「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

一乗院 骨董市 とフリーマーケット@那珂市飯田

2021年11月29日 20時00分03秒 | 骨董・古美術
一乗院 骨董市 とフリーマーケット@那珂市飯田





那珂市飯田の一乗院境内にて毎月第四日曜日に「骨董市 とフリーマーケット」が早朝より開催される。
約160店が軒を連ね、1万人程の人が集まる今時の縁日。
台座より高さ約16メートルの毘沙門天。









境内のあちこちに多様な品々が並ぶ。
骨董と云っても玩具、工具・刃物などまで幅広い。



今風に和服を着こなした若いカップルから外人迄、客層も幅広い。



フリーマーケットだから、食べ物・野菜・花などの店と、これまた多彩。
早くも「千両」が並んでいた。



一乗院は「花の寺」を目指しているから花木が多く植えられてある。
赤と白の山茶花が咲きている。



落語・漫談・講談の寄席も開かれている。

水戸近辺の骨董市では笠間市の「栗の家・骨董市」は毎月第1・第3日曜に開催され何度か足を運んだ。
30年以上の歴史があるので北関東全域からの客で賑わう。
一乗院の「骨董市 とフリーマーケット」はそれ以上の規模で驚いた。

全国の寺社仏閣が「ご朱印」をはじめあの手この手で集客に努める時代となった。
「一乗院」は古来の「縁日」の楽しさを継承し「フリマ」的な要素を取り入れた賑わいを演出している。

次回の「骨董市 とフリーマーケット」は12月26日 第四日曜日。
2012年の正月3日に「だるま市」が開催される。


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『水戸の十字架』(小林 文華/著・坂田 章夫/編 茨城新聞社 1996)

2021年11月27日 20時20分22秒 | 本・雑誌
『水戸の十字架』(小林 文華/著・坂田 章夫/編 茨城新聞社 1996)






『今から三十年ばかり前、筆者がいはらき新聞編集局に居った当時、寺西恵然師が仏教の「愚禿親鸞」、弓野北峡老が「加倉井砂山」を書いたから、今度は基督教の読物を書けという社命である。
尊王攘夷で外来思想を排撃し 水戸であるから、基督文献などある筈がないという説が多かった。
元栃木県令吉見輝、元彰考館勤務清水正健、名城水戸中学教師漠然氏等は無いという側だった。
独(ひとり)県嘱栗田勤氏が水戸徳川家宝物虫干の際、切支丹遺物を見たことがあるというので、家令の福原脩さんに照会したところ、立原軒調べの切支丹遺物目録の写しを送って来た。これが意外にも世界的珍宝だったので、これを中心に資料を蒐集し、「水戸の十字架」と題して義烈両公の耶蘇研究を発表し、当時の基督教史学界に異常の センセーションを与えたのであった。」(後略)



切支丹法服念珠と帷帳を身に着けた小林文華(大正10年8月1日、水戸徳川邸にて)

小林文華(1892-1981・明治25~昭和56)本名・小林寅四郎が1921(大正10)年に起稿した「水戸の十字架」と題する著書の序文。
その後1950(昭和25)年に再録されたが出版には至らず、遺族の小林房枝・坂田章夫の両名により編・監修され1996年に茨城新聞社より出版された。
原文は「茨城新聞」の大正10年7月20日から同年12月1日付けまで5カ月にわたり、128回の長期連載となった。

第1章 水戸藩以前
第2章 梅邸宝物調
第3章 威公時代
第4章 義公時代
第5章 西教屏息期
第6章 烈公時代

全480頁に渡って資料を基に述べられているが、漢文で書かれている部分もあり僕の語学力では理解するのは難しい。
この書籍は水戸市立図書館より借りたが、興味を持つ専門家の論考を待ちたい。



切支丹本尊耶蘇像(徳川博物館蔵)

前述のようにこれらの資料原本は徳川博物館(現・徳川ミュージアム)の蔵品。
未発表の資料もある可能性もあり、何れの機会に展示されることを願っている。

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ココリコ食堂@茨城県立青少年会館・1階(水戸市緑町1丁目4-18)

2021年11月26日 23時15分19秒 | レストラン
ココリコ食堂@茨城県立青少年会館・1階(水戸市緑町1丁目4-18)





茨城県立歴史館の向かい側の茨城県立青少年会館1階に、本年3月2日にオープンした「ココリコ食堂」(7:00~15:00)

「ココリコ」とはフランス語の鶏の鳴き声「コケコッコー」で、お店も朝7時からオープン、まさに早起き鳥だ。
青少年会館内に「偕楽園ユースホステル」が併設されているから、宿泊者に対しての利便性も考慮されたのであろう。

会館内には研修・集会室の施設もある。
俳句会の会場として何度か使用したから1階のレストランも利用したが、運営者は何度か変わった。

リニュアールオープンしてから間もない頃に訪れたが、その後コロナ禍の拡大で休業の止むなきの時もあったので久しぶりに再訪。



定食 500円

和定食 納豆生たまご、みそ汁
洋定食 バタートースト卵付き

日替り定食 700円
小鉢デザート、肉の魚えらべます。

ケーキセット 500円 お好きなドリンク
ドリンク 300円 サザコーヒー(ホットアイス)

日替り定食 ドリンク・テイクアウトできます
月曜 定休日



「日替り定食 700円」は煮込みハンバーグにけんちん汁と小鉢付き。

此方の卵は常陸大宮市の「環の花」の平飼いの有精卵。
我が家も時折、配達をお願いしている。
スパーなどの品よりは値段は高いが、黄身も白身も、味は格別。

コーヒーはひたちなか市発の全国ブランド「サザコーヒー」を使用している。



インテリアは女性オーナーならではの明るい雰囲気。



中央の柱を囲むアート作品は笠間在住の美術家・伊藤公象作。
1974年の「第1回北関東美術展」において発表された《多軟面体ブロック》が
1978年に「多軟面体」シリーズとなり、「第4回インド・トリエンナーレ国際美術展」で金賞を受賞し、国内外へ活躍の場を広げた。
青少年会館建設の時期は定かでないが、多分この頃。
話題作として設置されたに違いない。

県立歴史館の特別展「親鸞を継ぐ-如信をめぐる遺宝-」が 12月4日(土)~2022年1月30日(日)開催、その際にまた立寄りたいと思っている。

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酒泉淳・作『秋筑波』

2021年11月24日 12時18分46秒 | 人と作品
酒泉淳・作『秋筑波』



黄色や茶色が茨城の紅葉の特色で真っ赤にはならない。
紫峰・筑波の姿は高浜から恋瀬川を望む姿が素晴らしい。
山頂の峯と峯が離れているが、どの方面から描いたものか?
明らかに筑波ではあるが。



右隅に「A.SaKaizumi」の署名がある。
酒泉淳(さかいずみあつし・1920−2006)の作品。
父が土浦高等女学校(現土浦二高)の美術教員だったので、昭和5年に土浦中学校(現土浦一高)を卒業し、昭和7年頃に水戸の菊池五郎のアトリエで洋画の基礎を学んだ。
同11年に美術教師となるが、この頃に小堀進と出会い、本格的に水彩画に取り組んだ。同13年白日会展に初入選、同18年白日賞、同22年会員。
戦後は日展で活躍(同33年特選)するほか「水彩連盟茨城支部」を結成し、同会メンバーとして活躍した。
僕が水戸一高在学時には美術の教員を務めていたのだが、美術を選択しなかったので指導を受けることはなかった。
今となって、美術を選ぶべきだった、と若干の後悔がある。



酒泉五楓「細雨来」
◎父親の酒泉真一(1877-1957)は女学校の教師で杏村・五楓と号した。
酒泉家は江戸時代の儒学者・筑前国福岡出身で水戸藩彰考館総裁を務めた酒泉 竹軒の家系で、一族はしばしば水戸藩の歴史に登場する。

地元の画人・松平雪江に入門し、東美卒、高等女学校の美術教師となった。
川端玉章・山田敬中に師事、のちに小室翠雲に師事し南画を修めた。
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北沢努彫刻展@常陽史料館(水戸市備前町6-71)

2021年11月23日 19時27分45秒 | 美術展
北沢努彫刻展@常陽史料館(水戸市備前町6-71)
2021年11月16日(火)~2022年1月16日(日)
(月曜日のほか12/5、12/29~1/4休館)






『北沢努の木とブロンズの風景彫刻―空から森へ―』展
玄関の『森に棲む』の大きな作品がお出迎え。





『森に棲む』シリーズ初期からの作品も展示され、全貌を観ることが出来る。







地下2階に至る大きな階段と踊り場は常陽資料館ならでの空間。
吹き抜けを生かした、高さ2メートル以上の大きな作品群。

森に入って天然木の幹や枝の中から自分のイメージに合ったものを探し出すのは簡単ではなさそう。
選んだ木材に鋳造したブロンズを如何に組み合わせるか、これまた難しい作業だろう。





水戸市在住の彫刻家・北沢努さんは、木・金属・石膏・石などを巧みに使った作制作してきた。
2011年には、新進作家の登竜門といわれる「UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)」で宇部マテリアルズ賞を受賞。







工房での制作過程を、鴨志田美代子さんが撮影した写真も展示されてある。

北沢さんとの出会いは五軒町に在った「アートワークスギャラリー」の個展会場、かれこれ20年前頃か。
その後「ギャラリーしえる」「東海ステーションギャラリー」や新国立美術館の「一陽展」などでも拝見しているが、見る度に進化を遂げている。

グループ展や茨城大学の後輩達に対しても尽力されているようで、人間的にも素晴らしい方とお見受けしている。
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佐川一信さん26回忌

2021年11月22日 12時29分16秒 | 水戸の今と昔
佐川一信さん26回忌





今日(11月19日)は元・水戸市長の佐川一信(1940-1995)さんの祥月命日。
亡くなられて26年を経た。
水戸市酒門町「酒門共有墓地」の佐川家墓所には常に花が絶えない。
時間が経過しても、彼を愛した人多かったことを物語っている。



『政治は最高の理念である』

『日本一の文化都市にしよう』という政策を掲げ、図書館ネットワークの充実・千波湖浄化や備前掘りの美化と下水道整備。
公園都市の実現への夢。
清掃工場の建設にあたって熱帯植物公園の開設。
水戸駅北口開発など8年足らずの在任中に多くの実績を上げた。

強面の論客の印象を持たれたが、照れ屋で謙虚な方だった。
多面的に活躍し、多くの顏を持っていたから、「私の・僕の、佐川一信さん」像が有り人様々だ。

水戸市民会館の建設が進んでいる。
佐川さんの意図した目的ごとの小さな施設から、巨大な箱モノ行政に逆戻り。
建設費を含め、毎年の運営費など、巨額な負債は市民が払い続けなければならならない。
国政を含め地方自治体に至るまで、眞に嘆かわしい時代となってしまった。
これら全ては民度だから仕方ないのかも知れないが、市民が未来に期待出来る時代になることを願う。
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座っているのを見かけたこと無い、ベンチよりも~@西の谷緑地

2021年11月18日 22時20分49秒 | 西の谷緑地公園
座っているのを見かけたこと無い、ベンチよりも~@西の谷緑地







水戸市千波公園西の谷の「流れ修景植栽工事」が行われている。
その一環として、木製のベンチが7基据え付けられた。
3か所ある東屋のベンチは僕も使うし、坐っている方を見かけることが多い。
しかし、他の場所の幾つかのベンチに座っている人を見たことがない。

新たなベンチを作る意図は何なのか?
図面上で、この辺りにベンチでも、との単純な発想としか思えない。





10年前頃かに、遊歩道の奥にコの字型の橋の様なものが作られた。
この時も、誰がここを通るのか?
と、甚だ疑問に感じたが、案の定、ほとんど使われない。
写真のように今の季節は落ち葉が降り積もるが、掃除されたことがない。
写真を撮影後に掃き掃除をしたが、ボランテア活動ゆえに気の向いた時しかできない。



ブロックが敷かれた遊歩道も然りだ。
遊歩道の全部ではないが、このような場所が何か所か或る。
今の時期は、掃いても直ぐに降り積もる。

新規なものを安易に設置しないで保守管理の予算まで十分なのかを考えた上で行ってほしいと思う。
街路灯の球切れの交換、歩道の植え込みの除草などについても同様だ。





西ノ谷緑地の認知度も上がって、散策する方が増えたのは嬉しいことだ。
植栽の主役は山桜だが、昔から生えているイチョウの黄葉・モミジの紅葉が見頃となった。

ベンチに代えて、彫刻作品・モニュメントの様な立体作品を設置(予算の範囲で)がより魅力を増すのではと思う。
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能面展@偕楽園公園センター (桜山護国神社下)

2021年11月17日 23時18分35秒 | 美術展
能面展@偕楽園公園センター (桜山護国神社下)
11月16日 (火) ~ 11月21日(日) 9:00~16:30
主催:能面を打つ 「梅・橘の会」講師 青木 二郎・貝保 雅約 (がろく)





第20回能面展が偕楽園公園センターで開催されている。
NHK文化センター水戸放送局の「能面を打つ」の受講生の作品展。
受講歴20年に近い人から新人迄いるが、何れの作品も様になっている。





能面に関する解説文も掲示されてある。
読めばなるほど!と感心することが沢山。
「面打ち」は、古い面を模作するのではなく、室町~桃山時代にかけて完成した型の外感から内面まで全てを「移す」とのこと。



この展示会を拝見したのは7~8年前、水戸二中の同級生・宮永 武久さんからの案内だった。
彼の作品は南町の「栗原写真館」1階のショーウインドーに常時展示されている。
今日(17日)が出番とのことで訪ねた。





福井や金沢での展覧会に出品し、受賞した作品。
*南町の「栗原写真館」1階のショーウインドーに、作品が常時展示されている。







隣接する「紅葉谷緑地」は初冬の風情。
道を辿って「徳川ミュージアム」まで足を伸ばすのも楽しい。
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内山節子50年の油絵展@茨城新聞 みと・まち情報館

2021年11月16日 23時49分24秒 | 美術展
内山節子50年の油絵展@茨城新聞 みと・まち情報館
11月10日~26日(入場無料・土日祝日休館/午前10時~午後5時まで)










二科会会友で、ひたちなか市勝田本町在住の内山節子さん(84)の画業50年記念展が茨城新聞 みと・まち情報館(水戸市南町)で開催されている。
静物や風景・人物画など、約25点が展示されている。

内山さんは35歳の時、友人と参加したひたちなか市の公民館講座がきかっけで 創作活動を始めた。
主婦業の傍ら日常生活で気付いた周りにあるものや、風景を描いてきた。
国内だけで なくイタリアやブラジルなど海外にも足を延ばし、風景を描いてきた。



刊行した画集も展示販売している。





旅先のスケッチも展示されているが、これまた楽しい。





今回の展覧会は画業50年を迎えた記念展。
多くの友人・知人で千客万来の大賑わい。



生まれ育った地での展覧会は特別の気持ちだという。
内山さんの旧姓は長岡で、生家は会場前の南町2丁目。
この写真の「香陵住販」のところで「ナガオカ」という洋品店
妹さんが後を継いで「ジーンズショップ・ナガオカ」として一時代を築いた。
その時代に思いを馳せた回顧展・生まれ育った町への追悼記念展だ。
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徳川ミュージアムの刀剣と具足@水戸市見川1丁目

2021年11月14日 23時50分24秒 | 文化遺産
徳川ミュージアムの刀剣と具足@水戸市見川1丁目







徳川ミュージアムは徳川家康の遺品(駿府御分物)を中心に家康の子である初代頼房、2代光圀ら歴代藩主や、その家族の什宝・書籍など約3万点の歴史的資料を整理保存し一般公開している。
当然ながら、刀などの武具・甲冑・具足は魅力的な展示品。







明治維新後、隅田川沿いの下屋敷が水戸徳川家本邸となった。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で被災し、水戸徳川家由縁の168振の刀剣・日本刀の一部も被災した。
全焼はしなくとも、蒸し焼き状態となって価値が損なわれたものもあるが、資料として保存展示されているものもある。
本邸跡地は「隅田公園」として生まれ変わったが、門柱が遺され当時を偲ぶことが出来る。





オンラインゲーム「刀剣乱舞」のブームで有名になった「燭台切光忠」は火事の高温で溶け、刀身も焼けて黒く変色しており、波紋も確認できないにもかかわらず、人気を博し5年前頃から「刀剣女子」と呼ばれる若い女性の入館者が訪れる。

それに伴い、焼失した名刀を現代の名匠が再現する「刀剣プロジェクト」が始まった。「太刀児手柏」と「刀燭台切光忠」の二振の名刀が2018年に在りし日の姿を甦らせた。



刀剣男士「燭台切光忠」の等身大パネルやポスターが展示されて在る。
オンラインゲームが如何なるものかは知らないが、若い方々が刀剣や歴史に興味を持ち博物館や歴史資料館を巡ってくれるのは嬉しいことである。

骨董古美術の世界に足を踏み入れて50年を過ぎたが、具足・刀剣や刀剣小道具
等の金工作品に魅力を感じはしたが購入することはなかった。
鍔・面頬・兜など、一度は手元に置いて眺めてみたい気分もある。



水戸に住みながら、水戸徳川家の歴史などに疎い。
「徳川頼房―初代水戸藩主の軌跡―」展が水戸市立博物館で10月16日~11月21日開催されている。
徳川ミュージアムと併せて訪れることで、理解がさらに深まった。

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水戸ホーリーホック・アイスホッケー部の交流戦

2021年11月12日 23時18分56秒 | 水戸ホーリーホック
水戸ホーリーホック・アイスホッケー部の交流戦





サッカーのJリーグクラブを母体とするアイスホッケーチーム水戸ホーリーホックアイスホッケー部とAC長野パルセイロ・アイスホッケーチームの交流戦が11月6日(土)17:30から笠松運動公園アイススケート場で開催された。

カナダなどではメジャーなアイスホッケーだが日本での知名度や人気はパッとしないのが現状だ。
このような状況を打開すべく、サッカーのJリーグクラブを母体とするアイスホッケーチームを作る動き始まり交流戦が開かれた。

昨年、茨城県アイスホッケー連盟会長・堀口卓司郎さん、連盟理事長・吉澤忠さんと知り合って水戸啓明高校アイスホッケー部と慶応高校アイスホッケー部の練習試合を観戦する機会があった。

リンクの上で身体と体が、時にはリンクを取り巻くフェンスに激突する。
パックが目にもとまらぬ速さで飛ぶ。
巧みなステック捌きで相手陣に持ち込む。
ルールは分からないが、凄いな!と感じた。
全てのスポーツは現場で観戦するのが一番だ。





AC長野パルセイロ・アイスホッケーチームを迎えての今シーズンの交流戦。
1998年に「冬季オリンピック長野」を開催した長野のチーム、茨城・水戸よりは格上だ。
観客も高校の練習試合よりはかなり多く、熱い声援を送る。

結果を見ずに途中退場したが、9-7の大逆転勝利だった。



水戸ホーリーホックのツイッターより。

●J2水戸ホーリーホックは11月14日(日)首位のジュビロ磐田を迎えてのホームゲーム。現在10位の水戸は勝利して上位を目指したい。14時キックオフ。

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福地靖さんの納骨堂@光台寺(水戸市上水戸3-1-39)

2021年11月11日 20時02分37秒 | 人と作品
福地靖さんの納骨堂@光台寺(水戸市上水戸3-1-39)







画家の福地靖さんが2019年10月8日に85歳で逝去された。
葬儀には参列できたが墓所が何処に在るのか分からず、改めてお参りしたいと思いつつ2年が過ぎた。
福地さんとの縁は50年に及び、美術関連に留まらず多方面に渡り教えて頂いた。
亡き後も何かにつけて思い出すことが多々ある。

偶々「谷中の光台寺の供養塔に納骨されている」と聞き及んだ。
光台寺は1583(天正11)年、佐竹義宣が水戸城の西側(現在の金町・五軒町辺りと言われるが、古地図で探しても見当たらなかった)に開基した浄土宗の遍照山義宣院を、江戸時代の寛文年間に徳川光圀が現在の場所に移した、と伝えられる。



県道を挟んだ「二十三夜尊・桂岸寺」は良く知られているが、光台寺って何処に?
と思ったが、彰考館総裁・吉弘菊潭、水府温古録の著者・高倉逸斉、桜田烈士岡部三十郎、長谷善四郎や明治の文豪菊池幽芳の墓地が在る。
納骨堂脇の無縁さん、地蔵菩薩、寒水石の碑などを見廻すと、この寺の歴史を感じる。









葬祭場に展示された遺作(甥御さんの収蔵品とか)

福地靖さんは1933(昭和8)年に水戸市に生まれた。
1955年茨城大学美術科に在学中に美術集団ROZO群を仲間たちと結成する。
以後、ROZO群展、個展、企画展で作品を発表。
作風は何度か変化しているが、カラーインクを使用したペンの点描で女性を描いた『ファニー』のシリーズが代表的だ。
瞳のない女性、は見るでもなく見られるでもない不思議な存在感。
薄気味悪く感じる人もいるが、自分の心を映すかの如くどの様にも感じることが出来る。
点描的な銅版画を試み、詩画集『ハレルヤ・耽』(1969年・シロタ画廊)を刊行。
パステル画も得意とし、晩年は水墨画の世界に遊んだ。

何時もお洒落で、ダンディーな身のこなし。
優しい人柄で、めったに怒ることはなかったが、在野精神・反権力の心を終生貫かれた人生だった。

没後2年を過ぎても作品と人柄を慕う方々が大勢いる。
作品展示と年譜を含んだ冊子の刊行が来春には実現する。
との情報もあり、心待ちにしている。
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「上田薫とリアルな絵画」展@茨城県近代美術館

2021年11月04日 17時11分58秒 | 美術館
「上田薫とリアルな絵画」展@茨城県近代美術館
10月26日~12月12日







1985年から1992年迄の7年間、茨城大学教授を務められた上田薫(1928~)さんは、玉子が殻から黄身と白身が落下する瞬間や、スプーンですくい取る様子をリアルに描く「スーパーリアリズム」の日本における第一人者として知られている。
美術の教科書に採り上げられる作家だから、茨大教授として着任されたことは驚きであり喜ばしいニュースだった。

当時は水戸芸術館の構想が進展中で、上田さんはじめ茨城大学の美術関係の先生方からのご意見も「現代美術ギャラリー」の構想に生かされた。

今展は4部で構成されている。
序章:上田薫―玉子に見るリアル



上田薫「なま玉子 B」 1976年 東京都現代美術館蔵



上田薫「玉子にスプーン B」1987年 茨城県立近代美術館蔵

殻から落ちるなま卵、スプーンですくいとられ、フライドエッグなどがクローズアップした大画面に描かれている。
落ちる瞬間、ナイフやホークの精密な描写。
油絵なのだが本物としか見えない。
写真を元に描いているのだが、イメージの通りの写真が撮れるまで何十もの卵を割り続けたらしい。
単に偶然の状況ではなく、全ての作品が狙って映され再構成されている。
画面のスプーンなどに作者自身や周囲の風景などが写り込んでいる作品も多い。

1章 いろんなリアル

本物そっくりに描くリアルリアルに描いた木下晋・磯江毅・諏訪毅などの作品。

*不思議なリアル

週刊誌「フォーカス」の表紙絵などを担当した三尾公三など、現実にはあり得ないリアルな世界は異次元の空間に。

2章 光のリアル
現代の様々な作家による光の表現。



伊庭靖子「Untitled」 2009年神奈川県立近代美術館蔵
クローズアップされた染付磁器とその反射光を描いた伊藤靖子。

第3章 上田薫のリアル
上田作品は時代ごとに変化した。



上田薫「あわ D」 1979年 個人蔵



上田薫「ジェリーにナイフ C」 1989年 日立市郷土博物館蔵



上田薫「サラダ E」2014年 個人蔵

代表的な卵シリーズに留まらず「あわ」「流れ」「サラダ」など、次々と新たなテーマを求め展開した作品が並ぶ。

●作品の写真は全て茨城県立近代美術館のHPより。



茨城大学を退官されて相模原に転居し、近年に鎌倉に移り住んでいる。
2012年4月、鎌倉の鶴岡八幡宮を眼下に見る丘の上の住まいとアトリエを訪ねることが出来た。
アトリエを拝見したのち、竹林で有名な報国寺や旧華頂宮邸をご案内頂いたのも懐孟宗の竹林で有名な報国寺にご案内頂いた。



2011年に水戸芸術館で開催された「CAFE in Mito 2011 ― かかわりの色いろ」展に際しては自作を何点か寄贈された。
寄贈作品の前で、奥様の上田葉子さんと。
葉子さんはキルト作家としてNHKのテレビや手芸の雑誌に度々登場する。
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「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション ―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」9月4日~ 11月7日@大田区立龍子記念館

2021年11月02日 09時16分55秒 | 美術館
「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション ―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」9月4日~ 11月7日@大田区立龍子記念館



現代アートのコレクター・高橋龍太郎氏のコレクションを、美術史家で明治学院大学文学部芸術学科教授・山下佑二氏が日本画家・川端龍子の作品と共に展示した展覧会。

高橋氏が収集した2,000点以上にもおよぶという日本の現代アートのコレクションは、国内外の様々な展覧会で紹介されてきた。
その中から山下氏が選んだ4人の作家と龍子の作品のコラボレーション。









会田誠《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》
この作品だけは写真撮影が可能。
最初に展示された時、ビールケースの上に設置された状況を再現展示。
会田誠の住居の襖に描かれた。
後ろも見ることが出来、襖に描かれた状況が良く見える。
ホログラムの紙が貼り込まれ、見る角度によって変化する。



『香炉峰』(川端龍子・1939年、大田区立龍子記念館)
(紙本彩色 242.5㎝×726.5㎝) 
龍子は「会場芸術」と言うと名の下、とてつもない大画面の作品を多数発表している。普通の場所では展示できない巨大な画面、そのために自分の作品発表の場として個人美術館を作ってしまったのだ。
現在でもこのような大画面の作品は少ないが、満州事変から太平洋戦争に突入する時代に描かれたから驚きだ。
画面いっぱいに描かれた戦闘機の機体が半透明に描写され、パイロットは自身の姿として描かれている。
いわゆる戦争画だが、単なる戦争画には見えない。
龍子は「会場芸術」という名のもとに超ド級の大画面に描いた。



「源義経(ジンギスカン)」(川端龍子 1938 年紙本彩色額装・六枚一面各(各243.4×723.0 cm)



「五武人圖」 (山口晃 2003 年 墨・紙 5 点組 各 170.0㎝×60.0 cm )



「十一面観音菩薩立像」奈良時代(8世紀)、大田区(東京国立博物館寄託)
龍子の「持仏堂」に在った。



山口晃「當卋おばか合戦」1999年、高橋龍太郎コレクション。
下は、川端龍子「逆説・生々流転」1959年 大田区立龍子記念館蔵





この企画展を知ったのは「BS日テレ」で放送されている「ぶらぶら美術・博物館」。この番組は、美術に造詣が深くあらゆる分野に精通している山田五郎が
「おぎやはぎ」(小木博明・矢作兼)高橋マリ子と美術館・博物館をブラブラする企画。毎回、専門のゲストが登場する。
今回(2021年10月19日)は展覧会を監修した山下裕二で、博学の山田五郎と肩を並べる物知り博士。

鴻池朋子《ラ・プリマヴェーラ》と龍子が金彩のみで草むらを表した《草の実》、天明屋尚《ネオ千手観音》と龍子の自宅の一室に納められていた仏像「十一面観音菩薩立像」、そして、山口晃《五武人圖》と龍子の武者絵《源義経(ジンギスカン)》など、時代を超え共鳴し合う作家のイマジネーションの世界を楽しむことが出来た。
併せて隣接の「龍子公園」も見ることが出来た。

●龍子記念館は、
近代日本画の巨匠と称される川端龍子(1885-1966)によって、文化勲章受章と喜寿とを記念して1963年に設立された。
当初から運営を行ってきた社団法人青龍社の解散にともない、1991年から大田区立龍子記念館としてその事業を引き継いでいる。
大正初期から戦後にかけての約140点あまりの龍子作品を所蔵し、多角的な視点から龍子の画業を紹介している。
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