「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

日立市立かみね動物園

2010年08月28日 22時18分18秒 | 
日立市立かみね動物園



8月中旬、日立のかみね動物園に行った。
茨城県内では唯一の動物園だろう。
北海道の旭山動物園がブームを呼び、動物園が元気を取り戻しているのは喜ばしいことだ。

神峰山の中腹の斜面を上手く利用して作られている。
隣接地に小さな遊園地もある。









ゾウ、メキリン、カバ、ゴリラ、 クロサイ、ライオン 、ベンガルトラ、チンパンジーなど約100種580点の動物が飼育されている。
30年前頃に訪れて以来だが、基本的には変わらないようだ。
管理事務所兼入場門とチンパンジー舎などが新しくなった。
サル山も新しい園舎を建築中だった。

最近の動物園は単なる見世物ではなく、教育・研究施設としての役割や飼育下での繁殖などを通じて野生個体群における種の保存などの役割を担うようになった。

旭山動物園の成功は、如何に生息地と同じ条件で見てもらうかを工夫した事にある。
かみね動物園も大幅な改良に取り組んでいるようだ。
さらに魅力的な動物園になることを期待する。



隣接地に小さな遊園地もある。
コヒーカップ、メリーゴーランド、観覧車、カート、ミニ鉄道などの乗り物がある。
大掛かりな施設でなくとも、それなりに楽しめるものだ。

たまには動物園に足を運ぶことも必要、と感じた。

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そば園 佐竹  @常陸太田市天神林町5-207

2010年08月27日 15時10分49秒 | 蕎麦屋
そば園 佐竹 @常陸太田市天神林町5-207

佐竹寺から笠間方面に向かって500メートル。
坂を下った平地は広大な田圃と畑。
常陸太田の風景と言えば、奥深い山里ともうひとつがこの見渡す限りの田園風景。





間もなく稲は刈り入れを迎える。
「そば園 佐竹」は田畑の中の壱軒屋だ。



嬉しいのは、先ず漬物や胡麻和え等が出てくる。
机の上には梅干の入った壷が有り、自由に食べられる。

漬物・梅干を食べ、麦茶で喉を潤しながら、蕎麦を待つ。

そば粉は地元の常陸秋そばを中心に国内産。

店のチラシには「当店に職人はおりません。この地域に伝わる昔ながらの蕎麦打ち」と書かれている。働いている老若男女は全て近所の人たちらしい。



蕎麦は、太さにややバラツキがあるが、 むしろその方が香りが立つっている。



天ぷらは自分の山で採れる山菜と、敷地内の畑のもの。

全てが自家製ではないにしても、季節ごとに変わるので、これも楽しみのひとつ。
この日は。ナス・カボチャ・インゲン・アシタバ・ニンジン・タマネギ・シソの葉など。
椅子席と畳席があり、田園風景を観ながらの食事は心地よい。
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佐竹寺  @ 常陸太田市天神林町2404

2010年08月27日 13時00分42秒 | 
佐竹寺  @ 常陸太田市天神林町2404



秋田に旅してから、佐竹氏に関連した歴史や寺などに興味が深くなった。
佐竹寺は初代昌義(まさよし)以来、中世を通じて佐竹氏の保護を受け、代々の菩提寺(ぼだいじ)とされた。
慶長7(1602)年、佐竹氏が秋田へ移封されてから寺は急速に衰えを見せた。
明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24(1949)年まで無住の寺であった。



というのは驚きだが天文12(1543)年に堂宇が焼失後に再建された、現存する本堂(国重要文化財)の姿は、今流行の言葉で言えば「パワースポット」と言える神秘さを感じる。





寺院本堂には珍しく北向きに建てられている。
寄棟造、茅葺で、主屋の周囲にこけら葺の裳階(もこし)をめぐらし、正面には唐破風がつく。
窓や柱、梁などに桃山建築につながる意匠が見られる。

創建時のまま、あまり手が入っていないので、未だに無住の寺の雰囲気。
蝉の音はするが、時が止まったかのようだ。
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ソフィア王妃芸術センター

2010年08月27日 02時10分29秒 | 
ソフィア王妃芸術センター

駆け足のスペインの旅の最終章。
プラド美術館からソフィア王妃芸術センターに向った。
現代スペインの絵画、彫刻、映画、写真など様々な美術作品を所蔵する美術館。
かつての国王カルロス3世が建てさせた病院を美術館にしたもの。
現国王フアン・カルロス1世の王妃ソフィアにちなんで名付けられた。



大通りからいくらか奥まったところに在るが、その手前に、象が逆立ちしたオブジェと奇妙な建物が在った。
NPO法人のような団体が運営しているらしい。
ガイドブックも持たずに出た旅。
スペイン語が知らないから詳しいことが分らない。
とにかく、興味ある外装とインテリアであった。





たまたまこの日は入館無料だった。
元が大きな病院、更に奥には新館が増築され、パブロ・ピカソやサルバドール・ダリ、ジョアン・ミロなどの展示品が豊富。





中庭にはカルダーなどの彫刻作品も置かれている。



ピカソの代表作『ゲルニカ』はフランコ政権崩壊後スペインに「里帰り」し、プラド美術館別館からここに移され展示されている。
この部屋は、特別に観客が多い。
世界一の知名度がある作家である。



泰西の名画より、現代美術のほうがより素直に観られる時代なのだろう。

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「酒田観光ガイドブック」

2010年08月25日 21時56分12秒 | 
「酒田観光ガイドブック」

酒田駅構内の観光案内所で貰った「酒田観光ガイドブック」-さかたさんぽ-は優れもので、多いに役に立った。
エリアごとの見所は当然だが、ホテル・食事どころ・コンビニ・車椅子で使用できるトイレなど詳細な情報が詰まっている。
時間に合わせた、市内の周遊の幾つかのモデルコースも記載されている。

案内標識や案内図







散歩の地図に加え、市内各所の案内標識や案内図が充実している。
方向・距離・所要時間などが詳しく書かれている。

無料の貸し自転車が市内各所で借りることも出来る。
市内運賃100円均一の「るんるんばす」も走っている。
観光客に親切な対応がなされている。



賑わいのある商店街は、一定の時間は車両の通行を禁止するのも有効な手段。
車優先の社会を考え直すことも必要だ。
酒田の中通商店街の一部をモール化させた部分も在った。

水戸を訪れる観光客の回遊性を高めたい、との要望は多い。
歩く人の立場にたって考えれば、さほど経費を掛けなくとも、水戸を楽しんで貰える仕掛けは沢山ありそうに思った。

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酒田の街と人

2010年08月25日 00時40分56秒 | 
酒田の街と人



日和山公園。

旧・割烹「小幡」の坂道を登ると日和山公園。
そこから、酒田港が見渡せる。
眼下には1895年に建築された六角形の木造・洋式灯台が現役だ。
公園内の散策路に29基の文学碑が建てられている。
江戸時代から昭和にかけて酒田を訪ねた文人墨客の文学碑。



その中の一人が松尾芭蕉、銅像も建っている。

中通商店街

酒田の中心商店街だが、何処も同じでシャッターを閉めた店が眼につく。
それでも、未だ水戸よりは活気があるかもしれない。
長い距離の商店街だが、幾つかの道路は車の通行が禁止され歩行者優先。

更に、多くの専門店が頑張って営業を続けている。



魚屋の店頭に鮭が何十本もぶる下がっていた。
新潟の村上であったか?干し鮭の名産品があるが、それと同じらしい。
丸1年かけて干すそうな。厚さ数ミリの切れ端を味見させていただいたが、さすがに珍味。
チーズのような味わいだった。
2年先まで予約済だということで、今注文しても3年後だという。





ご夫婦でなさっている、小さな店。
店に並んでいる「庄内の岩牡蠣」を1個かって剥いてもらい、その場で食べた。
大洗産やジャニーの料理会で出された「大船渡産」に負けない美味しさだった。

旅の醍醐味は、その土地ならではの食を味わえること。

この魚屋さんの近所に焼き鳥やが在った。
改めて夕方に出向いたが、これが大正解だった。







写真のような店内だが、地酒と地魚と焼き鳥の店。



目無し八目(深海魚)の炭焼き



ベタ平目の刺身

酒は地酒の「初孫」。
カウンター内のご主人夫婦?もこれまた味わいがある。
こんな店を探し当てるのも、旅の楽しさ。

中町には、飲み屋さんも沢山ある。
「K」と云う店にたまたま入ったが、これまたカウンターバーというかスナックで、ジャズが流れる、いい雰囲気。
水戸では無くなってしまった、良き時代を感させる店であった。

酒田には歴史や伝統を感じさせる店が残っている。
水戸も多いに学びたいことが沢山あった。


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「おくりびと」ロケ地をめぐる。

2010年08月23日 23時26分20秒 | 
無料で自転車が借りられる。



酒田市では酒田駅観光案内所を初め12箇所で無料で自転車を貸し出してくれる。
時間は朝9時から夕方5時まで。
1日あれば市内の散策は充分に可能だ。

「おくりびと」ロケ地をめぐる。

観光ガイドのチラシを見て、映画「おくりびと」の舞台が酒田であることを知った。
市内の各地で撮影され、それらの場所を巡る地図も用意されていた。
「おくりびと」滝田洋二郎が監督を務めた2008年の日本映画。
第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞して話題をよんだ。

誰もが避けて通れない「死」をテーマとしている。
「納棺師」という仕事も始めて知った。

本木雅弘が演じる小林 大悟がチェロ奏者の夢を諦め、地元に帰って求職中、偶然見つけた求人広告をきっかけに納棺師として働くことになる。はじめは納棺師という仕事に嫌悪感を抱いていたが、次第に誇りを持って仕事をするようになる、、、、、、

妻:広末涼子、NKエージェント社長:山崎努、事務員:余貴美子、銭湯「鶴の湯」の女主人:吉行和子、「鶴の湯」の50年にわたる常連客で火葬場の職員:笹野高史など、助演者も個性的な人ばかり。



ロケの重要なシーンが撮影されたのが、旧・割烹「小幡」。
NPO法人が管理し、室内を見学できる。





その場所で撮影されたVTRが映し出されている。
撮影の現場に立ち会っているような錯覚に陥った。





その後、日吉町・石畳、港座、相馬楼、中通商店街などを巡った。
北前船によって繁栄した酒田の賑わいを偲ぶ要素は、今でも沢山ある。
大火によって何度も焼失した部分は多いが、江戸や明治の建築物も残っている。

ロケ地巡りをしたので、再び「おくりびと」を観ると、より楽しめるだろう、と思った。

おくりびとの予告編
↓↓↓↓

http://www.youtube.com/watch?v=Pya4Z5Oq6uo&feature=related
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勝常寺  @福島県河沼郡湯川村

2010年08月23日 13時00分30秒 | 文化遺産
勝常寺  @福島県河沼郡湯川村

会津盆地とその周辺には薬師如来を本尊とする5ケ寺「会津五薬師」があるが、薬師像が現存しているのは勝常寺と調合寺のみだ。
勝常寺は平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一(760?年 - 835?年)によって開かれたといわれている古刹。
会津中央薬師堂とも称され、現状は田圃のに囲まれた狭い寺域だ。
創建時は七堂伽藍が奈良の古寺のように整然と立ち並び大勢の人が集り学問をしていた、と伝えられる。
当時の寺は学問をすることが目的だった。





仁王門と薬師堂は室町時代の建築。



本尊の薬師如来は薬師堂に安置されているが、それ以外の諸仏は手前の収蔵庫に安置されている。





何れも平安時代初期の9世紀にさかのぼる造立である。
これら13体の諸仏が現存するのは奇跡といっても良い。
薬師如来及び両脇侍像は国宝に指定されている。



薬師如来坐像の座高は136.7cm 半丈六仏である。
堂々とした天平の仏像を思わせる。
材質はハルニエの木で、ケヤキに似た木である。
徳一が奈良から連れて来た仏師たちが地元の木であるハルニエの木を用いたのだろう。
両手首を除き一本造りで、耳のところで前後に割った割り剥ぎつくり。
割り剥ぎつくりの仏像としては最も早いという。当然、中繰りが施されている。
1cmくらいの厚さの漆による乾漆つくりは、ブロンズで出来ているような感じを与える。

木造十一面観音像(重要文化財)も見事で、平安時代初期に会津は仏教文化の中心であった、ことが証明される。
今回巡りあった中で一番の仏様だった。

徳一の開創が確実視される寺院としては慧日寺(恵日寺、福島県磐梯町)と筑波山の中禅寺(茨城県つくば市)があり、その他にも多くの寺院を建立したと伝えられる。
つくば市の中禅寺は未だ訪れていない。



会津喜多方のラーメンを食べて帰途に着いた。
秋の紅葉の時期、魅力あふれる磐梯山と会津を再訪したい。

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慧日寺(えにちじ)跡 @福島県耶麻郡磐梯町

2010年08月23日 01時12分23秒 | 
慧日寺(えにちじ)跡 @福島県耶麻郡磐梯町

諸橋近代美術館のダリのコレクションは多くの彫刻作品を観ることが出来た。
平面作品のイメージを立体化させているが、ブロンズばかりでなく多くの金属を使用している。
個人美術館は、コレクターの個性が顕われて面白い。
美術館を開設するのは蒐集家の夢だ。

表磐梯の温泉旅館・静楓亭に宿泊、心を込めた料理と温泉に浸かり英気を取り戻した。
翌朝は平安時代の僧侶・徳一が創建したと言われる慧日寺跡に向った。
慧日寺は山の寺とも称されるように、北東に磐梯山さらに磐梯山の北に吾妻山という山岳信仰の盛んな山を抱えており、その立地的な面から山岳信仰に大きな役割を果たしてきた。
平安時代初期からの寺院の遺構は、国の史跡に指定されている。
近年、発掘調査が行われ、広大な遺構が確認された。





中門と金堂が当時の様式で再建されている。
敷き詰められた河原石は発掘された状況を再現。



金堂内部、中央の写真は勝常寺の木造薬師如来及び両脇侍像(国宝)



軒先に吊るされた風鐸の音が印象的だった。

隣接地に町立の資料館が開設され、慧日寺と山岳信仰の関係、徳一の足跡や寺の往時の姿を偲ぶ資料等が展示されている。

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清家清の自宅『私の家』

2010年08月22日 22時16分48秒 | 人間
清家清の自宅『私の家』



土曜日の夜10:00~10:30テレビ東京「美の巨人たち」は一枚の絵(作品)にスポットを当て、その一枚に込められた人と作品の秘密を探る番組。
作品の背景が分かり、普通の美術番組とは一味違う楽しさがある。



21日は、戦後を代表する建築界の巨人・清家清の自宅『私の家』だった。
清家が1954年に家族の為に建てたこの家は、日本の住宅のあるべき姿を追い求める上で“実験台”としての役割も担っていたという。



『私の家』には、玄関どころか、家のどこにも仕切りやドアがない。
横幅10m、奥行き5m、わずか50平米のコンクリートの箱。
つまりワンルームに居間、寝室、書斎、洗面所の全てが収められている。

予算がないので、必要最小限度の家しか建てられなかった。
と云うが、50平米という広さは、人間が疲労を覚えることなく掃除が出来る限界の時間を割り出し、そこから逆算して決めたとのこと。



ユニークなのは、この家のシンボルとも言うべき移動式の畳。
この畳、ちゃぶ台を置けばそのままそこがお茶の間になり、布団を敷けば子供の寝室に、庭に出せば庭全体がリビングになる。

清家清は、戦後のお金もモノもない時代に現れた建築家。
そうした時代の中、日本の住宅のあるべき姿を追求し、辿りついた答えが「ワンルーム」。
其の後、日本は高度経済の道をたどり、豪邸や億ションが珍しくない時代となった。

しかし、
人間が必要な広さとして『立って半畳、寝て1畳』という諺もある。
江戸時代の長屋は9尺×2間が標準だった。
1軒が僅かに6畳しかなかった、ということだ。
だから、いかに狭い空間を工夫しながら生活したいたか。
道具類も必要最小限だった。

清家清は仕切りのない空間で家族が生活することにより、相互の理解が進むと考えた。
子供達は個室など与えられなくとも立派に成長し、長男は慶応義塾の塾長まで務めた。
長男・長女・次女の成長につれて、隣接地に「長男の家」「家族の家」を増築するが基本のスタンスは同じだった。

戦後65年を過ぎて、日本人の生活は豊かになりすぎた。
清家清の自宅『私の家』は必要最小限度で充分。
ものや、広さにとらわれない心。
そこに、人間の幸せがある、と考えたのだろう。


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興南春夏連覇 東海大相模破る

2010年08月22日 00時13分21秒 | スポーツ
興南春夏連覇 東海大相模破る



第92回全国高校野球選手権大会の決勝戦、沖縄代表の興南が東海大相模に13-1と大勝し、沖縄勢の夏初優勝とともに、98年の横浜以来、史上6校目の春夏連覇を達成した。

茨城県代表の水城は11日の東海大相模(神奈川)との対戦に5―10で敗れた。
水城の代わりに、決勝戦に駒を進めた東海大相模を応援したが、興南打線が爆発し、13-1の結果となった。高校野球の頂点に立った興南には勢いと気迫を感じた。
沖縄県民の喜びと興奮が良く分かる。

1984年、桑田・清原を擁するPL学園を破り優勝した取手二高。
茨城勢が優勝するなんて、夢のような出来事だった。
あの時ほど、熱狂してテレビにかじりついたことはない。


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「猛暑につき夏休み」の言い訳。

2010年08月20日 22時53分41秒 | 生活
「猛暑につき夏休み」の言い訳。

昨日今日はいくらか涼しい風も吹いたが、今年の夏は連日の猛暑。
立秋は8月7日だから残暑厳しき毎日、書きたいことは山ほどあるのに、書く気になれず。ということで、ブログを1週間サボってしまった。

8月15日は終戦記念日だから、何か書こうとした。
戦争に関することを書くのは難しい。
関連したドキュメンタリー番組を幾つか観た。
真珠湾攻撃を期して太平洋戦争に突入したが、今から見れば勝ち目のない戦であった。
開戦からまもなく、反撃されたにも拘らず大本営発表ほ信じ込まされた。
終戦の時、僕は4歳だったから殆ど記憶は無い。
疎開していたから、戦後の焼け野原の様子も、いくらかしか知らない

NHKの朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に出てきたラバウルの話など、知らないことばかり。ドキュメンタリーは凄惨だった。

戦争や原水爆弾に関しての解答は誰も出来ない。

大きな話題をさておき、Jリーグで一番観客動員が少ない「水戸ホーリーホック」
これまた、テレビで取り上げられている。

15日のFC岐阜戦の応援に行った。
前半先制されたが、後半間もなく同点にした。
何とかいけそうかと思ったら、すかさず反撃されてしまい1-2で敗戦。
さらに、観客は2637人で3千にも届かなかった。

29日はサガン鳥栖戦。勝利を願い応援に行こう。
水戸市民が年間に1度でいいから観戦すれば、観客1万も夢では無い。

5月に行ったスペインの紀行文の最終章。
7月下旬の横手・酒田への旅の、「酒田編」も未完。
8月上旬の磐梯周辺の寺巡りも未整理。

22日は『日めくり俳句会』の当番で、その準備もある。
と云うような、言い訳でごめんなさい。

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本間美術館・本間家旧本邸・本間家旧本邸別館「お店」

2010年08月13日 19時32分31秒 | 
本間美術館・本間家旧本邸・本間家旧本邸別館「お店」



本間美術館

『本間様にはなれそもないが、せめてなりたや殿様に』は有名だ。
酒田の殿様が誰であったか分らなくとも本間家の名前は浮かぶ。
日本一の大地主といわれた、酒田の豪商本間家。



四代・光道が文化10年(1813)築造した別荘を昭和22年に美術館として開放した。



蓬莱山石組を中心とする回遊式庭園は鳥海山を借景にしている。
島の松に鶴が飛んできたことから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられたという。

本間家に伝わる庄内藩酒井家・米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に本館内で展示活動を始め、棟方志功や中川一政をはじめ作家の展覧会も数多く催された。

昭和43年、創立20周年を記念して伊藤喜三郎氏設計の新館が建設された。
以後、美術品は新館に展示されている。



本間家旧本邸

1768年、幕府の巡見使宿舎として建造された書院造りの武家屋敷。
本間家旧本邸として使用されてきた。
商人ながら士族として遇された本間家の格式を感じる。
従って、武家屋敷と商家造りの2つの様式で、珍しい建造物。
華美を嫌い質実な生活をしたことが、繁栄が永続したのだろう。
木造建築物としては酒田市最古で山形県指定文化財。



本間家旧本邸別館「お店」

別館「お店」は、本間家初代原光が「新潟屋」を開業以来、本間家が代々商いを営んだ場所。館内には、実際に使用した帳場や度量衡、行灯等の灯かり、などを展示している。
展示品の中に水戸の「高倉・司命丸」の薬の看板があったのには驚き、庄内地方まで普及していたようである。
本間家は地主のみと思っていたが、今の商社のような仕事もしていたのだ、と再認識した。
地主であったが地域にも多くの貢献をしたので、当時から『本間様』と慕われた状況が分かった。

酒田は「北前船」の停泊地で、江戸時代には30数軒の廻船問屋があり、隆盛を極めた。
本間家もその一軒と思っていたがそうではないようだ。
旧「鐙屋」という酒田一の廻船問屋の屋敷があり見学した。
1845年の大火の後に再建されたというが、酒田家の屋敷より広く豊かさを感じた。
井原西鶴の『日本永代蔵』のモデルとも言われる。

往時の酒田の繁栄が偲ばれた。
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「土門拳記念館」 山形県酒田市飯森山2-13(飯森山公園内)

2010年08月13日 10時28分33秒 | 美術館
「土門拳記念館」 山形県酒田市飯森山2-13(飯森山公園内)

 「古寺巡礼 ―京都編―」展
 「土門拳の絵と書」展


水戸京成百貨店での催事を終えた眞壁明吉良さんの帰りの車に同乗し、横手市を訪ねた。
倫理法人会の記念式典の懇親会に出席させて戴き五日市剛さんの講演を聞くことが出来た。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」と題した講演は『有り難う』と云う感謝の言葉を多く発することによって、幸せになれる、という。
総てに、感謝の気持ちを持って接することが大切だと思った。
翌朝、早朝6時からの例会にも出席させていただき、自分を磨きながら、社会を明るく人たちの活気にみちた姿に接することが出来た。



今回の旅の大きな目的が酒田市の「土門拳記念館」を訪ねること。
記念館は、土門拳(1909年-1990年)から作品を寄贈された酒田市(土門の郷里)が、1983年に開館した写真作品を所蔵・研究・展示するための美術館。
日本最初の写真専門の美術館として、7万点におよぶ土門作品を所蔵している。
谷口吉生が設計した建物は話題を呼び、第9回吉田五十八賞を受賞した。

記念館の在る飯森山公園は広大な敷地で、大学もあるし、酒田市美術館もある。



背後は小高い丘と松林、前面の池に白い建物が映える。

「古寺巡礼 ―京都編―」展

土門拳40年の写真家人生を代表するのが奈良・京都を中心とした全国各地100箇所以上の寺社を撮影した『古寺巡礼』。今回は京都を撮影地とした作品が紹介されていた。
何度か雑誌などに掲載されているから、観たことがあるな。と云う作品も多い。
土門拳は開放に近いシャッタースピード撮った写真が多いようだ。
技術的なことは良く分からないが、一瞬の感じというより深さを感じさせる。
勿論、光は一番重要で自分が思う映像になるまで、根気強く待っていた。


「土門拳の絵と書」展


土門拳は子供の頃から絵と習字が得意で、中学に入学した時の将来の志望は画家だった。
その後、画家の道は断念したが、生涯、絵に対する興味を喪うことはなかった。

書に対しても、折にふれ筆を手にしている。
写真集の題字も自分で書いたものが多い。
一目で“土門拳”と分る独特で豪快な書風は書家としても1流だ。

昭和43(1968)年58歳の時2度目の脳出血で右半身不随となり、リハビリのため左手で絵や書を描いている。
右手の時とは一味違う出来栄えだ。
土門拳の作品、特に骨董や古美術に関する写真やエッセーを雑誌などで観たのは、2度目の脳出血で右半身不随になった頃なのだろうか?
助士がセットし自分がファインダーで確かめ、シャッターを切っていたのだろうが、障害を持ちながら撮影したとは全く感じなかった。
今回、書の作品をたくさん観ることが出来たのは幸いだ。

草月流創始者・勅使河原蒼風は独特な書風で知られるが似た雰囲気がある。
蒼風の長男・勅使河原宏も華道家であるが、映画監督や陶芸まで幅広い活躍をした。



「土門拳記念館」の奥の庭園は石と竹を組み合わせ、斜面を使用した勅使河原宏の作品。



前の池に流れる、水を取り込んだ石庭はイアサム・ノグチの作品。

土門拳の作品と同時に、庭や彫刻も愉しめる。

「土門拳記念館」は何度も訪れたい魅力がある。

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静楓亭 @福島県耶麻郡猪苗町

2010年08月12日 08時38分24秒 | 
静楓亭 @福島県耶麻郡猪苗町

猪苗代や会津若松などの磐梯山周辺へは水戸から日帰り圏、宿泊の機会は少ない。
今回は、素晴しい温泉宿にご招待いただいた。

良い宿屋に必要な3条件がある、と聞いた事がある。
先ず安全で清潔なこと。
当然と思えるが、大切なこと。
そして、静寂なこと。これはなかなか難しい。

静楓亭は磐梯山の麓の森の中で、僅か11室の小さな宿。
『煌びやかさより、静寂さを追求しました。』
という、案内文の通り真に静かな空間だ。





さらに、全てに部屋には露天風呂が備わっている。しかも広々としている。
地下1000mから汲み上げたナトリウム塩化物の源泉が24時間掛け流し。
1部屋25t~30tもの湯量が一日中注がれている、とのことだから驚く。
豊富な湯量の温泉に、何度も入れるのは一番の贅沢と言える。

さらに、料理がめっぽう美味しかった。



食前酒の苺酒から始まって、先付け、前菜、お椀、お造り。
どれも少しずつ小鉢に盛られている。
この辺は型どおりのよくあるパターン、としても、素材が厳選されている。
包丁の切れが良く、見た目も、出されるタイミングも良い。



焼き物の「鮎の酒盗焼き」は鮎をひらいて焼き、ウルカの味付けがされていた。



鍋物が、鱧と早松茸、旬のものと少し早めの具材。

中皿、止め椀、山掛けご飯と続。



メロンと桃の水菓子、甘味は蕨もちに黒蜜。



朝食
新鮮で美味しい食材による、上品で優しい味。
旬の素材を目と舌で味わう。
美味しいだけではなく感動する味と磨かれた技。
日本料理ならでの味わいだ。

仲居さんの、控えめな接客。
純粋な自然の恵みを受けた天然温泉に浸かり、広々と居心地の良い部屋で寛ぐ。
日頃の生活とはかけ離れている。

『日本の名旅館100選』に選ばれても良い、と思える宿であった
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