「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

『雑艸』創刊号 特集・山上雑林子展

2021年03月04日 23時15分43秒 | 山上鎭夫さん
『雑艸』創刊号 特集・山上雑林子展
1994年2月6日発行




『雑艸』創刊号は、1994年2月2日~13日、水戸市大町のNHK水戸放送局1階のギャラリー「すいとぴあ」で開催された山上雑林子(鎭夫)さんの1周忌遺作展に合わせて発刊された。

執筆をお願いしたのは吉田光男・寺門寿明・小泉博・小川知二・川又南岳・林一郎・福地靖・墳本喜久蔵・軍司直次郎・網代茂・鈴木重次・後藤道夫・正村稔・大須賀発蔵(掲載順)の各氏。
何れも生前に何らかの関りがあった方々、思い出の一端を記して頂いた。













A4・12㌻のささやかな個人誌。
題字は川又南岳さに揮毫をお願いした。
デザインは友人の加藤木洋一さんにお願いしたのが、季刊誌『銀花』風にしてほしいと当方の願いに合わせて頂いたので、パクリは加藤木さんの責任ではない。

『雑艸』と題したのは、骨董・古美術の先達である後藤清一(艸衣・そうい)さん・山上鎭夫(雑林子・ぞうりんし)さん、ご両名の号の一字ずつを勝手に頂き名付けた。
「雑艸」は普通に読めば“ざっそう”だが山上さんの読みに従い“ぞうそう”と読む。



山上さん後藤さんを囲んで古美術鑑賞をしながらの食事会も開催された。
この日は、山草愛好家でもあった墳本喜久蔵さんの自宅で。
湧水が流れる庭には山野草や山椿・夏椿や霧島つつじなど珍しい樹木も。
このお宅はその後「然林房」として営業していたが閉店したが、最近「和牛庵」として開店したらしい。

お二方のコレクションの傾向はかなり異なるが、精神は共通していた。
世間一般の常識にとらわれず、権威におもねづ我が道を貫く。
自らの価値観を大切にした。
今の世の中「忖度」ばかりだが、真逆の人生を貫いた。
骨董古美術は、反逆の心が重要とすれば正統でもある。


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『古陶小集』山上鎭夫(1962年発行・私家版)

2021年02月26日 20時23分59秒 | 山上鎭夫さん
『古陶小集』山上鎭夫(1962年発行・私家版)



骨董・古美術の世界に入門した(1970・昭和45)頃、水戸の骨董界で著名だったのは彫刻家の後藤清一さんと眼科医の山上鎭夫さんのお二方だった。
どちらも雲の上のような存在で、お会いすることやコレクションを拝見するなどは夢の世界であった。
しかし、骨董商の古川敏郎さんを通じ、先ず後藤さん次に山上さんの自宅に伺う機会を得た。
山上さんを訪ねた際に『古陶小集』(昭和36年5月校了・昭和37年1月発行)を戴いた。

A4判・96㌻の蒐集品の図録で撮影は坂本写真研究所。
坂本万七(1900年 - 1974年)は民藝品や仏像の撮影に定評があった。
モノクロだが、お気に入りの4件についてはカラー。

序文に続いて掲載68件について、時代・品名・寸法・感想文が附されてある。



1.  殷 青銅平底爵       高さ16.0㎝




2.  殷 青銅鬲(れき)     高さ16.6㎝

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8. 六朝 加彩婦人俑       高さ59.7㎝



12.六朝 石仏(響堂山)     高さ47.0㎝



14.六朝 石仏(雲崗)      高さ20.5㎝

晩年まで診療されていたので、午後あるいは日曜日にお伺いした。
発行から10年以上を経過していたから蔵品にも移動があり、図録の全てを見てはいない。
しかし、その他の多くの品々も拝見できた。



原色版1.北宋 均窯紫波斑文百合口梅瓶  高さ41.0㎝



原色版2.南宋 赤絵蓮花文小壺      高さ 9.5㎝



原色版3.明天啓 赤絵椿文花瓶      高さ38.7㎝



原色版4.古九谷 色絵鳳凰文皿      径34.1㎝ 高さ6.3㎝

*モノクロが主流の時代、お気に入りの4件は原色版(カラー印刷)で挿入し製本されている。
特に「古九谷 色絵鳳凰文皿」山上コレクションの白眉でアメリカでの展覧会にも出品されたことが有る。
私も手に取って拝見する機会に恵まれたのは良い思い出だ。
現在は「石川県立美術館」の蔵品となっている。
*昭和20年代から「古九谷」と呼ばれるやきものが、有田産か九谷産かをめぐって激しい論争が巻き起こった。今はこれらの色絵磁器を「古九谷様式」と呼ぶことが多いが。



19.北宋 磁州窯 鉄画牡丹文梅瓶  高さ 38.5㎝



36.高麗 青磁陰刻徳利       高さ 29.5㎝

*戦前から収集を始めたが、序文に「戦後間もない頃、私の最も古九谷と埴輪であった」とあるが、中国や朝鮮半島の磁器、ペルシャの陶器など広範囲にわたる。



54.埴輪 武人首      高さ23.8㎝ (那賀郡静村出土)



55.埴輪 鳥        高さ43.5㎝ (群馬県出土)



53.埴輪 農人       全高75.0㎝(群馬県新田郡宝泉村出土)

*武人首は造形力に優れた東海村の窯で作られたと推測できる。
*鋤を担ぐにこやかな笑顔の農夫、京都国立博物館の常設展示品。

「古陶小集」掲載の後に、内外の美術館に収蔵された品々もあるが、多くは散逸し行方は知れない。
この様な図録として纏められたので、コレクションを偲ぶことが出来るのは幸いだ。


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山上鎭夫さんの遺作展

2021年02月25日 08時07分54秒 | 山上鎭夫さん
山上鎭夫さんの遺作展



1994年2月2日~13日迄(今から27年前)水戸市大町のNHK水戸放送局1階のギャラリー「すいとぴあ」で「山上雑林子展」が開催された。







(当時の水戸放送局は、現在とかなり異なり、1階が貸ギャラリーだった。
眼科医で古美術蒐集家、クラッシック音楽愛好家、山歩き、俳句や陶芸など幅広い分野に興味を示した山上鎭夫(俳号・雑林子)さん=1993年2月、96歳で没=遺作の絵画や陶芸作品を集めた展覧会。







会期中に、生前の山上さんと骨董・古美術などを通しての知人が沢山訪れた。
模様がお昼の関東ローカルニュースで放送され、会期中に1度雪が降ったにもかかわらず、前橋から訪れたお客さんもいた。

山上さんは津山藩の藩医の家系で、軍医だった父親の任地、長崎県佐世保に生まれた。東大医学部を卒業後は水戸日赤病院に勤務。1943(昭和18)年に水戸市三の丸に「山上眼科医院」を開業し地域の診察に従事した。
その傍ら、古美術の収集に取組まれ、美術展へのアドバイスや展示協力など公的にも寄与した。近世の水戸を代表する南画家・林十江の「白桃図」、立原杏所の書簡十数通などを県立歴史館に寄贈している。



理想の形を求め、手練りで陶器のようなものも作っていた。
焼き物に見えるが、芯を金網で作り、石膏を固め絵の具で着色したのだが、普通なら存在しない色や形などの素敵な作品も並んだ。





自然を愛し、山川を題材とした絵を描き、具象とも抽象とも呼べないが面もある。
四季折々の山や樹木はあたかも「曼荼羅の世界」とご本人は感じていたようだ。
この様な山上さん独自としか言いようのない書き方のスタイルを「筋金入りの素人画家」と寺門寿明さんが評したのも頷ける。

日課のように描いていたので、膨大な枚数だ。
お気に入りの作品を額装・軸装し、水戸と東京で三度の個展を開いた。
85歳の頃にピアノを購入し、独学のクラッシック風の即興演奏も愉しんだ。

藩医の家系で藤田嗣治とは母方の従弟という血筋、審美眼と権威に流されず、知識に溺れない独歩の生き方を貫いた自由人であった。

山上雑林子展実行委員会のメンバーは(50音順)
網代茂・伊藤和夫・大須賀発蔵・大曾根克彦・小川知二・川又南岳・軍治直次郎・小泉博・後藤道夫・正村稔・鈴木重次・高橋洋一・墳本喜久蔵・寺門寿明・林一郎・福地靖・吉田光男/協力・相馬画材
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