「西の谷緑地公園」を美しく!

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古河市を歩く

2023年01月09日 16時18分10秒 | 
古河市を歩く







鷹見泉石記念館(鷹見泉石旧宅)@古河市中央町3-11-2
鷹見泉石(1785 – 1858)は、江戸時代の蘭学者であり古河藩主土井利位が大坂城代だった折随行し「大塩平八郎の乱」が発生すると、自らが陣頭に立ち采配を振るい見事乱を鎮めた人物。
蘭学者としても有名で"雪華図説"や"新訳和蘭国全図"は大きな影響力を持ち、広く世界を見つめていた事で開国論を展開、幕府から半ば排斥される形で古河に蟄居した。
住居は古河城の御三階櫓造営時の余材を使用して建てられた武家屋敷。
敷地も当時は現在の4倍以上と広く、建坪も200坪を超え上級武家屋敷の一端を見ることが出来る。



資料のほとんどは道路と濠を挟んだ反対側の「古河歴史博物館」に寄贈され、建物は鷹見泉石記念館として公開されている。



鷹見泉石像・渡辺崋山(1793-1841)筆・絹本着色/縦115.1 横57.1
天保8年(1837) (東京国立博物館蔵・国宝)
古河藩(茨城県)の江戸詰家老で、蘭学の先輩でもある鷹見泉石を描いたこの図は崋山45歳の作。
微妙な陰影法による写実的な顔の描写とおおらかな着衣の表現とが渾然ととけ合った傑作。









隣接して古河出身の南画家・奥原晴湖(1837-1913)の熊谷の旧宅の一部を移築した『繍水草堂』が在る。
旧古河藩領であった埼玉県熊谷を活動の活動拠点とした。



関東平野のほぼ中央、茨城県の西端に位置する古河市は、西側が埼玉県、北側が栃木県、東側が結城市、八千代町、南側が五霞町・境町・坂東市と接している。
東京やさいたま市、宇都宮市までの距離が50~60㎞という地理的条件に加え、JR宇都宮線をはじめ、国道4号や新4号国道等の交通ネットワークが整備されていることから、さいたま新都心、小山、宇都宮との交流が盛んであり、近年、人口・住宅・工業化の集積が進んできた。
東京の近郊という感じだが旧古河藩の城下町としての文化的な香りのする落ち着いた街だ。
古河歴史博物館・古河文学館・永井路子旧宅(古河文学館の別館)・鷹見泉石記念館・篆刻美術館などがある。



幕末から明治期の画家・河鍋暁斎も古河に生まれた。





武蔵屋のミニうな重
旧日光街道沿にある創業百年を誇る老舗のうなぎ屋。
予算の都合でハーフサイズ。



武家屋敷の面影を残す通り。



「日光街道古河宿道標」
城下町は道が直角に曲がるようにつくられている。
日光街道と、筑波道の分かれるところに「日光街道古河宿道標」

(訪問は2022年10月8日)
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