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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

徳池山蓮生院 信願寺 @水戸市緑町

2020年08月27日 18時05分59秒 | 水戸今と昔
徳池山蓮生院 信願寺 @水戸市緑町




信願寺は浄土真宗本願寺派に属し、親鸞聖人二十四輩の第23番。
開基・唯信房は俗名を幡谷次郎信勝、親鸞に帰依し唯心房と称した。
旧小川町(現小美玉市)の幡谷に建てた後に、数か所を転々とし、水戸に来てからも藤沢小路・寺町・信願寺・河田横町の現在地に。

2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた。
参道正面から望めた山門や本堂は撤去され、現在、再建の途中である。



明治7(1874)年の地図。
当時は川田横町、右上の「信願寺町」「裡信願寺町」は元の信願寺に由来する。





東日本大震災による被害前の本堂。




参道の入り口に、御影石の門柱。
開創700年を記念して昭和29(1954)年に寄進された。

円柱部分は唐招提寺の円柱と同じ様に、中間が膨らんでいる。
しかし、この柱は力強い四角柱で、面取りされているので優さを感じる。

若くして親鸞に帰依した、彫刻家・後藤清一(1893 – 1984)のデザインと知れば納得できる。
手前の小さな塔も同様だ。



恵信尼と信蓮房を連れた親鸞の銅像。
震災前は本堂の脇に在ったが、自然石を積み上げた台座が崩壊したので客殿前の芝生に移築された。

渡辺卓凞(わたなべたくあき)作。
1917(大正)6年水戸市に生まれる。
東京美術学校(東京芸大)卒業。
茨城県立美術館の嘱託をされていた頃、住まいは千波で、小料理屋で何度か話す機会が有った。
存命なら100歳を越えられている。

本年の夏ころ、客殿は鵤社の施工で完成したが、本殿の工事は始まっていない。
山門を含めた境内の整備が待たれる。

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神応寺と別雷皇太神@水戸市元山町

2020年08月27日 11時13分53秒 | 水戸今と昔
神応寺と別雷皇太神@水戸市元山町





天正19(1591)年、佐竹義宣は一族からでて32代の遊行上人となった普光がその地位を退いているのを知り、水戸に招いて神生平(かのうだいら、旧藤沢小路・現在の梅香1、2丁目、南町)に藤沢道場を創建した。
藤沢山清浄光寺(神奈川県藤沢市)が豊臣秀吉の小田原攻めの戦火で焼失したので、新たな時宗の本拠地とすべく計らったらしい。
慶長7(1602)年、佐竹氏は秋田に国替えとなったが、藤沢道場と普光は水戸に残った。
やがて徳川家康の天下となり、清浄光寺が再建され慶長12(1607)年普光は藤沢に戻った。
つまり、天正19(1591)年から慶長12(1607)年までの16年間、神生平の藤沢道場は時宗遊行派の本山を兼ねていたということになる。

寛永10(1633)年に寺の在った神生平と鎮守の別雷神を祀った大坂明神に神慮の感応があるとし、神應寺と改称。
延宝8(1680)年、社寺改革・城下町の整備を進めた藩主光圀の命によって、現在地に移された。




水戸市立博物館所蔵、正保(1645~1648)~明暦(1655-1658)頃と言われる古地図。
中央の大阪町の左側に「藤澤」の記入があるので、寛永(1624~1645)年間か?
敷地を二分し旧鷹匠町に至る旧藤沢小路は無く、かなり広大な寺域だ。

「大坂明神」は何処に?

大阪町の南端「虚空蔵」の記入がある。
現在は西側の坂の途中「虚空蔵神社」はここに在ったようだ。
北の端には「八幡宮」現在地に移る以前はここに在った。



700年忌として建てられた「宗祖一遍上人像」
一遍上人(延応元年(1239年) - 正応2年(1289年))は鎌倉時代中期の僧侶で、時宗の開祖。
一遍は時衆を率いて遊行(ゆぎょう)を続け、民衆(下人やも含む)を踊り念仏と賦算(ふさん)とで極楽浄土へと導いた。
その教理は他力による「十一不二」に代表され、平生をつねに臨終の時と心得て、念仏する臨命終時宗である。



「蹴上げ観音」碑
雷除けで信仰を集めた蹴揚観音があり、かつては別雷大神を祭祀していたが、神仏分離令により、隣の敷地で独立した。
本地仏は現在も当寺で祀られている。

居合い術田宮流中興の祖といわれる和田平助正勝、天狗党として西上し、敦賀で切られた軍学者山国兵部共昌の墓、同じく敦賀で殉職した田丸稻之衛の墓所などがある。

◎追記
マエダ ヨウイチさんから。
「神応寺には大薩摩文太夫の墓もあります。太田蜀山人の狂歌「大薩摩その源の太夫との水戸から出たる江戸の顔見世」(この碑は見川の妙雲寺に現存)にも詠まれたほどの一世を風靡した水戸人です。わかりにくいけど探してみてください。」のコメントを戴きました。
有難うございました。
墓石も探してみますが、活躍のほども調べてみます。


別雷皇太神







雨乞い、雷除けの神として「水戸の雷神さま」として知られる。
本社は上賀茂神社こと賀茂別雷神社。
「大坂明神」として、大坂(田見小路、現北見町)に在ったが、寛永10(1633)藤沢道場と神生平の鎮守とし、神應寺境内に。

延宝8(1680)年、社寺改革・城下町の整備を進めた藩主光圀の命によって、現在地に移された。
明治の神仏分離により独立。



文政5年(1826年)の古地図。



昭和初期頃と思われる「別雷皇太神」。
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PLANETIST(プラネティスト)@あまや座(那珂市瓜連1243)

2020年08月25日 17時38分33秒 | 映画
PLANETIST(プラネティスト)@あまや座(那珂市瓜連1243)
8月15日(土)〜8月28日(金)






2014年、自然に囲まれた小笠原諸島を訪れた映画監督の豊田利晃は、父島で自然と共に歩み生きるレジェンドサーファー・宮川典継との出会いをきっかけに
住民票を島に移し(2014~2017 )宮川を中心としたドキュメンタリー映画「PLANETIST」( プラネティスト)の制作し小笠原返還50周年を迎える2018(平成30)年の公開を構想した。

小笠原の父島までは東京港の竹下桟橋から週1便の定期船「おがさわら丸」で1昼夜(約24時間)を要する時間と距離がある。



発端は『ドロップアウトのえらいひと~島に渡る~』森永博志著(2011年 SDP発行)にあった。





小笠原諸島・父島で自然と共に歩み生きるレジェンドサーファー・宮川典継。
野生イルカと泳ぐ世界初のドルフィンスイムでブームを巻き起こし、絶滅危惧種となっていたアカガシラカラスバトを保護し、世界遺産の登録に大きな貢献をした宮川は、島を訪れる旅人を受け入れる島文化のパイオニアだ。









豊田監督はディジュリドゥ奏者・画家のGOMA、俳優の窪塚洋介、渋川清彦、ドラマーの中村達也、ギタリストのヤマジカズヒデなど俳優やミュージシャンを島に呼び、自然界とセッションを自らのカメラで撮影した。

GOMAの奏でるディジュリドゥに合わせ鯨があたかも協奏しているように船の周り巡りながら歌う。
原初の地球の風景とも言える岩山や海辺や森などは、雄大で神秘的であるに違いない。



小笠原在住の水中カメラマンの手による、野生イルカと対話するように水の中で舞う宮川典継の映像は神秘的である。

多岐にわたる話とで多彩な映像と音楽を「あまや座」の心地よい空間で楽しむことが出来た。


森永さんの誕生パーティーで知り合った、父島在住の「ウクレレポストマン」ニシモトホマレさんはGOMAコンサートを仕切ったとのこと、エンドロールに名前をみつけた。
『プラネティスト』のタイトルは、森永さんの小説『プラネティストネバ―ダイ』に拠るようだ。

コロナ禍が収束し旅に出る時、一番の候補地は小笠原。
小笠原を知る大きな手掛かりになった。

(「PLANETIST」の予告編の映像を撮影)

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