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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

春田光治さん略歴 其の2

2023年07月18日 12時49分20秒 | シェ・ジャニー
『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会
@水戸市泉町「雑貨と珈琲の店・たけうち」
7月22日(土)午後5時から7時


《春田光治さん略歴》其の2










帰国後、フランス人が日常食べている料理を提供したいと思い、昭和45(1970)年自宅の一画を改装し、夫婦2人で切り盛りする「シェ・ジャニー」開店した。自分が調理し、妻がサービスする家庭的な雰囲気の料理店。
渋谷の住宅街の洋館で提供される未知な料理の数々は、東京の料理界に新風を吹き込んだ。









後に、大流行するビストロ(小料理店)ブームのはしりで、他は「シェ・フィガロ」1軒。池波正太郎のエッセイにも“近頃、若手による活気のあるレストラン”として取り上げられている。
ジャニー自身は「ビストロ」という言葉は好きでなく「南仏家庭料理」の看板を掲げ、プロバンス地方のニンニクとトマト、オリーブオイルを使った家庭料理とアフリカやアラブ料理も加え、今では一般的なメニューとなった料理を始めて提供した。

『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会

2023年07月06日 22時08分31秒 | シェ・ジャニー
『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会
7月22日(土)午後5時から7時(出入り自由)




会費:無料ですが飲み物代は各自でご負担願います。
会場:雑貨と珈琲のみせ「たけうち」(水戸市泉町)

2020年7月22日にジャニーこと春田光治さんが亡くなられて3年が経ちました。渋谷区神南の自宅の一部を改装して始まったお店が、瞬く間に繁盛店になり、予約の取れない店になったのが1969年、今から55年前のことです。
その時「この店知っている」との可視体験をしました。
結果として何かの繋がりがある方でしたが、それは後日談。

その後、安比~盛岡と移り住みましたが何れも知る人ぞ知る、の仏蘭西料理店でした。そのような「Chez Johnny “シェ・ジャニー”」を知らない方が殆どの時代となりました。
料理を言葉で表すのは難しいことですし、ジャニーの料理を食べることは不可能ですが、あえてこのような会を企画しました。



幾分かを伝える資料として『春田光治・魅惑の南仏料理』 昭和56(1981)年 中央公論社 発行があります。
~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理が中央公論社から1981年にシリーズで刊行された第4巻が『春田光治・魅惑の南仏料理』です。
この本とジャニーのブログを元にジャニーの人となり、そして料理を紹介したいと思います。


眞壁明吉良さん@水戸京成百貨店7階「お歳暮ギフトセンター」

2017年12月02日 21時13分59秒 | シェ・ジャニー
眞壁明吉良さん@水戸京成百貨店7階「お歳暮ギフトセンター」



水戸京成百貨店7階の「お歳暮ギフトセンター」に出展されている秋田・眞壁屋のうどん専務・眞壁明吉良さん。
期間中の毎週末に売り場に立たれる。

売り場には専属の販売員もいるが、自ら売り場に立ち、お客様に説明する。

眞壁さんは秋田大学・大学院を卒業の紛体工学の工学博士。
富士通勤務時代にオランダ留学の実績もある。
退社後に家業のうどん製造に携わるように成るや、技術を生かし「饂飩を科学」した。
科学的な粉と水により手造りされる「うどん」は冷やしても・温かくても美味しいと好評で、今や世界に進出している。

眞壁さんとの縁は、盛岡のフランス料理店「シェ、ジャニー」の春田光治さんだ。
味に厳しく、お世辞やご愛想を云わない春田さんが推奨しているのを知り、夏冬のギフトの時期にお会いすることになった。

眞壁(現・桜川市)が発祥といわれる戦国武将・眞壁氏の末裔の眞壁さんは、歴史にも詳しく「月刊きらめき+」に『現代に生きる・戦国武将の系譜』を連載。



那珂市が起源とされる戸村氏(横手城代を務めた)についても記されている。

夏冬のギフトの時期にお会いし、杯を傾けながら幅広い分野の話をするのが楽しい。
全てに真直ぐに取り組む眞壁さんの考えは大いに勉強になる。






水戸市駅南の「餃子とバル310」で。

今回も29日の最終日まで、何度かお会いする機会が有りそうなことは楽しみだ。

ALTO MADNESS Japan Tour 2017@森下文化センター

2017年08月19日 17時56分48秒 | シェ・ジャニー
ALTO MADNESS Japan Tour 2017@森下文化センター



タイトルの「ALTO MADNESS」はアルトサックス・バトルを強烈に表現。

ニューヨークで活躍しているアルトサックス奏者のVincent Herring & Erena Terakubo(寺久保エレナ)の日本公演 「ALTO MADNESS Japan Tour 2017」
が7/20(木)東京新宿 「Pit Inn」から始まり8/13(日)東京神田 「TOKYO TUC」
まで、国内で23公演が開催された。

この公演の1つが8月1日(火)森下文化センターで19:00に開催された。
シェ、ジャニーの春田さんはチャーリー・パーカーの大ファンで自らもアルトサックスを演奏する。
パーカーの系譜を感じさせるVincent Herring & Erena Terakuboの演奏に魅了されていたので今回の公演を聴くことに。

其の予定を7月に盛岡行った時に聞き、ジャズが好きではあるが詳しくない僕は春田さん夫妻と同じ場で演奏を聴ける、とあって急遽、チケットを予約。

と言う訳で、その日の状況は「シェ、ジャニー」のブログと写真を借用し、自分のコメントなどを追加して構成。



開場18:30の前に、一番乗りで待つ春田さんと一緒に。



開演前の春田さん夫妻。
会場の「森下文化センタ―・多目的ホール」は学校の講堂・体育館の様でジャズコンサートの雰囲気ではなかったが、天井の照明などは、凝っていた。



新作「Take The Yellow Train」発売記念ツアーでもあった。
この日はこのアルバムの中の楽曲を中心に演奏。

●『エレナちゃんは勿論、ピアノも素晴らしい。
リーダーのds小林さんも出しゃばらず控えめな素敵なタイコ。
音程のしっかりした若手のベース金森君もイイ。
でも圧倒的な存在感、物凄さはVincent
巨漢ではありますが、口笛を吹くがごとく、ただ息をしてるがごとく吹くアルトからは物凄いヴォリュームで艶やかな
今まで聴いたことが無いような美しい音色が
テクニックも素晴らしいし大感動。
でも、何より感動したのはこの劣悪ともいえる会場、客は私もお含め冴えないジジババ主体。
それなのにメンバー全員が全く手抜きなしの全力投球! 大熱演。
本当に全員JAZZが大好きで、お客さんに対するサービス精神とかではなく、自分の生き方としての全力投球だと思います。
今迄数々のJAZZコンサートを聴いて来ましたがこれ程素晴らしいコンサートは初めてです。
流石エレナの師匠ヴィンセント。
パーカー亡きあとは彼しかいないと思います。』



終了後のサイン会でヴィンセントと2ショットのジャニーさん。

●(パーソネル)
小林陽一(ds)、Vincent Herring (as)、 Erena Terakubo (as ), Anthony Wonsey (p)、金森もとい (b)

ビストロ ポ・デタン(Bistrot Pot d'Etain)@八戸市番町2

2017年08月12日 23時38分40秒 | シェ・ジャニー
ビストロ ポ・デタン(Bistrot Pot d'Etain)@八戸市番町2
夏の《みちのく》へ、其の八






八戸を訪ねたのは「シェ、ジャニー」で修業した、“キャタツ”こと三浦祐紀さんのビストロ ポ・デタン(Bistrot Pot d'Etain)の食事を楽しみたい、と思たからだ。当初の予定は朝に盛岡を発って昼食をと考えたが、初めての八戸を観光が優先と、夕食に変更したことで「是川縄文館」や「種差海岸」など、八戸ならではの貴重な体験が出来たことは嬉しいことだった。

JR「本八戸」から中心街まで約10分,上り坂の道を歩いて中心街に。
かっては繁盛していたであろう商店街は、シャッター街となった。
他は賑やかなところが多いので、特に目についた。

「ビストロ ポ・デタン」は中心街の「さくら野百貨店」や観光案内所「ハッチ」のすぐ裏の通り、宿泊の「スマイルホテル」から5分位の便利な場所だ。
ホテルは「ポ・デタン」に近いと云うことで予約したが正解。

壁面と入口にPot d'Etainの文字とイラストが描かれてある、
店名の由来を聞き洩らしたが、師匠の春田さんが命名されたのだろう。
開店に際し名付け親になるのは「シェ、ジャニー」恒例のことだから。



倉庫跡を感じる、天井の高い作りの建物だ。



厨房が客席から見える、オープンキッチン。
客と対話しながら仕事する利点が。



三浦さんご夫妻。
開店15周年を迎えた、と云うことは素晴らしいこと。
春田さんのお弟子さんが何人も独立し、店を構えたが、閉店した方々が多く、継続することは難しいようだ。

まして、三浦さんご夫妻は5人の子持ちとか、ひと頃は子供を背負って厨房に立ったこともあった。との話は感動秘話だった。



前菜。
平内産ベビーホタテのマリネ・モロッコ風ラタトゥイユ・トマトとバジルを詰めたイワシ・サーモンのリエットを詰めたグジェール・シイタケのアヒージョ。



糠塚キュウリのガスパッチョ。
黄色ミニトマトのピックルス・ロッロの花。



夏野菜と仔羊のクスクス。
「シェ、ジャニー」の代表的な逸品で僕も大好きな一皿。



デザート。




コーヒーの後に記念撮影。
三浦さんは背が高い、キャタツの愛称はその辺りか。

「シェ、ジャニー」の味の基本を守りながら、八戸の食材を取り入れ「ビストロ ポ・デタン」のスタイルを確立したようだ。
八戸のレストラン仲間と協働で食のイベントも企画したり、とか。

十分に満足したが、幾らか日本酒を飲みたい気分。
察して「案内しましょうと」と三浦さんが声を掛けてくれた。
お言葉に甘え、市内を散策。

素晴らしい和風の飲み屋さんも多い。
物販店と飲食店が融合している。
八戸は水戸よりかなりの活気を感じた街だ。



「台所家・はせべ」で軽く日本酒を戴いて、ホテルに。

シェ.ジャニー @盛岡市材木町7-44

2017年08月08日 20時41分51秒 | シェ・ジャニー
シェ.ジャニー @盛岡市材木町7-44
夏の《みちのく》へ、其の五




2015年7月に安比高原から盛岡に移転した「フレンチレストラン シェ.ジャニー」は 宮沢賢治ゆかりの「光原社」の隣りで、材木町商店街の中心に在る。

舗道には賢治と、作品に因んだ6つのモニュメントが配置されている。



背広姿で座した賢治像は夜には青い色でライトアップされて幻想的。



店内にはJBLの大型スピーカーがドーンと据えられている。
店のBGMは全てジャズが流れるのは、渋谷時代から変わらない。



この日も、予約で満席だった。
吾々3人は辛うじて予約が出来た。

メニューは予約時に相談だが、お任せしました。



アンダルシア風ガスパッチョ。
夏の定番だが、ジャニー作は想像を超えている。
ジャニーのレシピ、下に貼付してあります。



キヌアの暖かいサラダ。
キヌア(キノア)インカの古代食で栄養価が高く健康食として注目さているとのこと、ご飯のように炊くらしい。初めて食べたが、クスクスに似た食感でとても美味しい。



ブーリッド。
ブイヤベースと似た南仏料理。サフランの色と香りが。
始めて食べたが、メチャ美味しくて感激



アイオリソースを加えて食べる。
ジャニーのレシピを下に添付してあります



名古屋コーチン腿肉のマリネ、フライ。
極上の名古屋コーチンの腿肉をマリネして揚げてある。
パン粉が極小、以前に手造りパン粉の制作行程を拝見したことがあるが、パン粉1つに、コンナに手間かけるのと!感心した

さすがに名古屋コーチンの肉は旨いが、相変わらずジャニーの料理は量が多い。
他の店の倍はあるだろう。



氷菓3種。塩カラメルアイスクリーム:レモン、ブルーベリーのシャーベット

コーヒー。

美味しさと話で良い写真が無いのが残念。

春田さんから、隣の席の4人連れは水戸の方と紹介された。
以前にこちらのご家族が、見える話は聞いたことがある。
水戸ですれ違っているのかもしれないが、お互いに知らない同士だから分からないのが当然。
盛岡でご一緒した縁に感謝。



吾々3人は久し振りにシェ.ジャニーの料理を堪能した。
戦前に生まれ、戦中戦後の食糧難の時代に育ったから食べ物に対し、贅沢を望まないが、年に1度、或いは数年以1回くらいは、この様な集いは嬉しい。



「アンダルシア風ガスパッチョ」のレシピ。



「ブーリッド」のレシピ。

ジャニーの厨房とファミリー @シェ、ジャニー

2015年08月04日 14時27分44秒 | シェ・ジャニー
ジャニーの厨房とファミリー @シェ、ジャニー





シェ、ジャニーのオーナーシェフ春田光治さんが子供の頃、家庭には外国人のお客様が多かったらしい。
お兄さんは何と呼ばれていたか分からないが、お姉さまはパッチー、春田さんはJohnnyと呼ばれたことから、当たり前のように多くの人が「ジャニー」と云う、僕も自然にそう呼ぶようになった。
渋谷の店が46年前に開店し、その数年後に友人の縁で知り合ったから、少なくとも40年は経っていが、歯に衣を着せない率直な言動や、優しさは変わらない。
ジャニーはどのような人とも分け隔てなく接してくれる。
従って友人・知人が多い。僕は友人の友人と云う感じだから、お弟子さんや親しい友人程の付き合いはない。
だから、ジャニーの人柄や料理について詳しくはないが、ジャニーが教科書であり、味に対する基本となっていることを嬉しく、又ありがたく感じている。

時代と共に家族やお弟子さん、友人知人も変化しているが、渋谷時代は10人位のお弟子さんがいた。
毎日が予約で満席な状況で、厨房は戦場の様であった。
12時の閉店後に全員が揃っての食事は、店で出す品と同等以上の和洋中華の料理が並んだ。
何れもジャニーが全員分を調理した。
美味しい賄を目当てに多くの友人が真夜中に訪れた。

安比に移ってからの10年間は営業をせず、スキー、釣り、狩猟など毎日が遊びの世界、仕事は家族と訪ねてくる友人のために美味しい料理を作ることだった。
安比で育った長男と長女は現在は外国で暮らしている。
長女のアリスさんはNY在住で料理が好き、随時、ジャニーのブログに投稿している。

10年前、昔のお客の勧めで安比での営業を再開したが、ジャニーの料理を食べたい方たちが、遠路はるばる、とのお客が多かった。

移住後30年を経て、家の傷みの激しさと冬場の雪下ろしの労働を勘案し、移転を考えていた今年の1月、偶然に材木町の物件に出会った。
決断が速いのもジャニー流、話はとんとん拍子に進行した。

盛岡・材木町の家は安比と比べると随分狭い。
1階が店舗、2階が住居と倉庫として使っている。
以前の半分以下にするのだから、かなりのモノを整理しなければならなかったろう。安比に残したままの荷物も有るようだ。

肝心の厨房を大きく取ると、客席が無くなってしまう。



しかし、かなり大きな厨房を確保した。お弟子さんが来ても充分間に合いそう。



移転まもない、にもかかわらず道具類はビシッと納まり、馴染んでいる。
さすが、名人の業ですね。



奥さんのichiさんがホールでのサービス。
渋谷の店は厨房の人達が交互にホールに出てサービスしていた。



Ichiママが盛岡に転居し、お皿洗いを担当。

ジャニーが全てを仕切るのは変わらない。
どんなに忙しくとも手を抜くこともない。
店を大きくしよう、多店舗展開しよう、等の野心は一切なしだ。
ひたすら、美味しいものを作り食べて頂くことを喜びとして生きてこられた。
素晴らしい人生、正に伝説の人だ。



渋谷・安比とジャニーを支えたハモ(中村美智雄)さん。
現在は盛岡材木町、ジャニーの店の真向かいに居住、忙しい時はお手伝いもするそうだが、この日は所用があって来店、久し振りにお目にかかりました。



厚かましくも、記念撮影、有り難う御座いました。

多くを望まず、誠実に自分心のままに生きる。
少年のような純粋な心を失わず、常に前を向き振り返らない。
家族と言え、着かず離れずの適度な距離。

僕の憧れ、フランクシナトラの人生に重なります。

シェジャニー 7月29日のメニュー @盛岡市材木町

2015年08月03日 23時11分13秒 | シェ・ジャニー
シェジャニー7月29日のメニュー @盛岡市材木町



7月4日に安比高原から盛岡市材木町に移転したシェ、ジャニー。
なるべく早く訪問したいと思っていたが7月29日にかなった。

5日前の予約で、好みを聞いてコースを組み立ててくれる。
フランス料理ばかりでなく、南欧からモロッコ、ベトナム、タイ、中華と何でもこなすジャニーだから、頼めば中華や蕎麦や鮨迄可能かもしれない。



ジャニーの料理なら全ては間違いないので、何でも良いのだが、お勧めのコースをお願いした。



アンダルシア風ガスパッショ。
夏野菜の冷たいスープ、辛いスパイスが効いています。
暑い日に飲むのには最適。



モロッコ風焼き野菜のラタトゥイユ。
今では、夏の定番としてどこでもありますが、46年前(1969年)渋谷に開業した当時、ガスパッショと共に、珍しい料理だった。
今回は、ズッキーニ・パプリカ・茄子を炭火で焼いてあるので香ばしい。



八幡平紅鱒の炭火焼き、ジャマイカ風。
ジャンバラヤのようなスパイスが効いた皮の焼き具合が絶妙。
八幡平の紅鱒はかなり大振りで脂ものっている。



モロッコ風子羊の煮込み、塩漬けレモン。
塩漬けのレモン風味が効いてます。



牛舌のブレゼ、マデラ酒風味、
ジャニーの得意な内臓の煮込み、どれほど手間暇がかかっているのか。
姿形を残しながら、とろけるほどの柔らかさ。



プロフィトゥロール(ちっちゃなシュー)



岩手町のブルーベリーのシャーベット:ヴァニラアイスクリーム 



珈琲

ジャニーのファンと云うだけで、料理には疎くコメントはできませんが、基本に忠実でありながら、新たな工夫が凝らされた繊細な調理と味付け、と思いました。
全てに満足しましました。
ご馳走様でした。

シェ、ジャニー花に囲まれて開店 @盛岡市材木町

2015年07月06日 09時09分31秒 | シェ・ジャニー
シェ、ジャニー花に囲まれて開店 @盛岡市材木町



7月4日(土)開店したシェ、ジャニーの新店舗は盛況であろうと思っていたが、駆け付けることが出来なかったので、気になっていた。
徹夜に近い仕込や準備の連日を経ての開店日、無事終了した状況がブログにアップされたので写真を基に抄録しました。



くねり様に頂いた、おそろいの前掛けでのお二人。

『これでもかっ!と言うほどの花とお祝いの品に埋もれながら無事開店。
ハモ夫妻、イチママ、パッチーのヘルプが無かったらと思うとゾッとします』





開店の花々を始めお祝品が全国から届いている、これもジャニーの人徳だろう。
ご家族や知人友人のお手伝い、家族的なおもてなしは春田家の伝統。

勿論、料理も紹介されています。



モロッコ風焼き野菜のラタトゥイユ。



秋田産スズキのカルパッチョ



盛岡短角牛サーロインの炭火焼

似て非なる料理があふれている時代ですが、ジャニーながらの繊細ながらパンチのある味付けでしょう。
料理は自分の舌で味わう以外はありません。

『これ程の声援を頂くと、「頑張らねば」と思ってしまいそうなところをグッと踏み止まってのんびりやろうと思います。』

渋谷・安比を経て三番目となる盛岡・材木町店。
新たな道を進むのがジャニー流。
頑張らず、マイペースで新たな歴史を築いて下さい。

光原社@盛岡市材木町2-18

2015年01月20日 23時14分16秒 | シェ・ジャニー
光原社@盛岡市材木町2-18





シェ・ジャニーの盛岡への移転の経過について、ブログには。

『どんなところがお望み? と聞かれ、贅沢言えば紺屋町か材木町と答えたら、「そう言えば物件有ったな~~」で見に行ったら、何と知る人ぞ知る光原社の隣昔の弟子のハモちゃんの真正面に物件が・・・・・
値段も手頃、もうこれは呼ばれてる、流れが来たら乗るのは信条。 即決定!
3月後半から工事が始まり、5月末には新”シェ・ジャニー材木町店”開店を目指しております。』

僕も盛岡の街が好きで特に「光原社」は大好き。





「光原社」は宮沢賢治の生前唯一の童話集「注文の多い料理店」を発刊した元出版社で、社名も賢治が名付けた。
その後は、柳宗悦との出会いから伝統工芸品の店になっている。

その街を訪ねる際、美術館や博物館を始め土地の名物が食べられる飲食店や居酒屋、骨董店や美術品店などをあらかじめ探して出かける場合もあるが、偶然通り掛かって発見するときもある。

僕は盛岡を始めて訪ねた1987年にたまたま「光原社」を発見し感激した。
以来、盛岡に立ち寄れば足を運ぶようにしている











「光原社」の敷地は広く、通りを挟んで2ヶ所、片方の奥は石畳の中庭に民芸建築が立ち並ぶ美しい空間で、カフェの「可否館」ギャラリー空間もある。
その奥は北上川の河原に接している。

器や生活雑貨、衣類など、国内はもとより世界各地から選び抜かれた品々が並ぶ。更に、東北の風土やぬくもりを感じるヤマブドウやクルミ、スズタケなどの自然素材を使ったカゴやザルなど。見飽きることがない。

おそらく、日本中から来訪者があるだろう。

「光原社」のある材木町は駅からは近いのだが、県庁や盛岡城址に近い繁華街とは異なる風情のある通りで、工芸品店なども多くゆっくりと散策できる。

この様な立地に“シェ・ジャニー材木町店”が開店する。
「光原社」と共に、盛岡に新しい名所が誕生だ。

“町興し”とかで、何処でも人集めのイベントが多い昨今だが、その時だけ“人が来た”と云っても何の意味もない。
何度も訪れたいと感じる店や通りが有ればこそ、街は賑わう。

「シェ.ジャニー」が盛岡に移転することに。

2015年01月14日 19時29分58秒 | シェ・ジャニー
「シェ.ジャニー」が盛岡に移転することに。

昨年の後半からブログを書くのが億劫になった。
自分で書かないと、他人様のページを見ることも少なくなる。
年が改まって再開し、リンクしている「フレンチレストラン シェ.ジャニー ~魅惑の南仏料理~」を覗いた。
ジャニーのブログは美味しそうな料理の数々に加え、その他の話題も豊富で、語り口も小気味いい。



『少しですが天気が落ち着いて上の屋根からの氷柱の直撃の危険が無くなったので届く範囲の雪下ろし。』

安比はスキーリゾートだから雪が降るのは当然だが、めったに雪の降らない水戸に比べたら想像できない程で、雪国に暮らすのは大変だなと思った。



『9連戦の暮、正月が終わり、盛岡で息抜き、最初の昼食はピアーチェで』
と奥さまのIchi共に少し遅れの正月休暇。
「ピッツェリア ピアーチェ」の八柳シェフの好意でピッツア焼きに挑戦し、上出来で大満足のお二人の笑顔。

拝見した感想をコメントしようと思っていたら、ジャニーよりメールが届いた。

『安比の家もボロボロ・毎年修理その他で経費ばかり掛かります。
盛岡引っ越したら?と常連さんの建築会社の社長に言われ、物件探し。
一発で最初に出て来たのが、材木町、光原社の隣、ハモの住まいの真正面(笑)




*光原社(2014年7月)

もう決めて設計に入ってます。
5月末には引っ越しかな?
安比は当分倉庫として置いておきます。』 JOHNNY

築後30年を経過し、傷みも多くなったのであろう。
安比高原の雄大な眺めを有する、ペンションビレッジの一角と云う景観は誠に素晴らしいから、移るのは極めて残念の感は多々。
30年の間に、多くの友人も出来たし恵まれた水や食材も多い。
今後を考えると、コンパクトな暮らしに替える時期かもしれない。
住み慣れた所からの再度の移住ではあるが、安比は盛岡の一部ともいえる。
盛岡の材木町で、光原社の隣と云えば盛岡のシンボル的な地域。
ジャニーの店は地元ばかりでなく東京からのお客様や東北一円から来店される。
水戸から訪れる僕にとっても、1泊圏となり行きやすくなる。

決断は下って、既にことは進みだした。
5月末の移転と再開を期待します。


(2014年7月に訪問した際のシェ・ジャニー)

※渋谷の住宅街の一角の自宅を改装し、フランス料理店「シェ・ジャニーを開店したのは1969年。繁盛していた店を閉め、安比高原のペンション街の一角に100坪の住宅を造り、1986年に移住。以後10年間はスキー、渓流の岩魚釣り、冬の狩猟など趣味の世界に遊ぶ毎日。1997年に増築した部屋を改装し『シェ・ジャニー』を再開店し予約制で料理を提供している。
辺鄙な場所にもかかわらず、訪れるお客が多い

シェ・ジャニーの賄い

2014年07月17日 11時42分11秒 | シェ・ジャニー
シェ・ジャニーの賄い



1980年頃の渋谷神南の「シェ・ジャニー」道路わきの看板とメニュー。
ここを上がって、ツヅレ折の坂を登れば入り口。

「今晩7時頃、夕食にいらっしゃい」とのジャニーの誘いを受けて、ペンション「ウィングライトでひと休みしている間、渋谷時代を思い出していた。
調理人を目指していた友人のH君が、『女の部屋・№3』(1970年・ひまわり社)の「フランス帰りの若夫婦が、自宅を改装してレストランを始めた」という記事を見せて「この店で修業したいと思う」との願望を聞いた。
『女の部屋』は画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーターとてマルチな才能を発揮していた中原 淳一(1913年 - 1983年)が「賢く美しい女性になってほしい」との理想に燃え創刊した雑誌で『それいゆ』の姉妹誌。
次なる時代の到来を想定していた。

念願かなったH君はシェ・ジャニー初代の弟子となった。
その後、店の人気が広まるにつれ、お弟子さんが増え、従業員は10人以上となった。
店も広げられて収容人数も増えたが、連日満席の状態だった。
ホールも満席だが、厨房の裏も賑わった。
営業終了の時間頃(夜の12時前後)になると、厨房に通じる廊下辺りに部外者が数名いることがある。
僕もその中の一人と云うこともあった。《洗い物や、片付けを手伝う》という名目だが、作業の段階で洗いも片づけも順次済ませて進行しているから,さほどすることはない。
要は、賄いにあり付き、話に加わりたい、と云う訳。料理界の人ばかりでなく、広い範囲の人達が集まってくる。
「賄い」と云っても、通常の賄料理とは異なり、店で出す料理と同等或いはそれ以上の料理が並ぶ。
ジャニー自らがメニューを考え、調理する。中華やベトナム料理などを始め、薬膳料理などあったと記憶する。美味しいもの、珍しい物への拘りだ。
先ずは「菊正」の樽酒で乾杯、倉庫には薦被りの樽が常備されていた。
野菜の糠漬けが必ず付く。これまた一年中欠かさない。
漬け物と酒の後に、ジャニー作のその日のメインとなる。
会話をしながら約1時間位の食事の後は、一斉に片付けで解散する。
時によっては、仕込や試作もあるから、なんやかんやで、早朝になることも稀ではなかった。
安比に移転前、フランス料理全盛の時代。

1985年、家族とスーシェフのハモさんを伴って安比に移住。
趣味に生き、料理は家族と友人の為につくる毎日。
移転して間もない1987年8月、2階のゲストルームに泊めて頂いた。
その後も、何度か泊めて頂く機会があった。
2011年の時より、ご苦労を思ひ、近所のペンションに。





2人の子供さんアリスさんとリオンさんが小学生の頃。
庭にドラム缶を半分に切ったバーベキュウ―用の炉で、子豚の丸焼きをした。
渋谷時代のスーシェフだった通称ハモさんが、家族や友人達の賄の為に同居していた。お抱えの助手といえるが、子供さんも小さかったし、何かと人手が必要だった。
レストラン営業はしていなかったが、雑誌の取材などが毎月入っていた。



98年10月、山もりの大きい餃子。



2003年7月のラーメン。
どれも当時の写真を複写して鮮明でないから分かりづらいが、酒とつまみが必ずと、中華料理も本格的に作る。
単なる「賄い」の領域を越えている。
全ての食事に妥協はなく、常に全力投球だ。しかも、己に厳しい。
2014年6月30日、今宵は春田さんご夫妻と僕の3人での食事。





最近お気に入りの三重の酒「八兵衛」を浄法寺塗の片口に移して。



この夜のメインは、焼きソバ。3人前なのに6玉の麺を蒸かし、改めて具材と共に大きい中華鍋で炒める。
焦げ目も付いて香りもたつ。直径40センチくらいの大皿にドーンと。
美味しいものを少し、ではなく腹いっぱい、という考えだ。
食後、午前1時頃までよもやま話、ご馳走様でした。
リンクしている「シェ・ジャニー」のブログを検索すると、美味しい料理や賄い料理の作り方まで含め、美しい写真で見られます。

安比高原ペンションビレッジ

2014年07月13日 10時11分36秒 | シェ・ジャニー
安比高原ペンションビレッジ@八幡平市

P7010164.jpg

小岩井農場から約1時間で安比高原に。
ホテルの予約していないが、今度は、安比グランドのタワーに泊まってみたいと思っていた。
高原に聳える19階建ては安比の象徴だ。



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しかし、春田さんが「昨晩、盛岡に泊まったので何も用意はないが、今晩、食事に来ませんか」との誘いを受けたので、3年前と同じ、ペンション「ウィングライト」に泊まることにした。

「7時頃にお出かけ下さい」とのこと。
時間は未だ5時、ペンション街を散歩してみることに。
安比高原はスキー場、ゴルフ場や牧場さらにはテニスなど四季を通して多くの観光客が訪れるリゾート地。
今はシーズンオフと云うこともあって静かだった。



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花々が咲きそろったペンションが在れば廃墟となった所も有る。

春田さんの実家が所有していた敷地のアパートを改装して、フランス料理店「シェ・ジャニー」を開店したのは1969年。
内臓料理やフランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時の日本で初登場の料理は大人気を博し、連日、予約で満席という状況が続いた。 夫婦二人で始めた店は、従業員も10人以上となり野球チームが出来るほどとなった。
1980年代になると、世はグルメブーム。 沢山の料理評論家も登場し食べ歩きの番組等も多くなった。 舌より頭で味わい薀蓄を傾ける人が多くなり、レストラン営業に疑問を感じ、廃業し田舎に移住する考えを固めた。
毎週のように物件を探しに地方へ出掛けた。
営業後の賄の時間、見てきた物件の感想を従業員や仲間に話すことから判断し、本気であることは、誰にも分かった。
当時、熱中していたスキーが出来ることを第一条件に、関東甲信越さらには東北まで幅広く選択した。
その結果、1981年 に開業した安比高原スキー場に移住することに決めた。
1986年、渋谷を売り払って、スキー場に隣接したペンションビレッジの一区画を購入し木造2階建ての住居を建設し移転した。
この出来事は波紋を呼んだ。 40代半ば、働き盛りなのに引退しての田舎暮らし。
 先駆けた考えだったが、理解でき得る人は少なかった。

東京に居れば、社会的な名声や経済的には恵まれたかもしれないが、家族とのふれあいや、自分の楽しみを優先することは出来ない。
移転した頃から、安比高原スキー場は急速に拡大し、蔵王と並び東北を代表するリゾートとなった。
首都圏でウサギのマークと「APPI」と書いたシールを張った車は、ファッショナブルで人気を博した。
冬はスキー、春は山菜取り、夏はイワナやヤマベ等の渓流釣り。
趣味のために一日の殆どを費やした。
移住後、地元の人達との交流で冬場の狩猟に魅せられ、猟銃免許を取得したことで、さらなる世界が広がった。



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1997年「シェ・ジャニー」を再開するまでの約10年間、地元との交流は地域の人にとって刺激的だったし、春田さんにとっても新たな食材との出会い新境地が開かれた、と解釈している。

小岩井農場@岩手県岩手郡雫石町

2014年07月10日 11時20分02秒 | シェ・ジャニー

小岩井農場@岩手県岩手郡雫石町


 


 



 


春田さん夫妻と盛岡駅前のホテルで待ち合わせた。


3年ぶりにお会いしたが、相変わらずお元気な様子である。


新婚の奥様とは初対面だが、明るく親しみやすい方で、直ぐにうちとけた会話が出来た。


 


「小岩井農場に行ってみませんか」とのお誘いで盛岡郊外12キロの農場に向かう。岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2は雫石町、残り3分の1は滝沢市に属する日本最大の民間総合農場。戦前はもっと広かったらしいが、農地解放で、かなりの分を手放したらしい。農場内を公道が走っている感じがする。


 


 


小岩井農場は1891(明治24)年の開設、今年で123周年。


共同創始者である小野義眞(日本鉄道副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の三名の頭文字をとって「小岩井」と命名された。


現在は三菱系の会社が運営し、本社は丸の内。


 


 


当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。


というが、今では緑の大地と大木が繁る。


 


百数十年でこの様に変わるのだ。


逆に云えば、数千年の大地が数十年で破壊されもする。


 


小岩井農場「まきば園」は観光客向けの施設で、ミルク館・ウール工房・ソフトクリーム館・レストら・バーベキュー館・資料館などを見ることが出来る。


 


 


 



お土産日の販売所もいくつかあるが、春田さんのお気に入りは、木工製品を扱っている「どんぐりコロコロ」


日本一堅いと言う「斧折れ樺」で作った“木べら”最高の使い心地らしいですが、造型的にも素晴らしい。


山柳のまな板、桧のまな板も購入された。


仕事人は道具に拘ります。


 


「小岩井農場」を一度は訪れたいと思っていた。


思いもかけずに実現し、日本の農園の原点を見られたたことは嬉しかった。


 


「小岩井農場」のHPには次のようにある。


『農業政策の転換、経済の国際化等著しい変遷の中でも、小岩井農場は一貫して農林畜産業を基軸とした運営を継続し、不毛の原野は百年を越す歴史の中で生産性の高い緑の大地に変わりました。


この心潤す豊かな大地を「環境保全・持続型・循環型」運営により、生産農場として更に維持充実させてゆきます。そして、ここを原点として長年培われてきた技術を更に磨き、「安全・安心・素性明らかプラス質の高さ」を全ての基礎に、生み出す商品・サービス・情報などを通して社会に貢献して参ります。』


 


~魅惑の南仏料理~ シェ・ジャニー 春田光治さん

2014年07月08日 21時53分09秒 | シェ・ジャニー

~魅惑の南仏料理~ シェ・ジャニー 春田光治さん


 


 


『春田光治・魅惑の南仏料理』 昭和56(1981)年 中央公論社 発行


 ~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理が中央公論社から1981年にシリーズで刊行された。


第4巻が『春田光治・魅惑の南仏料理』今でも人気が有るようで、古書なのに異常な価格が付く。


ラタトゥイユ(ニース風野菜煮込み)、ニース風サラダ、牛胃袋の煮込み、仔羊もも肉とジャガイモのロースト、仔羊背肉のロースト、羊とナスの型蒸し(ムーサカ)、仔羊ひき肉の串焼き(ケフタ)、クスクス等々。フランスやスペイン或いはアラブを含めた地中海一帯(広義のプロヴァンス)の料理を紹介した。


我が家も手引書として使っている話をしたら「あの当時のレシピなんてダメですよ!料理は常に進化していますから。今ブログに掲載しているのが最新版です」と云う。料理の世界も日進月歩、健康志向も含めノンオイルや薬膳も多くなった。今回のメニューにも、グリーンアスパラの精進風が有った。とはいえ、何でもありの無国籍料理のようなことは絶対にせず、基本に忠実である。


ビストロ時代の先駆者と云えるが、しかし、春田さんはビストロといわれるのが嫌いらしい。池波正太郎が『週刊朝日』に連載した(昭和47年~48年)『食卓の情景』で西麻布の[シェ・フィガロ]と渋谷の[シェ・ジャニー]に言及し、『大きくて著名なレストランやグリルの決まりきったメニューや、気の抜けた料理にくらべると、調理人の気魄が、もうちがっている。』


ビストロとして「シェ・フィガロ」が初めて「シェ・ジャニー」が二番目に古い、というのが通説だが、シェ・フィガロは経営者が変り、シェ・ジャニーは都会を離れ、安比に移り住み、一旦は営業を止した。誠実な性格から、都会を離れ田舎暮らしを選択したのはかなり時代を先取りしている。


1940年神戸市に生まれ、1962年慶應義塾大学を卒業後に鍍仏した。母親の影響で小学生の頃から食べ物や調理に興味を持ち料理の世界極めたいと考えたのだろう。ボルドーの“プランティエ”にて料理修業し、1963年~1968年ジュネーブ駐在、青木特命全権大使の公邸料理人となる。青木大使と共にベトナムのサイゴンへ、10カ月滞在するが、ベトナム戦争の激化で帰国。


渋谷区神南の洋風な自宅を改装し、奥様と二人でフランス料理店、Chez Johnny “シェ・ジャニー”を開業したのが1969年。今の隠れ家レストランのような雰囲気に加え、斬新な料理は東京の料理界に新風を吹き込んだ。内臓料理やフランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時日本初登場の料理は評判を呼んで、連日、予約で満席となった。


開店15年が経過した1985年、世はグルメブーム。舌より頭で料理を食べる客が増えたことに嫌気して、大繁盛の店を閉める。1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。


以後10年間はスキー、渓流の岩魚釣り、冬の狩猟など趣味の世界に遊ぶ。料理は自分と家族のため、さらに訪れる友人達のため。朝・昼・晩の三食に全力を込める。ジャンルも和・洋・中華と範囲は広い。はるばる、東京方面から遊びがてら訪ねてくる友人も多かった。その人たちの宿泊用のゲストハウスも用意された。僕も1987年から2003年にかけて4回お訪ねし、ご馳走になり宿泊させていただいた。今もって、素晴しい体験であった。


雑誌の取材の料理を受けることもあった。『家庭画報』の連載だったと思うが「安比料理工房・春田光治のカントリークッキング”」四季折々、山川草木の素材を生かした興味深い料理と写真であった。その時の連載が、単行本になっていたなら、と今でも思い出す。しかし、一般の人たちに眼にふれる機会が少なく『幻の・伝説の料理人』と呼ばれるようになった。 


東京の友人から「店で出す料理を作ってくれないか」との依頼を受け、営業を再開することに。1997年、敷地の一角に増築した部屋を改装して「シェ・ジャニー」を再開店した。


以来、17年が経とうとしている。5日前の予約のみのお客様を対象としているが、東北各県や東京を始め、全国から訪れるお客様がいるようだ。


ヨーロッパなどでは、そのお店で食事をするために遠方まで足を伸ばす人たちがいると聞く。“シェ・ジャニー”はその様な店なのだ。


 


 


前々日はレーシングドライバーで登山家、自転車競技選手の片山右京さんが自転車レース途中にお立ち寄りされたそう、今回は時間無くお食事できなくて残念!とのことでした。


 


数年前に愛妻を亡くれたが、まもなく再婚された。


今回、ご挨拶もかねて旅であったが。


若く可愛らしい奥様で、しかも気さくな方。


初対面とは思えない程の親近感を感じた。


 


お二人が協力して店を運営されている。


誠に喜ばしいお姿だ。これからも、お幸せに。



追記

『魅惑の南仏料理』の写真を担当された黒部徹さんから書き込みがありました。
この本は南仏の街や人や風景がちりばめられているのでいっそう楽しい本になっています・

●カメラマンの黒部です、79年フリーになり、最初の本格的な料理単行本でした。師匠(佐伯義勝)の姿に憧れ、フリーになってすぐにフランス放浪旅。市場の捨てられた篭、牡蠣の篭まで拾って日本へ。ジャニーさんの本では活躍しました。その時のスナップも沢山使って頂き思い出一杯の本です。家庭画報の連載も毎回楽しかったです、単行本未完成は本当に残念でした。魅惑の南仏料理の様な単行本が作れて良かったです、今日も机の上にありました。