「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

蓮乗寺から常照寺へ@水戸市元吉田町

2023年03月29日 12時12分59秒 | 水戸の今と昔
蓮乗寺から常照寺へ@水戸市元吉田町



桜の季節は常照寺の枝垂桜を観るのが楽しみだ。
いつもは常照寺から裏道を伝って蓮乗寺に行くが今年は逆のルートを辿ってみた。蓮乗寺は下総中山の法華経寺の末寺で日蓮宗の寺院。
水戸市寺町に在ったが光圀の寺社改革で中世・吉田城の一画の現在地に。



二ヶ寺をつなぐ通路の両側は植木屋さんの苑地で、季節の花が咲く。



シモクレン(紫木蓮) 、別名を マグノリア(Magnolia)。
白いハクモクレン(白木蓮)も有るが、甲乙つけがたい。



木五倍子(キブシ)
果実に含まれるタンニンが黒色染料の五倍子(ぶし)の代用になるところから。



土塁・空堀などが何か所も残っている。









常照寺は吉田城の跡地に、水戸光圀が創建した臨済宗の寺院。
ここの枝垂桜が、ロケーションを含め一番と思う。



本堂と本堂前の四脚門の佇まいも素晴らしい。
天明6年(1786)に再建された本堂の屋根は茅葺だったが、今は銅板で覆われている。



宝篋印塔や無縁塚を覆う大王松の巨木。



水戸石州流何陋会が建立した「茶筅塚」
臨済宗大徳寺派なので、お茶との関連は深い。



中門から山門をのぞく、なだらかな坂道と階段。
京都や鎌倉の寺を思わせる静寂さ。





常照寺池の周辺と道路が改修された。
この先も改修中で、まもなくバス通りまでつながる。
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茨城会館@水戸市三の丸・水戸城址

2022年08月14日 20時17分02秒 | 水戸の今と昔
茨城会館@水戸市三の丸・水戸城址



1935(昭和10)年6月に開館した「茨城会館」



跡地は1970年(昭和45年)旧県議会議事堂となった。
旧県議会議事堂を改修して2001年(平成13年)3月 に「茨城県立図書館」として開館。

ひと頃、市町村など地方公共団体が競ってコンサートホールなどを建設し、多彩なイベントが開かれるようになった。
ところが、コロナ渦による生活様式の変化も含め、施設過剰で遊休となっている所も多々あるのが現状だ。
しかし、戦前から戦後にかけての時代は公共施設の公会堂は極めて稀だった。
茨城県においても「茨城会館」(現在の県立図書館のところ)が唯一の公会堂だった。



開館記念祝典
1935(昭和10)年6月に竣工した鉄筋コンクリート3階建て・延べ面積2500㎡(約750坪)の施設。舞台はあるが客席は固定椅子でなく、撤去すれば床面は平らになる多目的なホールで、当時としては豪華な施設だった。

街中に映画館が多数存在した時代で、映画演劇などを除くと「茨城美術展」などの美術展に使用された記録は残るが、他の用途について詳しいことは分からない。
1945(昭和21)年8月1日の空襲により、水戸市内の8割以上が焼失した中で、鉄筋コンクリートの開館は屋根や壁は損傷するが本体は残った。

1949(昭和25)年に復興し1966(昭和41)年に茨城県民文化センターが開館するまでの17年間にわたって、美術展覧会・演奏会・演劇・歌謡ショー・ダンスパーティー・ファッションショー・アメリカ中古衣料販売など、幅広く使用された。



ファッションショー(1954年)

貸会場だから幅広い催事に使用されたが、外国人演奏家を含め著名なタレントの公演は新聞社が関わった事業が多い。
とりわけ地元紙の「茨城新聞」は多彩な事業を主催・後援した。
戦前に生まれ、戦後の耐乏生活を余儀なくされた人々にとって、娯楽の少ない時代、茨城会館での公演の数々はそれぞれの思い出があろう。

*『水戸に文化の灯がともる ―舞台公演戦後史―』(竹内昱之助著 発行:県民文化センター友の会 昭56・1981)には詳細が記載されており、参考にした。
●余禄
1960(昭和35)年に「水戸市高校演劇祭」として、水戸一高・三高の合同公演が開催され、演劇部だった私も舞台を踏んだ。
(記憶に残る催事などあればコメントください。)
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菜花摘み@那珂川河川敷

2022年03月24日 22時08分29秒 | 水戸の今と昔
菜花摘み@那珂川河川敷





2月下旬から4月上旬にかけて、那珂川の河川敷へ菜の花を摘みに行く。
今年は寒さが厳しく、春分の日を過ぎた3月22日に雪が降るなど、出掛ける機会を逸していた。

今日は初陣、堤防を自転車で走りながら群生地を探す。
例年は那珂川と藤井川の合流する辺りまで行くが、先ずは万代橋の辺りからスタートした。
最盛期は一面が黄色い菜の花に覆われ、黄色の絨毯となるが時期尚早で良い場所が見当たらない。
やっと、矢竹の藪際に咲きそろった場所を発見。
30分位で籠一杯くらいを収穫できた。
山菜が出回る前の春の味。
塩ゆでや炒め物、漬物として用途は広い。



あれこれと、好みの器に活けて眺めるのも楽しいことだが、初物とあって、食べることに気を取られ、上手いようにはいかない。
不本意ながら、記念の1ショット。
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大手橋の擬宝珠@徳川ミュージアム

2022年03月14日 23時37分19秒 | 水戸の今と昔
大手橋の擬宝珠@徳川ミュージアム

「公益財団法人・徳川ミュージアム」は徳川家康の遺品(駿府御分物-すんぷおわけもの-)を中心に、家康の11男で初代水戸藩主・頼房、2代光圀ら歴代藩主や、その家族の遺愛の什宝・書籍など約3万点の歴史的資料を整理保存し公開している。
水戸徳川家が成立以前、佐竹時代に遡る収蔵品もある。





大手門に掛かる大手橋の欄干(らんかん)の柱に付いていた擬宝珠もその一つ。



「文禄五年丙申二月吉日造之」銘
常陸太田から移った佐竹義宣が水戸城の普請を始めたのが文禄二年(1593)だから橋は3年後に竣工したことになる。



鋳造だが黒く塗られているから素材は分からないが、青銅であろうか。
制作に関わった冶工は常陸太田から青柳村に移住した菊池若狭といわれるが真偽のほどは分からない。
直径は45㎝~50㎝はありそうだ。

その後、橋は何度か建て替えられた。
明治以降では明治32年(1899)6月に作られた木橋は擬宝珠のない。
大正4年(1915)9月に開橋したコンクリートの橋は基礎工事ががっちりとしたもので現在も使われているが、擬宝珠は金属製が用いられている。
昭和10年(1935)12月竣工の橋は擬宝珠もコンクリート造り。
当初の擬宝珠は明治32年以前に取り外されたと考えるのが順当と思える。
欄干には柱が6本ずつ在ったように見えるから全部で16本。
400年以上を経て、16個有った擬宝珠は展示されてある2個以外何個が残っているのだろう。



明治5年(1872)に焼失した水戸城大手門と大手橋。





昭和10年(1935)12月竣工の大手橋と令和2(2020)年2月に復元された大手門。

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水戸八景「水門帰帆」@ひたちなか市和田町

2022年03月06日 09時34分53秒 | 水戸の今と昔
水戸八景「水門帰帆」@ひたちなか市和田町



水戸八景「水門帰帆」碑
ひたちなか市役所那珂湊総合支所(旧那珂湊市役所)の裏手。





碑の形状等:向かって左上に頭の付いた大理石(寒水石)
横120cm、縦214cm

「水門帰帆」 (みなとのきはん)
この地域は古くから"湊"と呼ばれ"水門"は"みなと"と読む、湊と同義。
馬偏に風と書いた字は“馬が風のように疾走することを”を云うが、古くは転じて「帆」という意味に使われた。
この地は高台にあり、遥か水平線まで一望できる。
日暮れ近く、川口の上流に在る港を目指す帆船の姿。



現在、浜辺は埋め立てられ、沖まで大小の建物立ち並んでいるので往時の姿は失われた。道路や海洋高校、昔は岸辺。



埋め立て地に築かれた防波堤や港。
1960年代は、那珂川の河口を遡った所に港と市場が在ったように思う。



大正末頃の同所。



「水門帰帆」碑の横に、二基の副碑が建てられてある。
明治34年の「水門帰帆」改修記念碑。
昭和13年の藤田東湖の七言絶句を刻んだ碑。「



那珂川を挟んだ対岸の大洗に「岩船夕照」の碑が在る。
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水戸八景「太田落雁 」@常陸太田市栄町・東崖。

2022年02月27日 16時10分12秒 | 水戸の今と昔
水戸八景「太田落雁 」@常陸太田市栄町・東崖。









「太田落雁 」の碑。

碑の形状等:縦170㎝ 横140㎝ 花崗岩で赤味を帯びている。









この場所は東の方角にひときわ眺望が開けている。
現在は眼下に市街地が広がるが、昔は真弓千石(まゆみせんごく)と称された水田が広がっていた。
遠景に寒水石の産地で有名な真弓山をはじめとする阿武隈山系が連なっているのは変わらない風景だろう。
落雁とは空から舞い降りて羽を休める雁のことで、秋の景色。
それにしても、田畑を眺めることが出来ない今は、想像するのも難しい。
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カサマレザー@水戸市栄町2丁目6-13

2022年02月25日 19時38分30秒 | 水戸の今と昔
カサマレザー@水戸市栄町2丁目6-13
◎営業時間 / 12:00 〜18:00 定休日 / 木曜・日曜・祝日








水戸市栄町に2年前に開店した皮革専門店「カサマレザー」
皮革の原材料と製品を格安に販売している。







皮工芸に興味のある方には、クラフト教室的に作り方を教えてくれる。
UVプリンターでオリジナルなデザインの革やホックを作ることも出来る。
元は設計屋だった経験を活かし、木製のテーブルなども制作・販売するというかなり間口の広い店だ。





工程に応じた専門的なミシンや工具も揃っている。

人類と皮革との歴史は古く、狩猟によって得た獲物を食用とし、剥いだ毛皮や皮を鞣して寒さや衝撃から身を守るため活用した。
太古の時代から歴史を有する皮革製品には衣料・生活用品として魅力にあふれた素材だ。

使い込むほど柔らかさが増して肌や手に馴染んでくる。
エイジングによる風合いや質感が増す。
オイルを添付し磨き上げるなど、手入れ次第で艶と光沢が一層変化する。
身に着けなくても、眺めているだけでも愉しい。

皮工芸の店は水戸市内に在ったが、これだけ本格的な店は初めて。
使用していた革製品に不具合が生じた際は相談に乗ってくれるとのこと。
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鈴木誉志男さんと松永公明さん

2022年02月20日 19時57分49秒 | 水戸の今と昔
鈴木誉志男さんと松永公明さん



『LI(エルアイ)』(2021年10月号)
ココリコ食堂に行ったとき、偶々手にした小冊子『LI(エルアイ)』(2021年10月号)の表紙はサザコーヒー会長の鈴木誉志男さん。



始めて拝見した『LI(エルアイ)』は《「茨城×中国」ビジネスのひらめきを見つける・伝える》情報誌でレイアウトやデザインなど、とても見易い。
茨城県に住む日本人と日常を共有する中国人のためのビジネス情報誌で、発行人は黄磊さん(表紙写真の左側)



「LI的〝喫茶時間″」その1
「日中友好のサザ 中国から学んだコーヒー屋」

『私はサザコーヒーという名前のコーヒー屋を54年前に始めました。
サザとは「且坐喫茶」、サザキッサと呼びます。
且坐喫茶は中国臨済宗の禅宗の七言絶句の言葉です。臨済宗は中国禅宗五客の唐代臨済義玄が開祖で、鎌倉時代に日本に伝わりました。その意味は「さあここに座してお茶を頂きなさい」です。
私は26歳の時に、思うことがあって、一週間に一回無心の時間を求めたいと、表千家茶道に入門しました。
茶道は、精神的な求道の道と、中国唐時代の総合芸術といわれています。茶道具、書、掛け軸、茶碗、書画、古代布の美に対する意識や感動を学びました。』
(巻頭部分を抜粋)

鈴木さんは父の経営していた映画館の一画に55年前に「サザコーヒ」を創業し、茨城を代表する、あるいは日本でも屈指のコーヒーブランドに育て上げ、コロンビアに直営のコーヒー園を所有するなど世界的にも知られるようになった。
勝田(現・ひたちなか市)の生まれだが、当時は越境と云って他の市町村から水戸二中に通学する生徒が多く1学年720人、全学年で2000人を超す大所帯だった。多数の卒業生の中でもでも出世頭とも言える鈴木誉志男さんの存在は抜群で、メディアに登場すると自然に目が行く。

特に1989(平成元)年 のサザコーヒー本社本店落成、ギャラリーサザの開廊頃から約35年に渡って顔を合わせることが有る。
会えば話題が豊富で旅、食べ物、モラや仮面などの収集品、勿論、コーヒに関わる諸々の話は尽きない。
コーヒー学会の開催や「勝田全国マラソン」開催時のコーヒーの無料提供など社会的な活動にも尽力している。

「ギャラリーサザ」は展覧会の予約でいっぱいだが、オープンの頃は空の時もあったので「摩訶曼荼羅華」と題する遊びの場として無料で使わせて頂いたこともある。



「LI的〝喫茶時間″」その2として
嘉木を求め、 嘉人に至る。有限会社アトムセブン 代表取締役 松永公明

松永さんは交通事故でかなりの重傷を負い、後遺症が酷くて治らない。
その頃、友人の医師が中国へ行くというので、松永さんも天津の医学校に留学。そこで知ったのが、漢方を煮出して、そこにお茶を混ぜるという方法。
そのおかげで身体がある程度良くなって帰国した時、“日本で漢方薬をやろう”と考え、漢方薬と中国茶の店「十倶茶游」を開いた。
中国には樹齢百年・千年という見たこともない大樹が沢山ある。
所変われば品変わる、多くの茶葉を求めて何度も中国に渡って仕入れをしている。





創業時は下市の本町、震災後に千波町に移転の新店舗は1階で販売、2階が喫茶室と中国茶の教室。



2階の奥にウッドデッキのテラスもあってお気に入りの店となった。
句会の当番を務めた際は2階を貸して頂いたこともあった。

4~5年位前「十倶茶游」のオーナーの松永公明さんは以前からの知り合いであったことが分かり驚いた!
半世紀前の頃、水戸市南町の商店主が出資して広告宣伝・店舗内装の「K企画」を設立した当時、友人が社員だったのでよく遊びに行った。
出入り業者で電気工事の会社を営んでいたのが松永さんで、雑談などをした覚えがあるが、その後の付き合いは無かっただけに、お気に入りの店のオーナーだったと知りビックリした。

コロナウイルスが蔓延し始めた2年前頃から訪ねていないが、営業時間の短縮や規模を縮小せざるを得ない状況とのこと。
営業時間・11:30~17:30 定休日・木曜日
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Bistro BABAが南町に移転@水戸市南町3丁目

2022年02月17日 18時40分12秒 | 水戸の今と昔
Bistro BABAが南町に移転@水戸市南町3丁目







水戸市泉町の京成百貨店の隣に在った創業30年の洋食屋「Bistro BABA」が再開発絡みで2021年11月28日をもって閉店し、南町の「みずほ銀行」並びに12月下旬に新装開店した。
隣は大正15年創業の老舗パン店「木村屋」、水戸の名店が軒を連ねたのは明るいニュースだ。





新店舗は細長で、以前の店を左右に二等分して縦につなげた感じ。
厨房が見える奥のカンター席は前の店の入り口と錯覚するほど。



メニューもほぼ同じ。









ランチBは
煮込みハンバーグ魚のピカタ、デザートはプラス250円。

余白
夜はカウンター席で一皿のつまみで飲めるのもBABAの良さだ。
コロナウイルス禍も2年を過ぎた。
そろそろ、収束して飲める日も近いのでは、と期待している。
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毎月9日は「稽古場・風の日」@水戸市新荘3-4-5

2022年02月10日 06時50分09秒 | 水戸の今と昔
毎月9日は「稽古場・風の日」@水戸市新荘3-4-5

水戸市新荘3-4-5の多目的ホールとも言える「稽古場・風」と庭に併設された「小さな・風」で毎月9日にイベントが開催される。





物置の蔵を改造した「小さい風」ではコーヒーが150円。
薪ストーブの温もりを感じながら、屋外でのコーヒーの味は格別。
この日を目当てに市内はもとより市外・県外のお客さんも多い。



ホールで会は桜川市の陶芸家・ローランドサクセご家族の手作りの食品の数々。



陶製の猫の置き物やアクセサリーも販売されている。



予約制だがレストラン・カヤップの「タイ弁当」も販売される。
時には、予約なしで買えることもある。
テイクアウトが基本だが、小さな風のカウンターで食べることも出来る。



どこのパン工房か、小麦粉に拘ったパンも販売。









水戸出身で京都在住の工芸作家KANAさんの手作り人形の数々、およそ20体が初登場した。
高さ30センチ位で、アフリカや東南アジアの布地を巧みに使いこなし、顔や姿も自由自在、まことにユニークで魅力的。
初挑戦の自由な発想が、魅力に感じるのか知れない。
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水戸八景「仙湖暮雪」@水戸市常磐町・偕楽園南崖

2022年02月07日 23時16分34秒 | 水戸の今と昔
水戸八景「仙湖暮雪」@水戸市常磐町・偕楽園南崖





「仙湖暮雪」碑
縦128㎝・横119㎝の山型の自然石で花崗岩のようだ。
側面は自然のままだが、全面と後面は平らで側面から見ると、平べったく感じる。
水戸八景は中国の「瀟湘八景」日本の「近江八景」をモデルにしたと思われるが、他の日本の「何々八景」より親しまれているのは選定者の烈公らが八景の漢詩や和歌を多く詠み、吟道愛好家の人達によって、しばしば吟じられるのが、全国的にも知られる理由かもしれない。



偕楽園の南崖の中段に在り、ちょっと見過ごしてしまうような所に在る。
明治時代頃まで、常磐線の線路の辺りまで千波湖だった。



明治時代の「仙湖暮雪」の図版。
『常磐公園攬勝図誌』松平俊雄(1885年)より。



版画ほどの絶壁ではない。
造成を重ねるうちに、段丘のようになったのかも。
やはり、急な崖かな?



南崖の洞窟
「神崎岩」と呼ばれる泥岩の採石場跡が洞窟となっている。
2代光圀から明治時代まで水道の岩樋、七輪の様な台所用品など多目的な用途に泥岩が切り出された跡で延長150mあるとか。
ここから東に沢山の洞窟跡がある。



洞窟跡入り口の左側に露出している泥岩層。



茨城百景の碑
八景碑の東側に茨城観光審議会が昭和25年に制定した「茨城百景」の第1号。
千波湖と偕楽園を繋ぐ跨線橋が建設されて陰になってしまったが、第二次大戦前まで、この上の辺りに旧「彰考館」在り、さらに東側には温泉旅館などが在った。



「茨城百景の碑」の東側50㍍位のところ、常磐神社の大鳥居の前に「水戸の梅祭り」の期間中限定で、JR「偕楽園駅」が開設される。
昭和30年頃の臨時駅の脇は旧国道6号線で、多くの車が走っていた。
すぐ隣に踏切があり、列車事故が絶えなかった。
現在の状況からは想像もつかない



「八景碑」から西側の遊歩道の際に、正岡子規の「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」句碑が在る。                 
子規が、現在の東京大学の予備門在学中の明治22年の4月、春休みで帰省しているはずの学友・菊池謙二郎の水戸の実家を友人と二人で訪ねた。
あいにく菊池とは行き違いで会えなかったが、子規が好文亭に上り崖に懸命に咲く梅を見た際の印象を後日に句とした。
この碑は、昭和28年(1953)に常磐神社境内の東湖神社裏に建てられたが、昭和40年(1965)に現在地の南崖斜面に移設された。
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喫茶パレットのモーニングセット@水戸市南町2-3-17

2022年02月02日 20時38分32秒 | 水戸の今と昔
喫茶パレットのモーニングセット@水戸市南町2-3-17



「梅香トンネル(全長:607 m)」が2002年(平成14年)3月に開通するまで、水戸の台地を南北に貫く唯一の「大阪町」の通り、農協会館から南町2丁目交差点に至る道路は慢性渋滞だったことを知る人も少なくなった。





「コーヒーとランチの店・喫茶パレット」のモーニングサービスが懐かしくなったので、急遽立寄る。16年前にリタイアするまで、この近くが勤務先だったから、この辺りの店は朝に夕に行ったものだ。
近辺の商店主が仕事前に珈琲を飲みながら情報交換する場でもあったのは、
京都の「イノダ珈琲店」にも似た寄合所的な雰囲気があった。

「開店して何年?」との問いに「昭和64(1989)年の開店だから33年ですか」とのこと。その頃は「プチカメソー」や「ダイエー水戸店」のお客さんや従業員、会社勤めのサラリーマンなどで裏南町一帯の飲食店は一日中賑わっていた。
今となっては、往時の姿は夢か幻となり、説明しても分かる人もいない。









パレットの店内を改めて見廻せば、開業当時とほぼ変わらない。
昭和の香りに満ちている、タイムマシーンで30年前に逆戻り。



本日は2022年2月2日で2並び。
新聞は「石原慎太郎氏死去」を報じる。
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昭和45年の水戸市「水戸ぷろむなあど」から(其の2・南町1丁目~泉町3丁目)

2022年01月30日 20時12分52秒 | 水戸の今と昔
昭和45年の水戸市「水戸ぷろむなあど」から(其の2・南町1丁目~泉町3丁目)







水戸の歴史・寺社仏閣・文化財・市街案内・行事・民謡・名産品など幅広い分野を写真と文章で紹介した水戸読本ともいえる「水戸ぷろむなあど」だが、1970(昭和45)年頃に撮影されて商店街の写真が巻末にある。
今回は南町2丁目から泉町3丁目を紹介。
店名を見ても「何処に在ったかな?」というお店が沢山ある。
写真が小さいので読み取るのも難しいが、友人と眺めながら記憶を辿ってみるのも一興だろう。





















商店街で生き残った店はごくわずかとなってしまった。

*写真撮影は藤井正夫が担当したが、50年を経た今では貴重な資料だ。
藤井は新聞の報道カメラマンとしてスタートし、世相を「ズバッと切り取る」が口癖の社会派だった。
桜の魅力にひかれ、長い年月をかけて日本国内の“桜の名所・銘木”を撮影した草分けとして知られる。

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偕楽園開園180年記念・第126回 水戸の梅まつり

2022年01月25日 19時19分01秒 | 水戸の今と昔
偕楽園開園180年記念・第126回 水戸の梅まつり
2022年02月11日 ~2022年03月21日




「水戸の梅祭り」が2月11日から始まるが、オミクロン株による感染者の激増で、茨城県にもまん延防止措置の適用が1月27日から2月20日までなされる。成り行き次第では「梅祭り」の開催にも影響することになる。



開催を前に着々と準備が進んでいるが、今のところ来園者は少ない。





開花はまだ先だが、咲き初めた花を見つければ歓びがある。
梅は「一木」を愛でるところに趣があり、満開でなくとも充分。
むしろ、先駆けて咲く、一枝・一輪を探すところに神髄がある。





「チームラボ 偕楽園 光の祭」と称する祭りが昨年から始まった。
“自然を破壊することなく「自然そのものが自然のままアートになる」”というコンセプトのプロジェクトで、杉林と竹林の中・吐玉泉の周辺をライトアップして新たな風景を作り、魅力を出そうと云うことで大人気であった。
しかし、昼間見れば照明や音響の機材が散策路の周辺に露出、しぼんだ照明用風船がそのままは、目障りになるだけ。



孟宗竹林も映写スクリーンで遮蔽され、景観が台無し。
しかも、会期(2.01- 3.31中の開催時間18:00~20:30(最終入場20:00)は別途な入場券が必要となる。
このプロジェクトに対し賛否があるのは当然だが、このプロジェクトに対し賛否があるのは当然だが、もしこのプロジェクトが小石川後楽園、金沢兼六園などで行われるとしたら許されるだろうか?偕楽園の創始の精神に適っているとは思えない。







「水戸 門のまえ」

一昨年に、東門前の「偕楽園レストハウス」が装いを改め「水戸 門のまえ」と店名が変わった。
お土産とレストランであるのは同様だが「藁納豆定食」「けんちん蕎麦」など郷土食のメニューと地酒が増えた。
それもそのはず、新たなオーナーは銘酒一品で知られる吉久保酒造。
梅花を愛でた後に一杯の酒で、楽しさが倍増する。

*「水戸 門の前」《旧偕楽園レストハウス・定休日 火曜日:営業時間 10:00-16:00(LO15:30)》

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小野和子さんの「ぐぁらんどう」が12月30日をもって閉店。

2021年12月15日 18時25分19秒 | 水戸の今と昔
小野和子さんの「ぐぁらんどう」が12月30日をもって閉店。
@水戸市泉町1丁目3-14 田村ビル2F








水戸京成百貨店の東側、田村ビル2階に小野和子さんのライブが楽しめるカフェバ-「ぐぁらんどう」が在る。
1978年に開店し43周年を迎えたが、このビルを含めた周辺のマンション計画により、12月30日(木)をもって閉店することになった。







小野和子さんは70年代のフォークソング・ブームの時代に渋谷のライブハウス「ジャン・ジャン」を始め全国を演奏旅行する歌手だった。



2021年08月に発行された、野上眞宏 写真集 『ゆでめん』
1970年4月に録音され8月に発売された『はっぴいえんど』
本書は、そのレコーディングに密着した野上眞宏が、新しい音楽の創造と向き合うメンバーの生々しい姿をファインダー越しに記録した写真集。





当時、数々のミュージシャンと共演した小野和子さんの写真も掲載されてある。

和子さんが地元に戻り家業の花屋の運営に携わっていた時、偶々のはずみで友人が経営する喫茶店を譲り受けすることになった。
県北の材木屋の娘さんが作った店内は、木材がふんだんに使われていた。
内装はそのままに「ライブミュージックバー・ぐぁらんどう」として開店すると、小野さんのギターの弾き語りが話題となり人気を博す。
音楽好きのお客の飛び入り演奏や、水戸公演の後に立ち寄ったミュージシャンが演奏することもしばしばあった。





オリジナルCD「歌詞1999」。

開店後20年を経た頃、カウンターからお客さんたちを観察した、それぞれの人生を歌い上げたオリジナルアルバムを制作した。
人間模様が見え隠れする楽曲は、当時の人々や事々が思い出される。

フォークソングクラブを主宰するTさんのお宅で、高校2年生の和子さんと出会ってから半世紀、今なお美声を保っているが、やむなく店を閉じることになった。
現役を引退するにはちと早い。
これからも演奏を聴く機会が有ることを願っている。
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