「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

水戸市国際交流協会は西の谷のすぐそば。

2008年01月31日 06時51分19秒 | 水戸今と昔
連続講座「クラシック音楽でめぐるヨーロッパの街」Vol.4>

第一回 1890-1950 ミュンヘン
「もうひとりのシュトラウスを生んだ街」・講師 関根哲也

水戸市備前町の住宅地の中に財団法人・水戸国際交流開館が在る。
水戸市の国際交流の資料が展示されている2階は、外国語の図書、ロビー、事務所などがある。
三階は、研修室、調理実習室、ホール等が設備されている。

それらの施設を利用して、ボランテア団体による語学講座(フランス語・タイ語・韓国語・ロシア語など)も定期的に開催されている。

一つの国に絞った交流月間も有る。例えば3月1日から16日はインド月間。3月8日はインドカレーの講習会。
3月15日は”インドってどんな国”との講演会。
インドの歴史や文化を知る事の出来るパネル展示や、民芸品・民族衣装の展示。3月9日には
インド映画の上映会も行われる。
これらは活動の一旦だが珍しい催事が多い。
2階のロビーには、各種の催しのチラシが有るので、参加したい行事があるときは申し込むようにしている。

クラッシク音楽に無縁な僕が、水戸市国際交流協会主催・水戸芸術館音楽部門が企画協力した、上記の講座を聴講した。
“音楽でめぐるヨーロッパの街”のサブタイトルに惹かれ、参加の申し込みをした。
水戸市国際交流会館の3階ホールの会場に行くと座席は満員。定員60名なのに申し込みが殺到して、キャンセル待ちの状況だったとの事。
今年(2008年)水戸室内管弦楽団が3回目の欧州公演で訪れる5つの都市のうち、パリ、ミュンヘン、ウイーン、マドリードに焦点をあて、それぞれの街が歴史の中で奏でた音楽を、水戸芸術館の音楽部門の学芸員が紹介するという趣向だ。

本日(1月30日)の第一回のミュンヘンの案内役は関根哲也さん。
資料を基にしたお話しと、関連する楽曲のさわりの部分のCDを聴かせてくれ、さらに歌劇「サロメ」のクライマックスのシーンをDVDで見せてくれる等、内容は豊富であった。
* 最近の講演会はパワーポイントを多用する人が多い。
参考資料として配布したのと同じ画面を見せて、講演会と言うより説明会の様なつまらないのがはびこっている。

今回はそんな事を感じさせない素晴らしい会で感動した。
終了後、安らかで清々しい満足感に浸る事が出来た。
ではどのような内容であったのか?説明して下さい。
と言われると門外漢の僕にはとても難しい。
参加して見聞する以外にありませんねとしか言いようが無いが、配布された資料を基に概略だけお伝えしましょう。

リヒャルト・シトラウス(1864-1949)はミュンヘンに生まれた。ミュンヘンというとビールの有名な所。
或いはバイエルン州の首都で名車BMWの本社のある場所くらいの認識が一般的だ。
ドイツ第三の都でモーツアルトやワグナーもミュンヘンには縁がある人たちだそうだ。
父親はミュンヘン宮廷管弦楽団の主席ホルン奏者だった。
父の下で4歳でピアノ、6歳で作曲、7歳でヴァイオリンを始めている。学校では文学・哲学・美学等を専攻したそうです。
しかし、若い頃から音楽の才能を評価されブラームス或いはワグナーの後継者と位置づけられていた。マーラーとは同世代でお互いに尊敬しあった仲であったとの事です。1883年(19歳)でホルン協奏曲1番を作曲する。*この曲のさわりをCDで聴く、ホルン奏者としての父の影響があるようだ。
そのご指揮者として、交響詩の作曲家としての評価を確実にする。
1888年(24歳)交響詩<ドン・ファン>を作曲。*この曲のさわりもCDで聴く。

1894年(30歳)パウリーネと結婚。
4つの歌曲 作品27を作曲。この歌曲はスコットランド生まれでドイツに住み、ドイツで活躍した詩人ジョン・ヘンリー・マッケイの詩による。
* この曲もCDで聞かせてもらい、詩を翻訳した文章も資料として配布された。
一部を紹介するが、花嫁に捧げたシュトラウスの気持ちが伝わってくる。

そしてあした、太陽がふたたびてりそそぐだろう、
そしてぼくの歩む途中で、太陽は
しあわせなぼくたちをまた結びつけるだろう、
この陽光が息づく大地のまっただなかで・・・・・

シューベルトの歌曲とは全くちがった感じを受けた。
1896年(32歳)交響詩<ツアラトウストラはこう語った>を作曲。
ニイチェの著作から。*というが、これまた読んだ事もないし、全くわからない。
1905年(41歳)歌劇<サロメ>を作曲。オスカーワイルドの原作を歌劇としたもの。
*出演者が誰か判らないが、DVDで『サロメ』の有名な場面“7つのベールの踊り”を見せてくれた。

その後は、第1次世界大戦から晩年(1918-1949)はウイーン国立歌劇場音楽監督やドイツ帝国音楽局総裁等などの役職につく。
それらの経緯から戦後はナチスとの共謀の嫌疑もかけられるが無罪となる。
1948年(84歳)<四つの最後の歌>作曲
* この曲の④「夕映えの中で」を聞かせてくれた。8分間の曲だがオーケストラの部分が長く、歌のところは少しだが心に浸みた。詩の原作はヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフ(1788-1857)この曲も翻訳した文を配布してくれた。一部を紹介すると・・

 苦しみにつけ、よろこびにつけ、
 ぼくらは手をとりあって歩んできた、
 さすらいの足をとどめて、いまぼくらは
 静かな田園を見張らす丘でやすらう。

悲しみや嘆きの無い静謐な世界。若い時から才能を認められ、妻との幸せな生活。
晩年に多少の不運は有ったにせよ、生涯を通して劇的な出来事に合わずに全うした人生。
ほんのさわりとしても、2時間でシュトラウスの生き様をなぞる事ができた。
そして多くの宿題も戴いた気がする。
2008年7月5日、6日の水戸室内管弦楽団 第73回定期演奏会は 準・メルク指揮でシュトラウス最晩年、1945年(84歳)に作曲した<メタモルフォーゼン>も演奏されるとの事である。

久し振りに受けたこの感動。
エビネンコ氏が出席していたら、もっと的確に書いて貰えたのに!と残念だ。

今回は、夜の催事なので西の谷に抜けて散歩するのは無理だったが、国際交流協会からにしの谷迄は歩いて5分足らず。
この会館建設当時、西の谷に直接繋がる遊歩道の建設も案の内だった事もある様だ。
今からでも遅くない、実現してもらいたいものだ。
其の前に、会館の存在も余り知られてないし、より充実した企画もお願いしたい。

西の谷への新たな進入路について。

2008年01月26日 17時01分33秒 | 西の谷緑地公園
西の谷の駐車場に、進入路が新設される?
1月16日のブログに関して、22日“コンブ”さんと言う方からのアイデア溢れるコメントを戴きました。
コメントの詳しい内容に関しては16日のコメントをチェックしてください。

真偽を確かめに市役所の1月24日公園緑地課に出向き、課長さんの説明を聞きましたた。
結果は、そのような方針で平成20年度の予算の申請をし、通れば21年度から工事を始めるらしい。
大型の観光バスが入れるようにしたい。との意向のようだが、そのような必要性があるのだろうか?はなはだ疑問に思う。

ついでに、延長工事部分の完成時期を質すと、本年3月末迄には必ず造り上げるとの事であった。
両脇の側溝に関して、石造りでなく自然な状態の流れのようにするとのこと。なので安心する。
延長部分を含め、西の谷全体の十分な管理をお願いした。

次年度の予算となる4月以降は、さらに美しい西の谷緑地になる事を期待したい。
コンブさんのコメントにの案のように、進入路を造るのなら、周辺を含めた再開発をすることも必要かも。
地域の人たちはどう考えているのだろうか?聞いてみたい物だ。


東京下町散歩 Ⅲ

2008年01月24日 01時56分24秒 | 
寒の雨肘に覚えし痛みかな  破髯斉

今の時期、西の谷の作業は竹箒で掃くのが主な仕事。
作業は、常に一方方向に手を動かすので、肘に負担がかかる。
そのためか時折、肘に痛みを感じる。

23日は雪の予報だったが、一日中雨降り。
西の谷の掃き掃除はできない。
先日の、東京下町自転車で散歩の続きを書く。

芭蕉記念館
清澄通りを南に向かい、小名木川に架かる高橋(タカバシ)の手前を右折すると、松尾芭蕉が庵を結んだゆかりの地に建てられたという「芭蕉記念館」がある。
館内には芭蕉の書簡や絵画など貴重な資料が展示されている(複製品が多いけれども)。
俳句会などに利用できる部屋もあり、借りる事ができるようだ。

館内の裏庭から墨田川の堤防を歩いて200m位、小名木川と隅田川の合流する小高い所が小さい公園になっている。
「芭蕉庵史跡展望公園」として芭蕉の銅像が設置されている。ここからの隅田川の眺めは正しく絶景だ。
すぐ隣の小名木川に架かる「萬年橋」は江戸時代から隅田川を望み富士山を眺められるとして北斎の「富岳三十六景」広重の「名所江戸百景」などに描かれている名所だ。

近くには「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝聞)が出土した場所として「芭蕉稲荷」が祀られている。
石の蛙は芭蕉記念館に展示されている。
『奥の細道』の旅に出発した(1689年・46歳)場所の「採茶庵」跡(清澄通り沿い)にも芭蕉の銅像が建っている。
この辺りを歩いていると、カメラ片手に芭蕉の史跡探訪をしている多くの人達に出会う。
僕も其の一人。少し真面目に俳句やらなくちゃ。
と決心を新たにしたか?

深川江戸資料館
清澄通りに戻り南に行き、清洲橋通りを右折すると「深川江川資料館」が在る。地下1階から地上2階までの吹き抜け空間に江戸時代(1842年頃を想定)の実物大の街並みが復元・展示されている(勿論作り物だが)。ガイドの中年女性が長屋、八百屋、米や、船宿、火の見櫓、露天のそばや、てんぷらや等の深川の庶民の暮らしを面白おかしく説明をしてくれる。仕掛けとなっている。
其の時代にタイムスリップし、落語の世界を歩く感じだった。

清澄庭園で寒牡丹に出会う
清澄通りに面して「清澄庭園」が在る。伝聞として、江戸時代の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡との説もあるが、諸大名の下屋敷として用いられ、明治11年に岩崎家の所有となった。同24年に全国の名石集め園内に配置した回遊式林泉庭園は、岩崎家の迎賓館となった。その後、東京市に寄付され、昭和8年より一般に公開された。明治時代を代表する庭園として東京都の名勝第一号に指定され、新東京百景の一つにも選ばれている。ことほどさように、大名庭園ではないが格式を感じさせる庭園だ。手入れも十二分である。
この時期、何処の庭園も花を見る機会が少ないのはさびしいが、霜囲いされた中に真っ白の寒牡丹が3株10輪くらい咲いているのを見る事が出来た。
誠に素晴らしい!!
寒牡丹~  俳句を一句と思うが出てこない。

さらに、和水仙が早くも咲き初めていた。寒中と言えど春は近づいている。

深川不動・富岡八幡宮
門前仲町を右折して、永代通りには深川不動堂と富岡八幡宮が在る。この門前町は江戸情緒を色濃く残す深川の中心。一月も後半に入るが、どちらも新年の参詣する人達が未だに多い。
食事もしないで走り回っていたが夕暮れとなり、残念ながら戻る事にした。

「伊せ喜」のどじょう鍋
今日の昼飯は“どじょう鍋"にしようと考えていた。清澄通り、小名木川に架かる高橋のたもとに明治20年創業の「伊せ喜」があるのは調べておいた。下町出身のNさんは「どじょうは鰻と同様にほんらい夏の精力材、汗かきながら食べる物」とは教えてもらっていたし、俳句の季語でも夏。池波正太郎の随筆にもそのような事が書いてあったな。

とは言え、めったに来る訳でもないから、と暖簾をくぐる。
夕飯には少し早いか、お客は少ない。どじょうを丸ごと煮込んだ「丸」と熱燗1本を注文する。どじょうは時間をかけて煮込んであるから火加減は軽く鍋を暖めるくらいで十分とのこと。浅い鉄鍋に姿よく並んでいる。刻み葱をたっぷりかけて食べる。

暫く前に佐野さんに連れられ、有名な「駒形どぜう」に行った事がある。其の時は七輪に炭だった記憶がしたが、随分昔だから曖昧だ。ご飯と泥鰌汁も頼む。
期待が大きすぎたかな?の感じを抱いて店を出る。

夕暮れの清澄通りを北上する。並木通りに出れば「並木の藪」の看板。
これは入るほか無いでしょう。冷えた身体を温めようと“かけそば”をたのむ。やっぱり藪蕎麦だよね~。嬉しくなってしまう。雷門通の角の「神谷バー」で<デンキブラン>のポケット瓶を1本買ってから、自転車を返却しに行く。

自転車っていいな!
自転車での街歩きに大満足した。
係りの人に「他にもこのような場所が有りますか?」と問えば、「上野駅近辺にも2箇所ありますよ」とのこと。
お役所仕事に感心する事は少ないが、台東区のレンタサイクルに拍手。次回もお願いいたします。
水戸でもレンタサイクルは千波湖の黄門茶屋の所に1っ箇所有るけれど。
利用されてない感じ。もっと充実させれば、水戸を訪れた多くの人達がもっと街中を歩くのに!
水戸の町を安心して自転車で走れる街にしよう。

東京下町散歩 Ⅱ

2008年01月23日 12時52分34秒 | 
旧安田庭園

隅田川に沿って下り、厩橋を渡って両国駅を目指す。
国技館の手前に塀で囲まれた一角に「旧安田庭園」入り口という表示があった。自由に入る事ができる。
案内板に拠れば、下野(しもつけ)足利藩主本庄氏の下屋敷として作られたのが始まりで、本庄氏は大名としては小さかったが、将軍家より松平姓を賜り常陸笠間藩や丹後宮津藩主を歴任した。
隅田川の水を引いた潮入り回遊庭園は小規模ながら徳川時代における大名庭園の典型をなす名園。とのことだ。
たしかに「六義園」「小石川後楽園」「浜離宮」等と共通する雰囲気がある。
当時は海辺に面していたから、汐の流れを巧みに引き入れ池の浄化が図られている。
明治22年に安田財閥の手に渡り、後に東京市に寄贈された。園内には安田氏寄贈のドーム型の両国公会堂が建てられているが両者とも墨田区が管理している施設だ。
庭園は木々や芝を含め手が行き届いているので誠に気持ちが良い。
これまで手をなくとも、水戸市の公園や緑地の管理はもう少しきめ細かくして欲しいものだ。
池に飛来している都鳥などの水鳥を眺め、しばしの間休憩する。

江戸東京博物館「北斎展」

葛飾北斎(1760-1849)は江戸時代末期の画家であることは誰でも知っているが、本物を目にする機会は少ない。しかも版画は大きさが限られているし、色合いも地味なうえ、印刷や、似て非なる複製品があふれているのでどうしても軽く見られがちだ。
最初に浮世絵版画の良さ、特に北斎を評価したのはオランダ人やフランス人だった。ゴッホを筆頭として、印象派をはじめとした西洋の近代絵画に大きな影響を与えたと言われている。今回の展覧会は「オランダ国立民俗学博物館」と「フランス国立図書館」所蔵されている作品が日本に里帰りした。
メインは、北斎及び弟子たちが描いた肉筆の浮世絵で、今まで知られていない作品も多い。オランダ商館の特別の依頼により描かれた絵は、肉筆浮世絵の概念を変えさせられた。多くの色彩が自由使用され、題材も従来の浮世絵の範疇でないものも多い。北斎の多彩さを実感させられた。
「富岳三十六景」や「北斎漫画」などの今までに知られている人気作品にしても北斎と彼の工房の力量の凄さを感じた。
自分で観た感動を伝える事は難しい。とにかく現物を見ることしかない。
別の展示室で「北斎漫画」に関する展示もされている。内容の豊富さは観尽くせない。江戸時代の絵師、摺り師などの高度な技術、こんなに細かい線が書け・彫れるのか?何十枚の版木を合わせて一枚の絵にする行程等、ただ感心する以外にない。
残念ながら、常設展示も見ないまま後にした。本来ならば、北斎展を一日かけてみるべきだ。清澄通に出て、深川に向かう。

*この日は、風は少し吹いたが快晴だった。
今日23日の天気予報は雪であったが水戸は雨。東京は小雪らしい。
雪の下町には北斎の版画の世界が観られそうな気がする。雪が積った時に行ってみたいものだ。

自転車で東京の下町を散歩する

2008年01月21日 23時33分36秒 | 
街を歩くには自転車が便利。
車を捨て自転車に乗ろう!!

以前に浅草で入手にしたパンフレットに“レンタサイクル1日200円”との案内を発見したので、何れ試してみたいと考えていた。今度始めて利用したが、結果は大正解で、昼食を食べずに夕方5時まで自転車での散歩を楽しむことが出来た。
遅めの昼食をすませた後も7時まで乗り回し、快晴の街を走った。

水戸発7時30分の高速バスは9時20分に浅草着。
バスの停留所から歩いて5分、吾妻橋脇の墨田公園自転車駐車場に行き、簡単に借りることが出来て出発進行。

先ずは、両国の江戸東京博物館で開催されている開館15周年記念展「北斎・ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」を観るのが目的だが「池波正太郎記念文庫」に行くのも予定の1つ。浅草寺の西北の方角に在るので、先ずは浅草寺に向かう。馬車道から伝法院通りに入ると小山の上にお堂と鐘楼が在った。さほど大きな鐘ではないが、これが『花の雲鐘は上野か浅草か』と芭蕉が詠んだ上野寛永寺と並び著名な時の鐘とのことだ。現在も夕方の6時に撞かれている、との解説の立て札と句碑が立っていた。
今回は芭蕉に関連した所も歩いてみようと思った。

境内は新年とあって参詣者も多い。
本堂、三社さまの<浅草神社><影向堂><六角堂><淡島堂>などもお参りする。
今回は神社仏閣巡りでもある。

ひさご通りに「江戸下町伝統工芸館」が在り立ち寄ってみる。江戸時代からの職人の技が、継続されている事を実感する。これ等も東京だから可能なことで、地方においてはドンドン失われているように思う。

「池波正太郎記念文庫」
国際通り「台東区立中央図書館」の1階に『鬼平犯科帳』などの時代小説で有名な池波正太郎の業績や作品の世界を広く伝えるために、池波家から寄贈された資料を展示する施設として平成13年に開設された「池波正太郎記念文庫」がある。
26,000点に及ぶ資料が収蔵されており自筆原稿、全著作、絵画などの展示のほか書斎も復元してあり、執筆していた当時の雰囲気を味わう事ができる。
絵を描くことも好きだったので、紀行文など自著のカットに挿入した事もある。
常設と企画展示の両方があるが、今は油彩のヨーロッパの風景が特別展示されていた。
彼の著作は殆ど読んでいないのだが、『散歩の時何か食べたくなって』と『食卓の風景』は僕の下町散歩の案内書に使っている。
彼の事をいくらかでも理解していないと申し訳ない気がしている。
彼は著作の中で“東京は戦争で焼かれてしまい、昔の良いものは失われてしまった”と嘆いているが、僕にとっては東京の下町には未だ昔の気分が残っている、ように思える。
失われた時代を本の中にみいだしながら散歩するのが、僕の今の楽しみだ。

自転車が走りやすい街
いつも乗っている自転車だが、東京都内を移動するには安全性を心配した。
一部のエリアを走っただけだから、断言は出来ないが、水戸より自転車が走りやすい道路状況である事は間違いない。
歩道が整備されていて不安を感じなかった。
これらの環境政策や省エネを考えれば、自転車の有効利用はとても大切な事と思える。
多くの地方自治体で、自転車が安全に通行できる状況を生み出すことは、高速道路を作るより重要に思える。
電車・列車にも自転車も積めるようにする事も必要だ。
何度も提言しているのだが、水戸市は自転車道路を整備して日本一自転車が活用されている街づくりをしたらどうなのか?

文学ついでに「池波正太郎記念館」の次に、国際通りを北上し「一葉記念館」に行く事にした。
これまた恥ずかしい話しだが、樋口一葉の作品は何一つ読んだ事がない。
記念館のパンフレットには<日本の近代文学に燦然と輝く数々の名作を遺したのである。殊に、「たけくらべ」は一葉が母親と妹の三人で竜泉寺町に住み、荒物駄菓子屋を営みながら生活した体験を素材にして書かれた小説である。>と書かれており、其の全貌を見る事ができるような文学資料館だ。

*ついでに言えば水戸市博物館は図書館併設の資料館として整備すべきと思う。

3階建ての記念館を見ると、明治初期生まれた少女が、明治29年24歳で短い生涯を閉じるまで、一家の生活を支えながら、日本の近代文学初の女流作家の偉大さを体感できる。
現代の日本人の生活は豊かになったが、読み・書く等の基本的なこと、生活全般を自らが賄う事等、基本的なことが大きく失われてしまったと感じぜざるをえない。
己の日常を反省するとともに、せめて一冊でも一葉の本を読んでみよう。

近くに、“お酉さま”として有名な「鷲神社」(おおとり神社)があるので、参拝した。
想像していたより小さな社殿と境内だった。ついで参りでは、ご利益は少ないかな。

このすぐそばには"吉原“が在る。江戸時代の雰囲気はとうの昔に無いのだろうが、参考までに覗いて視る事にした。
全区画を歩いたわけでなく、一部をス~と自転車で通り過ぎただけでなんとも言えない。
夜になれば違った景色なのかもしれないが”江戸は遠くになりにけり“としか言いようが無い。

土手通りから山谷堀り公園を抜け墨田公園に出た。
 ♪は~るの、うらあら~の、すうみだがわ♪。の歌碑があった。桜の時期はさぞやと思えたが、少し早い。
しかし、紅梅が何本も咲き初めていた。
再び、駐輪場に戻った。今度は隅田川沿いに南下して蔵前を目指す。
晴天に恵まれ風も少ない。日頃の心がけがいいのだろう?散歩・サイクリング日和だ。


進入道路新設?@千波公園西の谷

2008年01月16日 00時16分33秒 | 西の谷緑地公園
西の谷緑地公園延長工事の進捗状況は、芝張りの下地となる黒土を客土している状況だが、3月末までに完成できるのだろうか?

さらに気になるのは、公園入り口の駐車場に接続する新たな進入道路の工事が始まった?との噂が有る。
大工町から千波湖に向かって、常盤陸橋を右に入れば偕楽園に向かうが、其の反対側に左折する道路を新設して直接西の谷の駐車場に進入する様にするらしい。
事実、それらしき工事が始まっているのが境界のフェンス越しに見える。

*西の谷近辺は神崎寺の所有地が多いと聞いているが、お寺ではどのように考えているのだろうか?神崎寺の協力が西の谷緑地の発展に欠かせないと思うのだが。


駐車場の利用者は公園利用以外の人が大多数。新たな路の建設はさらに不法な駐車を増やすのみだろう。もし、建設計画が事実とすれば、考えられる理由は偕楽園の観光客のため、偕楽園と西の谷経由中心市街地の回遊路とする。発想だろうが、そんな事が現実に有り得るだろうか?
偕楽園に来た観光客が一度西の谷に駐車して、戻ってくる人は多少はいるだろう。
そこから泉町の商店街まで足を伸ばすと本気で考えているのか?今や、商店街の近辺はコイン駐車場がいくらでも在る。無料だからと、離れた所に駐車して買い物や飲食をする人がどれだけいるのだろう。
中心街活性化に駐車場が必要と未だに考えているのだろうか?魅力あるお店なら客は行くだろうが、何の魅力も無い店には誰も行かない。

現状の駐車場は必要以上に広い。柵を作りもう少し狭くしても良いくらいだ。舗装していないから、かなりガチャボコの状況になっている。観梅客が来たにしても、雨でも降った日には歩くのが難しい。少し地ならしをするか、砂利を入れて整地しなければならない。

いつも水戸市の関係者にお願いしている事だが、造ってもその後の維持管理の予算が無ければ作らない方がましであろう。
この件に関して、近日中に水戸市役所に行き確かめた上でもう一度書きたい。

間もなく梅も咲き始める。水戸を訪ねるのを楽しみに来る方々の期待を裏切らないような態勢をとりたいものだ。

僕は、これまで以上にゴミ拾いをすること、掃き掃除をする事しか出来ないが。


去年今年

2008年01月10日 17時26分37秒 | 西の谷緑地公園
去年今年ホオキ携え西の谷  破髯斉

昨年の10月以降、このブログの書き込みが出来ないまま新年を迎えることになって仕舞った。かといって西の谷の清掃活動を止めたわけではなく、年末年始も箒を携えて掃き掃除をしている。
寒さの中でも、既に幾種類かの雑草が芽を出しているが大きくは伸びない。
落葉樹の多くは既に葉を落としているが未だに落ちてくるし、風によっても吹き寄せられるので、木造の階段や遊歩道の掃き掃除は欠かせない。
何時もの事だが、コンビに弁当の食べたあとの容器ビニール袋の投げ捨て、缶コーヒーの空き缶の放置もあとを絶たない。
最近は、マンガ本の置き去りも多い。
それらのゴミ拾いも欠かせない。
どちらにしても、駐車場が本来の使用のされ方でなく通勤者の無料駐車場や車で休憩する人のために使われ、本来の公園利用者の利用は殆ど無いのが実情だ。出来れば駐車場をもう少し少なくしても良いと思う。

秋の紅葉の時期、西の谷は幾つか紅葉の見所があり清掃しながらの散歩は十分に楽しめた。
紅葉を観る期間はとても限定されるので、一日違うと風景が異なってしまう。
銀杏の黄葉は特にそうだ。僕の写真の技術では其の美しさを伝えようが無い。
木村さんの管理しているブログ「花留談周辺デジカメで散歩」はこのページからリンクしているので、視て頂くと西の谷の四季折々の美しさを感じてもらえる。実景より美しく撮れ過ぎているかな?と思う事も有り正しく写真も芸術作品である。

昨年は、水戸市の公園緑地課の予算が増えたのか?3-4回くらい草刈が行われ、草が伸び放題と言う状態には成らなかった
。もっとも草の勢いの有る夏場は、我々の通常の草抜き程度ではまにあわないから、今後も公園緑地課の更なる維持管理をお願いしたい。

今年の3月末に完成予定の延長工事も進んでいる様だ。途中の状況しか判らないが、さほど広くない敷地を無理に造りすぎている感じだ。街の中ではないのだからもっと自然な環境を生かすべきと思う。とにかく、完成とその後の管理状況を期待する。

昨年植樹された山桜は殆どが根付いたが枯れてしまった物も有った。枯れた樹の植え替えもすんだ。今年の桜の時期が待ち遠しい。

西の谷は我が家の庭のつもりで、散歩をかねて清掃作業をしている。今年も西の谷の美しさを共感できる人たちにめぐり会いたいと思っている。