「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

幡谷唯深遺稿集

2023年12月23日 23時52分47秒 | 本・雑誌
幡谷唯深遺稿集





2023年12月18日(月)午後1時から水戸信願寺第26世住職・幡谷唯深師の葬儀が水戸市緑町の信願寺で執り行われた。



香典のお返し品として、サザコーヒーの詰め合わせと『幡谷唯深遺稿集』が贈られた。
住職は珈琲と煙草が好きだった。



『幡谷唯深遺稿集』は(A5版・187頁・著者:幡谷唯深 発行者:幡谷洋子)

第1章 仏教のこと
第2章 俳句のこと
第3章 随筆
第4章 晩年の詩より
第5章 手すさび漫画
付録  原始仏教における縁起説

*編集は故人の兄の筧次郎さんが能っただけに、さすがと思える遺稿集だ。

毎日、帰宅してはページを捲り耕三さんの人となりを思い起こしている。
読み進むごとに、凄い人だったんだ!の念が起こる。
感想は山ほどあるが、耕三さんから笑われそうなのでよしておく

鵤工舎によって建設された本堂の落慶法要を自らで執り行うことはなかったが、実質的な本堂のお披露目が葬儀であったのは耕三さんらしいのかもしれない。
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長久保赤水 七十歳の家訓——千古一業に生きる

2023年12月19日 19時55分36秒 | 本・雑誌
長久保赤水 七十歳の家訓——千古一業に生きる
佐川春久(長久保赤水顕彰会会長)月刊誌『致知』2024年1月号








三百有余年もの昔、常陸国に生まれ、本格的な日本地図を製作。
江戸庶民の経済活動や幕末の志士に道標を与えたのが儒学者・長久保赤水である。
学問分野を跨ぐ偉業は国内外で尊敬を集めるも、明治維新を境に歴史に埋もれてきた。
自筆の地図に「千古一業」(千年万年、永遠に残る一大事業)の印を捺した赤水。
40年の歳月をこの顕彰に捧げる佐川春久氏の語りから、稀有なる先人が命を燃やした大事に迫る。



佐川春久・長久保赤水顕彰会会長
昭和24年東京都築地生まれ(テレビプロデューサー・タレントのテリー伊藤とは幼馴染だった。)47年22歳の時、茨城県高萩市に居を移し、市役所に奉職。広報広聴係での市報制作等を通して長久保赤水の事績を知る。平成24年長久保赤水顕彰会会長(三代目)となり、県内外で講演、新聞寄稿を多数行う。監修を務めた映画『その先を往け! 日本地図の先駆者長久保赤水』がYouTubeにて公開中。



長久保赤水 享保2(1717)~享和元(1801)年
享保2(1717)年、常陸国多賀郡赤浜村に農家の長男として生まれる。幼名は源五兵衛。15年郷医鈴木玄淳の許で学ぶ。明和5年学問の功により水戸藩の郷士格に取り立てられる。安永8年『改正日本輿地路程全図』完成。安永6年より水戸藩六代藩主・徳川治保の侍講となり、江戸に常勤する。
儒学、天文学、地理学等を広く修め著作多数。
帰郷後の享和元(1801)年85歳で死去。



▼独創の人 長久保赤水
▼二人の母から授かったもの
▼寸陰を惜しみ 五感で学ぶ
▼学問は何のために修めるのか
▼農民から藩主の侍講へ駆け上がった赤水
▼栄達も本懐にあらず 学問は人のために為す

【長久保赤水 家訓】
「それ孝は徳の本なり。わが子孫よろしくこれを行ふべし……この語に事へず、専(もっぱ)らひそかに利を貪(むさぼ)り、色に溺るる者はわが子孫にあらざるなり。欽(つつ)しめや」



*月刊誌『致知』は創刊以来、有名無名を問わず、各界各分野で一道を切り開いた人物の体験談を紹介している。書店では扱わない直販制で定期購読者数115,689名。
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Earthrise宮田まゆみ(vo.p) 坂井紅介(b) @水戸奏楽堂 12月17日(日)19:00~

2023年12月18日 15時04分48秒 | コンサート
Earthrise宮田まゆみ(vo.p) 坂井紅介(b) @水戸奏楽堂
12月17日(日)19:00~






日立市出身で茨城県立水戸第三高等学校に学び武蔵野音楽大学を卒業した宮田まゆみさんは東京都内や、ふるさと茨城で、シンガーソングライター、ピアニストとしてライブ活動、演奏活動している。
ハンク・ジョーンズ、ジョー・ヘンダーソン、ヘレン・メリル、ミッシェル・ルグラン、エグベルト・ジスモンチ、スティーブ・ガッド、日野元彦、など世界のジャズミュージシャンと共演しているベース奏者・坂井紅介のデュオコンサートが水戸奏楽堂で開催された。

音大卒業後、オリジナル楽曲を書き溜めながらホテルのラウンジやピアノバーでポップスやスタンダードの弾き語りの経験を積む宮田まゆみさん、今回は水戸奏楽堂に設置されてあるチェンバロを演奏してみたい、との願いもあって実現した。
ピアノとチェンバロの両方を演奏しながらオリジナルの楽曲を歌い、おしゃべりをした。
旧知の間の両人の会話は、老人性難聴の私にはちょっと聞きづらく、一緒に笑えないのが残念だった。
ライブの際などの解説というかおしゃべりの時間に、健常者なら聞き取れるだろが高齢者には把握できないことが多い、話し手がその辺りを十分に理解していただければと願う。

*宮田さんは2020年10月 音楽と自然環境保護・人道支援の融合を目指すProject「Earthrise Project」HPを開設し、Earthrise 名義の音源配信をスタートさせた。
今回の演奏会もその一端らしいが大きなムーブメントとなることを願う。








ピアノとチェンバロの調律師が演奏前と休憩時間に調整していた。
チェンバロなどの古楽器は繊細ですぐに狂いが生じるようだ。
オリジナルでなく、複製品ではあるが当時のままに再現されている。
逆に、このスタンウェイのピアノも100年を経ているらしい。
小さくて音響効果の良いこのホールで演奏を聴けるのは素晴らしいことだ。







奏楽堂は演奏会場が素晴らしいと同じくらい建物全体、エントランス、待ち合わせのホール空間も素晴らしい。



この日は奏楽堂のオーナーにお目に掛かることが出来た。
建築中の建物を見ていて、何が出来るか興味津々だった。
こんな、どえらいことをする御仁は、如何なる方との思いを抱いていたが、快活明朗で気取らないお人柄、ホールの維持と発展を期待してます。
愛車のシトロエン2CVが駐車場にいつも停められており、このホールの看板でもある。



水戸奏楽堂が創立10周年を迎える。
2024年1月13日(土)は創立10周年を記念して、特別なコンサートが開催される。
祝いを兼ねて参加したいと思いチケット購入しました。

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12月15日(金)@つくば「つくばカピオホール」

2023年12月17日 00時31分40秒 | コンサート
12月15日(金)@つくば「つくばカピオホール」
「特別な一日」山下洋輔(pf)・カルメン・マキ(Vo,鳴り物)・水谷浩章(ba)






「時には母のない子のように」で17歳の時にデビューしたカルメン・マキ。
国内のみならず世界各国で演奏活動を展開してきた、ジャズピアニスト山下洋輔。
様々なアーティストとのコラボレーションなど幅広い活動を展開しているベースの水谷浩章。この3人が出会う「特別な一日」はどのような反応が起こるのだろうか。



実行委員長の野口修さんの「ごあいさつ」には、
『山下さん(山下トリオ)もマキさんも、デビューが1969年と同じ年ですが、演奏というかたちでは出会うことはありませんでした。それが、半世紀を経て出会うということは一つの大きな事件でもあり、特別な出来事ではないかとも考えました。水谷さんは二人の音楽を繋いでいきます。本日のコンサートは、つくばオリジナルの企画となります。曲目も変化し、舞台美術に渡辺晃一氏が加わり、華道家の小春丸さんが急遽参加するという特別なコンサートになりました。
どうぞ皆様にとっても、それぞれ「特別な一日」となりますように願っています。』



公演曲目
【Part1】
1 戦争は知らない
2 懐かしの我が家~少年
3 かもめ
4 Kurdish Dance~パンドラ
5 QUIET FIRE
(休憩15分)
【Part2】
1 幻燈辻馬車
2 The man I love
3 望みのない恋~波の音~望みのない恋
4プシケ~美の永遠について
5 Moons
アンコール曲 時に母のない子のように(1969年のデブビュー曲)

今回の主役は今年で音楽人生54年目のカルメン・マキが新旧取り混ぜたオリジナル、アレンジしたカバー曲、トーキングソングなどを交えた演奏だった。
ペットボトルやチベットの鈴やタンバリンなどを曲の間に鳴らしたり落としたり、恩師である寺山修司を語り、詩を朗読する。
呪文のような言葉、或いは独り言など、身振りを交えながら表現する。
ピアノとベースの2人が見事にサポートする。
経験と実力を兼ね備えたミュージシャンでなければ上手くは行かない。
混然一体となったパフォーマンスはライブ演奏の醍醐味だ。





「つくばカピオホール」の客席はステージを向いて正面に多くが並ぶが、周囲にコの字型に囲んだ席の配置がいい具合で、偶々の2階席はステージに近く程よく上から見下ろす最高の席だったのも幸運だった。









公演前と休憩時間にロビーには飲食・書籍・野菜など約10軒のマルシェが並び、腹と目を楽しませてくれた。
多数の聴衆は衣装や髪形を含めかなりユニークな人たちが目を引き、これまた水戸よりは数段、楽しさにあふれていた。

実行委員長の野口修さんにお目に掛かることが出来るかと若干の期待を持って行ったのだが会えなかった。野口さんは1979年から2000年までの21年間、数々の前衛的な企画を発表してきた「クリエイティブハウス アクアク」の主宰者として知られる。今
回の企画は当時の延長戦上で山下洋輔・カルメン・マキとは永い交流があればこそ実現した。
文化活動・市民運動の延長として政治を志し、市会議員なども務め原発問題などにも関心が高い方で、まだ68歳だから更なる活躍を期待していることを伝えたかった。
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ロクシタンアフタヌーンティーセット(L’OCCITANE Afternoontea Set)

2023年12月14日 23時13分46秒 | カフェ・喫茶
ロクシタンアフタヌーンティーセット(L’OCCITANE Afternoontea Set)
@水戸プラザホテル「アトリウムガーデンパーク」








南フランス発の化粧品メーカーのロクシタン(L'Occitane)は、オーガニックの素材を使用した自然派コスメとして人気がある。
金木犀やラベンダー、レモンバーベナなどハーブの香りをまとった化粧品。
水戸京成百貨店の1階でも販売されており、自由にテイスティングできる。
知り合いが愛用していたので、京成に出店する前からチューブ入りのハンドクリームを試させてもらったりしていたが、南仏・プロバンスの香りが溢れている。
水戸プラザホテル「アトリウムガーデンパーク」のカフェレストランでは期間限定でロクシタンとコラボした「アフタヌーンティー」が楽しめる。



ノンアルコールスパークリングからスタート。
見てくれや味は、ノンアルとは思えない。
まるでカクテルだ。



2種類のスコーンとロクシタン商品とそっくり同じパッケージの中身はベリージャムと杏マスカルポーネのクリーム。



スタンドのお皿には季節のサラダ、サンドイッチ、クッキー、南仏プロヴァンスの伝統菓子など果物などの品々が数多く並ぶ。







飲み物は珈琲・紅茶・ハーブティー‥から選択できる。
テーブルに着いてから1時間45分、暮れのあわただしい時期だが、通常とは異次元の空間でのんびりと過ごした。
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ミニタニも宜しく!

2023年12月13日 23時32分05秒 | 水戸今と昔
ミニタニも宜しく!

エンゼルスからFAとなっていた大谷翔平投手が10年総額7億ドル(約1014億円)でドジャースと契約を結んだと9日(日本時間10日)に発表された。





米国在住で、大谷のモノマネ芸人「ミニタニ」としてエンジェルスの全試合を追いかけていたアキ・テリヤキさんも「ドジャースに来ることを願っていました」と胸を躍らせた。











早速、ドジャースタジアムのグッズ売り場で「ミニタニ」のユニホームを注文。
このところ、一気にブレイクしたような「ミニタニ」さんは、私の幼馴染の息子さんで、本名は神田明宏さん。高校在学中に日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画“お笑い甲子園”で関東代表に選ばれ、お笑いの世界に入った。
満足に英語も出来ないのに2017年に渡米し、ダルビッシュの物真似「ミニビッシュ」として活動を始めた。
その後、大谷翔平の顔写真を切り抜いたお面を付けて「ミニタニ」として地元テレビ局を中心に活動を始めた。
今シーズンは始球式にも登板するなど、球団からも認められた存在になった。
大谷翔平選手の大活躍の影響で、日本のテレビ局の番組にも顔を出す機会が増えた。
読売テレビ系の情報番組「ミヤネ屋」や『Going!Sports&News』などに出演している。



ユーチューバーとして「TERIYAKI TIMESテリヤキタイムズ」をアップしているのでそのチャンネルを見ることが多くなった。
球場内外の紹介や、現地の人たちをインタビューして感想を聞くなど内容が幅広い。
日本語での説明も多いから、内容も良くわかる。

実家は我が家から5分足らずのご近所。
母上(同級生のお嫁さん)が優しい方で、出演予定の番組名や時間を連絡してくれる。
*次回は12月15日(金)午前9時から11時の日本テレビ朝の情報番組Day Dayに中継で出演予定。
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柴田暁山と田中市郎兵衛~『禁断の海辺』から

2023年12月12日 23時43分36秒 | 水戸今と昔
柴田暁山と田中市郎兵衛~『禁断の海辺』から

旧茨城県庁舎(現・三の丸庁舎)前の水戸城土塁のイチョウの紅葉を観に行った時、堀の反対側の水戸地方裁判所の楠の樹の大木を見ていたら、ギャリソンキャップ(舟形の帽子)を被った米兵が沢山いた、進駐軍本部「茨城軍政部」の時代がよみがえった。



そんな時に「田中市郎兵衛のことを知っている人いない」との話が有った。
占領下の水戸において「柴田暁山と田中市郎兵衛」は度々登場する謎の人物だ。
当時は子供だったから知る由もないが、闇の世界で幅を利かせた人達がいた。
友人の箕川恒男さんが著した~: 国策に翻弄された半世紀の記録』(鹿砦社 1984.1)の中には度々登場していた。
箕川さんから贈られて読んだが、今まで知らないことばかりだった。
その後、誰かに貸したきりで手元になく、県立図書館から借りてきた再読した。





現在「国立常陸海浜公園」として四季折々の花々、特にネモヒラ・コキアなどが有名だが、あの敷地を含め広大なエリアを占めていたのが旧日本軍の前渡飛行場。
敗戦後にアメリカ軍に接収されて空対地の射爆場になった。
それらの経緯を調べ、公園が出来る前までの記録が述べられている。
今や、地元の特産品となった「干し芋」についても詳細に記されている。





その中の一部として水戸の軍政部による統治状況下の日本人サイドで登場するのが「柴田暁山と田中市郎兵衛」で、アメリカ軍政部や警察は彼と利用しあう関係であった。



柴田暁山は「親分」とはいっても今の暴力団とは違う「壮士」ふうで、ロッキード事件の小佐野賢治とは縁が深く、黒塗りのビューイックの車検証の名義は国際興業か国際自動車になっていた。(国際興業・国際自動車の社長は小佐野賢治)



『アサヒグラフ 1947年(昭和22年)2月5日号』に柴田暁山 生葬式が
顔役棺に入ると大々的に紹介された。

1883(明治16)年7月に東茨城郡常澄村川又(現水戸市川又)で生まれた柴田は東京で大親分として顔役だったが、大洗町に戻って町長となり、1947年に生前に葬式を挙げる「生葬式」を挙げた。茨城県知事をはじめ官民ら数の多数参列する盛儀となり話題となった。



北海道に生まれた田中市郎兵衛は昭和の初期に勝田に転じ、肥料商や官林の払い下げを受けた開拓地の造成など、任侠豪商として財を成した。
戦後、水戸に進出したが柴田暁山との出会いが何時なのかは不明だが『柴田さんと田中さんはいつもアメリカ軍政部にいました。普通の人たちはそこに出入りすることは不可能でした』との証言もあり特別な存在だった。
田中は非行少年を集めて更生に力を入れるなどしたが、戦後は病院経営に当たった。
帝国陸軍との、そしてアメリカ軍とのコネクションがどのように発したのかは不明だ。
『任侠』という言葉の人たちによってことが運ばれていた時代の人たちだった。



国道の脇に在った、オレンジと白で塗り分けられた「給水塔」は射爆場のシンボルで、通るたびにこの奥に何が存在するか異様に思えたものだった。

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旧芝離宮恩賜庭園@東京都港区海岸

2023年12月11日 18時13分20秒 | 庭園
旧芝離宮恩賜庭園@東京都港区海岸



浜松町からスカイデッキを歩いてウォーターズ竹芝あたりの新しい景色を眺めた帰途、旧芝離宮恩賜庭園に立ち寄った。





2008年に訪問してから15年を経過しての再訪で当時の記憶があいまいだが、周囲にビルが林立し、さらに増えそうな気配だ。
大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開された。





江戸初期の典型的な回遊式泉水庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は非常に優れており、国の名勝指定を受けている。
作庭当時は海の水を引き込んでいたが、周辺の埋め立てが進み、現在では淡水の池となっている。





浙江省にある西湖の蘇堤を模した西湖の堤をはじめ、池の中央にある中島には中国で仙人が住むといわれた蓬莱山を模した蓬莱石組みもある。



大きな石柱が4本。
この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた。
ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室として使われていたといわれる。



古い灯篭に紅葉が映える。



「根府川石」の山
根府川石は神奈川県小田原市根府川で産出される、単斜輝石斜方輝石安山岩。
山と積まれているが、園内にはこの石がふんだんに使用されている。

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浜松町駅からスカイデッキで竹芝桟橋へ

2023年12月10日 23時10分30秒 | 
浜松町駅からスカイデッキで竹芝桟橋へ

浜松町駅から海側にあるゆりかもめ竹芝駅・竹芝ふ頭を結ぶ全長約500m3階建ての高さの歩行者デッキが最近開通した。
線路をまたいで浜松町駅と直結する工事が完了すればさらに便利になる。






旧芝離宮恩賜庭園を上から眺め、首都高の上を通過して東京ポートシティ竹芝オフィスタワーにつながり、竹芝桟橋のデッキに至る。





竹芝桟橋からレインボーブリッジとお台場方面。
宇宙船のような流線形の水上バスが通った。



勝鬨橋方面。



左の杜は浜離宮恩賜庭園



「ウォーターズ竹芝前」水上バス乗り場。



「ウォーターズ竹芝」はJR東日本四季劇場・アトレ竹芝・メズム東京、オートグラフ コレクションからなる複合施設。どれがどうなのかよく分からないが、小さな広場で連結されているらしい。

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毎月9日は「稽古場・風の日」@水戸市新荘3-4-5

2023年12月09日 18時27分31秒 | 水戸今と昔
毎月9日は「稽古場・風の日」@水戸市新荘3-4-5

水戸市新荘の多目的ホール「稽古場・風」の庭に在る「小さな・風」で毎月9日にミニイベントが開催される。







寒い季節には薪ストーブが焚かれる。
コーヒーが200円で飲める他に桜川市の陶芸家・ローランドサクセご家族の手作りの食品の数々が並ぶ「サクセ家物産展」。







Xmasの時期のシュトーレンやそば粉クレープ・ガレットなども。

















薪ストーブの温もりを感じながら、屋外でのコーヒーの味は格別だ。
この日を目当てに市内はもとより市外・県外のお客さんが集まる。
知り合い同志の近況報告的な要素もあれば、新たな出会いが生まれることもある。
集まる一人一人が心優しい方ばかり。



広い庭にはアカマツの大木の他に季節の花が咲くが、今は白の山茶花が盛りだ。
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綱町三井倶楽部の庭園@東京都港区三田二丁目(旧芝三田綱町)

2023年12月09日 08時24分36秒 | 
綱町三井倶楽部の庭園@東京都港区三田二丁目(旧芝三田綱町)



大盃型噴水を中心に配した純英国風西洋庭園の設計は本館建物と同じジョサイア・コンドル博士による。



庭園内の古井戸は羅生門の鬼退治で有名な平安時代中期の武将渡辺綱の産湯の井戸といわれ、江戸時代から通称となっている綱町という地名もこの伝説にちなんだもの。



庭園案内図
敷地の9割を占める和洋並立の庭園は約6000坪。
上段に西洋庭園、崖線から下が和風庭園。







崖線の坂道の途中も多くの楓が紅葉している。













日本庭園は池を中心とした築山林泉回遊式庭園で、全国から取り寄せた多数の自然石が使われ、それらを適所に配置することで、随所に景観を異にする趣向を凝らし、見事な絶景を造り出している。大正時代作の庭園を代表する名園となっている。
近隣に高層の住居が建設され、場所によっては建物がみえるが、都会の中とは思えぬ静寂さだ。この日は我々2人だけで、この素晴らしい空間を独り占め、十二分に堪能した。
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綱町三井倶楽部でランチ@東京都港区三田二丁目(旧芝三田綱町)

2023年12月08日 18時43分06秒 | 食事
綱町三井倶楽部でランチ@東京都港区三田二丁目(旧芝三田綱町)







綱町三井倶楽部は三井グループの会員制倶楽部。
1913年(大正2年)三井家の迎賓館(三井家綱町別邸)として建築された。設計は、鹿鳴館を手掛けた建築家ジョサイア・コンドルによるもの。
戦後はアメリカ軍に接収されたが、返還後は三井グループ会員企業の迎賓館として利用されている。会員会社の管理職以上の役職者および役員OBの方の「紹介」があれば会員以外でも利用できる。この度、Kさんが紹介者を探していただき訪問が叶った。





綱町三井倶楽部の料理は代々優れた料理長を有し、"正統派フランス料理"を饗してきた。











この日のメニューは
生ハムと季節の野菜サラダ アーモンドオイルドレッシング
寒鰆のソテー 根菜添え ソースバルサミコ
鶏腿肉の低温調理 アルザス風
デセール ネージュ
コーヒー



綱町三井倶楽部は所蔵する酒の銘柄の多いことでは世界有数といわれており、なかでも昭和39年(1964年)の東京五輪の開催決定に関し、そのコレクションが大きな役割を果たしたとの逸話がある。飾られている他にワイセラーに多数の在庫がある。
敷地内には本館と別館が在り、こちらは別館で1966(昭和41)年竣工。
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慶應義塾大学三田キャンパス@ 東京都港区三田2丁目

2023年12月07日 15時18分25秒 | 
慶應義塾大学三田キャンパス@ 東京都港区三田2丁目





前を通ったことはあるが、構内に初めて入ってみた。
銀杏並木の黄葉が美しい。



三田演説館(重要文化財)
福沢諭吉が1875年に建造した日本最初の演説会堂。





旧ノグチルーム脇の屋上庭園に設置されたイサム・ノグチの彫刻『無』
ここからの眺望は素晴らしい。





図書館旧館(福澤諭吉記念慶應義塾史展示館、カフェ八角塔)
入口ホールの階段上を飾る「Calamvs Gladio Fortior」(「ペンは剣よりも強し」の意のラテン語)が記されたステンドグラス。





2階には福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館が設置されている。



「旧島原藩邸中屋敷黒門」
三田の地はもと島原藩の中屋敷があったところで、1871年(明治4年)
前年に邸地約1万2千坪を貸し下げられ、翌5年には払い下げを受けた。
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銀杏坂の大銀杏とその周辺@水戸駅北口前

2023年12月05日 19時20分56秒 | 街創り
銀杏坂の大銀杏とその周辺@水戸駅北口前







銀杏坂の大銀杏が眩いばかりに黄葉し、周辺には落ち葉が舞っている。(2023年12月4日)
1945(昭和20)年8月2日の大空襲で水戸が焼け野原になったとき、この銀杏も焼夷弾を浴びて黒焦げになった。誰もが枯れたと思ったそうだが、やがて新しい芽が生えて再生し、多くの市民に感動を与えた。水戸の戦後復興のシンボルであり、平和の象徴でもある。









水戸駅の北口前、京成ホテルの東側の西友・西武の跡地が暫く更地となっていた。
南口から新県庁舎方面・吉田台地に街が移動してしまい利用が決まらなかった。
やっとのことで、商業施設を含めた20階建て、高さ60mの大規模な共同住居の建設が決まり、地下深くまでの基礎工事が始まった。





完成予定は2027年2月とのことで、4年後の景観はかなり異なったものになりそうだ。
「麻布台ヒルズ」のような、新たな街として再生することを期待する。



天保2(1831)年の水戸藩城下絵図(天保12(1841年)8月に「弘道館」が創設される前)
イテフ坂の字と木戸が描かれ、その脇の「上使屋鋪」の下半分が再開発の敷地だ。
10年後にイテフ坂を上ったところに建設される「弘道館」の予定箇所には家老の山野辺など上級武士の屋敷が在ったのだが、敢えて移転させ、弘道館=大学を創成した。
「麻布台ヒルズ」を見て来たばかりなので、影響を強く感じてしまうのだが、既存の計画に未来を見据えた新しさを盛り込んだ魅力ある街として完成されんことを切に願う。

*イチョウは他の樹木に比べて葉が厚く水分が多いのが特徴。
葉に水分が多いということは、枝や幹も他の木よりも水分に富んでおり、木自身が燃えにくい性質をもっている、つまり火事には強いということ。
関東大震災をきっかけに火に強いイチョウの木が注目され、都市空間の街路樹として積極的に採用されるようになった。

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東京タワー@東京都港区芝公園

2023年12月04日 22時57分53秒 | 
東京タワー@東京都港区芝公園



「ナポリスタカ 神谷町店」でピッツァとパスタの昼食をとって、すぐ近くに在る「東京タワー」に行くことに。
1958年(昭和33年)に完成して以来65年が経過し、2012年に「東京スカイツリー」が出来て存在が薄れたと思えたが、やはり東京のシンボルだ。



永井坂の途中に「聖オルバン教会」(英国聖公会)の木造の礼拝堂が在った。
1879年から現在の場所で英語によるキリスト教礼拝が行われている数少ないお堂らしい。
1956年にチェコ系アメリカ人建築家、アントニン・レイモンドの設計により現在の礼拝堂が建築された。我が家のご近所「キリスト友会・水戸会堂」に通じるものがある。



1度だけもしかしたら2度、東京タワーを訪れたことが有るが、何十年も前のことで定かな記憶はない。
今でも土・日は入場するのに行列ができるようだが、この日は平日とあって並ばずに入場できた。



1961年ごろの東京タワー周辺(Wikipedia)
約60年前ですが、建物も少なかったし高層建築も無かった。







地上125メートル(海抜約150メートル)の展望台からの眺望。
周辺には高層ビルが林立し東京タワーより高いビルが出来たにも関わらず、高台に在るのと隣接地との空間があるので広範囲にわたって東京の都市空間を眺められるのが人気の秘密なのだろう。





展望台の一部を強化ガラスにして下が覗ける場所が数か所ある。
高所恐怖症だから、こわごわ覗いてみた。
真上から覗くと足下が不思議な形に見える。



ロープで吊るされて展望台のガラス掃除をする作業員。
一年中をかけて塗装や電球の交換など、多くのメンテナンスによってタワーは維持される。
全てのことは多くの人たちの支えがあるからこそと感じた。



とうふ会席料理「うかい」の前からの東京タワー。
この料理店からのタワーは迫力がある。
2018年の9月に同窓会の会場だったのでこの店を訪れた。

*東京タワーの創設者は前田久吉で、日本の「塔博士」とも称される内藤多仲らが設計。
高さは333メートル海抜では351メートル。塔脚の中心を基準とした塔脚の間隔は88.0メートル。地上125メートル(海抜約150メートル)と223.55メートル(海抜約250メートル)に展望台を有するトラス構造の電波塔である。
総工費約30億円、1年半と延べ21万9,335人の人員を要して完成した。
さしたる重機がない時代、とび職を含め多くの職人や技術者が結集して完成に至る物語はすでに伝説の世界で見るたびに感激する。「昭和」という時代の象徴でもある。
コメント
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