「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

水戸市平和記念館@水戸市三の丸1丁目4-19

2021年07月31日 21時12分12秒 | 平和
水戸市平和記念館@水戸市三の丸1丁目4-19



水戸中央郵便局のとなり、銀杏坂バス停前に水戸市の戦災資料や平和関係資料を常設展示する「水戸市平和記念館」が2009(H21)年8月1日に開館した。
1階が公衆トイレで、2階と3階部分が記念館展示室。





第1章「戦争に突入する日本」
1931(昭和6)年の満州事変に始まった日中戦争から1945(昭和20)年の大平洋戦争が終結するまで15年を要した。



第2章「戦争中の水戸のまちと人々のくらし」

明治初期~昭和の水戸市街、戦時中の市民の生活などについて、当時の資料や写真パネルを用いて展示されてある。



第3章「水戸空襲」

昭和20年8月2日未明、水戸上空に轟音とともに160機のB29爆撃機が来襲。
午前0時31分から2時16分までの1時間45分間に約1145トンの爆弾が無差別に投下された。
水戸市街のほとんどが焦土と化し、罹災戸数1万104戸、罹災人員5万605名、死者242名、重軽傷者1293名(8月2日調べ)が犠牲となった。



「水戸空襲戦災史」と「水戸市戦災犠牲者名簿」
市民団体の「水戸空襲戦災記録の会」によって編まれた618㌻の資料と記録。
生存者180人の証言をまとめた記録は生々しい。
1983(昭和56)年3月に水戸市制施行90周年記念事業の一環として水戸市から発行された。
残部はわずかだが、定価3000円で販売されている。

「水戸市戦災犠牲者名簿」
死亡者の数は現在までの調査によっても確定しないが300人以上。



空襲体験者の話や写真展示。



第4章「戦後復興する水戸のまち」



第5章「未来に伝える」
平和へのメッセージ。
核兵器廃絶平和都市宣言



「わたしたちの平和」作文コンクール入賞者作文が展示されている。



広島・長崎の原爆投下による被災状況の写真パネル展示。



戦争の思い出や未来への伝言を体験者12名が語るビデオメッセージ。
既に亡くなった方もおられる貴重なVTR。
1名あたり8分程度の短編と30分の長編があるので、係員に希望を伝え見せて頂くことになる。

*展示している品々は、市民から寄附されたもの又は借用しているものが大半だ。
「水戸空襲戦災記録の会」の活動が平和記念館開設の礎となったが、高齢化に伴い活動が出来なくなっている状況で語り継ぐ組織が必要になっている。

水戸市平和記念館
休館日:火曜日、水曜日
12月29日から翌年の1月3日までのその他臨時で休館する場合がある。
開館時間:午前10時から午後4時まで
入館料:無料
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水戸市国際交流センター@水戸市備前町6番59号

2021年07月30日 20時39分40秒 | 水戸の今と昔
水戸市国際交流センター@水戸市備前町6番59号



水戸市国際交流センター
世界の多様な人々との相互理解を深め、市民主体の国際交流活動を推進するとともに、水戸市国際化の進展に寄与することを目的として1998(H10)年4月に開館した。



「MITOインターナショナルライブラリー」
水戸市とアナハイム市の国際親善姉妹都市締結40周年を記念し,2016(H28)年12月水戸市国際交流センターの新施設として「MITOインターナショナルライブラリー」が開設された。
日本や世界各国に関する書籍等が所蔵されているほか,アナハイム市との友好関係を振り返ることができる記念コーナーが常設されている。
閲覧用の椅子テーブルも設置され、書籍を借りることも出来る。







「国際交流展示室」
姉妹都市である米国アナハイム市と中国重慶市に関する展示室。
アナハイムは大谷翔平選手の「ロスアンジェルス・エンジェルス」の本拠地。







2階は事務室、ロビー・展示室、書棚・閲覧室など広く利用されている。





3階には大・中・小の会議室、和室、集会室、調理実習室が在る。
調理室では料理に併せ文化の紹介する世界の料理教室などが開催され、何度か参加したが、昨年からのコロナ禍で催事は行われていない。
2階の和室は「日めくり句会」の会場として随分お世話になった。

日本語教室や世界各国の文化を紹介する集いなども開かれたが、コロナ禍が収束するまでは無理だろう。

開館時間:午前9時~午後9時
休館日 :月曜日、国民の祝日(土曜日を除く。月曜日の場合、その直後の開館日も休館。)年末・年始(12月29日~1月
3日
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「水戸空襲戦災誌」水戸空襲戦災記録の会 編 水戸市役所 発行(1981年)

2021年07月29日 22時23分18秒 | 水戸の今と昔
「水戸空襲戦災誌」水戸空襲戦災記録の会 編 水戸市役所 発行(1981年)







「水戸空襲戦災記録の会」によって編集され、昭和56年3月に水戸市制施行90周年記念事業の一環として発行された。

全618頁中の385頁を市民180人の証言にあて、寄稿・聞き書き・日記等の体験記を収めてある。













出版されて40年を経過し、執筆者の多くは亡くなられてしまった。
今となっては聞くことが出来ないことを、ありのままに語った貴重な資料。

「水戸空襲戦災記録の会」による7年間の記録運動の締めくくりとして纏められた、この本の歴史的意味は大きい。

第一編に水戸空襲と市民生活
第三編に資料と年表、戦災犠牲者名簿なども掲載されてある。



「水戸市平和記念館」(水戸市三の丸1丁目)は水戸空襲戦災記録や戦時中の市民の生活などについて、当時の資料や写真パネルを用いて展示されている常設の記念館。
開館時間:午前10時から午後4時まで。火曜日、水曜日は休館日。
入館料:無料。
この記念館の展示品なども「水戸空襲戦災記録の会」によって収集された品が多く展示されてある。
市立博物館の協力でより内容が充実した施設となることを願っている。

1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲を端初として、日本本土への夜間焼夷弾爆撃が開始された。
水戸近辺においても、7月17日にアメリカの戦艦による艦砲射撃が勝田に対して行われ、流れ弾が吉沼地区に着弾した。
勝田には軍需工場が在り標的となった。
僕が4歳での時で、母親に背負われ千波方面に避難した記憶にある。
砲弾が花火のようにポーンポーンさく裂した光景は、千波湖の花火大会を見る度に思い出すトラウマ体験。

その頃から、鉄道の要所である水戸が空襲に遭うのは避けられない状況となり、
強制疎開、或いは自主疎開が始まった。
我が家も父と長女が水戸に残り、母と次女と僕の3人が栃木県に疎開した。
従って、水戸が空襲された8月2日の未明にはいなかったので、空襲による体験と記憶はない。
9月をすぎてから水戸に戻ったが、焼け野原にバラックが点々としていたことを憶えている。
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夏を楽しむ@邂逅菴

2021年07月28日 23時24分48秒 | 歳時記
夏を楽しむ@邂逅菴



水戸石州流の宗匠・清水素然さんから「今日の午後、遊びにお出かけください」とのお誘いを受けた。
お茶の嗜みはないが、時々お誘いがある。
いつも興味本位でお伺いするが、この度は如何なる趣向なのか楽しみだ。

「邂逅菴」の額
お茶室は「邂逅菴」と称する、何度か入室しているが気が付かなかった。
邂逅(かいこう)とは、「思いがけず出会う」ことを意味し、「巡り逢い」「巡り会う」とも言い換えられるとのこと。



「無量寿」の掛け軸・茶山書
阿弥陀仏の寿命が無量であるところから「阿弥陀仏」、無量寿仏。

「茶山」は南町3丁目「茶舗・常陸屋」の先代だが、古美術・山野草の愛好家で書も能くした方で、清水さんと交友があったとのこと。



花は白・赤・金の水引、ねこじゃらし



大きな鉢には氷が浮かび、「風炉」と「水指し」を兼ねている。
青竹の上に大きな八つ手の葉を蓋に見立てた趣向。



水羊羹、奥様の手作り。



今回は椅子に座ってお茶を点て、お茶を戴く立礼式を試してみたとのこと。
様々な工夫をしながら、改良するのでお招き戴いたらしい。
あちこちに、とても楽しい仕掛けがある。



青竹の取り箸、楊枝も清水さんの自作。



白磁の碗に水で点てた抹茶。
これが眞に美味。



畳を敷いたかのような机や椅子なども清水さんの手作り。
製作の苦労話などもお伺いできた。



お点前は奥様。
奥様もお茶の先生。
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経筒 (藤原時代)

2021年07月26日 23時29分05秒 | 骨董・古美術
経筒 (藤原時代)





経筒 (藤原時代)

福岡県出土と伝えられる、青銅鋳造の経筒。
蓋つきで、蓋の4か所に瓔珞を吊るしたとみられる4個の穴がある。
塗金の跡が所々に残り、緑青の翠に僅かな黄金色が映える。

寸法的にも花入れがとして使うのが最適だが、残念ながら破損しており水を直接注げず、中に落としをいれて使用する。
水を注ぐことが出来れば、器体を通過した水分が表面に達して、緑青に翠がさらに強くなり趣があるのだが。
形は申し分ないが欠けているのが難点。
難ありだから購入できたとも言えるので、仕方がない。

底の方に紙が固まったようなものが残っていた。
お湯に長時間浸けて、一枚ずつ剥がすことが出来た。
経文のようにも見えるが、よく分からない。

コロナ禍で昨年の3月以降は自然消滅となってしまったが、40年以上前の1980年頃「日めくり俳句会」という俳句会が出来た。
句誌は俳句だけでなく、諸々のことを各自が勝手に書くことも出来た。
和紙を使って糸を使った和綴じ、表紙は版画で、本文はガリ版刷りで数十部。
手間が掛かる会誌だが、発起人の一人がこだわって制作した楽しい同人誌だった。



その頃の自分は、骨董の世界にのめり込んでいたので、収集品の写真・文章・俳句を入れた雑文を寄稿した。
骨董の専門誌に、器と花と関連した文章などの連載が多かったので、
それらに憧れ、真似したかったのだ。

その内、会員も増えて俳句中心の会誌となり、連載も閉じたが良い経験だった。

経筒
仏教経典の紙本写経を納める筒形の容器。
青銅製品が多いが、鉄、陶磁、石製品も存在する。
形態は、円、六角、八角筒形のほか、宝塔、宝幢形もみられる。
長方形の箱形のものは経箱という。
青銅製は銅板打物と鋳造品があり、どちらも鍍金のあるもの、ないものがある。
鉄製は鋳造品で、陶磁器製には陶・青白磁品、石製品には滑石・ろう石製がみられる。
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いわさきちひろ展@茨城県近代美術館

2021年07月25日 18時11分48秒 | 美術館
いわさきちひろ展@茨城県近代美術館
7月24日~8月29日





いわさきちひろは水彩絵の具やパステルなどの身近な画材で、四季折々の花や赤ちゃんや子供の情景など日常生活を描いた画家。
童画作家として絵本などで見ることが多いが、今回の展覧会は画家を目指して勉強した時代、企業の宣伝部員として広告デザインなどで活躍した時など幅広い資料や作品が展示されている。



ハマヒルガオと少女 1950年代半ば [油彩]



「あめ」 1960年頃



戸口に立つおにた 1969年 (『おにたのぼうし』ポプラ社より)

水彩やパステルは学校教育で幅広く使用される画材だから、油絵などより低く見られてしまう場合があるが、笠間日動美術館で開かれている「クレパス展」で展示されているような多彩な作品が生まれる可能性がある。

VI章の「ちひろの技―感じたとおりに描くこと」では技術を駆使する奥義も紹介されている。

油彩画や素描など稀少な初期作品から、絵雑誌やカレンダー、絵本の原画などの代表作まで網羅的に展示されてあるので全貌を知ることが出来る。

大正から昭和初期にかけて生まれた世代に共通する点だが、日中戦争から太平洋戦争にかけての悲惨な時代を体験しているから「戦争は繰り返してはならない」という信念が身に沁みついている方々が多い。

いわさきちひろも『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店、1973年)を刊行するなど、2度と戦争を起こさないようなメッセージを発信している。

惜しむらくは、1974年に病により55歳で死去してしまったことだ。
しかしながら、自宅跡地が「ちひろ美術館・東京」さらに「安曇野ちひろ美術館」が1997年4月に開館するなど、人と作品に接する機会が有る。



今回の茨城県近代美術館の展覧会も初日から大勢の方々が入場された。
1階のミュージアムショップが臨時的に拡張されて、作品の販売も好調なのは嬉しい。



黒柳徹子の自伝的な著書『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)は空前の大ヒットとなったが、ちひろが既に亡くなった後の出版で、文章に相応しい絵をちひろの長男・松本猛が選んだという逸話を、設置されているVTRで知った。

黒柳は2代目「ちひろ美術館(東京・安曇野)」の館長を務めるなど、大きな役割を果たしている。



展示室1日本の近代美術と茨城の作家たち 夏
展示室2武井武雄 刊本作品の世界

大正から昭和にかけて童画家として活躍した武井武雄(1894-1983)展。
武井がライフワークとして取り組んだ「本の美術品」である刊本作品が100点以上展示してある。
技法や素材にも徹底的にこだわって創られた稀観本の数々。
会員制で配布された。
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加藤桜老像 @笠間小学校正門脇

2021年07月24日 12時07分23秒 | 人間
加藤桜老像 @笠間小学校正門脇





「加藤桜老」の生誕210年を迎えた2020年11月、「笠間小学校」の正門脇に
桜老の玄孫・加藤 熈氏が銅像を寄贈した。
(笠間小学校は藩校「時習館」の跡地)



台座横の碑文には、次のように記されている。

幕末の尊攘教育者 加藤桜老

加藤桜老(名は熈 通称有隣 桜老は号)は 1811 年水戸に生まれ 笠
間藩加藤家を継ぐ。藩校時習館の都講を勤め 水戸の会沢正志斎・江戸
昌平坂学問所に学ぶ。笠間に私塾十三山書楼を創ると 全国から有志が
訪れ 高杉晋作は二度来訪・論談し力を得たと評価。1862 年長州の
藩校明倫館に招かれ 途中京都で三条実美ら尊攘派公卿と交わる。山口
では藩校教授に就き 私塾詠帰塾を開設し 多くの人材を育成した。明
治政府では大学設置の上申など教育政策に関与 74 年の生涯にわたり
教育・著述に努め 近代日本の礎を築く役割を果たした。1934 年京
都三条大橋御所遥拝像が造られたが 太平洋戦争の金属供出で失われ
たので 生誕 210 年を迎え銅像を再建する。

2020年11月
玄孫 加藤 熈



加藤桜老(1811~1884)
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KasamaSounds 信空館・2周年記念セール

2021年07月23日 12時52分57秒 | 音楽
KasamaSounds 信空館・2周年記念セール
7月22日 ~7月25日 @まちの駅笠間宿




笠間陶芸公園に近い「まちの駅笠間宿」は笠間焼や各地の物産・輸入雑貨などを展示販売する店舗に加え、蕎麦・うどん・イタリアン等の飲食店を含め20を越す店が、駐車場を取り囲むように構成されている。
イベント広場とイベントホールも設けられた「宿場」の賑わい。



菅井信さん経営のオーディオ・ヴィジュアル機器販売店「KasamaSounds 信空館」で開店2周年記念セールが7月25日まで開催中。







◎通常1枚100円のCD(邦楽・洋楽)→2枚100円
◎通常1枚300円のCD(JAZZ等)→200円
◎通常1枚500円〜1000円のCD・LP→100円引き
◎通常1枚1000円以上のCD・LP→1割引
◎オーディオ製品(スピーカー・アンプ・CDプレーヤー・レコードプレーヤー等)→1割引
◎飲み物→100円引き

*CD4枚買ってアイスコーヒー飲んで千円ちょっと、は格安です。



菅井信さんとは50年来の友人、2周年おめでとうございます。
40年来の友人神原さんは、現在は笠間に住まいを移した。
笠間に来る度に顔を会わせることが多い。

笠間は水戸の住人にとっては奥座敷、山が見える風景も格別。
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楽しいクレパス画展@笠間日動美術館

2021年07月22日 17時13分15秒 | 美術館
楽しいクレパス画展@笠間日動美術館
7月 22 日(木・祝)~9月 26 日(日)






こんな描きかたもあるの?楽しいクレパス画展





クレパスは世界初の描画材料として、1925年(大正14)に桜紹介が開発した。
「サクラクレパス」の登録商標で、クレパスの一般名称は「オイルパステル」という。
「クレヨン」と「パステル」の長所を取り入れ、専門家の画材として多様な技術に対応できる製品を開発した。











クレパスは軟質で伸びがいいので、スクラッチ技法や重ね塗りなど、幅広い絵画表現が可能な画材なので多くの作家が使用している。

本展は現代洋画壇を代表する作家から若手まで、76点が展示されている。



笠間日動美術館は1972年(昭和47年)11月に東京・銀座にある日動画廊創業者、長谷川仁・林子夫妻により、創業45年と金婚式を記念し、長谷川家ゆかりの地である笠間に創設された。
日本を代表する画商の系列美術館であり、更に2000年には山岡孫吉(ヤンマー創業者)が収集した洋画コレクションも加わり、西洋の近代、日本の近・現代の巨匠が描いた絵画を中心に3千点を超す所蔵品がある。

フランス館および日本・アメリカ館と、企画展示館の間にある庭園からの眺めも素晴
らしい。
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『清貧の思想』中野孝次 (草思社 1992年)

2021年07月21日 19時43分45秒 | 本・雑誌
『清貧の思想』中野孝次 (草思社 1992年)



著者の中野孝次は「まえがき」で、日本及び日本人とは一体いかなるものかと質問された時に『わたしは話を求められるたびにいつも「日本文化の一側面」という話をすることに決めてきた。内容は大体日本の古典―西行・兼好・光悦・芭蕉・池大雅・良寛などーを引きながら、日本には物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりでなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある。ワーズワースの「低く暮らし、高く思う」という詩句のように、現世での生存は能う限り簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間として最も高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。
―清貧を尊ぶ思想と言っていいー』として、24章の人物について具体的な事例で示している。





1992年の初版から再版を重ねベストセラーとなり共感を得たのだが、約30年を経過した現在は、当時よりさらに金銭欲と所有欲が世界的にも強くなり「清貧を尊ぶ」思想は失われたように思える。
コロナ渦の時代だからこそ「清貧」を尊ぶ生活でありたい。
どの章も読みきりで、どこからでも読み始められる。
古典を引用し分かりやすい言葉で説明してあるのでわかり易い。

座右書として毎日ひもとき、登場人物や書物に更なる興味を持てばより深く知るための手引き、入門の書でもある。
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ホトトギス(杜鵑草)が咲き始めた。

2021年07月20日 19時49分10秒 | 山野草
ホトトギス(杜鵑草)が咲き始めた。



ホトトギスは、ユリ科ホトトギス属の多年草。
花びらにある紫色の斑紋がホトトギス(杜鵑)の胸の斑紋と似ていることから付けられたとされる。
原産地は東アジアで約20種が分布するとされており、日本では約10種が自生していると言われる。

ホトトギスの鳴き声を聞いてはいるが、姿は見たことがないので、胸の斑紋が似ているかどうかを確かめたことはない。
正岡子規が喀血したことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号としたとの逸話もある。
可憐な小さい花でありながら子細に見れば鮮烈な色と文様だ。
枝が細いので僅かの風でも揺れ動くんも風情がある。



次から次へとツボミを持ち、花を咲かせるので長い期間にわたって楽しむことが出来る。
花が終わると鞘状の実をつけ、中には小さな黒い種がびっしりと詰まっている。

こぼれ種から、翌年に発芽して育つからいくらでも増える。
手間いらずに毎年楽しめる草花だ。
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ヤブミョウガの白い花@千波公園西の谷緑地

2021年07月19日 12時43分08秒 | 西の谷緑地公園
ヤブミョウガの白い花@千波公園西の谷緑地







西ノ谷のヤブミョウガの群生が、白い小さな花を付けている。
ヤブミョウガはツユクサ科の多年草。
ヤブミョウガは「ミョウガ」と名前が付くが、ショウガ科のミョウガとはグループが違い、地下にミョウガは出来ない。
春先の新芽は塩茹でして食べられる、とのことだが、食べたことはない。





藪地などの暗いところを好み、葉の形がミョウガに似ているのが名前の由来。
花が終わると、実をつける。
球形で5~6層に付き、青藍色に熟す。
この種子のほか、地下茎を伸ばして殖え、群生する。

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絵図・地図・アーカイブ図-描かれた茨城の都市と村-

2021年07月18日 19時36分50秒 | 博物館
絵図・地図・アーカイブ図-描かれた茨城の都市と村-
@茨城県立歴史館
2021年7月15日(木)~9月5日(日)








江戸から明治期にかけて描かれた県内の絵図や地図(原本や複製など66点)を集めた企画展「絵図・地図・アーカイブ図−描かれた茨城の都市と村−」が15日から水戸市緑町の県立歴史館で始まった。

絵図とは、江戸以前に作られた地図類の総称で、西欧の測量技術が流入した明治以降の正確な地図に対し、絵画的要素を含むのが絵図の特徴。









茨城県域では間宮林蔵、長久保赤水、飯塚伊賀七といった地理学者や測量家が活躍した。
当時の測量は全てが足で歩き、縄を使っての手仕事。





城下絵図
水戸、笠間、古河、下館などの絵図も展示されている。

水戸城下絵図・正保元年(1644)原寸2500×4190 国立公文書館







水戸城下絵図・正保元年はネットでも見られるがこの複製図では鮮明に見ることが出来た。







「水戸市鳥観図」昭和初期 540×2370 歴史館蔵
絵師・吉田初三郎作製と考えられる鳥観図。
戦前の水戸が柔らかいタッチで詳細に描かれてある。ネットでは観たことあるが現物は初めて。

一度に全部は見きれない、会期中に再訪の予定。
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小峰尚・雪の陶展 @稽古場/風(水戸市新荘3-4-5)

2021年07月17日 17時34分35秒 | 美術展
小峰尚・雪の陶展 @稽古場/風(水戸市新荘3-4-5)
7月17日(土)~25日(日)








桜川市在住の陶芸家・小峰尚(たかし)さん(66)が「小峰尚・雪の陶展」を
稽古場/風(水戸市新荘3-4-5)で開催している。





小峰さんは筑西市出身で北海道大学卒業後、桜川市で独立して38年。
壁面に飾られている油絵は大学時代に描いた「自画像」とのこと。







これまで「風」「海」「顔」などテーマを決めて制作を重ねたが、今回のテーマは「雪」とのこと。
食器などをのぞいて、作品の多くは「くり抜き」という技法を用いている。
粘土の塊を削り取りながら形を作るのでかなり時間を要する。
手間・隙を掛けて作り出す厄介な技法が楽しいらしい。



大学卒業の頃に陶芸家を志したが、経験が無い。
石垣島でサトウキビ収穫のアリバイトに応募、1カ月半の給与で自転車を購入。
鹿児島から札幌まで自転車の旅をしながら全国の窯元並びに陶芸博物館・資料館を巡ったとのこと。
1日100㌔位を走破、各地の大学の寮や野宿をしながらの旅で陶芸家として立とうと思って以来、新たなることに挑戦し続ける姿に拍手喝采。
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水戸市植物公園@水戸市小吹町504

2021年07月16日 14時51分16秒 | 公園・緑地
水戸市植物公園@水戸市小吹町504



1987年(昭和62年) 4月に小吹清掃工場の予熱利用施設として計画された水戸市植物公園がオープンした。
温室の熱帯植物や砂漠の植物と公園が複合したユニークな植物公園が誕生した。
長らく水戸市民に愛されたが、2020年11月に下入野町に新たな清掃工場が稼働したのに伴い、小吹の工場は閉鎖された。
植物園の温室は清掃工場の余熱を利用していたから、自前の熱源と30年以上を経過した設備の更新を含め休業することになった。

ボイラーを新設するなど工事が完了し、2021年4月29日にリニューアルオープンした。







ゲートを入って陸橋からカスケードに抜け、沼と温室を望む景色が素晴らしい。
黄色のアサザが咲く時が特に良いが、スイレンが咲いていた。
スイレンを増やし、蓮の花も欲しいところだが。
水生植物の繁殖は何かと難しそうだ。







大温室を中心に明るく生まれ変わった。
熱帯植物の美しさを体感できる観賞大温室と、薬用や美容効果が期待できる熱帯のハーブなどの熱帯果樹温室がリニュアール。
新たに植えたものが多いので、まだ未成熟で若干迫力に欠けるが、時間の経過とともに成長し馴染むだろう。





「養命酒薬用ハーブ園」
「江戸時代の水戸藩にまつわる薬草エリア」が拡張されて「水戸 養命酒薬用ハーブ園」も新らたにオープンした。
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