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平和公園と平和祈念像(長崎紀行・其の2)

2024年05月27日 19時53分20秒 | 
平和公園と平和祈念像(長崎紀行・其の2)





長崎を訪れる人が必ず訪れる平和公園と平和祈念像。
原爆落下中心地公園北側の小高い丘にある。
悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界恒久平和への願いを込めてつくられた。

平和への願いを象徴する平和祈念像。
高さ:9.7m 重さ:30t 材質:青銅 北村西望作。
像の高く掲げた手は原爆の脅威を、水平に伸ばした手は平和を象徴、閉じた目は戦没者の冥福を祈っている。
毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされる。



「平和祈念像」に向かう道の両側には多くのモニュメントが建立されて在る。
園内は修学旅行の学生が多い。県内はもとより全国から来ているようだ。
赤いベストを被ったボランテアガイドが各々のグループに説明している。
中学時代にこの地を見聞するのは、とても良いことだと思う。



『長崎の鐘』に因む鐘のモニュメント。
長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井隆が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録した随筆集。
「戦争を防ぎ、原子力を平和的に利用して頂きたい一念から」と執筆したが出版のめどが立たず、1949年に『長崎の鐘』として出版された。
同書をモチーフとした歌謡曲が同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で発売されて大ヒットし、翌1950年(昭和25年)には松竹により映画化された。
1こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
  ■なぐさめはげまし 長崎の
  ■ああ 長崎の鐘が鳴る
2召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの 鎖に白き わが涙
*1番から4番まであるが、2番までを記載。 
私の小学校時代に大流行したので、1番とリフレインの部分は覚えている。
*「長崎の鐘」とは原子爆弾の投下により吹き飛ばされてしまったカトリック浦上教会(旧浦上天主堂)の「アンジェラスの鐘」のこと。





平和公園の敷地は「長崎刑務所浦上刑務支所跡(被爆遺構)」で塀や土台などが残されている。収監者の中には、朝鮮半島等で抗日運動を行い、治安維持法に違反したとして逮捕された活動家も存在した。 また、九州管内の死刑囚は全て当所に集められ、執行を待っていたとされる。

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