「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「須知 大  木・金工」展 @ギャラリー 加古

2010年07月28日 00時57分02秒 | 美術展
「須知 大  木・金工」展 @ギャラリー 加古
                       7月23日~31日




昨年の10月15日-11月15日迄、水戸京成百貨店のパサージュ通りの専門店に、アート作品が展示された。
なかでも、「テイスト・ 木内酒蔵」に展示された、須知 大(すち だい)の鉄と木材を使った作品が興味を引いた。
ギャラリー 加古で須知さんの個展が開催されている。
木や金属を素材にして家具、花器、灯具などが展示されている。
観ていると優しさが伝わり、心が落ち着く。
身辺にこのような家具や器が有ったら、と思う。

画廊の机の上に、店舗の看板やドアなど制作した写真アルバムが在った。
確かに、お店や個人の家等の外回りにピッタリだ。
勿論、インテリアとしての椅子や机も良いが。





ともかく、生活空間が美しいと心も豊かになれる、ことは間違いない。
美的生活に役立つ実用性がある品々。
購入し、使うことが努力している作家への応援歌。
これから新居を!等と考えている若いカップルに、是非御覧戴きたい。

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シェ・ジャニー風クスクス、子羊の串焼き。

2010年07月27日 13時56分17秒 | シェ・ジャニー
ところで今回のメニュー。





伊勢“ボン・ヴィヴィアン”のアミューズ



シェ・ジャニーのベーコンとリエット。
岩手―菊地牧場のソーセージ。



大船渡産の夏牡蠣



シェ・ジャニー風クスクス、子羊の串焼き。

八戸”ポン・デタン“メルゲズ”添え。



パンナコッタ、苺のソース。



ミントティー



齋藤のドリップコーヒー
            以上



(昼の部と夜の部の間にスッタフの昼食)

今回のお客は10名だが、調理と給仕のスタッフは合計14名。
客の人数を上回っている。

そのわけの一つに、アミューズを担当した伊勢“ボン・ヴィヴィアン”の河瀬毅さん夫妻。
メルゲズを担当した八戸“ビストロ ポ・デタン”の三浦祐紀さんご夫妻。
何れもジャニーのお弟子さん、現在はオーナーシェフとして地元での評価は高い。
今回は、師匠のために特別参加。

更に、現在の安比のお弟子さんたち。

そして、ジャニーの片腕ハモさん。
ジャニーの料理は食材に凝るのは当然として、手間もかける。
簡単そうに見える料理が複雑な工程を経ていることが多い。
今回も、料理ごとにレシピを紹介していたが、とても素人には分らない。
後日、ジャニー自身、或は河瀬毅さん、三浦祐紀さんからブログ等で再度紹介していただきたいと思っている。

始まりから終わるまでの約2時間半、料理の質と量に圧倒された。
このような至福の時間をすごせたことに感謝したい。

大船渡産の夏牡蠣は開始2時間前に届いた。
宅急便の発展は新鮮な素材が、指定された時間に冷蔵で届く。
あたかも、大船渡の市場近くで食べるが如く新鮮。
かつ、クリーミーで磯の香りが一杯。

全てがメインといっても過言ではないが、特にといえば「シェ・ジャニー風クスクス、子羊の串焼き」だ。



クスクスは今でこそ一般化したが、胃袋の煮込み料理(トリップ・ア・ラモードゥ・カン)と同様にジャニーが日本に最初に紹介した。

クスクスは北アフリカ発祥でヨーロッパや中東に広まった。
小麦粉から作る粒状の粉食、要はパスタの一種ともいえる。
粟粒のような小さな物だが、一般的には既製品を買って蒸しあげる。
ところがジャニーはセモリナコを丹念に手揉みして、蒸しあげ、晒してから乾燥したのを再度、調理の際に蒸すらしい。(粟粒・米粒大の乾燥状パスタのような物をスムールとよぶ)
今は、粒状も料理もクスクスと呼んでいる。
蒸しあがったスムールに鉄鍋で熱せられたスープの具材をかけ、子羊の串焼きと一緒に食べる。
コリアンダーの香りが食欲をそそる。
ご飯にカレーをかけて食べる感覚、だが味は勿論異なる。
これ一品で十二分といえる満足を感じた。

別の肉の皿には辛いアラブ風ソーセージ(メルゲズ)が数品。
八戸の三浦が試行錯誤で作り上げた逸品。
僕は食べたことがないので詳しいことは分からないが、血が入ったものもある。

パんナコッタ:イチゴソース添え。
ミントティー。齋藤のドリップコーヒーと続いたが、次回に。

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ギャラリーリブレ・魅惑の宵 @ギャラリーリブレ ①

2010年07月27日 02時31分06秒 | シェジャニー
ギャラリーリブレ・魅惑の宵 @ギャラリーリブレ ①

シェ・ジャニー春田光治さんが「つかの間のレストラン」



料理研究家・上野万梨子さんが、日本とフランスの食文化交流の場にしたい。
との願いを込めて、2008年11月に田園調布の住宅街に開設した「ギャラリーリブレ」。

フランスを活動の拠点としている上野さんだが、帰国時に「食」に関するセミナーやイベントを開き多くの人たちと集い『一期一会』交わりをしたいと願いが実った。

会員制を基本としているようだが、料理教室・セミナー・つかの間のマルシェ・つかの間のブティク・つかの間のレストラン等、企画ごとの参加も可能だ。
僕は、上野さんの『シンプルフランス料理』(1980年・文化出版)刊行以来のファンで、一度はお目にかかりたいと思っていた。

昨年の9月、シェ・ジャニー春田光治さんが「つかの間のレストラン」に登場した。
残念ながら、その時は参加が叶わなかった。
好評に答え(参加できなかった方が多く)7月23・24・25日に再度開かれることになった。

今回、幸いなことに席を確保できた。
定員が僅かに10名。本来9人だが希望者が多く1席増やしたとの事。

KEYAKI GARDEN

ギャラリーリブレは多摩川田園調布2-8-1 KEYAKI GARDEN 1Fにある。

KEYAKIは欅の意味だから欅園。
道路に沿って大きな欅と野草の花壇がある。



そこには、プレートが立っていた。要約すると、
『1956年、この場所には〔ドライブインVAN FAN〕がありました。
VANジャケットノショップとカフェ、オーナーの住宅で多くの若者が集いました。
1980年念閉鎖され、2007年に再開発の際、当時の欅を生かしKEYAKI GARDENと名付けた』というようなことが記されていた。

1950年代「VAN」は若者の象徴だった。

僕は、日本のメンズファッションは石津謙介に始まる。と思っている。



「VAN」に関する話しは、後ほどにして、上部は集合住宅だが1階に店舗が4軒ある。
その一つがギャラリーリブレだ。
他にはカナダの工芸品や雑貨の店・洋酒店・但馬黒和牛「中勢以」など高品質の店だ。

一軒ごとの敷地は広くはない。階上のマンション1軒分程度だ。
その様な状況だから「つかの間レストラン」も参加者全員が一つのテーブル囲んでの食事。
お互いが知らないどうしだが、和気藹々と始まった。
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気分はプロヴァンス

2010年07月23日 23時59分10秒 | シェジャニー
気分はプロヴァンス
東京の夏の暑さと湿気を嫌い、7月~8月は店を休み、フランスで夏休みをしていたジャニー(春田光治さん)。
1985年渋谷のレストランを止め、安比に移りんだ。
それから12年、スキー・釣り・狩猟・気ままに過ごした。
1997年自宅の離れを直し、シェ・ジャニーを再開した。



昨年、久し振りに「つかの間のレストラン」で東京の舞台に立った。
今年は、暑い東京に再登場する。
そのわけを知りたい。

ピーター・メイルが有名になるより前に、
日本でプロヴァンス料理を出していたジャニー。

料理への期待は勿論だが、ジャニーの生き方を多くの人から聞きたい、と思っている。

報告は後ほど~。
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プラド美術館

2010年07月22日 00時29分02秒 | 
プラド美術館

今回のスペインの旅の大きな目的はプラド美術館に行くこと。
グレコ、ベラスケス、ゴヤの主な作品はここに集っている。
とにかく、それらの作品を自分の眼で観た、ということで満足しよう。
たった1日位で、理解するのはおこがましいこと。



『ラス・メニーナス』の部分、 ディエゴ・ベラスケス。



『羊飼いの礼拝』 エルグレコ。



『カルロス4世とその家族』 ゴヤ。



『着衣のマハ』 ゴヤ。
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“つかの間のれすとらん” @ギャラリー リブレ

2010年07月21日 23時27分32秒 | シェジャニー
“つかの間のれすとらん” @ギャラリー リブレ

シェ・ジャニーの春田光治さんが昨年に引き続き登場する。


7月23日(金)18:30 
7月24日(土)12:30 
7月24日(土)18:30 
7月25日(日)12:30 
*毎回定員は9人



昨年の厨房の様子。

シェフズテーブルメニュー


伊勢 レストラン・ボン・ヴィヴァン 河瀬毅シェフのアミューズ

シェ・ジャニー特製シャルキュトリー



(ジャニブロから)

三陸・大船渡の夏牡蠣

シェ・ジャニー伝統の手もみスムールのクスクス、
子羊のブロシェットと八戸・ビストロ・ポ・デタン 三浦祐紀シェフ特製メルゲス(アラブ風ピリ辛ソーセージ)の炭火焼き添え。

パンナコッタ : 苺ソース  極上ネルドリップコーヒー
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ウサミ ドイチャンコーヒー @常陸太田市東一町2309-1

2010年07月21日 12時16分35秒 | 
ウサミ ドイチャンコーヒー @常陸太田市東一町2309-1

コーヒーといえば、ひたちなか市の「サザコーヒー」を思い浮かべる。
地方が本拠なれど、ブラジルにコーヒー園を所有し、世界1流の生豆を輸入・販売している。
創業者・鈴木誉志男さん『コーヒーは文化』、生産国との文化交流にも力を入れる。
本店のギャラリーは地域の文化活動の中心となっている。

「サザコーヒ」以外でも、水戸駅南に本店を持ち、水戸京成百貨店に支店を持つ「トロワ シャンブル」も文化の香り豊かだ。
音楽と美術の落ち着いた空間。
もちろん、こくのある美味しいコーヒーを提供してくれる。
裏南町の茶房・梵もお勧めの喫茶室。
水戸には、素晴しいコーヒー店が多い。

最近、更なるコーヒーを知った。
「親戚で作っているのですが、味見してください」と戴いたのが常陸太田市東一町の、ウサミ ドイチャンコーヒー。
爽やかな酸味と透明感のある甘み、されど深い味が有る。
僕はローストが強い方が好みだ。
ミルクも砂糖も入れる。
飲んだ後口が、すっきりとしているコーヒーが好き。
ウサミ ドイチャンコーヒーも、なかなかのコーヒーだと感じた。

説明書きによれば、



ウサミ ドイチャンコーヒーは、タイ北部山岳地帯のドイチャン村にコーヒー農園を所有しております。代表を務める環境歴史学者の宇佐美博邦博士〈ロンドン大学)は、単なる営利目的だけでなく、山岳民族の収入向上と山岳地帯の環境保全を図る目的でウサミ ドイチャンコーヒーを設立しました。
私たちは、世界市場と直接つながる手段を持たない小規模生産者たちのために、産直方式による市場の開拓に努めております。

日本にまだ流通していない世界トップクラスのコーヒー豆です。
タイ北部山岳地帯(標高1200mから1600m)で栽培されるこの豆は、日本ではまだ無名ですが、世界のコーヒー鑑定士たちからは、既に高い評価を受け、北米・ヨーロッパ市場では有名になりつつあります。

天然ミネラルウォーターでよく水洗いした豆を、数日間天日乾燥します。
この間に雨が降れば、豆は発酵の危機に陥りますが、当園は雨季と乾季がはっきりと分かれているので、その心配はありません。
しかし、蒸れてカビなどが発生するのを防ぐために毎日2時間おきに攪拌します。
その作業を一つのロットにつき2週間近くも続けるのですから、大変な労力が要ります。しかい、このサンドライを充分行うことによってコーヒー豆としての完成度が高まり、透明感のある甘い香りが増大します。



タイ北部チェンライ県の山岳地帯にあるこの村落は、山岳少数民族たちが最初に定住したもっとも古い村の一つです。現在は、800世帯で8000人ほどのリス族やアカ族、モス族、KMG中国人たちが暮らしています


僕はタイに4回旅したことがある。
微笑みの国、仏教の国、美食の国、特に屋台の食事は最高。
種類豊富な果物など、やみつきになる。

そのうち2回は、タイ北部のチェンマイに行った。
ラオスに隣接する山岳地は貧困で、豊かな南部とは大きく異なる。
タクシン前首相に関連するでも騒ぎも、南北の経済格差を発端としている。
山岳民族の主要な現金収入はつい最近までケシの栽培によっていた。
僕が訪ねた場所も、以前は換金作物として芥子を栽培していたらしい。

ウサミ ドイチャンコーヒーは、その様な場所でコーヒーを栽培・加工し日本に輸入し販売している。
タイの農業振興や、山岳地帯の環境保全を図るための働きを、継続して欲しい。
それには、ウサミ ドイチャンコーヒーを飲むことで、いくらか寄与できる。

近い内、常陸太田のお店に行こうと思っている。
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秋田眞壁屋のうどん、眞壁明吉良さん

2010年07月19日 11時12分37秒 | シェジャニー
秋田眞壁屋のうどん、眞壁明吉良さん



安比高原のシェ・ジャニーのブログを通して秋田眞壁屋のうどんの店主・眞壁明吉良さんを知った。
7月27日まで水戸京成百貨店7階のお中元特設会場に出品のため、水戸に滞在している件は7月13日のブログに書いたが、お目にかかって話を伺う機会を得た。



「水戸にお邪魔する様になってから7年になります。、お蔭様で、沢山の方々と知り合いことが出来、いつ来るのか?といった問い合わせが店に入るようになりました。茨城の方々は、本質を見極められる方が多いと感じています。」

「私のうどん作りは、小さなお子様からお年寄りまで食べて頂くこと、食の喜びを感じて頂くことを目標に行っています。特に、子供が喜んで食べるものこそ、ほんものだと私は感じています。」
「富士通研究所、さらに富士通で海外ビジネスを担当しておりましたが、家業のうどん屋を継ぐことにし、帰郷しました。」
「地方に在りながら、自らの仕事をグローバルに展開したいと何時も念じています。」
「5年前から、香港の高級食材店 シティスーパーで取り扱っていただくようになりました。今では定番の人気商品として定着し、眞壁屋のうどんを使用したいと言う業務店が増えています。」
努力が実り、日本のみならず、世界に向けて進んでいるようだ。
富士通に勤務した経験も生かされているのだろ。

「大学で粉体工学を専攻しました。父が創りあげた味に、私が研究してきた科学的理論を用いて、さらに喉越がよく、ツルツルとした味の美味しいうどんを作るようにしています。工夫したのは粒子の大きさと活性水でした。」
「素材の研究、伝統的な技術の継承の大切さを多くの人に伝えたいと思っています。」
実践のため「大学での講演や小学生から社会人まで講義受け持ち、ほんものの見極め方を科学、倫理を通じて教えています。」
という。食文化のみならず、多くのことを地方から発信している。
45歳の働き盛り、更なる発展が期待できそうだ。

眞壁さんと知り合えるきっかけは、シェ・ジャニーの春田光治さん。
春田さんについて「天才です。予測のつかない引き出しを沢山持たれています。美味しさを伝えるシナリオ、前菜からデザートまで驚きの連続をお客様に与える料理を作られる点は、他の料理人には真似できないものを感じます。」
「だいたいの料理人の料理は3回頂くとパターンが読め、フレンチに関しては、一度ご馳走になるとしばらくは食べなくても良い気分になるのですが、春田さんの料理は食べ終わってまたすぐ、食べたくなるから不思議です。」と語る。

僕も同感で、春田さんの料理は世界一と思っている。
食する機会が少ないのが残念だ。
嬉しいことに、上野万梨子さんが主宰する[ギャラリーリブレ〕の「つかのまのレストラン」に7月23・24・25の3日間に登場することになった。
僕も24日6時の部に予約が出来た。

久し振りにジャニー(春田光治さん)の料理を味わえることを楽しみにしている。
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梅雨明けの水戸

2010年07月18日 12時19分37秒 | 水戸の今と昔
梅雨明けの水戸

「ゆかたdeまちぶら」

東北地方の一部を除いて梅雨明けしたと報じられた17日の土曜日。
3連休の初日とあって各地でいろいろな催事が行われた。
水戸市内では「ゆかたdeまちぶら」と銘うち水戸駅南口ぺデストリアン納豆像前に集合して浴衣姿で街をぶらつく、という単純な企画。
しかし、お祭り以外に「ゆかた姿」を町中で見るのは、いいものだ。
真夏は、浴衣を着るのは暑いが、其処は少々我慢して。
おしゃれや粋は幾らかの不便がついてくる。
企画者の皆様ご苦労様でした。
今後も継続してください。

イスバス

「水戸黄門祭り」〔8月6日(金)~8日(日)〕の会期中8日18:00から開催されるタウンフェスティバル。
泉町2丁目の路上では車椅子バスケット「リアリズム」の試合が開催される。



そのプレイベントとして
南町自由広場でイスバスイベント「イスバス・パーティーイスバスパーテー03」が開催された。
Spinning Hoops Revolutionと日本初プロイスバスプレーヤー安直樹によるエキシビジョン・ゲーム。
笠間コブラ会によるジャム・セッション・ライブ とDJクロの試合中継などもあり盛り上がった。
観客には「ゆかたdeまちぶら」の人たちも混じっていた。
炎天下の中でのプレーする選手に惜しみない拍手が送られた。
観衆が少なかったのは残念だった。

8月8日の本番は多数の観客が見込まれる。
昨年は雨が降ってしまい、急遽、専門学校の体育館を借用しての試合であった。
今年こそ、路上のオープンスペースでの熱戦を期待する。
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「戦国大名 真壁氏の盛衰」展 @茨城県立歴史館

2010年07月16日 00時04分11秒 | 博物館
「戦国大名 真壁氏の盛衰」展 @茨城県立歴史館
7月13日 ~ 8月15日


秋田のうどん製造所「眞壁屋」を検索したら、佐竹氏の秋田移封に従って移り住んだ真壁氏の末裔で、常陸(茨城)に縁のある家系とあり、そのようにブログに載せた。
記事を読んだエビネンコさんから「茨城県立歴史館で真壁氏の展覧会が開催されてます」とのコメントが寄せられた。

歴史館の開館は10時だが、9時30分には着いた。
庭園は7時から入場できる。
先ずは、蓮池の「大賀蓮」を見ることにした。





蓮は咲き始めたばかり。
池面の全部を埋め尽くすより、ちらほらと咲いているほうが風情がある。

展示は、中世の真壁地方(現・桜川市)に勢力を誇った真壁氏。
佐竹氏の家臣となって秋田に移った。
その歴史を古文書や肖像画などを通して紹介している。

関東地方において、中世の古文書が残ることは稀だが、真壁氏の一族の長岡古宇田氏は35点の古文書を伝えてきた。
中世の武士にとって、正しく命である土地の権利書。
現代人には想像できない、重要な意味があったのだ。

真壁氏は佐竹氏の家臣となり、近世は秋田藩士となった。
その子孫達は、先祖のことを調べ、そして後世に伝えた。



紙本著色 伝 真壁道無像(部分)18世紀



絹本著色 伝 真壁充幹(みつもと)(1644~1699)。 18世紀 
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「鈴木治の泥象とうつわ」展

2010年07月14日 18時40分59秒 | 美術展
「鈴木治の泥象とうつわ」展
7月3日~8月29日 @ 茨城県陶芸美術館




モノを入れたり盛ったりする器の材料は木や土などを加工して使用する。
粘土を加工して、焼き上げれば陶磁器となる。
古代から現代に至るまで、土器・陶器・磁器は生活の必需品として作られ使われてきた。

1940年代になって器の口を閉ざした焼きもの、使用することを意識しない作品が作られるようになった。
器というより彫刻作品に近い、ともいえる。
世界的な動きであったが、日本においては八木一夫、山田光、鈴木治らが、前衛陶芸家集団「走泥社」を結成した。
走泥社は、陶芸の革新的集団として先駆的な活動を展開した。
器でない焼き物を「オブジェ」呼ばれようになり、陶芸の新しい分野として定着していくことになった。

鈴木治(1926-2001)は、京都焼を生業とする家に生まれた。
小さな頃から家業の手伝いをして育ったのであろう、轆轤や窯場の技術的なものは習わずして成れた、ようである。

今回の展示作品では昭和30年(1955)頃の『墨絵壷』『倣 漢アヒル』などを観ると、既に多彩な技巧を習得している。
同じ時期に、古典や伝統にとらわれない新しい陶芸のオブジェ作品を作り始めているが、鈴木治は「オブジェ」と呼ばれるのが嫌だったようで「土偶」、「泥像(でいぞう)」、「泥象(でいしょう)」等と呼んでいる。

「泥」は土で「象」は形だ。

しかし、生涯を通して土の香りの強いものから青白磁の上品で繊細な作品まで、多彩な作品を作り続けた。
両極端な作品を作ることで、自分の内面のバランスを図っていた、と記されていた。

僕は『馬』のシリーズが好みだ。
縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪の影響を感じる作品もある。



《二ツノ面ノ白イ泥像》1969年



《黒いペガサス》1996年



《風の十字路》1982年

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眞壁屋のうどん

2010年07月13日 22時05分01秒 | シェジャニー
眞壁屋のうどん
㈱眞壁屋 秋田県横手市大屋新町字堂の前35-2



安比高原のレストラン「シェ.ジャニー」のシェフ、ジャニーこと春田光治さんとアメリカ在住の娘・Aliceさんによって海を越えて綴られる、食に関するブログを読むのを愉しみとしている。

春田さん親子が「美味い」と推薦する“うどん”が秋田県横手市の眞壁屋(まかべや)の完全手作りうどん。
僕は、数年前に水戸京成百貨店「秋田物産展」の催事で知った。

ジャニーのブログのコメントを読んでいたら、
『ご無沙汰しております。眞壁明吉良です。美味しい料理をご紹介頂き、ありがとうございます。水戸に滞在し、お中元ギフト販売に取り組んでいます。秋田から水戸まで車で480km移動し、7月は水曜日のみ秋田で、あとは水戸で仕事と言うのが今年の予定です。』

と云う書き込みを発見。
早速水戸京成百貨店の7階催事場を訪ねた。
残念ながら閉店間際で、眞壁さんはお帰りになったあとだった。
家に戻って『眞壁屋のうどん』を検索したら、うどん以外に眞壁家の歴史なども書かれている。

眞壁家は佐竹氏の秋田移封に伴なって移り住んだ家系だそうな。
さらに、忠臣蔵47士の内、13の義士は旧眞壁家の家臣団であった、とも書かれている。

播磨赤穂藩の第3代藩主浅野内匠頭は『忠臣蔵』を通じて有名だが。
祖先は、常陸真壁藩(現・茨城県さくら市)笠間藩(現・笠間市)主であった。
常陸の国(現・茨城県)とは深い縁があるのだ。

歴史的な経緯はこれくらいにし、HPには次のように記されている。

『眞壁屋のうどんは、粉・水を研究し、うどんに最も適した安全で、美味しい素材を職人が、完全手作りで仕上げています。』
さらに、
『腰、しなやかさ、味、のびにくさと食べていただくと、他の麺との違いがはっきりわかります。数量限定、なかなか入手しにくい美味しい眞壁屋のうどんを是非、ご賞味ください。眞壁屋は未来の子供たちのために、日本人の忘れかけたスローフード(安全で、時間をかけて食べる美味しい食材)作りに専心しています。』

いくらか、宣伝めいているのでは?
と疑問の向きも有ろうが、数年前の物産展で購入したから、味は保障する。
ジャニーのお墨付きだ。

茨城に縁の有る、秋田県横手市の「眞壁屋」のうどん。
お中元の展示会に出店しているが、夏は冷やしとして、自家用として食するのも良い。
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スペインが初優勝・ワールドカップ南アフリカ大会。

2010年07月13日 00時05分47秒 | スポーツ
スペインが初優勝・ワールドカップ南アフリカ大会。



6月11日から始まった、第19回サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会。
グループリーグを経て決勝トーナメントまで約1ヶ月の長丁場。
日本代表の予想外の活躍もあり、連日連夜に渡って生中継・再放送がされた。
午前3時半の試合開始も多かったから、一度寝てから又起きて。
おかげで、寝不足の日が何度かあった。

サッカー放送がこれほど話題を呼んだのは日本で始めてのことだろう。
にわかサッカーファンが急増した。
勿論、僕もその一員。

参議院選挙の投票から開票と同じ日。
11日午後8時の投票締め切り間もなく、開票速報から「当選確実」が打たれるほどに事前の調査が進んで開票に対する興味も薄れ、オランダVSスペインの決勝戦に興味が移った。



さすがに決勝戦、どちらも譲らず決着は延長戦に持ち越された。
延長に入ってもお互いに決められず、PK戦突入かと思われた延長後半11分、イニエスタがボレーシュートをたたき込み、スペインがようやくゴール。
これが決勝点となり、スペインが史上8カ国目のW杯王者となった。
オランダは3度目の挑戦も実らず、涙を飲んだ。

どちらを贔屓、と言う感じではなかったが、5月にスペインを旅行したばかり。
バルセロナの選手を中心としたスペインを応援する気持ちが若干、大きかったのは事実だが、オランダも大健闘だった。

ワールドカップは国別の対抗戦だったが、サッカーの基本はクラブの対抗戦。
クラブを存続させ、応援する市町村だ。
先日の水戸ホーリーホックの講演会でよく分かった。

スペイン優勝の原動力はクラブチームが基になってのまとまりの良さ。
スター選手を擁した国々が、内部分裂で決勝トーナメントに進めなかった例も多かった。

日本のベスト16に進出した以上に、国際審判員の西村雄一主審と相楽亨副審の両氏が、準々決勝の「オランダ対ブラジル」戦のをホイッスルを吹いたこと。
決勝戦で2人が副審を努めたのは、日本のレベルが向上した象徴と感じた。

次回のFIFAワールドカップは2014年の6月~7月にブラジルで開催される。
ワールドカップ20回の記念大会となる。
開催地としてリオデジャネイロ、サンパウロ、など12都市が決定した。

1998年にブラジルのサンパウロの友人を訪ねたことがある。
2014年のワールドカップにブラジルを再訪したいと願っている。
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『テキサスハウス・スキャンダル~大竹省二と夢多き時代』

2010年07月10日 20時58分39秒 | 本・雑誌
『テキサスハウス・スキャンダル~大竹省二と夢多き時代』
          『朝日カメラ』2003年4月号~2005年6月号に掲載。






この2枚の写真は大竹省二撮影、『赤坂檜町 テキサスハウスのページから。

大竹省二の写真に永六輔が文章を加えた『赤坂檜町 テキサスハウス』は懐かしい話題が多かった。その時代より10年ほど後、あの辺りで仕事をしたり友人の事務所を訪ねたりした。
地図を見ればテキサスハウスの眼と鼻の先、乃木神社の直ぐ脇だ。
S商会や、リキアパートメントの50メートル圏内。

へーと言う話しが沢山だ。

その近辺には高樹町のセツモードセミナー、コシノ・ジュンコの龍土町のアトリエ。
やまもと寛斎や浜野安廣さん等。
今はどうしているのだろう。

とはいえ、今お目にかかっても「あなた、どちらさん」だろうが。

それにしても、写真の世界は素晴しいことだ。
誰もが、歳をとらない。
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第92回全国高校野球選手権茨城大会、今日(10日)開幕。

2010年07月10日 09時00分32秒 | 水戸の今と昔
第92回全国高校野球選手権茨城大会、今日(10日)開幕。

梅雨の晴れ間、青空が広がるのは気持ちよい。
第92回全国高校野球選手権茨城大会の開会式に出席した知人に出会った。
「凄い人だったよ」との話、梅雨は未だ開けないが、いよいよ夏本番だ。
出場は103校との由、人数が足らずに借り集めて出場、という場合もあるようだが。
今や、若い人達の人気は圧倒的にサッカーらしいが、野球もマダマダ健在なのだ。

下馬評では下妻二高が有力らしいが、水戸・桜の牧もチャンスがありそうな話。
先日の高校総体、サーカーの決勝に桜の牧が進出した。
水戸勢の勝利を願い応援に行ったが、惜しくも鹿島学園に敗れた。
「桜の牧」は県立の進学校、その中で野球やサッカーなど運動の成績も良いようだ。
その人によれば、野球もサッカーも熱心な先生がいるとのこと。
全ては指導者にかかっているのは、どの世界も同じなのだろう。
特に、高校生は文武両道が教育の基本。
その点、桜の牧の健闘を期待したい。

先日の、“ホーリーホックによる街おこし”の講演会。
サッカーがテーマだったが、聴衆は年齢的に野球ファンが多かった。
しかし、『スポーツを愛する心が、街と人を育てる』と確信する。
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