市立博物館コレクション展 @水戸市立博物館 其の①
2023年6月10日~2024年1月8日
水戸市立博物館は昭和55(1980)年に開館以来、40年以上にわたり水戸に関する自然・歴史・民俗・美術といった分野の資料を収集・保存し、展示や調査・研究に活用してきた。
水戸市民会館のオープン記念特別展示として「コレクション展」が開催されている。
第1期 江戸から近代へ 水戸の作家たちの軌跡(6月10日~8月27日)
立原杏所(1785-1840)、五百城文哉(1863-1906)、中村彝(1887-1924)、横山大観(1868-1958)など、江戸から近代までの時代を象徴する作家たちの絵画や彫刻などの作品を展示。
*博物館の3階の半分が会場なので、作品数は少ないが時代の流れを通観できるようには展示されてある。
しかし、収蔵品は沢山有るのだから4階を使った構成で、多くを拝見したかった。
鍾馗図 東皐心越(1639~1696)
江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。
徳川光圀に迎えられ水戸天徳寺(後の祇園寺)の開山となる。
詩文,書画,七弦琴にすぐれた。
鷹図 萩谷遷喬(1779-1857)
林十江、立原杏所とともに水戸の三大画人とされる。
水戸藩士で下梅香に住し、奥右筆や書院番などを務めた。
花鳥画や人物画などを得意とし,30代半ばに立原杏所が江戸詰めになった後は9代藩主徳川斉昭の肖像画や弘道館の小襖絵,弘道館碑上部の龍のデザイン、偕楽園・好文亭内の板戸絵(これは戦災で焼失)など様々なことに拘った。
彰考館や弘道館で活躍した水戸藩士青山延于・延光親子など多くの水戸藩士と交流した。作家でありデレクターともいえる。
日光東照宮 陽明門と神輿舎 五百城 文哉(1863年 - 1906年)
水戸藩士の子として水戸に生まれた。
1878年(明治11年)から翌年まで母校である水戸上市小学校の教壇に立つ。
(*わが母校の水戸市立五軒小学校)
1884年(明治17年)農商務省山林局雇となり、高橋由一の門に入る。
1890年(明治23年)その後、農商務省を依願退職し、肖像画や風景画を描きながら新潟地方や、茨城、栃木など、各地を遊歴。
1892年(明治25年)日光に住み、植物や名所を描く。
日光での弟子には小杉放菴や福田たね等がいる。
1893年(明治26年)シカゴ万博に「日光東照宮陽明門」を出品。
1901年(明治34年)日光を訪れた牧野富太郎と植物採集をする。
東京山草会の結成に携わる。1906年(明治39年)日光にて没、44歳。
高山植物を中心とする、植物学的な知識に基づいた精緻な植物画を得意とした。また、武田久吉らと交遊し「日本高山植物写生図」をのこした。
水温む 横山大観(昭和29(1954)年・
展示期間:7月25日(火)~8月27日(日)
横山大観(1868年- 1958年)
水戸市下市出身の近代日本画壇の巨匠(巨匠と呼ぶのに似合う人物はざらにいない・今だもって取引されている量や金額は多いという)
今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。
●築40年以上を経た博物館は、数年前に耐震工事が施されリニュアールが済んだが、照明を含めた展示空間までは手が届かなかった。
一方、新市民会館は巨費を投じて7月に開館した。
分相応の暮らしが持続可能な社会と思うが、コストに見合う運用がなされる施設のようには思えない。考えは人それぞれだから、評価は後の方々に任せる他にないが。
豊富でない市の財政を考慮すれば新たな博物館の計画は難しい。
しかし、何時までも中央図書館に付属した資料館的な博物館では歴史を誇る水戸と水戸を訪れる方々とっても良いことではない。
2023年6月10日~2024年1月8日
水戸市立博物館は昭和55(1980)年に開館以来、40年以上にわたり水戸に関する自然・歴史・民俗・美術といった分野の資料を収集・保存し、展示や調査・研究に活用してきた。
水戸市民会館のオープン記念特別展示として「コレクション展」が開催されている。
第1期 江戸から近代へ 水戸の作家たちの軌跡(6月10日~8月27日)
立原杏所(1785-1840)、五百城文哉(1863-1906)、中村彝(1887-1924)、横山大観(1868-1958)など、江戸から近代までの時代を象徴する作家たちの絵画や彫刻などの作品を展示。
*博物館の3階の半分が会場なので、作品数は少ないが時代の流れを通観できるようには展示されてある。
しかし、収蔵品は沢山有るのだから4階を使った構成で、多くを拝見したかった。
鍾馗図 東皐心越(1639~1696)
江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。
徳川光圀に迎えられ水戸天徳寺(後の祇園寺)の開山となる。
詩文,書画,七弦琴にすぐれた。
鷹図 萩谷遷喬(1779-1857)
林十江、立原杏所とともに水戸の三大画人とされる。
水戸藩士で下梅香に住し、奥右筆や書院番などを務めた。
花鳥画や人物画などを得意とし,30代半ばに立原杏所が江戸詰めになった後は9代藩主徳川斉昭の肖像画や弘道館の小襖絵,弘道館碑上部の龍のデザイン、偕楽園・好文亭内の板戸絵(これは戦災で焼失)など様々なことに拘った。
彰考館や弘道館で活躍した水戸藩士青山延于・延光親子など多くの水戸藩士と交流した。作家でありデレクターともいえる。
日光東照宮 陽明門と神輿舎 五百城 文哉(1863年 - 1906年)
水戸藩士の子として水戸に生まれた。
1878年(明治11年)から翌年まで母校である水戸上市小学校の教壇に立つ。
(*わが母校の水戸市立五軒小学校)
1884年(明治17年)農商務省山林局雇となり、高橋由一の門に入る。
1890年(明治23年)その後、農商務省を依願退職し、肖像画や風景画を描きながら新潟地方や、茨城、栃木など、各地を遊歴。
1892年(明治25年)日光に住み、植物や名所を描く。
日光での弟子には小杉放菴や福田たね等がいる。
1893年(明治26年)シカゴ万博に「日光東照宮陽明門」を出品。
1901年(明治34年)日光を訪れた牧野富太郎と植物採集をする。
東京山草会の結成に携わる。1906年(明治39年)日光にて没、44歳。
高山植物を中心とする、植物学的な知識に基づいた精緻な植物画を得意とした。また、武田久吉らと交遊し「日本高山植物写生図」をのこした。
水温む 横山大観(昭和29(1954)年・
展示期間:7月25日(火)~8月27日(日)
横山大観(1868年- 1958年)
水戸市下市出身の近代日本画壇の巨匠(巨匠と呼ぶのに似合う人物はざらにいない・今だもって取引されている量や金額は多いという)
今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。
●築40年以上を経た博物館は、数年前に耐震工事が施されリニュアールが済んだが、照明を含めた展示空間までは手が届かなかった。
一方、新市民会館は巨費を投じて7月に開館した。
分相応の暮らしが持続可能な社会と思うが、コストに見合う運用がなされる施設のようには思えない。考えは人それぞれだから、評価は後の方々に任せる他にないが。
豊富でない市の財政を考慮すれば新たな博物館の計画は難しい。
しかし、何時までも中央図書館に付属した資料館的な博物館では歴史を誇る水戸と水戸を訪れる方々とっても良いことではない。