「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

2016年の大晦日の宵。

2016年12月31日 20時06分01秒 | 水戸
2016年の大晦日の宵。






大晦日の過ごし方に決まりがあるわけでなく、毎年異なる。
今日は友人宅で千波湖越しに筑波を眺めた。


三日月が昇り金星が輝く。

今年も、無事に過ぎそうだ。

良いことも悪いことも、それぞれが良き想いで。

日が変るまで数時間。

皆さま、良いお年を。
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元日のお散歩は「千波公園西の谷緑地」へどうぞ。

2016年12月31日 16時13分53秒 | 水戸
元日のお散歩は「千波公園西の谷緑地」へどうぞ。






今日は大晦日、水戸市内を歩いたが、商店街の半数は店を閉じ「謹賀新年」の張り紙。商店街の衰退を嘆く声があるが、店主が土日祭日を休みとする現状ではどうしようもない。

京成百貨店は地下食品街が大賑わい、駐車場も満杯なのは嬉しい姿。
駅ビルは元日から初売り営業とか。

心配な話題は千波湖の鳥インフルエンザ。
白鳥・黒鳥を含めかなりの被害らしい。
そのせいで、千波湖を訪れる人も少ないらしい。

世の中の出来事に関係ないのが「千波公園西の谷緑地」。



公園協会の手による草刈りもすんで、新春を迎える準備は完了した。



沼の水位は下がって、木道も通れる。



元日のお散歩は「千波公園西の谷緑地」へどうぞ。

(写真は12月29日の撮影。)

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マロンの「2016肉29納めランチ」

2016年12月29日 20時02分48秒 | 食事
マロンの「2016肉29納めランチ」





レストランマロンは1963年にコーヒーショップとして開業した。
創業当時は道路反対側に老舗の料亭「山口楼」が在ったくらい。
とはいえ、山口楼の他にも待合などがある三業地だったが、昼間は静寂な街並みで、そこに出現した洒落たコーヒーショップは話題を呼んだ。


著名な建築家の設計による建物は現在と同じだが、外壁などは今より洒落た感じがした。

1階中2階3階と現在と同じだが、吹き抜けの天井に下がるシャンデリアは岩田籐七の制作。

1階の喫茶スペースは今より狭かったし、厨房もさほど大きくは無かった。

その後この周辺は一大歓楽街となったが、きっかけは「マロン」の開業と思っている。



現在の店舗で言えば右側の階段を下れば「マロンギャラリー」
小さな美術館の様な画廊スペースだった。
彫刻家・木内克の揮毫した木製の看板が掛けられていた。


日光金谷ホテルで修業したマスターはレストランに転身。
当時としては珍しいメニューが多く、洒落た洋食を出す店として評判となった。
季節ごとにイベントを催し、食事会を開いたのも水戸の草分け。
その伝統は今でも生きていて、現在のシェフに受け継がれている。



毎月29日は肉の日。と言う語呂合わせでステーキを提供している。
今月は年末と云う事で「2016肉29納めランチ」。

シェフは水戸ホーリーホックの熱烈なサポーター。
鹿島アントラーズを含めサッカーに対する情熱は熱い。



大塚さんへの尊敬と感謝をこめて「肉29納めランチ」に参戦。
11:30の開店と同時に入店したら先客が20名位。
2階・3階で何人入るか分からぬが、凄いことだ。
冬休みとあって家族連れも多く、馴染み客が多そうだ。



わくわくステーキランチ¥2000(税込ミニサラダ、スープ、ライス)

マスターは現在店には出ていないが僕と同じ歳。
店中央の半地下の狭いスペースに「パイプの煙」と言うバーを開いていた時代があった。
フランクシナトラが大好きで、BGMは全てシナトラ。
僕も大好きなので曲を聴いたり話したりした。

「2016肉29納めランチ」。
何やかにやらと昔のことを思い出した。

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「じゃばら飴」と矢澤 孝樹さん

2016年12月28日 18時07分35秒 | 人と作品
「じゃばら飴」と矢澤 孝樹さん





水戸芸術館の音楽担当の学芸員だった矢澤孝樹さんが家庭の事情で実家の甲府に戻られてから5~6年は経とうか?
水戸芸時代は演奏会の企画は勿論、幅広い音楽講座を何度も開かれ、クラッシック音楽から現代音楽まで分かりやすく解説された。

僕も何度か聴講したが、機材を駆使して素人でも十分に理解できるように心を砕かれていた。
その様な姿はおのずと市民に伝わる。

退職されることは水戸市民にとって大きな損失だったが、お家の事情とあっては致し方なかった。
現在は横浜美術館館長を務める逢坂恵理子さんと同様に、辞めるに際し多くの市民から残念がられた学芸員はそう多くはない。

家業の「ニューロン製菓」は飴などのお菓子を製造する会社らしいが、OEM(企業が委託者のブランド(商標)で販売するという条件で、製品・部品を受託生産)なので自社の名前が出ることは少ない。




偶々、ニューロン製菓が和歌山県北山村から受託した「じゃばら飴」のFB記事に花粉症などにも効能がある成分が入っているとあった。

詳しく云えば「じゃばら」と言う柑橘の果皮から抽出した『ナリルチン』というフラボノイド成分を多く含む濃縮エキスを配合した、ノンシュガーの飴。
1日2~3粒で、アレルギーI型(花粉症、アトピー、喘息等)に対抗出来るナリルチン摂取量が配合されているそうだ。



面白いと思ってその記事をシェアしたら小学校の同級生から「何処で買えばいいの」と問い合わせ。
村に問い合わせてみればと答えたら、早速購入したらしく味見にと送ってくれた。
シュガーレスで微かな甘みと爽やかな香り、花粉症ではないが喉や鼻に効果が有れば嬉しいことだ。

矢澤さんは実家に戻られ家業に邁進し業績を上げていると同時に、水戸時代の様に、地元の大学や地域での音楽の講座にも関わっておられるようだ。
更には以前からの音楽専門誌への連載やCD批評なども続行されている。
こちらは師であった吉田秀和さんの仕事を引き継がれておられる。

仕事に趣味に、さらに社会との関わりに全力を注ぐ矢澤さんの姿を遠くから拝見(FBなどで)しているが、クリスチャンであること影響もあるのか真面目ににやり過ぎる性格から身体は大丈夫?と案じている。

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後藤清一さんのこと@『鸚鵡貝』創刊号 

2016年12月27日 16時52分16秒 | 彫刻家 後藤清一
後藤清一さんのこと@『鸚鵡貝』創刊号 





雑文集・『直しや雑記帳』が友人たちの援助で刊行されたのが(よこの会・1987年7月だが、それに先立つ1987年2月に同人誌『鸚鵡貝』創刊号が発刊された。

「日めくり俳句会」の仲間が中心になって「同人誌を作ろう」との話が持ち上がった。
ジャンルは決めず好きなように使えるのが1人当たり10頁。
印刷経費の10ページ分を参加者が負担する、と言う取り決め。

表紙のデザインと絵、本文中のカットは画家の福地靖さんが、編集から印刷・刊行まで一切を大曽根克彦さん(当時タウン誌の編集長で、現在はフリーのライター)が無料奉仕でしてくれることになったので、経費の負担がメチャ安で出来ることになった。

小説・俳句・短歌・評伝・評論・絵画・随筆と内容豊富な総合誌で、サブタイトルには「文学と美術の小宇宙誌」と銘打った。







僕は彫刻家の後藤清一(1893-1984)さんの作品と人柄に魅入られていたので、書き残すにはいい機会と思えた。
勿論、作家の評伝を10ページで纏めるのは無理な話しなので、刊行ごとに連載すればと思い評伝「後藤清一さんのこと・其の壱」として書くことが出来た。

同人誌は3号まで、ともいわれる。
どの様な訳か記憶にないが二号には参加することなく、終わってしまった。

この資料を基に取材を重ね『後藤清一・ひとつの象徴と造型』として1990年に刊行できた。
後藤清一さんの生涯と作品を概観できる278頁の本としてまとめることが出来たのは『鸚鵡貝』創刊号のお蔭だ。

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「どうもの会」最後の晩餐@リバティーヌ・水戸市天王町

2016年12月26日 22時20分03秒 | イベント
「どうもの会」最後の晩餐@リバティーヌ・水戸市天王町





五十年前近く始まった集まりが、そろそろ御仕舞い?



と云う様な事で食事会なのだがが、一応、気どって「晩餐会」。

当初の会員は
金沢英三、佐藤勝義、小網祐司、前島伸夫、木村光男、島津孝一郎、中込佶、加納博、稲葉幸郎、桑原操、亀田祐介、鯨岡昭雄、石川哲郎、坂本秀雄、金沢哲夫、川又銀蔵、吉田正雄、服部静治、金沢正一、吉田光男、中尾久三、渡辺斎、高橋洋一、後に、大谷久蔵、佐川一信、金原章郎、山の内美恵子(敬称略・順不同)

この会の当初は「奥様と子供達の為のクリスマス会」だった。
会場は「水戸ガーデン」
会員一人に3~4名参加で、総勢が70名を越えていたが、子供達も巣立って、今や老人会と言う感じだ。
当初の会員が24~5名で健在なのが8名。
従って参加者は20名前後。
それぞれが元気に新年を迎えることが出来そうだ




毎年、各種のパフォーマンスがあり、歌手のえんどうさやさんが手配してくれ、
今年は同級生の城戸義明さんのお嬢さんの城戸春子さんのチェロ演奏。
短い時間でしたが、チェロのさわりを演奏していただきました







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すみだ北斎美術館.@墨田区亀沢2-7-2

2016年12月25日 19時00分47秒 | 美術館
すみだ北斎美術館.@墨田区亀沢2-7-2
開館記念展「北斎の帰還-幻の絵巻と名品コレクション-
2016年11月22日(火) 〜 2017年1月15日(日)









葛飾北斎(1760-1849)は江戸時代後期の浮世師。
森羅万象を描き、90年の生涯に3万点を超える作品を発表、版画のほか肉筆浮世絵にも傑出していた。
ゴーガンなど後期印象派の人達にも大きな影響を与えた。
「為一」を始め「画狂老人」「卍」など、改号すること30回。

93回を重ねた転居でも有名で、画料はかなり入ったにも関わらず、質素な生活で金銭にも関心が薄く、興味は描くことだけの生活、トラブルも多い奇人としても知られる。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などが著名だ。

東京都墨田区が、世界に散逸した北斎の名品を生誕の地すみだに再び集め、北斎専門の美術館で展示しようとして誕生したのが「すみだ北斎美術館」で2016年11月22日(火)に開館した。

建築地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷跡地。
現在の墨田区北斎通り付近にあたる本所割下水で、およそ90年にも及ぶ長い生涯のうち、そのほとんどを「すみだ」で過ごしたといわれる。

「蔵前国技館」や「東京都江戸東京博物館」から徒歩10分位の墨田区亀沢。





設計は茨城県日立市出身の妹島和世で近未来的な外観。


館内は4階に常設展示室、3〜4階に企画展示室を配置

序章「北斎のイメージ」、
1章「北斎の描いたすみだ」、
2章「幻の絵巻-隅田川両岸景色図巻-」
3「名品ハイライト」、








「隅田川両岸景色図巻」
約100年余りも行方知れずとなっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻(すみだがわりょうがんけしきずかん)が、平成27年に再発見され、海外から日本へ里帰りした。




門人露木為一が描いた北斎と三女のお栄(葛飾応為)

こたつに半分入りながら熱心に絵を描き、一緒に暮らす娘の阿栄が傍らで見守っている。
三女のお栄(葛飾応為)は北斎の助手もつとめた浮世絵師。



絵を基に再現した像。



『北斎漫画』 53歳ごろ〜



『富士越龍図』
肉筆画(絹本着色)。嘉永2年1月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、落款は九十老人卍筆。

浮世絵や版本は小さいく、肉筆の浮世絵も掛け軸の大きさ。
しかも、退色しやすいから強い光を当てることも出来ないし、長期に渡る展示も難しい。



現在は開館記念展で多くの来館者があるが、DVDや光学的な展示など、工夫はしているが、リピーターの確保など長期のサイクルでみる運営は多くの問題を抱えているように思えた。
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クラーナハ展―500年後の誘惑@国立西洋美術館

2016年12月24日 17時58分43秒 | 美術館
クラーナハ展―500年後の誘惑@国立西洋美術館
2016年10月15日(土)~2017年1月15日(日)




国立西洋美術館で開催されている「クラーナハ展」
クラーナハはどのような人なのか?
テレビなどで紹介されているが、とにかく観ないことには、ともって参上。

ルカス・クラーナハ(父、1472-1553年)は、若い頃にウィーンで絵画修業を終えた、西ヨーロッパで強大な力を誇った神聖ローマ帝国のザクセン選帝侯に見出され、専属の宮廷画家。
大型の工房を運営して絵画の大量生産を行うなど、先駆的なビジネス感覚を備えていたこと。

マルティン・ルターとも親交があり、宗教改革にも深く関与したこと。

等が分かった。



ルカス・クラーナハ(父)《マルティン・ルターの肖像》
1525年、油彩/板、ブリストル市立美術館


この画家が有名なのはユディトやサロメ、ヴィーナスやルクレティアといった物語上のヒロインたちを、特異なエロティシズムで描きだしたこと。

艶っぽくも醒めた蠱惑的な女性像は、当時の人達ばかりでなく後世の人々をも強く魅了する。



ルカス・クラーナハ(父)《ヴィーナス》1532年 シュテーデル美術館蔵



ルクレティア



ルカス・クラーナハ(父)《ホロフェルネスの首を持つユディト》
1530年頃、油彩/板(菩提樹材)ウィーン美術史美術館


ドイツでは15世紀後半から木版画や銅版画がいち早く発達した。

今回の展示でも、クラーナハをはじめ、デューラー、メッケネム、ショーンガウアーなど、同時代のドイツ人巨匠達の版画が比較展示されている。



クラーナハ展 https://youtu.be/hsTNFkI5a6w

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HIGASHI-YAMA Tokyo @目黒区東山1-21-25

2016年12月23日 23時34分24秒 | バー
HIGASHI-YAMA Tokyo @目黒区東山1-21-25



上野から両国に行き、西麻布の友人宅を訪れるが不在で、ダニーさんが水曜・木曜日はバーデングをしていると言う「HIGASHI-YAMA Tokyo」に行くことに。

最寄駅の中目黒に着くと大変な混雑。
駅前には警備員が沢山・

「何故に」と訊くと「目黒川のライトアップ」とのこと。

近年、その様なことが沢山は喜ぶべきか悲しむべきか?

一応の調べは以前にしてあったから、大体の見当はついていた。

徒歩10分程度だが辿りつかず散々と迷った。



10㎝×30㎝位の小さな看板1つでは分かるはずもない。



階段を上がるとコイが泳いでいる池があり、その奥が入り口。

日本食のダイニングがあって、その下の階がラウンジバー。



何とも豪華な内装で、何に使うのか分からないような洗面台。



葉巻も沢山、とはいえシガーバーではなさそう。







当然のことだが、ダニーさんが生んだ「星子」のミストを。



素晴らしい空間で最高のお酒を・



HPの写真が良く映っているので。

東京で新たな隠れ家が出来た。

青春18切符、冬の陣の第一弾は東京日帰りの旅。
其の参HIGASHI-YAMA Tokyo

昼 11:30~15:00(L.O. 14:00) 日曜・月曜定休日
夜 18:00~25:00(L.O. 24:00) 日曜定休日

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長浜観音ハウス@台東区上野

2016年12月23日 22時54分07秒 | 
長浜観音ハウス@台東区上野



上野のお山の下に出来た「長浜観音ハウス」滋賀県長浜市が創った情報発信の拠点。
何か月回一度、長浜の観音様がお出ましに。



高月町横山 横山神社 馬頭観音立像
平安~鎌倉時代 木造 素地 彫眼 像高・99.6cm

馬頭観音でありながら、怒りを内に秘めた静かな表情は、平安時代末期、藤原時代に造られたことを物語る。

青春18切符、冬の陣の第一弾は東京日帰りの旅。
上野から両国へ 其の弐
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青春18切符、冬の陣の第一弾は東京日帰りの旅。

2016年12月23日 18時41分23秒 | 
上野から両国へ
青春18切符、冬の陣の第一弾は東京日帰りの旅。


上野駅から御徒町へ、仲御徒町駐輪場で貸自転車を借り上野の山に。



寛永寺の清水観音堂(国指定重要文化財)

天海大僧正は寛永二年に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開いた。
比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つが
清水観音堂.




歌川広重「上野清水堂不忍ノ池」(国立国会図書館蔵)



清水観音堂から不忍池~旧加賀藩邸・旧水戸藩中屋敷・駒込邸方面を望む。
工事中の東大病院が大きく見える。




国立西洋美術館の「クラーナハ展」を観て蔵前に。




2016年11月22日にオープンした、「葛飾北斎」をテーマとした浮世絵や日本画の専門美術館。

葛飾北斎が生まれ暮らした本所割下水に建設された。



近未来的な感じの建物は茨城馴染の、妹島和世の設計。
エントランスでチケットを買い、4階まで上がってから、階段を降りながら展示を見ていくような動線に。

開館から間もないので混雑を覚悟したが、平日でもありさほどのこと無く観られた。

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『直しや雑記帳』(よこの会・1987年7月・B6判 224頁)

2016年12月20日 21時54分50秒 | 本・雑誌
『直しや雑記帳』(よこの会・1987年7月・B6判 224頁) 
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の20




サントピアが1978(昭和53)年に開業した6年後に「服の直し屋」を5階に出店した。商人なら当たり前のことが、素人が始めたたので知らないことばかり、恥かしい話は五万とあるが、今回は割愛。

「ぼやいてばかり」でもしょうがないので、店で感じた「よしなしごと」を書きつけてみようと思いついた。サントピアの近所に日刊の地方紙「新いばらきタイムス社」があった。残念なことに廃刊となってしまったが、地方紙の存在は貴重だ。
藩士を持ち込んだら、幸運にも「家庭欄」に週1回で連載してもらえることに。
文章だけでは目立たないのでカットを1枚添えることにした。
絵も文も自信は無かったが、やるほかない。

悪戦苦闘しながら1984(昭和59)年10月~1987(昭和62)年3月までの約2年5か月間に100回に渡り掲載することが出来た。

連載が完結する頃、水戸青年会議所の卒業年度を同じくする友人で毎月16日に昼食会を開いている【よこの会】の仲間から「じゃ、出版したらいいじゃない」と勧められ、急遽、出版の話が具体化した。

これと言った計画が有ったわけではないのに、(無かったから出来たのかもしれないが)、出版したら記念の会を開こう、会費で何とかなるからと風呂敷が広がった。
仲間に「きど印刷」社長の城戸義明君がいたことが大きかったが、他のメンバーの協力もあり、1987年7月に『直しや雑記帳』(B6判 224頁)が誕生した。



若年の友人でデザイナーの加藤木洋一君が編集と装丁を担当してくれた。
段ボールを表紙にするというユニーク装丁。
定価を1600円としたのは昭和16年生まれの仲間のゴロ合わせ。
販売の予定はなく記念品として配布することに。
















100回の連載が纏まったものをみれば〈身の回りから暮らしを見直す〉〈過剰な装飾を排しシンプルに)(流行おくれなんて気にしない)(ものにとらわれずじゆうに)(サントピアと水戸の街)など。
もっともらしいことを記しているが、前に述べた水野正夫先生や浜野安弘氏などの考え方に大きな影響を受けている。

水戸市泉町の中央ビル8階の「ゴールデンホール」に300人が集まった盛大な出版記念会が開催されたのは身に余る光栄だ。



出版の集いを報じた「新いばらき」1987年7月22日号。



仲間の「三つ扇」滝田酒造の酒樽で「鏡割り」。
記念品には十河雅典さんデザインによる特性ラベル貼った「OSAKE」
中身は「三つ扇」の四合瓶

今にして思えば、短期間でいとも簡単にあんなことが出来たのか。
不思議だ、遅ればせながら仲間達と参加して戴いた多くの方々に心から感謝の言葉を申し上げます。
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【Tabi-ぶら忘年会 in 水戸】@「エクセルみなみ4階 true brew」 

2016年12月19日 21時38分42秒 | イベント

【Tabi-ぶら忘年会 in 水戸】@「エクセルみなみ4階 true brew」 







本年の5月15日に、山本 哲士さんが主宰する旅の同好会「Tabi-ぶら」の「この道行けば、とっぷり桜川」に参加した。

早苗が植えられたばかりの棚田、桜川磯部稲村神社、月山寺美術館、富谷観音、薬王寺。身近な所にこの様な素晴らしい景観や寺社が遺されているのに感激した。そればかりでなく、参加者の人柄の良さとそれぞれの特技や豊かな才能にも魅了されて嵌ってしまった。

それ以来立て続けに、
6月25日「潮来の初夏の一日」。
7月9日「アイツんとこに行ってみようか。to 牛久&石岡」
10月20日「県北アート・海岸ルート」
10月30日「那珂川の献上鮭と海浜鉄道に乗って」
と参加し会員の名前や顔を覚え、新参者ながら仲間と認められるようになった。

そして、年末となり忘年会のお誘い。
12月17日(土)は水戸地区の忘年会。










会場は水戸駅ビル「エクセルみなみ4階 true brew」
ネストビールでおなじみの木内酒造直営のビアレストラン。

主宰の山本さんを中心にサポートメンバーが役割を分担する、とても民主的・自主的な集いだけに忘年会の雰囲気もすこぶる宜しい。





飲み放題・食べ放題のコースに大満足。



メンバーの皆、来年も宜しくお願い致します。
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自由が丘スタジオ・さよならライブ

2016年12月19日 09時07分35秒 | コンサート
自由が丘スタジオ・さよならライブ
20年・450回を節目にライブコンサートを閉じることに。









12月18日(日)午後4時から「Farewell Live 」 が開催された。



メンバーは鈴木道子(Vo) 峰 厚介(Ts) 熊谷ヤスマサ(P) 八尋洋一(B) 海野俊輔(Ds)



ゲストとして ウータン鈴木 。



1996年10月の第1回ライブの出演者の道子、峰、ウータン。
翌週の第2回ライブに出演した八尋(今回は忙しいスケジュールを調整し志願参加)、

自由が丘スタヂオから羽ばたいた熊谷と海野の個性的なメンバーンが顔を合わせた。

4時から7時半まで休憩をはさんで3時間以上の熱演が繰り広げられた。




リニューアルオープンを期待する聴衆に、「それは有りませんが、自由が丘スタジオは健在です、何方かコンサートを開かれる方は何時でもどうぞ」とのこと、これから新たな一歩が始まると信じたい。

石田さんが情熱を傾けた原動力は何であったか?
第1回の出演者の鈴木道子さんは後に石田さんと結婚され現在は石田夫人。
奥さまに対する盛大なメッセージ「愛の言葉」だったのだろう。
まことに羨ましい夫婦愛の象徴が「自由が丘スタジオ」であった。

石田さんご夫妻、そしてウータン正夫さん、星見晴雄さん有難う。



通常のライブはご挨拶なしだが、今回は特別に挨拶された石田哲郎さん。



石田夫人道子さん、
始めて聴きましたが円熟の女性ヴォーカリスト。
歌が入ると雰囲気が変ります。

峰 厚介(Ts) 日本を代表するサックスプレーヤー。

ゲスト出演とご挨拶、ウータン鈴木(Ds)

八尋洋一(B) この日一番ノリノリ、ベースで歌ってました。

熊谷ヤスマサ(P) 高校時代から通い詰の「自由が丘スタジオ」育ち。
バークレー音学院に留学、帰国後は東京で活躍中。

海野俊輔(Ds) 茨城大学在学中は「自由が丘スタジオ」に居た時間が多かったという。
現在はクマガイと同じく東京で。






何時もこれくらいの観客が居たならば、、


石田外科医院(水戸市自由が丘)院長の石田哲郎さんは大のジャズ好きで、毎週のように東京のライブに通っていた。偶々、そこで20年来の友人に再会。



ペドロ&カプリシャスやアイ・ジョージのドラマーとして活躍していたミュージシャンの鈴木ウータン正夫さん。



「なんなら、水戸にスタヂオを作ったら!」との冗談から駒で、自宅の片隅にスタジオを作ることに。

ピアノの最高峰スタインウェイや、ハモンドオルガンB3を始め音響装置を完備した別荘風な木造のライブハウスが誕生し、第1回ライブが1996年10月23日に開かれた。

最初のコンサートには行けなかったが、石田さんの友人・星見晴雄さんの縁で何度か行く機会があった。

ウータン正夫さんのアレンジによって、東京で“超”が付くほどの一流アーティストのライブが水戸に居ながら聴けるのが魅力だった。
しかも、入場料は平均3500円。
かなりリーズナブルな料金設定にも関わらず満席となる機会は極わずか。

単発の打ち上げ花火を数回ならまだしも赤字続きなのに継続すること20年、450回のコンサートを重ねた。

軽く住宅2軒分位は建つ金額を使った。
道楽と云えば道楽だが、自分が楽しむより他人様に愉しんでいただく文化的事業、並大抵の努力ではなかったろう。
石田さんは水戸ホーリーホックのチームドクターも兼ねているサポーター。
ホームゲームには毎回スタジアムに足を運んでいる。


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石川直樹 この星の光の地図を写す

2016年12月17日 15時19分21秒 | 水戸芸術館
石川直樹 この星の光の地図を写す
@水戸芸術館現代美術ギャラリー
2016年12月17日~ 2017年2月26日






冒険写真家・石川直樹による北極、南極、ヒマラヤ8000m峰といった極地を撮影した各シリーズ。
さらにニュージーランドの原生林を撮影した『THE VOID』。
ポリネシア地域に浮かぶ島々を星に導かれるように巡った『CORONA』。
世界各地の洞窟壁画を訪ねた『NEW DIMENSION』。
日本列島の南北に広がる島々を探索する『ARCHIPELAGO』など。

日本や世界各地のあらゆる場所、テレビでも紹介されない地域の写真は魅力だが、幾つかの地図も展示されている。
吾々が慣れ親しんだ世界地図と異なる別な視点から見た地球。

タイトルの「この星の光の地図を写す」を実感する。













第7室の「石川直樹の部屋」は撮影が可。
仮設の部屋を作り、遠征で使用した装備や旅先での入手した様々なモノが展示されている。




写真集や書籍を自由に閲覧できる。

冒険写真家だけに写真の展覧会としてしては異色の展覧会だ。

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