一部しか巡ることが出来なかったが、現場に立てたことは素晴らしい体験で、今回の番組も興味を持って観ることが出来た。
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空蝉 @千波公園西の谷緑地

2021年08月07日 22時52分10秒 | 歳時記
空蝉 @千波公園西の谷緑地





西ノ谷に行くと沢山のセミの抜け殻を目にする。
葉や幹の上に留まっているのも有れば、地上に落ちているものもある。

蝉は成虫としての地上の生活は数日から1週間だが、幼虫は土中に数年から数十年いて蛹となり、蛹が地に出て木に登り、背より割れてその皮を脱ぐ。
その脱殻を空蝉と云いい、または蝉の殻・セミの抜け殻などという。
古来、空しいこと儚いことのたとえに言う。



もともと「うつせみ」は蝉とは関係のない言葉で、この世に生きている人間。
古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもの、らしい。
ちょっと調べだけでも、『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ、第3帖。
また、その帖を中心に登場する架空の女性の通称。
空蝉 (能) - 能の演目。三番目物の本髭物。
古今集から俳句まで世界が広がり、課題が増える。

俳句では「夏」の季語だが、空虚で欺瞞に満ち、可笑し気で怪しげな現世。
暗闇の冬に向かう漠然とした不安に応えてくれるのは『徒然草』『方丈記』を読み返すには「立秋」の今こそ、ふさわしい。
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ミズヒキ

2021年08月06日 23時20分39秒 | 平和
ミズヒキ



連日の猛暑だが暦の上では明日(8月7日)は立秋。
夏が極まり秋の気配が立ち始める日とされるが、暑さは続きそうだ。

ご近所のお宅、蹲の脇のミズヒキが咲いていた。
花は総状花序で、茎頂や葉腋から長さ20〜40cmになる花穂を出し、それに小花がまばらに咲く、風情のある植物だ。

「原爆の日」
1945年8月6日に広島市、同9日には長崎市に原子爆弾が投下された。
広島では十余万人、長崎では7万人を超す死者が出て、残った被爆者たちは今もなお苦しんでいる。
以降この両日を忘れてはならない過去として刻むため、広島・長崎それぞれについて原爆の日、または原爆忌、原爆記念日とした。
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「よし」・「あし」【葦 ・ 蘆 ・ 葭】 /ミソハギ/蝉の声

2021年08月05日 20時30分22秒 | 西の谷緑地公園
「よし」・「あし」【葦 ・ 蘆 ・ 葭】 /ミソハギ/蝉の声





西の谷緑地の入り口に左右に小さな沼地が在る。
どちらも「あし」が全面に茂っている。
狭いエリアだが水墨画の世界が連想され、奥深さがある。

「よし」・「あし」【葦 ・ 蘆 ・ 葭】 
呼び方も感じも異なるが、同じ植物を指す。
読みや漢字は人それぞれの好みに任せるほかはない。

片方の沼の縁にミソハギが咲く。
ミソハギの語源は禊萩(みそぎはぎ)とも溝萩(みぞはぎ)だとも言われる。
後者の語源が示すように,山野の湿地に生える多年草。
月遅れのお盆の頃に咲くのでボンバナ、ショウリョウバナ(精霊花)とも呼ばれる。
これまた呼び名は人それぞれ。





茎の断面が四角で、葉は長さ数センチで細長く、対生で交互に直角の方向に出る。
紅紫色6弁の小さい花を先端部の葉腋に多数つける。

蝉の声が聞こえる。
何種類かいるようだが、「カナカナ…」と鳴く「ヒグラシ」はことのほか味わいがある。

東京をはじめとし、コロナウイルスの感染者が爆発的に増えてきた。
茨城県にもまん延防止法が〈8月8日から31日迄〉発令された。
その期間で収束するかは甚だ疑問だ。
コロナ渦も自然現象の一つと考えれば、共存できる接点が何時来るのだろう。





今宵の夕焼けはことのほか見事だった。
刻々と変化するのが夕焼けの良さ、一瞬の風景は神秘的だ。
全ては大自然に身をゆだねるしかないのだろう。
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水戸空襲を描く@常陽芸文センター・1F芸文プラザ

2021年08月04日 18時01分28秒 | 平和
水戸空襲を描く@常陽芸文センター・1F芸文プラザ
8月4日(水)~19日(木)






「水戸空襲」は、太平洋戦争終戦間際の1945(昭和20)年8月2日の未明、アメリカ軍のB29爆撃機160機による焼夷弾攻撃を受け水戸の市街地の8割以上が焼失し、300人を超える市民が亡くなった。







戦時下の水戸の街の様子や、空襲時の状況、空襲後の街の風景などを水戸市民の滝田浩さん、山口勇さん、萩谷四郎さん等が描いた作品が展示されている。











「水戸駅前炎上図」山口勇





「出征兵士・泉町」萩谷四郎

描かれた場所の地図や過去・現在の写真も添えられてあるから、理解が一層深まる。
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連日の猛暑、暫しの涼@千波公園西の谷緑地

2021年08月03日 23時48分34秒 | 西の谷緑地公園
連日の猛暑、暫しの涼@千波公園西の谷緑地





猛暑の続く毎日だが、涼を求めて仲間内3人が西の谷の東屋に集合。



イチョウの青い実が膨らんできた。



アカザの丈が2㍍を越え太さが2㌢以上に育ち、立派なアカザの杖になりそうだ。
水戸黄門も愛用したと伝えられ、中国では仙人にとっては必携で中風予防の効果があるといわれる。



ニシキギが色づいてきた。
実が目立つ大きさだが、まだ青い。



フジバカマ
秋の七草の一つに数えられ、万葉の昔から日本人に親しまれてきた。
茎や葉を乾燥させて生乾きにすると、桜餅の葉のような芳香を放つ。
生の葉を手でもんでも、僅かな香を発する。



スーパーで清涼飲料・氷・幾らかのアルコール、おつまみ等を仕入れ、陽ざしも弱まるであろう3時半に集合し、克人・魚一・破髯の3人は四方山話に興じた。
時節柄、早めの散会と思ったが、蝉の声・鳥の声になごんで時間延長。

友人2組が散策で通りがかる。
スポーツドリンクを共にし、暫しの歓談。
千波公園西の谷緑地は最近利用者が増えた。



京成百貨店寄りの舗道脇の民家の塀に、カラスウリのしぼんだ花と青い実。
カラスウリの花は「花びらが5枚、それぞれの花びらの外側は糸のように裂け、真白なレースを広げたような美しさ」とは聞いているが、日が暮れてから開花し、朝には萎れてしまう一夜花、まだ見たことがない。

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「戦争時代のお話を聴く わたしは戦争を忘れない」

2021年08月02日 22時48分24秒 | 平和
「戦争時代のお話を聴く わたしは戦争を忘れない」
8月2日(月):14時~16時 @みと文化交流プラザ 6F大会議室




8月2日は水戸が空襲を受けた日。
戦争と水戸の空襲を体験した亀田博子さんと小菅次男さんのお二方から「どこで何が起きたか」をお聞きし、語り継ぐ集いが「みと文化交流プラザ・6F大会議室で開かれた。コロナ感染が収束しない現状を鑑み、予約の定員100名限定の会だった。
小学生を連れた親子が大半を占めていたのは意外ではあったが、若い世代が関心を持って参加されていたのは、嬉しいことだった。







水戸が空襲を受けた地域と、今回の話に関係する場所を示した地図。







亀田博子さん
1930(昭和5)年7月、水戸市生まれ。国民小学校3年の頃に日米が開戦。
茨城県立水戸高等女学校に入学するも戦争の激化により、勤労動員で日立の鮎川工場まで通わせられるような学生生活を送った。







小菅次男さん
1936(昭和11)年水戸市五軒町(現・泉町)生まれ。
小学時代を父親の勤務先・常陽銀行本店構内の社宅ですごした。

空襲を受けた年の夏、桜川で米軍グラマン機の機銃掃射に合うが助かる。
空襲の夜は家族と離れ離れ、水戸東武館の竹やぶに逃げ込み焼夷弾を間近に受けるが間一髪で逃れた。
等々の逸話など、パワーポイントを駆使してわかり易く説明した。

お二方とも戦前・戦中・戦後を通し過酷な体験をされた。
現在の平和な時代だからこそ、それらを語り継ぎたいと機会が有るごとに実践されている。







会場の隅に当時状況を知らせる展示コーナーが設けられた。
家族で熱心に見つめていた。

8月2日、蒸し暑い一日だった。
しかし、1945年のこの日の水戸は、正に地獄のような熱い日であったに違いない。
今年80歳を迎える僕でも、記憶も少なく知らないことばかり。
75年前の出来事をどれくらい理解できるのか?若干の不安は感じるがこれを機会に多くを知り伝えなければ、との思いを強くした。

恒例となっている一連の行事が継続され、さらに大きな環になること願っている。
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『常陽芸文』2021 8月号

2021年08月01日 18時24分33秒 | 平和
『常陽芸文』2021 8月号
芸文風土記・水戸空襲を絵画に残す






1945(昭和20)8月2日未明、B29 160機による焼夷弾攻撃を受け、当時の水戸市街の65㌫が焼失・破壊され300人以上の市民の命が奪われた。



全国各地にあった空からの無差別爆撃。
水戸も富山、八王子と同日に爆撃を受けたが、空襲前に米軍が予告のビラがまかれた。





13歳の時水戸空襲を体験し、猛火の中を逃げ回った滝田浩さん。
水戸商業学校2年生の時、水戸市泉町の自宅で被災し辛くも退避し得た。
8月15日の終戦ほどない頃から市内各所を歩き、自らが直接目にした惨状を鉛筆によるスケッチで記録した。



「水戸平和記念館」
水戸市が市制施行120周年を迎えた2009(平成21)年8月1日、銀杏坂にオープン。3階建ての2,3階が展示スペース。
写真パネルや資料などにより戦争中や戦後の姿を知ることが出来る。
滝田さんを含め12人の空襲体験を述べたVTRを視聴することも出来る。



直後に描かれた焼け跡のスケッチ画、その土地の現在は・・・









焼け残った石造・レンガ造り、巨樹などのスケッチと現状写真の対比。
既に幻の風景となってしまったものもある。





地元を見つめ愛した人生
滝田浩さんは商家の長男に生まれ、家業を継ぐべく商業学校に入った。
和菓子屋から画材・画廊に転換「趣味の店タキタ」として水戸の文化の一翼を担った。古美術の収集家としても知られた存在となった。

早くから画才を発揮したのは、空襲の焼け跡をスケッチしたことからわかるが、プロの道を歩みはしなかったが、生涯を通し描き続けた。
散歩の傍ら俳句を作り景色を頭の中で描き、帰宅して書き留める毎日だった。

「水彩連盟展」茨城県・水戸市の芸術祭にも出品を欠かさず出品した。
街を愛し人を愛し、市内の諸般に通じた「故老」「語り部」でもあった。
2020年1月23日に87歳で急逝してしまったのが誠に残念だ。
*「水戸空襲を描く」展が、2021年8月4日~8月19日
水戸市三の丸1丁目の「芸文プラザ」で開催される。
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