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「運慶展」興福寺中金堂再建記念@東京国立博物館

2017年11月08日 22時07分23秒 | 博物館
「運慶展」興福寺中金堂再建記念@東京国立博物館
9月26日~ 11月26日




運慶は平安末期から鎌倉初期に新時代の仏像を生み出した大仏師。
運慶作といわれるのは30件前後で、今回は約7割にあたる22件が上野に集結したのだから凄いことだ。

第1章 運慶を生んだ系譜ー康慶から運慶へ

運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品から、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をみる。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれた。
運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していた。
院派(いんぱ)、円派(えんぱ)の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があった。のちに慶派(けいは)と呼ばれた。



国宝 大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)運慶作
平安時代・安元2年(1176)奈良・円成寺蔵

●台座の裏に墨書があり、運慶が「安元元年十一月廿四日」に造り始め、「同二年十月十九日」に完成した像を引き渡した。銘文は運慶自身が書いたもので、末尾に「大仏師康慶実弟子運慶」と記し、署名している、現存するもっとも早い運慶の作品。仏像には署名をしないのが通例だが、誇りを感じる。

第2章 運慶の彫刻ーその独創性
運慶は平家の南都焼討(1181年)で灰燼に帰した興福寺、奈良・東大寺の復興に尽くし、京の貴族の依頼も受けたが、同時に新興勢力である東国武士の求めにも積極的に応じ、多くの仏像を制作した。
古い伝統に縛られず、大胆に個性を発揮した。



国宝 毘沙門天立像 運慶作 文治2(1186)年 静岡・願成就院蔵

文治2年(1186)に運慶が造った静岡・願成就院の阿弥陀如来坐像、不動明王および二童子立像、毘沙門天立像、いずれも国宝)の5体には全く新しい独自の造形が見られる。



国宝 八大童子立像のうち制多伽童子 運慶作 
鎌倉時代・建久8年(1197年)頃 和歌山・金剛峯寺蔵 

金剛峯寺八大童子立像のうち、今回の運慶展では計6体が展示された。
(8月に「仙台市博物館」で開催された「空海と高野山の至宝」展で何点かを拝見した。)



国宝 世親菩薩立像 運慶作 建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
国宝 無著菩薩立像 運慶作 建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

第3章 運慶風の展開ー運慶の息子と周辺の仏師

運慶の父である康慶、実子の湛慶・康弁の親子3代の作品も展示。
仏所・工房のプロジューサーであり、東大寺の金剛力士像など短期間で製作された。
リアルに思えるが、見る側に立って巧妙にデフォルメされている。

重要文化財 十二神将立像
京都・浄瑠璃寺伝来  鎌倉時代・13世紀
東京・静嘉堂文庫美術館蔵(子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神)
東京国立博物館蔵(辰神・巳神・未神・申神・戌神



国宝 龍燈鬼立像  康弁作  建保3年(1215) 奈良・興福寺蔵



東大寺:俊乗房重源上人坐像〈国宝〉

特に、肖像彫刻などに優れた作品が多い。

●本館1F の「14」コーナーで開催中の運慶関連展示。(2017年12月3日まで)
●「運慶展」は展覧会開始後間もない10月5日に拝観した。彫刻は平安時代までと云う観念で、鎌倉期の彫刻に馴染みがなく、再度と思いながら会期末を迎えてしまった。取り敢えずアップし、後日に修正の予定。


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1 コメント

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Unknown (omachi)
2017-11-09 19:35:45
運慶展を観た方にWEB小説「北円堂の秘密」をお薦めします。
グーグル検索にてヒットし、小一時間で読めます。
少し難解ですが歴史ミステリーとして面白いです。
北円堂は無著世親像を収蔵する古都奈良・興福寺の八角円堂です。

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