徳池山蓮生院 信願寺 @水戸市緑町
信願寺は浄土真宗本願寺派に属し、親鸞聖人二十四輩の第23番。
開基・唯信房は俗名を幡谷次郎信勝、親鸞に帰依し唯心房と称した。
旧小川町(現小美玉市)の幡谷に建てた後に、数か所を転々とし、水戸に来てからも藤沢小路・寺町・信願寺・河田横町の現在地に。
2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた。
参道正面から望めた山門や本堂は撤去され、現在、再建の途中である。
明治7(1874)年の地図。
当時は川田横町、右上の「信願寺町」「裡信願寺町」は元の信願寺に由来する。
東日本大震災による被害前の本堂。
参道の入り口に、御影石の門柱。
開創700年を記念して昭和29(1954)年に寄進された。
円柱部分は唐招提寺の円柱と同じ様に、中間が膨らんでいる。
しかし、この柱は力強い四角柱で、面取りされているので優さを感じる。
若くして親鸞に帰依した、彫刻家・後藤清一(1893 – 1984)のデザインと知れば納得できる。
手前の小さな塔も同様だ。
恵信尼と信蓮房を連れた親鸞の銅像。
震災前は本堂の脇に在ったが、自然石を積み上げた台座が崩壊したので客殿前の芝生に移築された。
渡辺卓凞(わたなべたくあき)作。
1917(大正)6年水戸市に生まれる。
東京美術学校(東京芸大)卒業。
茨城県立美術館の嘱託をされていた頃、住まいは千波で、小料理屋で何度か話す機会が有った。
存命なら100歳を越えられている。
本年の夏ころ、客殿は鵤社の施工で完成したが、本殿の工事は始まっていない。
山門を含めた境内の整備が待たれる。
信願寺は浄土真宗本願寺派に属し、親鸞聖人二十四輩の第23番。
開基・唯信房は俗名を幡谷次郎信勝、親鸞に帰依し唯心房と称した。
旧小川町(現小美玉市)の幡谷に建てた後に、数か所を転々とし、水戸に来てからも藤沢小路・寺町・信願寺・河田横町の現在地に。
2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた。
参道正面から望めた山門や本堂は撤去され、現在、再建の途中である。
明治7(1874)年の地図。
当時は川田横町、右上の「信願寺町」「裡信願寺町」は元の信願寺に由来する。
東日本大震災による被害前の本堂。
参道の入り口に、御影石の門柱。
開創700年を記念して昭和29(1954)年に寄進された。
円柱部分は唐招提寺の円柱と同じ様に、中間が膨らんでいる。
しかし、この柱は力強い四角柱で、面取りされているので優さを感じる。
若くして親鸞に帰依した、彫刻家・後藤清一(1893 – 1984)のデザインと知れば納得できる。
手前の小さな塔も同様だ。
恵信尼と信蓮房を連れた親鸞の銅像。
震災前は本堂の脇に在ったが、自然石を積み上げた台座が崩壊したので客殿前の芝生に移築された。
渡辺卓凞(わたなべたくあき)作。
1917(大正)6年水戸市に生まれる。
東京美術学校(東京芸大)卒業。
茨城県立美術館の嘱託をされていた頃、住まいは千波で、小料理屋で何度か話す機会が有った。
存命なら100歳を越えられている。
本年の夏ころ、客殿は鵤社の施工で完成したが、本殿の工事は始まっていない。
山門を含めた境内の整備が待たれる。