「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969-2019」

2021年12月23日 20時36分29秒 | 美術展
細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969-2019」
2019年10月4日(金)~11月4日(月・休)
六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイギャラリー(六本木ヒルズ 森タワー52階)








2年前の2019年10月15日、森美術館で開催されている〔塩田千春展:魂がふるえる:2019.6.20~ 10.27〕を観た後、同時に開催されている「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」森アーツセンターギャラリー:2019.9.21~ 11.17」を観るかと迷った末に「細野観光1969-2021展」を観ることにした。

《「細野晴臣デビュー50周年企画:細野さんに会いに行く」プロジェクトの一環で、ロック・テクノ・ワールドミュージックなど多岐にわたる音楽家としての一面だけでなく、映画やアート・落語・漫画など、多様な関心事を展示。》
の謳い文句に惹かれ、知らない世界をのぞいてみたいと思ったからだ。









年代ごとのビジュアル年表や、年代ごとに括った5つの展示構成の中をまるで「観光」するように巡る。





子供の頃は漫画家志望だったという。
幼少時の漫画やメモ・ノートなど、など、通常なら廃棄されてしまっているものが沢山ある。
本人の意志より家族が大切に保存したことによるのだろうが、それらを含め才能が開く要素があったのだ。
撮れないでしまったが、沢山のギターを含めた世界の楽器コレクション。



インタビュー集、ブックコレクションなどの様々な展示品。



「細野観光」は、様々な展示品を通して「細野ワールド」を体験することだった。
全貌を知るには分からなことばかり、時間をかけて散策しよう。



遥か眼下に「東京タワー」を含めた東京の街を背に自撮り。
コロナ禍の直前とも言える2019年10月。
2021年12月、ひと頃の猛威は収まったが新たにオミクロン株の行方は未知だ。
暫くは過去と現在を行ったり来たり。

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「一橋徳川家のダンディズム」展@茨城県立歴史館・一橋徳川家記念室

2021年12月22日 10時50分57秒 | 博物館
「一橋徳川家のダンディズム」展@茨城県立歴史館・一橋徳川家記念室
11月27日(土)~2022年1月10日






一橋徳川家は、田安・清水両家と共に「御三卿」と言われ、御三家と並び称される格式を持ち、将軍家と最も近しい関係にあった。
「ダンディズム」とは18世紀末のイギリスで誕生し、複雑な変化を遂げてきた概念だ。欧米化に伴い日本の男達にとっても服装や振る舞いが洗練されている「ダンディーなスタイル」は憧れでもある。
《一橋徳川家コレクション=ダンディ》と結び付けた意図に若干の疑問が在るが、企画者はダンディを「俗世間に流されない、洗練されたこだわりをもつ人びと」と捉えたという。

一橋徳川家伝来の装身具、武具、調度品から、日本風ダンディズムの在り方を探る展観。

















《一橋徳川家伝来の装身具・武具・調度品から、日本風ダンディズムの在り方を探る》などと言わなくとも将軍家に準じた格式の品々は十二分に見ごたえがある。
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和牛庵@水戸市見川𝟯-𝟲𝟵𝟱

2021年12月20日 23時47分50秒 | 食べ歩き
和牛庵@水戸市見川𝟯-𝟲𝟵𝟱

本年1月に「和牛庵」として新開店したこの地は、骨董の先達で山野草を愛したTさんのご自宅でした。







水戸市大町から移り住んだのは半世紀以上前のこと、特に椿と夏椿がお好みで数十本を植えられた。
夏椿は沙羅とも呼ばれ、初夏に椿の様な白い花が咲く、当時は珍しい樹木で「夏椿居」と称した。



玄関は当時のままだが、右側に李朝時代の石人が置かれてあった。



上がり框の正面に李朝の箪笥の上に陶製の二頭の牛。
笠間の陶芸作家の作品とのこと。



店内に牛をテーマとした造形作品が多数設置されてある。





外観は以前のままだだ、内部は大幅に変わった。
壁を取りはなって、二部屋を広間に。
和室も板の間になり、広い窓にしたので眺めも良くなった。





古今東西の美術・工芸品などが各所に配置されてある。





「和牛庵」の名の如く、厳選和牛がお店のメイン。
熟成和牛三種盛は何れもほぼ生に近い。
焼き加減は、焼き石で自分好みに。



熟成和牛のひつまぶし



炬燵のように足が踏み込めるカウンター席もある。
杯を傾けながら食事も格別であろう。



背後の斜面から大量の湧水が庭に池と流れを作っているが、ここは水車小屋が在った場所とTさんからお聞きした。
Tさん宅の時代、鱒の養魚池も在り東屋で炉を囲みマスの串焼きを食べたこともあった。
山野草を愛で、骨董談義をした懐かしい場所が今回は和牛の店として、趣を変えて蘇った。
風景・料理・対応するスタッフなど何れを取っても素晴らしい。
仲間内で楽しい集いを開くには最適な場が出来たのは嬉しい。
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信願寺本堂の再建が進む@ 水戸市 緑町

2021年12月16日 14時43分46秒 | 水戸今と昔
信願寺本堂の再建が進む@ 水戸市 緑町





東日本大震災により損傷し、更地となっていた水戸の信願寺本堂の再建が進んでいる。
信願寺の創建は貞永元年(1232)親鸞聖人の弟子の1人、唯信房が開山したと伝えられる。
開山当時は幡谷に在ったが、何度か移転を繰り返し慶長10年(1605)に水戸城に西側(現在の信願寺町)に移り、延宝9年(1681)に火災で焼失すると水戸藩2代藩主徳川光圀の命により現在地に移された。
親鸞二十四輩・第二十三番寺。



工事を請け負っているのは社寺建設で定評のある鵤工舎(栃木県塩谷郡塩谷町)
創業者の小川三夫は「最後の宮大工」と称された西岡常一の後継者で屡々、テレビなどにも登場する。
奈良県生駒郡斑鳩町に「斑鳩作業所」が在る。







本社の作業所で加工された木材を現地で組み立てる工法のようだ。
順調に進行しているように見受けられる。



「親鸞と妻の恵心尼と幼い信蓮房の三人」像(1979年・渡辺卓凞・作)
震災前は本堂の横に設置されていたが、現在は庫裡・客殿の前に仮安置。
本堂完成の暁には、新たな場所に置かれるのであろう。

信願寺 は寺と信徒の関係がとても密接に感じられるお寺さんだと感じている。
近い将来に本堂に続き、山門・塀などが整備された姿を観ることを楽しみにしている。

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小野和子さんの「ぐぁらんどう」が12月30日をもって閉店。

2021年12月15日 18時25分19秒 | 水戸の今と昔
小野和子さんの「ぐぁらんどう」が12月30日をもって閉店。
@水戸市泉町1丁目3-14 田村ビル2F








水戸京成百貨店の東側、田村ビル2階に小野和子さんのライブが楽しめるカフェバ-「ぐぁらんどう」が在る。
1978年に開店し43周年を迎えたが、このビルを含めた周辺のマンション計画により、12月30日(木)をもって閉店することになった。







小野和子さんは70年代のフォークソング・ブームの時代に渋谷のライブハウス「ジャン・ジャン」を始め全国を演奏旅行する歌手だった。



2021年08月に発行された、野上眞宏 写真集 『ゆでめん』
1970年4月に録音され8月に発売された『はっぴいえんど』
本書は、そのレコーディングに密着した野上眞宏が、新しい音楽の創造と向き合うメンバーの生々しい姿をファインダー越しに記録した写真集。





当時、数々のミュージシャンと共演した小野和子さんの写真も掲載されてある。

和子さんが地元に戻り家業の花屋の運営に携わっていた時、偶々のはずみで友人が経営する喫茶店を譲り受けすることになった。
県北の材木屋の娘さんが作った店内は、木材がふんだんに使われていた。
内装はそのままに「ライブミュージックバー・ぐぁらんどう」として開店すると、小野さんのギターの弾き語りが話題となり人気を博す。
音楽好きのお客の飛び入り演奏や、水戸公演の後に立ち寄ったミュージシャンが演奏することもしばしばあった。





オリジナルCD「歌詞1999」。

開店後20年を経た頃、カウンターからお客さんたちを観察した、それぞれの人生を歌い上げたオリジナルアルバムを制作した。
人間模様が見え隠れする楽曲は、当時の人々や事々が思い出される。

フォークソングクラブを主宰するTさんのお宅で、高校2年生の和子さんと出会ってから半世紀、今なお美声を保っているが、やむなく店を閉じることになった。
現役を引退するにはちと早い。
これからも演奏を聴く機会が有ることを願っている。
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「プチカメソー水戸店」跡のビル解体始まる@水戸市南町2丁目

2021年12月10日 20時36分41秒 | 水戸の今と昔
「プチカメソー水戸店」跡のビル解体始まる@水戸市南町2丁目







暫くの間、閉鎖状態となっていたビルの解体工事が始まった。
この建物は、一時期「プチ亀宗・水戸店」として使用されていた。

「亀宗」と云っても知らない人が多いだろうが、1853年に現在の常陸太田市に創業された呉服の老舗店。
1960年(昭和35年)株式会社亀宗と社名変更し、衣料品チェーン店「ライフ亀宗」「プチ亀宗」を茨城や福島に展開した。1974年(昭和49年)に水戸に本社を移した際に1階~4階を若い女性を対象の「プチ亀宗水戸店」としてオープン。

「レストラン一美」が建設したテナントビルで地階が飲食街、ガラス張りで街を見下ろす2階の一郭には洒落たカフェが在った。
5階に「川上陶器」、6階が亀宗本社、7階~8階は一美直営のレストランが在ったように思うが半世紀前のことなので、記憶はあいまいだ。
当時の写真は無いかと、随分探したが見つけることが出来なかった。

「渋谷のパルコ」に次いで、日本で二番目のファッションビルと言われた「水戸サントピア」が1978年5月開店する前のことだ。
規模こそ小さかったが、時代を先取りした飲食とファッションの複合ビルだった。

「プチ亀宗」は店長はじめ、殆ど女性が全ての業務をこなした企業として全国的にも注目されていた。
友人との縁で、スタッフや幹部社員と機会を共にすることが度々あり親しくなった。そんなことから、5階の川上陶器店が退店し、プチカメの売り場に転換した際、外苑前の「ハナエモリビル」地下に骨董街が出来た話題の延長から「骨董・唐草屋」という古道具屋を片手間に開くことになった。
数年しか営業できなかったが、一応「古道具屋のオヤジ」を体験した。



はす向かい、南町3丁目の旧「大和証券水戸店」の跡。
幾つかの業態に変わり、直近はカラオケ店となったが退店。
改装工事が行われており、保育施設になるらしい、との話も。

南町~泉町~大工町にかけて閉店する店や取り壊される建物が沢山ある。
跡地はコインパーキング・更地のまま等々だが、マンション建設計画も多い。
頑張っている店もあるが、日曜・祭日を休業とする店が軒を連ね、商店街としての機能は失った。
空き地よりはマンションの方がましで、定住者が増えれば商店街再興の可能性もある。

ガラガラポン、新たな可能性に期待したい。
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茨城イチョウ百科『常陽藝文』2021年12月号

2021年12月05日 23時25分15秒 | 本・雑誌
茨城イチョウ百科『常陽藝文』2021年12月号



『常陽藝文』の特集が何をテーマとしたのか?毎号楽しみだ。
12月号は晩秋に美しい黄葉を見せる「茨城イチョウ百科」でこれまでには無かった企画だ。

寺社や学校・公園・街路樹など身近に存在しているにもかかわらず、黄葉の時期しか目立たないし、その実態もよく分からない。

イチョウ(銀杏・公孫樹)について様々な考察がなされている。
第1章 特異な生態・謎多い植物
第2章 人々の暮らしとともに
第3章 史実と伝説と―巨樹が物語るもの―
第4章 その存在は文献上どこまでさかのぼれるか







水戸市内及び茨城県内の銀杏並木や大樹の案内図。
成長の速い落葉高木。
幹回り3メートル以上を巨樹というが、各地に存在している。



銀杏の葉の防虫効果や薬用、また木材としての用途が注目されている。
「ギンナン」としての食用としてしられるが、イチョウの葉の長寿・生命力が注目されている。イチョウ葉のエキスを利用したリキュールなども製造されている。

幹に水分を多く含むので耐火性があるので、街路樹として最適だ。
水戸駅前・銀杏坂の大イチョウは空襲に耐えて復活した。



稲田の西念寺、水戸市の薬王院や八幡宮など、各地の巨樹が紹介されている。
各地に沢山あるが、サクラと同様に時期を外すと見事な姿は見られない。



史料や文献、詩歌、随筆などの文芸作品取り上げられているものは、等々。
先日火災で焼失した鳥栖の無量寿寺の「紙本著色拾遺古徳伝」は無事だったらしい。



「公園の手品師」はフランク永井が歌った歌謡曲で吉田正作曲・宮川哲夫作詞。YouTubeで検索したらシャンソンの様で親しみを感じる楽曲だ。
『鳩がとびたつ公園の 銀杏は手品師 老いたピエロ(後略)
1番から3番まである。







中国由来の八景でなく私の「水戸八景」を考え、遊んだことが有る。
「水戸城址土の銀杏」はその一つ。
しかし、土塁が破損した際の改修工事で幹を大幅にカットしたことや、周辺の景観も変化し,心の思いとは異なってしまった。

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西成田洋子・記憶の領域展@藝文センター1F

2021年12月03日 11時51分51秒 | 美術展
西成田洋子・記憶の領域展@藝文センター1F





第1会場:藝文ギャラリー
前期2021年12月1日(水)~12月26日(日)
後期2022年1月5日(水)~1月30日(日)
第2会場:藝文プラザ
2021年12月10日(金)~2022年1月30日(日)



西成田洋子さんの「記憶の領域展」が《藝文ギャラリー》で始まった。
12月10日からは《藝文プラザ》で立体の大きな作品展も同時に展示される。

西成田洋子さんと言えば、使い古した衣類や皮革製品さまざまな素材の日用品を分解し再構築した「記憶の領域」と題するシリーズの作家として知られる。
1991年から始まって20年、変化を遂げながら多彩に進化してきた。

其々のモノには使われていた時の記憶が宿り、観る者の心に眠る記憶を巻き込んで新たな物語を紡ぐ不思議空間が演出される。

2002年文化庁新進芸術家在外派遣研修員として1年間、アート・スチューデント・リーグ・オブ・ニューヨークに学んだ頃はトタンや木材などなども使用したが、最近は原点帰り布や革、紙などの天然素材が多い。







「立体のドローイング」
着色された紙をホッチキスで留めた立体作品が20点くらい並ぶ。
新境地の作品で、これがなかなか面白い。



「夜に歩く」2018年



「記憶を連れて2019」



「記憶の芽」2019年







「いわき市立美術館 1階ロビー」で2021年11月6日(土)-12月19日(日)まで「ニュー・アートシーン・イン・いわき 西成田洋子――記憶の森――」開催されており、トリプル展となる大活躍だ。


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水戸市泉町再開発計画が始動

2021年12月01日 23時03分17秒 | 水戸の今と昔
水戸市泉町再開発計画が始動







2006年に竣工した「泉町1丁目南地区市街地再開発(水戸京成百貨店)」と道路を挟んだ東側の再開発事業が動き出した。
詳しい内容は公表されていないが、高層マンションが建設されるらしい。
既に更地あるいは閉店、移転を準備している店を含めて年内には全てが閉じる。







「ギャラリーしのざき」は夏ごろに閉店、1階の「ビストロ・ババ」は11月28日をもって閉店し、南町の「みずほ銀行」の並びに新店舗を準備中で12月中頃には新装開店の予定。
Maison Weniko(メゾンベニコ)は、焼き菓子、コンフィチュール、チョコレートを中心としたフランス菓子店。縁のない水戸に出店し街を大いに盛り上げてくれた。今回の計画でやむなく奈良県奈良市のJR奈良駅前に移転とのこと。
年内迄営業する。
小野和子さんのミュージック・バー「ぐぁらんどう」は毎晩ライブが行われる老舗だが、年末30日迄の営業で打ち止めとなった。
誠に残念で数々の思い出がある。


近年は、かなりの店舗が閉じて昔の面影は無くなったが、いざ現実に姿を消すとなると、思いは一気に70年前(昭和20年代)に逆戻りした。







昭和20年代から20年を経過した昭和45(1970)年の水戸市泉町広小路~1丁目の写真でも現状とはかなり異なる(大森多喜雄・撮影)。

角地に魚屋「八百徳分店」が開業し、店頭に鯨肉の塊やウニの貝焼き、樽の中では大量のドジョウが上へ下へと泳いでいた。
隣が「ミハシ」呉服屋が出来たが、しばらく経って靴屋になった。
その隣が「岩崎薬局」その隣が「マルショウ果物店」更に隣が「フタエ屋」呉服店、その先に「トヨタ洋服店」その脇に「泉町交番」。



人それぞれの意見はあるだろうが、北側の旧京成百貨店跡地の「新市民会館建設」がさほどの審議を経ずに強行され、箱もの行政の典型とも言える施設が進行している。
建設費に加え巨大な施設と設備の維持と人件費を加えれば財政に可成りの負担は目に見え、アフターコロナの価値観とも大きく異なる。
2023年4月に完成を予定しているらしいが、竣工時に大幅な変更を余儀なくされる可能性もあるだろう。
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