「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

『奥のほそみち』結びの地@大垣市

2015年09月30日 07時43分47秒 | 
『奥のほそみち』結びの地@大垣市



思い出多い彦根だが、1泊半日では足りるはずもない。
再来を期し、翌朝は一日をかけて水戸に戻る日程。

大垣の芭蕉『奥のほそみち』結びの地を訪ねることにする。
俳句会に籍を置く身として、大垣城下の水門川にある船町港は聖地、訪ねてみたい場所だった。
6:51彦根発米原行き6:56米原着。7:27米原発豊橋行き8:02大垣着







大垣駅から、大垣城・大垣公園まで約10分。
大垣城は、関ヶ原の戦いで西軍大将の石田三成が本拠を構えた城。
豊富だったこの城の外堀のあった場所には、現在も水門川が流れている。
天守は大戦にて焼失したが、昭和34年に天守を復興し、改修を行いながら現在は大垣公園として整備されている。

川沿いに『奥の細道』むすびの地とされる船町周辺に。

「奥の細道むすびの地館」と云う観光施設がある。



芭蕉の銅像。



芭蕉の碑
1689年(元禄9年)「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」の俳句を詠み、船で桑名へ向かった。



対岸に住吉燈台がある。
元禄年間(1688年~1704年)に建設された川湊の灯台。
高さ約8m、寄棟造の木造の燈台は1887年(明治20年)の再建。

川沿いの道を辿り、大垣駅に。
9:20発の豊橋行きに乗車、何度か乗り換え水戸に戻る。

「夢京橋キャッスルロード」と「四番町スクエア」@彦根市

2015年09月30日 00時03分11秒 | 街創り
「夢京橋キャッスルロード」と「四番町スクエア」@彦根市









「夢京橋キャッスルロード」

彦根城から玄宮園を巡って、見事な石垣の連なりを見ながらの散策。
正に、城跡とは・城下町とは・の問に、答えを見せてくれた感じだ。
濠も石垣も延々と続く。

城内の一角「彦根東高等学校」は南西の角にあたるが、右折して京橋方面へ。
濠を挟んで連なる通りが「夢京橋キャッスルロード」。
彦根城築城当時に起源する城下町である本町に、道路拡幅工事に伴う歴史的景観を演出する商業施設とし1999年(平成11年)オープンした。

京都風の木造2階建てが約1キロ続き、お食事処、和菓子や等観光用の店もあるが銀行を始め、様々な生活に関わる業種も営まれている。
1軒あたりでもかなりの金額、町並み全部を統一した景観に整えたのはかなりの予算だろう。行政も見事だが、それに協力した住民が素晴らしい。
城下町・彦根を見事に演出している。

水戸も町名も同じ「下市本町商店街」が「備前堀」と一体でこの様な街に生まれ変わったら、との案も浮かぶ。
新市民会館に100億円を投じる予算が有れば、街創りに使う方が、後々のためになる。

四番町スクエア



お城を背に「夢京橋キャッスルロード」の途中を左折すると「四番町スクエア」

かつては「彦根の台所」と呼ばれ、地元の人々に親しまれてきた市場商店街を中心とした周辺エリアが「四番町スクエア」として平成17年に生まれ変わった。
「夢京橋キャッスルロード」の後継事業となる。
街並みのコンセプトは「大正ロマンが漂うまち」。



広場に設置されたガス燈、ところどころに置かれた籔内 佐斗司の「巡ると願いが叶う六童子」のモニュメント。


標識なども分かりやすい。
水戸も、分かりやすい案内板が欲しい。

「四番町スクエア」を背に、寺の多い町を抜けてお城方面に戻る。



警備員が配された「たねや」の看板。
何だろうと入ってみれば、お菓子屋さん。
後で知りましたが、近江八幡に本社がある老舗和菓子やの彦根店。
全国的な知名度が有るらしい。
かなりの敷地で、ミニショッピングセンターの感が在る。

彦根には観光客が喜ぶ仕掛けが沢山ある。
行政が指導したにしても、事業者はあくまで、民間の個人企業。
水戸の参考になる点が沢山見受けられた。
当時の流行だったのか「夢京橋キャッスルロード」・「四番町スクエア」など、どうかな?と思いました。

中秋の偕楽園の萩祭り。@偕楽園

2015年09月29日 22時46分50秒 | 水戸今と昔
中秋の偕楽園の萩祭り@偕楽園



「茶の間」での「おにぎり講習会」に参加し、直ぐ近くの「くろばね朝市」に。
この朝市も年内限り、何らかの形で存続してほしいと思う。

先日、家出した自転車を数間探したが、見つからず。
「くろばね朝市」で中古自転車を買った。

これにまたがって約30分の道のり、河和田町の「紙善・物流センター」へ。
封筒造りの体験をして、これまた近くの「ケーズデンキスタジアム」に。
4時のキックオフ頃には天気も良くなり、最高の試合日和。
岐阜を迎えて勝たなければならない試合だが、拙攻で点に成らず。
つまらぬミスで2点を失った。
最後まで応援する気にもならず、途中で退出。
偕楽園に向かった。





園内には萩が咲き乱れ、大勢のお客様。





各流派の野点。





篠笛の演奏など。

大きな月が昇って、中秋の名月を十分に味わった。

朝から忙しい日程だったが、充実した一日だった。
これで、水戸が勝利していれば、完璧だったがこれもまた人生だ。

紙倉庫で「封筒を作ろう」@(株)紙善・物流センター

2015年09月28日 21時53分30秒 | 水戸芸術館
紙倉庫で「封筒を作ろう」@(株)紙善・物流センター
「Re MITO 90」9月27日(日)14:00~16:00






午前中の「茶の間」での「おにぎり講座」で腹ごしらえ、午後からは水戸市河和田町の(株)紙善・物流センターへ。

流通業界の仲卸など、地方の問屋さんの存在価値が失われ廃業する商社が多い中、健在なのは「紙問屋」。

「紙善」は老舗の紙問屋でありとあらゆる紙を扱っている。
従って、大きな物流倉庫が必要だ。
先見の明か、40年以上も前に水戸市川和田の広大な土地を求めて移転した。
当時は今の敷地の数倍、野球のグランドも在った。
仲間と、草野球の試合にここを使わせてもらった思い出も有る。





「Re MITO 90」は紙倉庫の中で「紙のワークショップ・封筒を作ろう」
倉庫の中には山積みの紙・紙・紙。





今回の参加者も子供連れの家族さんが主で約20名。
「Re MITO 100」の良さは、参加体験型で日常は縁がない場所に行って体験できること。
特に、小学生などには貴重な経験になるだろう。



5つのテーブルに別れて作業開始。
あらかじめ型紙が用意され、好み形と紙を選ぶ。

カッターやハサミなどでカットし、折り曲げ、糊張りする。
簡単な作業だが、モノを作るのは愉しいものだ。

レース模様をつけたり、穴を空けたり、内紙を増やすなど、複雑にする手もある。

小学生位のご家族が主で、趣向を凝らした袋を沢山作った。

僕はここから自転車で10分足らずのケーズデンキスタジアムに4時キックオフの岐阜戦応援のため、少し早目に退室。



それでもこれらの封筒が出来ました。
立派過ぎて、誰に出そうか迷っています。


茶の間のママの絶品おにぎり @酒・食事処「茶の間」

2015年09月28日 20時45分18秒 | 水戸今と昔
茶の間のママの絶品おにぎり @酒・食事処「茶の間」
「Re MITO 55」9月27日(日)10:00~12:00








水戸で老舗の正統派・居酒屋「茶の間」。
季節の料理はご主人と息子さんなどの担当だが、何とも心地よいのは店を仕切っているのは女将さん。
明るい笑顔でお客を迎え、注文をさばいてゆく。
〆に注文が多い「おにぎり」は女将さんの担当らしい。

通常は夜間のみの営業だが「Re MITO 100」の要望に応え「絶品おにぎりの作り方講座」





朝10時に子供連れのお母さん、幼児を背負って参加のお父さん、将来のご主人に美味しいおにぎりを食べさせたい独身女性など10組20名が参加。





堅めに炊き上げたご飯に「シャケ・タラコ・オカカ・梅・コブ」などの具材の入れ方、押し方、一番肝心な握り方、等の秘伝を伝授。
未経験の子供さんや、若いお父さんでも、とても上手に出来上がりました。



作った「おにぎり」をカウンターで試食。

秘伝の握り方を憶えた子供達、水戸の食生活は安泰です。

「Re MITO 39」は水戸市国際交流センター

2015年09月27日 12時16分03秒 | 水戸今と昔
ポーランドを知ろう@「どようサロン・ティーパーティー」



「Re MITO 39」は水戸市国際交流センター 



水戸市備前町の住宅街、道路には面しているが前が広い駐車場の奥に3階建の瀟洒なビル。
ご存じない方が多いだろうが「水戸市国際交流センター」だ。

「水と緑の国際都市・水戸」の創造をめざし、国際交流活動を推進する施設として、また、水戸に住んでいる外国人の方を支援する施設として、平成10年4月に開館した。

外国人のための施設に思えるが、会話教室や交流会など水戸市民にとっても有意義なイベントが開催される。
和室を含めた集会室も使用出来る。
僕の属している「ひめくり俳句会」の例会場としてもお借りしている
外国人と日本人の交流会の1つとして「どようサロン」も開催される。
9月26日(土)13:30~「どようサロン・ティーパーティー(どようサロンの拡大版)」が開かれた。





ゲストはポーランド出身の山口イボナさん。
来日して10年以上、息子さんと娘さんと一緒に参加。





ポーランドの地形・人口・原語・貨幣・産業など、基本的な解説。
お菓子(ポーランド製)を食べ、お茶を飲みながらの懇親会。
日本人が多かったが、インド人のご夫妻も参加。
子供さんから高齢者まで年齢層も幅広かった。

10月の「どようサロン」開催日は
10月3日(土)13:30~15:00
10月24日(土)13:30~15:00

深作欣二記念室 @水戸市立中央図書館

2015年09月26日 22時45分56秒 | 人と作品
深作欣二記念室 @水戸市立中央図書館







「Re MITO 100」の多くは講演や鑑賞ばかりでなく、参加型・体験型のイベントが多いのが特色だ。
週末には幾つかのイベントが重なり、何処に行こうか迷う。

「Re MITO 48」は《戦時中に水戸で育った少年の心には何が映っていたのか?》と題し、水戸出身の映画監督・深作欣二(1930- 2003)について「310+1シネマプロジェクト」の谷田部智章さんが水戸市立中央図書館の視聴覚室で紹介した。

生い立ちから助監督・監督時代の逸話、代表作の解説など約2時間にわたって映像を交え話された。
「仁義なき戦い」「バトル・ロワイアル」など暴力的な描写の作品の印象が強く偏見を持たれることも多いが、第二次大戦中は旧制中学校の生徒、戦後の「焼け跡・闇市」で混乱の時代に大学生活を送り、高度成長に向かう時代に映画人として制作した作品の裏に込められたモノを感じて貰いたい。との熱意が伝わった。





2009年7月、監督のご遺族から蔵書など4,000点以上の貴重な資料が水戸市に寄贈された。
資料の一部は「見和図書館」などで公開されたこともあるが、通常は非公開で、
中央図書館の3階に「深作欣二記念室」とし、保存されている。











今回は特別に谷田部智章さんの解説付きで拝見することが出来た。
『シナリオ』『キネマ旬報』『映画芸術』等を含む雑誌・図書類約4000点、LD・DVD・CD類、約300点、映画祭等の表彰トロフィー及び遺品や写真。
棚に入れたまま、未整理の品も多い様子。

台東区の図書館に付属した「池波正太郎記念館」を何度か訪ねたことがあるが、スペースさえあれば、展示法次第で引けはとらないと思えた。

文化遺産であり、観光資源であるこれらを眠らせておくのはもったいない。
受け入れ設備を確りさせてくれれば、遺族はさらなる品々を追加で寄贈することも考えているとのことだ。

市内のどこかの図書館の付属施設として「深作欣二記念館」を設置できないものだろうか。

「新市民会館」膨大な経費をもって対処しようとしている。
足もとを確実に、身の丈に合った施設をと願っているが、賛同する方はいないでしょうか?

玄宮園 ~埋木舎 @彦根城址

2015年09月26日 08時51分15秒 | 公園・緑地
玄宮園 ~埋木舎 @彦根城址





彦根城美術館を観て表門橋に戻り、改築中の重文の「馬屋」を見て濠沿いに玄宮園に向かう。



途中に「金亀児童公園」が在る。その植込みに水戸・彦根の親善のシンボルとして植えられた「二期桜」を発見。
これからも、多くの水戸の人達が彦根を訪れることを願う。








(古地図を基に改修工事も行われていた)

玄宮園4代藩主直興が延宝5年(1677年)に造営した大名庭園で琵琶湖や中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられた。
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭した小石川後楽園と同様の築山泉水回遊式の日本庭園で時代や作庭法も似ているように感じた。
これまた、見事なものでした。

玄宮園の奥に「楽々園」と云う庭園も有るらしいがパスして「佐和口門」に戻る。橋を渡って濠沿いに右手に向かえば「埋木舎 (うもれぎのや)」が在る。
井伊直弼が青春時代を過ごした舎。



「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励んだ場所。


彦根城博物館@彦根市金亀町

2015年09月25日 20時46分55秒 | 博物館
彦根城博物館@彦根市金亀町





天守閣から入場口に戻ると、その脇に「彦根城博物館」が在る。
彦根城と共通の入場券を買えば両方を観られる。

パンフレットに拠れば、博物館は江戸時代までに彦根藩の政庁を司っていた表御殿を再建し、彦根市の市政50周年を記念して1987年2月に開館した。
表御殿を復元するにあたっては、発掘調査、絵図、明治時代初期の写真を参考ににし博物館としての機能も加味しながら復元した、とある。

鉄筋部分と木造部分で構成されているが、築後30近くを経て江戸時代の建造物の様に馴染んでいる。







井伊家に伝わった歴代の甲冑、刀剣小道具、美術工芸品、能や茶器、古文書の展示等が展示されている。



国宝『彦根屏風』が有名だが、毎年春に展示されるとのことだ。

表御殿の中央に占める能舞台は当時の唯一の遺構で、別の場所に移築されていたものを開館に合わせ再移築された。






藩主が日常生活をいとなんだ「奥向き」は、御座の間や茶室・庭園が復元されていたが見事なものだ。

特に、彦根藩井伊家13代直弼(1815-60)は、江戸時代後期の代表的な大名茶人として知られている。彦根藩を率いる藩主として、幕政を統括する大老として政治の表舞台で活躍するとともに、茶の湯の研鑽に力を注ぎ、茶書の執筆や茶会の開催、弟子の育成、茶道具の制作などを精力的に行った。
直弼は、利休と石州をはじめとする先人の思想を丹念に紐解きながら、自らの茶の湯を育んだ茶人として知られ、所蔵品も多い。
『一期一会』は直弼の著書『茶湯一会集』巻頭に「一期一会」と表現したことにより、同じく茶道の重要な精神とされる「独座観念」とともに四字熟語の形で広まった。と云われる。

「彦根城博物館」の建物・庭・収蔵品等々、お城と一体となった展示内容など、水戸は多くを学ばなければと感じた。

彦根市と彦根城は凄い

2015年09月25日 11時57分56秒 | 
彦根市と彦根城 





水戸に生まれ育ったものとして、歴史的なことを詳しくは知らないが、一度は彦根を訪れたいと思っていた。
奈良博の白鳳展を観て翌日は念願の佐川美術館に行くことも出来た。
琵琶湖畔の佐川美術館は守山市に在る。
美術館前発のバスで守山駅まで約30分、守山駅から彦根駅まで東海道線で約30分の距離だ。
JR彦根駅に並行して近江鉄道の彦根駅も在った。
「近江の国」は歴史とロマンを感じる。
今回は急ぎ足だが、何れはゆっくりと巡ってみたいものだ。



井伊直政公銅像(彦根駅西口前)
「井伊直政」(1561~1602)は戦国時代の武将で 徳川四天王として名高い。
自身が組織した井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として特に有名である。彦根藩初代藩主。

水戸藩は徳川御三家の一つで、彦根藩は譜代大名の筆頭。
幕末の動乱期、桜田門外の変はいわば、身内同士が衝突して起こった事件。
以来、明治100年を機に昭和43年10月29日、敦賀市の仲立ちにより、親善都市の盟約を結び友好関係が保たれているのが、水戸の人間にとっては、何か後ろめたい感じがする。

彦根は近江の国の交通の要所で、江戸時代には徳川家譜代の大名・井伊家の知行するところとなり、琵琶湖に面した山に築城された彦根城を中核として佐和山藩改め彦根藩が置かれた。
彦根藩および彦根城は、西日本の外様大名に睨みを利かせる幕藩体制上きわめて重要な役割、さらに前線に位置する播磨国の姫路藩および姫路城と共に担った。
姫路城は昨年11月、倉敷~岡山~姫路を巡る旅をした際に訪れた。
改築中で内部は入れなかったが、覆いを外された外観を観ることが出来た。
敷地の広さ、白鷺城と呼ばれる美しさはまさに国宝に指定された名城の第一。
国宝の天守は、姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城の5つだけ。

彦根駅を降りて観光案内所に入ると。
「残念ですが、彦根城は昨夜からの台風のため閉鎖されています」と告げられた。
台風一過、既に青空がのぞいているのだが、昨夜の風雨は凄かったようだ。
それでも、せっかく来たのだからとお城に向かって歩き出した。



濠に沿って植えられた「いろは松」は風格を感じた。
日本の城跡や街道筋に似合うのは松の他は考えられない。
近年、松くい虫の被害で急激に少なくなってしまったが、早急に植えてほしいと思っているが、その様な動きは感じられない。

門や櫓など復元された建物も有るようだが濠や石垣も見事なものだ。
残念だが、空濠と弘道館程度の水戸とは比べ物にならない。



櫓の一郭の「開国記念館」を見ている時、お城が開館しました、とのアナウンス。
これは、幸運な知らせ。
早速城内に。



昨夜の台風の影響で、石段脇などの崖崩れも有りましたが、


天守に登る道は大丈夫でした。



天秤櫓、太鼓門櫓を登ると天守閣です。









眺望のよい山城、ここからは琵琶湖が一望に見晴らせる。
確かに、天下の名城でした。

彼岸花@西の谷

2015年09月20日 11時51分10秒 | 西の谷緑地公園
秋の彼岸の頃







今日20日は秋の彼岸の入り。
花は季節を知って、確実にその時期に咲くのは不思議なくらい、数年前に植えた西の谷の「彼岸花」が見頃だ。
そのまま見ればいいのに、刈り取る人の気持ちは理解できない。





ホトトギスは毎年、どんどんと増える。
この花の見頃は長い。



秋海棠は茎が弱いので雑草に紛れると育ちが悪い。

朝のうちに墓参りをすませたが、帰途の「伊勢屋」でお彼岸団子を買おうとしたが、日曜のせいか休み。
商店街の日曜休業が一般化してしまった。

水戸芸術館広場の「あおぞらクラフトいち」には大勢のお客さんが集まった。
連休となると、イベントに出かける人が多く、商店街は閑古鳥が鳴く。

佐川美術館@滋賀県守山市水保町北川2891

2015年09月20日 08時02分37秒 | 美術館
水の上に浮かぶ美術館





琵琶湖畔・琵琶湖大橋の近くに1998年(平成10年)、佐川急便創立40周年を記念して開館した「佐川美術館」。
収蔵作品は日本画家・平山郁夫と彫刻家・佐藤忠良を中心として発足した。
敷地の大部分が水庭(人工池)になっており、水の上に浮かぶように見える2棟の切妻屋根の展示館(竹中工務店設計・施工)は、デザインが高く評価されている。

2007年9月、十五代樂吉左衞門の陶芸・樂茶碗などを展示する「樂吉左衞門館」が敷地内に新館として併設された。



地下の展示室と池に浮かぶような茶室が話題を呼んで、多くのメデアで報道された。僕が知ったのはその際で、どの様な処か、一度は訪れたいと思っていた。
「青春18切符」で奈良博の「白鳳展」を観た後、足を延ばす計画をした。

琵琶湖畔とは言え、JR湖西線 「堅田駅」 下車 バス で15分 。JR琵琶湖線 「守山駅」 下車 バス で30分 。どちらからも時間がかかるし、バスの便もさほど良くない。

奈良から近鉄で京都に、京都からJR湖西線 で「堅田駅」に。
ここまでは約2時間。



「堅田駅」に着くころは台風の影響で風雨が強くなった。
この台風が、後日に関東に向かい鬼怒川の氾濫を招き大きな被害を出した。
とにかく、バスの便が悪く、この時間帯は美術館までの直行便が無い。
やむなく、琵琶湖大橋に近いバス停で下車して風雨の中を歩くこと30分。



開館時間の9時30分にずぶ濡れで到着した。
この雨の中なので、来場者が少なく、ゆっくりとした時間をすごすことが出来た。

平山郁夫記念室の『平和の祈り サラエボ戦跡』、『楼蘭の朝』『楼蘭の夕』『楼蘭の月』等の大作も素晴らしかったが、ブハラやサマルカンドなどの風景は訪ねたことのある場所ゆえに、当時を思い起こした。
シルクロードを旅したルートや日程が記された地図が掲示されていたが、再三に渡って現地を踏破、よくも歩いたものと感心した。
更には、財団を作り各地の遺跡保存の基金を援助するなど、画家に留まらない活躍も見事だ。

佐藤忠良室の『帽子・夏』、『スイス帽の未菜』、『ボタン』など、おなじみの作品が並ぶ。



池にも建つ佐藤忠良の作品。

宮城県立美術館の佐藤忠良記念館を訪ねたことを思い出した。
2年前のことだが、あの日の記事はまだ書いてない。



常設に加え「キースヘリングの特別展」が9月31日まで開催されていた。

佐川美術館の目玉と云えるのが2007年9月2日に新設された「樂吉左衞門館」。十五代樂吉左衞門の作品を展示する特別室だが樂吉左衞門が自ら構想し、5年の歳月をかけたと云うだけに、見事、としか言いようがない。





地下に、天井が高い広々とした展示室。



場所によっては、池の間からの自然光が降り注ぐ。
展示室は無垢の木材が多用されているが、如何なる技法なのか、まるで古材のようだ。
作品も従来の「楽焼き」とは異なる。
現代の「茶道」、はどうあるべきなのかを問うような作品。
楽代々の家に生まれ育ったからこそ、その意義は大きい。
とは言え、我々、一般の人にとっては縁のない世界にも思える。

普通は入場できない、水面に浮かぶ茶室。
庭から一部を覗き観ることは可能だが、これもまたしかり。
夜間、月明かりの中での茶会であれば、正に夢幻の世界だろう。

通常の世界と異なった空間、唯々、感心するばかりでした。

観終る頃には雨もやみ、美術館前からJR琵琶湖線 「守山駅」 行きのバスに乗車した。バスで約30分守山駅に。
次の目的地彦根に向かう。

水戸城二の丸の発掘調査

2015年09月19日 09時20分36秒 | 文化遺産
水戸城二の丸の発掘調査





水戸の顏と云うべき弘道館・水戸城跡周辺地区の歴史的建造物のうち、大手門・二の丸角櫓・塀の復元整備を進めようと「一枚瓦城主」の呼びかけが今年の5月から始まった。
全額を市民の寄付で賄おうと云う訳でなく、意識を高めたいという意図だろうが、その後の経過はどうなっているのだろうか。

造るからには、創建時の姿に近い本格的な建造物であってほしい。
ハリボテ・映画のセットの様なものでなく、寺社建築の専門業者に見積もりを依頼して建築費を算出した上での予算が重要だ。

復元整備と何らかの関連はあるのだろう、大手門付近と水戸三高・水戸二中の間の共同溝設置に伴う発掘調査が行われている。

大手門付近。



撤去時の瓦などが整然と積み上げられている。
現在の道路より幾らか広い。



排水路なども整備されていた。



反対側は昨年調査された。



スダ椎の大木前。





水成岩による、排水路の遺構は現在地より2メートル位下だ。

調査を重ね検討し、史実に沿った本格的な復元整備が行われることを期待している。

旅館・静観荘とその周辺@奈良市東木辻町29

2015年09月18日 19時41分27秒 | 
旅館・静観荘とその周辺@奈良市東木辻町29



青春18切符で奈良行きを決め、奈良到着は夜になるから宿の手配が必要。
2013年12月、画家の武石尭さんの紹介で泊まった静観荘が思い浮かんだ。
連絡をとると2泊は可能とのこと、3泊目は別に考えることにして予約完了。



旅館・静観荘はJR奈良駅から徒歩25分・近鉄奈良駅から徒歩15分位、通称奈良町と呼ばれるアーケード街を抜けた住宅地の一角にある。
大正から昭和にかけて建築された木造2階建て。

歴史を誇る奈良の街だから、古い建物は沢山あるが、中庭を有する旅館ながらかなりの低料金なので、外国人の旅行者が多い。
玄関の造りは桃山風。





庭石や燈籠、緑の庭に百日紅の赤い色が印象的だった。



通りの反対側には「当麻曼荼羅と中将姫説話」の中将姫生誕の地とする「誕生寺」が在る。
古都には様々な歴史が隠されている。調べ始めたらきりがない。

この辺りは「元興寺」の敷地の一角だった。





現存するのは「極楽房」と呼ばれる国宝の建物と寺宝。
寺宝は「宝物館」に収蔵されている。
2013年に拝見したが国宝の五重塔小塔や庶民信仰の木造地蔵菩薩など資料が沢山保存されている。



極楽房から離れた場所だが「小塔院跡」と云う小さな御堂も有る。
元興寺極楽坊にある国宝の五重の小塔は、かってこの小塔院に安置されていたとされる。



御堂に繋がって住居が建っている。まあ、奈良らしい、といえる。



如何にも日本旅館の「朝食」。
ご飯は御櫃で。
ご覧の様なおかず、ご飯を何回もお代わりしました。

友明堂をあとに東大寺に。

2015年09月18日 13時42分46秒 | 
東大寺境内

友明堂をあとに東大寺に。





南大門の脇「東大寺ミュージアム」
東大寺の創建から現代にいたるまでの歴史や文物を紹介する施設として2011年10月に開館した。
2013年10月に訪れ、今回で2回目。
特に 塑造日光・月光菩薩立像(奈良時代)は大好きな仏様。
木造弥勒仏座像(平安時代)は小像とは思えない存在感をもつ。
考古展示では瓦類が目を引くが、境内のあちこちで発掘調査が行われているから、これからますます遺品の出土が期待される。



ミュージアムが主な目的だったが、大仏様の参拝は欠かせません。



蓮弁の彫刻(模造)

雨が降りそうな空模様。
修学旅行の学生も少なく静かな雰囲気で境内を散策できました。



鐘楼


二月堂・三月堂。



「二月堂のお水取り」一度は拝見したいと思っていますが。



二月堂から大仏殿に至る坂道は趣があり、如何にも奈良の風情を感じる。



大仏殿の裏を抜けて講堂跡、礎石だけが残る。



正倉院。
間もなく、奈良博では秋の風物詩「正倉院展」開幕する。
正倉院展には何年もご無沙汰している。

紅葉の奈良や京都への想いは尽きない。